はにわきみこの「解毒生活」

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2005.04.13
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 いやあっ!

 はあはあと荒い息をつきながら、体がびっしょり濡れていることに気づいた。

 辺りは暗い。ここはどこ?
 少なくとも映画館じゃないし、海の中でもない。

 私は記憶のなかから一番新しい事実を引っ張りだそうとした。
 どれが最新だったっけ?
 たしか今、私はモーテルの部屋の中、にいるはずだった。

 何か明かりをつけないと。


 パカ、っとドアの開く軽い音がして、冷蔵庫から細い光がもれる。だれかがいる。この部屋にもうひとり。思わず体が固くなった。

「阿南? 目が覚めた?」
 振り返った男の顔は。
 一瞬。

あの男だったらどうしよう 、と心臓が縮まった。

 パチリとスイッチが入り、部屋がぱっと明るさを取り戻す。その中に浮かび上がったのは、間違いなく、昔なじみのイトコ、龍一の姿だった。
 安堵のあまり、涙が出そうになった。

「怖い夢を見たわ。ものすごくリアルな」
「ずーっと苦しそうにしてたからなあ。何か飲む?」

 私はベッドから出て立ち上がった。大きく背伸びをして体を動かす。着ていたTシャツは汗でベタベタ、ショートパンツも湿ってくしゃくしゃになっていた。



「珍しい! 飲んだりして大丈夫なの?」
「なんだか飲みたい気分なの」

 私はシャワーを浴びようとバスルームへと向かった。
 コックをひねるとぬるい水が滝になって落ちてくる。
ほんものの水だ。塩辛くもなければ、冷たくもない。あの夢の中の海とは、全然ちがう。そして私の頭を押さえつけて息の根を止めようとする男はいない。

 どうしてあんな夢を見たんだろう。今でも鼻先に海の磯臭い香りがまとわりついている。


 シャンプーの泡が顔をつたって床に落ちていく。あたまのてっぺんにお湯を当てて、かるくマッサージする。あごの力が抜けて、食いしばっていた歯への圧力がゆるむ。ただ単純に、きもちいい。そして私は生きている。今こうして、ちゃんと。

 ザッと体の水気をふき取ると、ワンピースを頭からかぶった。タオルで乱暴に髪を拭く。鏡をみながら手グシで髪を整える。

 鏡に映る私の顔。夢の映画館のスクリーンに映っていたのもこの顔だった。そう、奈々と私はとてもよく似ているのだ。まるで双子のように。

 部屋に戻ると、龍一の姿はなかった。
 ベランダに続く窓が開き、カーテンがひらひらとしている。私は裸足のまま窓に向かった。
 龍一は、手すりにもたれて外を見ている。
 私も、その隣に陣どって風に吹かれることにした。

 左から右へ一直線に、水平線が視界を横切っている。上半分は、見たこともないほどの数の星がきらめいている。生き物が眠りにつく時間。そして星が目を覚ます時間。

「降るような星、だろ」
「こんなの見たの初めて」
「テントに泊まってたら、もっとすごいぜ。明かりが少ない分、星がたくさん見えるんだ」
「そういえば、ゴールドコーストのホテルではこんなにキレイに見えなかったわ。あれは町の灯りがまぶしかったからなのね」

 龍一は、ほい、と缶ビールを1本手渡した。びっしりと水滴がついた缶はまだひんやりと冷たい。プルトップをあけて、一口飲み下す。
 炭酸がピリピリと喉を刺激する。海水にむせた夢の記憶がよみがえる。

「でも、おいしい」

 ビールそのものの味は、まだわからない。喉にしみるし苦い。でも冷たさとともに喉に落ちていくこの感触が、自分が今生きているってことを体の内側から教えてくれる、そんな気がするのだ。

「もうだいぶ落ちついた?」
 うなずいた。が、暗すぎて相手に見えないことに気づき、言葉に乗せた。
「うん」

「昼間さ、頭を打っただろ。打ち所がわるかったんじゃないかと思ってそれが心配だったんだ」
「さすがの私も、一人で動く気にはなれなかったしね」
「きもちが悪いとか、どっかが痛いってことはない?」
「それはない。でも、すんごく、ヘンな夢を見た」

「変な夢って?」
「ものすごく、リアルなの。まるで本当に海の中に頭をつっこまれたようだった。真剣に、死ぬって思った」
「海の夢だったわけ?」

「そうね。最初は、私と龍ちゃんが映画館にいるの。そしたら、その映画は奈々の事件をダイジェスト化したものだった。途中でそれに気づいたら、私自身がその映画の中にすっぽり入ってた。
 忘れたくても忘れられない顔ってあるのね。ハワイでちょっとだけしか会ったことしかなかったあの男の顔が出てきたわ。怖い顔して、オレのために死ね、って」

 ベゴン、という音に続いて、わっ、という小さな叫びが上がった。

「どうしたの? 龍ちゃん」

「奈々の話ね。何度聞いても、どうしても、怒りが止められないんだ。
 あ、今のはね、ビールの缶がつぶれた音。中身が半分にへっちゃったな」

 私は部屋にもどってタオルを取ってくると龍一に渡した。
「ひどい話だね、たしかに」

「助かってよかったよ。黙って民家に助けを求めたのが良かったんだよな。感謝したいのは、奈々の底力だよ。ヤツに洗脳に負けないだけの精神力が残っていたんだ。もしその強さが無かったら、奈々の命はは今頃、札束になってヤツのいいように使われていた」

「人の命がお金になるって、なんだか嫌な話だわ。換金するだけしか価値のない人間なんているのかしら」

いるわけないだろう?

 思いのほか強い言葉の勢いに、驚いた。

「オレが心配してたのは、奈々自身がそう思いこまされていたことなんだ。ヤツにとっては、奈々は換金材料でしかなかった。でも、他の人にとっては違うだろ。 奈々は光り輝く個性であって、もっと楽しい人生を送れる人だ。他人のために命を奪われるなんて、されちゃいけない人物だ。少なくともオレにとって。東華だって、奈々の親にとってだって同じだ。
 本当にあのタイミングは、ギリギリだった。奈々の自己評価はゼロに近いところまで落ち込んでいた。邪険にされた時期が長すぎたから」

「だから、龍ちゃんと東華がついてカバーしてあげたのね」
「そう。離婚をして、大学に復学して。裁判のための調書をとって、出頭に応じる。気の滅入るような後処理がだいぶあったから」

「今までね。その話、全然聞く気にならなかったの。奈々のこと嫌いだったし、内容だって楽しくも何ともないしね。でも、やっとあの子のつらさが想像できるようになったみたい。あの夢は本当にリアルだったから」

「奈々が近くまで来てるんじゃない?」
 龍一はカラになった缶をベキベキとつぶした。
「そうなの?」

 龍一がよき占い師として活躍しているのは、 母譲りの霊感の強さがあるからだ。霊感、というか、共鳴する力を持っている。 その龍一がいうならば、本当にそんなことがあるのかもしれない。
 この地に来て、奈々に対して閉ざしていた扉が開いた。彼女がそれに気づいて訪ねてくる、なんてことがあるのだろうか。

「奈々からずっと頼まれてたんだ。 阿南が会ってくれる気になったら教えて、 ってね。オレは約束を守る」

 今の私には、奈々に対してヤキモチを焼く気にはならなかった。あんなにひどい目にあっていて、姉やいとこが心の支えになってやるのは当然だ。むしろ私が冷たすぎた、と素直に反省しているほどなのだ。

「奈々が飛行機に乗ってこの場所に来るの?」
「うーん。それなんだよね。阿南が帰国するまでに間に合うかなあ。とりあえず、先にあれを渡しておくか」

 龍一は私を促して部屋に戻った。メッセンジャーバッグから薄い紙袋を取り出す。

「これ。奈々から」
 袋の中身をみると、年季の入った大学ノートが1冊入っていた。パラパラとめくるとボールペンで文字がぎっしり書き込まれている。これは、日記?

「それね。奈々が、あのひどい結婚してるころに、書いていたもの。電話も使えず外出もできず、使えるお金もほとんどない。彼女にとっては、紙だけが相談相手だったんだ。上手に隠してあったから、裁判の時の資料として役にたった。戸籍上の夫がどれほどひどいことをしたか、が書いてあったからね」

 それを聞くと、ぺらぺらの紙の集合体が、ずしりと重みを増した。怖いくらい重い。
 表情が暗くなった私を見て、龍一は言葉をついだ。

「全部読むことはないよ。阿南にとって大事なところは少しなんだ。どう、読んでみる?」
 私はうなずいた。今まで突き放してきた妹を、もう少し理解してやりたい。そんな気持ちになっていた。

「わかった。これを読んでみる。龍ちゃんはもう戻って。それで明日、私をピックアップしてくれる? 明日になれば私も運転する元気が戻ってると思うから」

「昼過ぎでもいいかな? 朝はちょっと波に乗りたいんだ」
「OK。それじゃ千紗さんによろしく」

 彼女はひとりで、龍一の帰りをジリジリと待っているだろう。気の毒に。でもガマンしてもらうほかはない。龍一は彼女のためだけに生きているわけじゃない。
 龍一は、冷蔵庫の中にビールを2本残していった。これを飲んだらもう少しリラックスできるだろうか。私はあらたに1本の口をあけながら、目の前に置かれたノートの表紙をじっと見つめた。





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最終更新日  2005.04.13 13:59:08


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