はにわきみこの「解毒生活」

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2005.04.19
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 ぱらりと表紙をめくり、ぎっしりと書き込まれた横書きの文字列に目をやる。


「彼は私を役立たずだと言う。本当にそうなのだろうか。彼にとって役に立たなくても、他の人には役に立つかもしれない、その希望を捨てたくない」

「もし、彼の元から逃げられたら、私は二度とこの場所に戻らない。二度と彼につかまらないよう、自分の手でハンドルを握って走る。必ずそうする」

「仕事をしたい。自分でお金を稼ぎたい。彼の家で飼い殺しの目にあうのは嫌だ。誰かの役にたって、生きていることに感謝できる日々を送りたい」

「彼は私の命に感謝はしない。死んでお金になって初めて感謝するという」

「両親は、東華の方が可愛かったのだろうか。私は本当に愛されていなかっただろうか。彼の言葉をうのみにするのは危険だ。しかし彼は私の弱いところを的確に攻撃する。東華へのコンプレックスがそれだ」

 ぬるくなったビールを一気に飲み干すと、視界がぐらりと傾いた。
 頭の奥に白いかすみがかかったようにぼうっとした。

 これ以上文字をたどるのが怖い。これ以上見てはいけない、というブレーキがかかる。



 私は、部屋の電気をつけたまま、ベッドに横になった。アルコールの力を借りて、重たくなったまぶたを閉じた。
今度は夢のない眠りにつかせて。もう映画はいらないわ。

 目が覚めたときは、窓の外から波の音が聞こえていた。
 部屋の中には自然光が差し込んでいる。
 律儀に部屋を照らし続けていたスタンドのスイッチをひねって消すと、立ち上がって伸びをした。体中が筋肉痛に悲鳴をあげている。

 当たり前だ。普段から、これといった運動もしていないのだから。悪い夢を見なかったのは幸いだった。

 駐車場を見ると、私のセダンの姿はなかった。そうだ、昨日はあの車には龍一が乗っていた。今日の私には足がないのだ。

 足がない。これまでの私が、周到に避けてきた事態だ。

 いざというときに自分の行きたい場所へ行ける、それだけは奪われてはならない権利だった。
 私は、自分で思うよりも強く、奈々に共鳴していたのだろうか。彼女の気持ちが痛いほど刺さっていた。
どこへも出かけられない、どこへも逃げられない苦痛。


 まだ少し空気がひんやりしている。日傘は大げさだと思い、つばの広い帽子をかぶった。

 海の音が聞こえる、といっても、そばにビーチが広がっているわけではない。一番近い波打ち際は崖なのだ。水平線を左手に見ながら、モーテルの近所を歩き始めた。

 目的があるわけではない。ただ、風に吹かれて、足の裏から地面を感じてみたかった。車が無くても、自分の足で歩き回ることはできる。

 宿があるくらいだから、小さいながらも街なのだ。少し歩けばスーパーや食べ物屋くらいはある。軽く朝ご飯を済ませると、散歩の続きにもどった。

 空を見上げると、さっきまで明るかった空の色が変わっている。

 水平線の向こうからは、黒い雲が塊になって陸の方へと移動してくる。ごろごろ、という不吉な音がする。

 雨が来る。

 そういえばこの土地で雨が降るときはスコールなのだ、と龍一が言っていた。

 雨雲はどのくらいのスピードでやってくるだろう。
 少し足を早めて宿を目指したが、びゅう、と一陣の風が吹いたのと同時に雨が降ってきた。

 乾いた道路に、親指の先ほどの水玉が、ボツボツッと音を立てて落ちてくる。

 ああ、あの日傘を持ってくれば良かったと思ったが、時すでに遅し。
 雨宿りも考えたが、どうせ10分も歩けば宿に戻れるのだ。私はこのまま歩き続けることにした。

 大粒のシャワーのようだった雨は、やがて一粒一粒が指圧のように強烈になっていった。洗いたてのスニーカーが土と水を吸い込んで行く。
 一歩ふみしめるごとに、靴の中がグショッ、と音を立てた。私は両手を広げ、手のひらに強烈な雨粒のマッサージを受けた。

 初めて体験する感覚だが、不思議とここちよい。
 打たれている、というよりも、洗い流されているような感じ。
 雨の粒が、私の中の毒を叩き出す。

 昨日は海の中、そして今日は雨の中。

 この土地に来てから、ずいぶんたくさんの水に触れている。
 軍鶏婆さんの説によれば、そのつど私の皮膚からは、毒が抜けていくはずだった。

 激しい雨で視界はぼやけているが、手の甲に浮かぶ水玉模様の色は、だいぶ薄くなっている。ここまで濡れてしまっては、急ぐ必要もない。

 私はずぶぬれのまま、一歩ごとに足の裏で水を感じながら、ゆっくりと歩いた。

 宿の前につくと、雨で煙る駐車場に、見慣れた車の姿があった。





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最終更新日  2005.04.21 18:22:55


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