はにわきみこの「解毒生活」

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2005.04.26
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 燃え上がる紙をつかむと、イメージが指先から脳へと伝わってきた。

 制服。夕暮れ。自転車を押す龍一。並んで歩く私。
 土曜日の昼ごはん。龍一が作ったチャーハンと、大根葉のみそ汁。

 英語で赤点を取った私に、龍ちゃんは家庭教師をしてくれた。

「これからはどんな仕事に就くにしても、英語が必要になるんだから」そう言いながら、ペイパーバックをくれたよね。そのファンタジー小説には、熟語や難しい単語に蛍光ペンでなぞった跡があった。
 あのころは、他の人なんか目に入らなかった。龍ちゃんはひとつ年上の素敵なボーイフレンド。
 もっと親しくなりたい。ここからさらに一歩踏み出したい。

 だけど。不安だった。子供時代から仲良くしすぎて、それ以上の仲にはなれないのではないか。天才子役と言われた女優は、成長してもなかなか大人の女として見てもらえない。それと同じじゃない? 幼なじみが恋人に昇格するチャンスはないんじゃない?

 それに。

 口にした瞬間に、二人の距離が離れてしまうのが怖かった。

 できるなら、いつまでも、このままでいたかった。

 結局、私が言い出せずにいる間に、龍一の方が行動を起こした。
 いとこという距離を飛び越えたのだ。東華に対して。
私は、龍一が東華に惚れた瞬間を、知っていた。

 私は出遅れたのだった。
 思い出したくない過去だから、都合良く忘れていたのだ。

 だけど、それがすべての始まりになった。

 うちあけるまえに壊れた恋。あの時、堂々と勝負に出なかったことが、後の悲劇の引き金になったのだ。

 龍ちゃんが選んだのは東華で、私ではなかった。

 あのころは、根拠なんかないくせに、龍ちゃんにふさわしいのは私だと信じていた。私は、鼻持ちならない自信家だった。それだけに、龍一が東華と付き合いだした時のショックは大きかった。全然知らない女性が相手だったらまだマシだったのに。



私が考えなしの結婚に走ったのは、壊れた自信を取り戻すためだった。

 旅先での突然の出会いでも、私は男性を惹きつけることができる。その人が選んだのはエリさんじゃなくて、この私。私だってまんざらでもないじゃない。

 龍ちゃんへの恋心がぺしゃんこにつぶれて以来、私は新しい恋に興味を失っていた。だけど、百戦錬磨の色男は、かたくなに恋愛を否定する心を開く鍵を持っていた。合鍵の束がじゃらじゃらと揺れる。

 恋は楽しい、ということを味わいたかった。実る恋は、美味だということを。苦い失恋の後で、私は甘い果実を欲していた。

 人を傷つけてまで、人を悲しませてまで恋人を選ぶ。最初はそのドラマに酔っていた。やがて悲劇に変わるとわかっていても、ひとときのヒロイン気分を味わっていたかった。


 本当に私が欲しかったのは、飾り立てられたウソの恋愛ではなかった。
 結婚したい、と言ってくれるしゃれた恋人なんかではなかった。

私は、ずっと、龍一の恋人になりたかったのだ。

 これまで封じ込めてきた記憶と、願い。その両方が激流となって私の中に流れ込んでいる。奈々が一人で引き受けてきた重石がずっしりと私の上にのしかかる。胸が苦しいほどだ。ちょっと待って。少しずつ消化させて。

 部屋一面に舞っていた紙は、床を真っ白におおいつくしている。忘れることで逃れていた責務たちが、私の足もとにたまっている。だけど、今すぐ、そのすべてを引き受ける自信はなかった。

 右手を伸ばして、手のひらを床に向けた。こっちにおいで、と念じると、紙たちは行儀のいいトランプのようにパラパラパラと音を立てて集まってきた。膝の上でとんとんとその紙束を整えると、それは一冊のノートに変わった。

 10年前で止まっていた時間。今動いている時間。これからは、二人分の経験と記憶をゆっくりと混ぜ合わせながら生きていくのだ。

 立ち上がろう、としてそれができないことに気がついた。そうだ、私は今、普段とは違う空間にいるのだ。龍一の手を借りる必要がある。

「龍ちゃん…」
「阿南、ここにいるよ。聞こえる?」
「聞こえる。私、もう起きたいわ。手をひっぱって」
「オーケー。じゃあ一緒に数を数えていこう。10から逆さまに数えてみて」
 じゅう、きゅう、はち…
 重たかった頭がすうっと軽くなっていく。
 なな、ろく、ご…
 左手が温かい。龍一のごつい手が私の手を包んでいるのがわかる。
 よん、さん、に、いち…
「さあ、目がひらくよ」

 ゼロ。

 私はベッドの上にいた。カーテンが乾いた風になびいている。
 すでにスコールは去り、あたりは強烈な陽差しに包まれている。

 私は目を上げて、龍一を見た。
 龍一は優しい目をして私のことを見つめている。

 ボッ、と音がしそうな勢いで、私は赤面した。
 見なくてもわかるほど、頬が熱い。
 私はこんなに長いこと、この人に恋こがれていたのだ、と自覚して、照れた。

「水。水が飲みたい。お願い持ってきて」

 慌てて、龍一の手を離す口実を作る。龍一は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスにそそいで持ってきた。

「気分はどう?」
 冷たい水を飲み干しながら、私は自分の内部を探った。嫌な感覚はないかしら? 重苦しいことは? いや、全然ない。体は軽く、走り出したいような気分。
「とってもいいわ」

「それはよかった。さ、水を飲み終わったら、バスルームにいってごらん」
 私は言われたままに立ち上がり、等身大の鏡の前に立った。

顔のブツブツが消えている!
 顔だけじゃない。腕も、足も。
 あわてて着ていた服をぬいで、背中を鏡に映してみる。
 私の肌は、つるりと白く、元通りになっていた。





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最終更新日  2005.04.26 17:38:11


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