北風の冷たい日で、正月も五日ともなるとさすがに人の数は少なく、あちこちにたむろする鹿たちも少し寂しげだった。
春日大社は建物の配置が悪いのか、神殿の前が狭苦しく感じた。
もっともあまりに寒かったので、南門から拝観料500円を払っての本殿参拝をせずにそそくさと次のコースへ移動してしまったのでコメントを言えた立場じゃないな。
東大寺大仏殿はさすがにゆったりとした敷地に威容を誇った建物に圧倒される。
ここは遠くから見ても近づいて見ても何とも素晴らしく、その込められた「念」の強さを思い知らされる。
盧舎那仏坐像の施無畏印・与願印で迎える姿に圧倒され、如何にも有難い存在として迫ってきます。
747年ごろ天然痘が大流行していたことや、干ばつ、飢饉、地震、藤原広嗣の乱などがあり、聖武天皇はこれらを鎮めようとして国ごとに国分寺を造ることを奨励していた。
その総国分寺ともいえる存在を東大寺に求め、これだけの巨大な大仏が必要になったらしいですが、約2年と1ヶ月の歳月で完成したというから驚きです。
奈良時代にこれだけのものを造ったこと自体が驚きです。
大仏完成後の758年に大仏殿の建物が完成しますが、過去2回戦火に見舞われ、現存する大仏は1691年2月に修復し完成したもので、大仏殿の建物は1709年3月に完成しています。
大仏は姿の上では釈迦如来など他の如来像と区別がつかないが、華厳経に説かれる「盧舎那仏」という名の仏です。盧舎那仏はこの華厳経に説く「蓮華蔵世界」の中心的存在であり、世界の存在そのものを象徴する絶対的な仏である。
華厳経・八十華厳では「毘盧遮那仏」と表記されており、これらの原語はサンスクリットの「ヴァイローチャナ」であり、密教における大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)と語源を等しくする。
密教では「毘盧遮那仏」をさらに展開していったのが「摩訶毘盧遮那如来」であり、密教における最高神ともいえる如来を「大日如来」と呼ぶ。
密教では「釈迦」も大日如来が姿を変えたものであるという考え方をしており、この東大寺の「盧舎那仏」は釈迦如来の印を結んでいるのが特徴です。
右手(向かって左)は手のひらを正面に向けた「施無畏印」、左手は手のひらを天に向けた「与願印」を結び、足の裏を天に向けて「結跏趺坐」しています。
★”施無畏(せむい)”とは無畏(おそれないこと)を施す、つまり種々の恐怖を取り除くこと、おそれない力を与えるという意味。
★”与願(よがん)”とはその名の通り願を与える、すなわち誓願を象徴するということ。
神と仏の両方を参詣して、私の本年がようやく本格的にスタートしました。
「日歌」が千首を超えたのを機に、 「游歌」 とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートすることにしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着