ら組三番町大安売屋碧眼の魔術士

2005年05月01日
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カテゴリ: ラピスの休日

 凰赫は、彼がその存在を知られた冒険者であることをまったく知らなかった。


 彼女が不安にかられ、もうこの場から逃げ出したいと思った時、住む世界が違うのにもかかわらず名乗りを上げてくれたほどの人だ。決して悪い人じゃないことは判る。けれどその素性を知っていたら、その後の彼女の行動はまったく別のものになっていただろう。 

 シャルベーシャは戦乙女の育て方にも詳しく、彼女は彼の説明を何度も頷きながら聞いた。それまでの拙い育成を否定することは決してなく、どんな戦乙女になりたいかを尋ねながら、それに相応しい育て方を、わかりやすい言葉を選んで話してくれた。

「それじゃあ、支援スキルをかけるから、街の外に出てごらん。」

 彼と共に歩く狩り場は、それまでとまったく違う場所になった。もう少しぐらいでは死んだりしない。そして、彼の話はとても誠実で、紳士的で、同時にユーモアを欠かさないものだった。まだ狩りをすることだけで精一杯の凰赫はそれほど言葉を返すことは出来なかったが、彼と話しながら歩くのはとても楽しい時間だった。


「そろそろ仲間たちがやってくる時間だから、私は帰るよ。毎晩、違う世界にいるけれど、困ったことがあったら、いつでも声をかけて。」

「はい。ありがとうございました。」

 彼女は彼の名前と彼の住む世界の名前をしっかりと書きとめ、そして、2人はそれぞれの世界へと帰っていった。


 翌日、それまでと同じように1人で狩り場を歩いてみたものの、突然に寂しさが募ってくることに彼女は驚いた。誰かと話しながら歩くということとは、こんなに違うものだったのだろうか。

 もう一度会いたい・・・

 彼女はしばらく悩んでから、彼のいる世界に出かけ、思いきって話しかけてみることにした。まだ誰も知り合いのいない大陸で、たった一人入れた名前が友人の名簿の中で光っている。小さく深呼吸をして、彼女は彼に声をかけた。




「やぁ、こんばんわ。もう仲間たちが落ちるから、アリーナでまた支援しようか。」

「え・・・いいのですか?」

「もちろん。すぐに行くよ。」

 ただ一度だけ案内してもらっただけで図々しくはないか、そう気にしながら声をかけた彼女の不安は、彼の明るい返事で簡単に吹き飛ばされた。闘技場の街で待っていると、言葉どおりに数分で彼はやってきた。

 経験値が入りにくくなるし、誰かに完全に依存して1人で狩り場を歩けなくなるのもいけないからと、シャルベーシャは街に残ったまま彼女の支援をすることにした。彼が闘技場を歩けばその名前を見て一歩下がる冒険者は多かったし、腕に覚えのある者は容赦なく切りかかって来る生活だ。自分と一緒にいることで、彼女に不要な軋轢を背負わせる必要はないとも思った。


 一方で彼自身にとっても、とりとめもない会話を彼女と交わしながら街でのんびりと過ごす時間は妙に心地よかった。いつもの仲間たちと多少下卑た冗談を交えつつ、全員を守るために細心の注意を払って上位の狩り場を行くのとは、また違う開放感と新鮮さがある。

 狩り場に出るのはいつも同じ仲間とばかりだし、いつもの世界では近寄りがたいと思われているのか、彼に気さくに声をかけてくる冒険者は少ない。ただの聖騎士として、1人の名も無き冒険者として過ごせる時間は、不思議なほどに安らぐ時間だった。


 以来、凰赫は大陸に降り立つと必ずシャルベーシャの世界に寄って声をかけ、そして彼もまた時間を作っては闘技場で待つ彼女の元へと向かうようになっていった。







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最終更新日  2005年05月01日 00時01分53秒
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