奥田英朗の小説「空中ブランコ」には楽観主義が満ち溢れている。
この短編集の主役、精神科医師の伊良部一郎は、楽観という物質で出来た白豚のぬいぐるみような人。
とにかく底抜けに明るく、楽観を食べて生きている楽観の塊だ。
治療と言ったらビタミン注射をするぐらいで、その破天荒な言動で患者は精神科を訪れた事すら忘れて、彼の行動に引き込まれていく。
読者は、呆れかえりながらもこの楽観主義の生き方に憧れすら抱いていく。
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「偵察」
この写真を撮った 「深緑さち」 さんという人もきっと楽観的な人に違いない。
そうでなければこの何でもない被写体を、こんなに美しい写真には撮れないだろうと思う。ザトウムシに惹かれたのではなく、この松の樹皮の美しさに魅かれてシャッターを押したに違いない。
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「悲観主義は気分、楽観主義は意思である」と誰かが言った。
悲観に浸るのはただその気分に従っているに過ぎないが、楽観でいるには意志が必要だと。
天性の楽観者は別にして、楽観でいるには楽観教の信者のごとく強い意思をもって教義を貫く心構えが必要なのだ。
日本人は悲観論が好きだ。予言や占いが悪ければ悪いほど世間受けする。悲嘆にくれることを恐れるのではなく、悲嘆に暮れている様子を想像して陶酔するマゾヒストのようなところがある。
政府が財政難を言い暗い将来を訴え続ければ、まんまと術中に嵌って防御の体勢に入っていく。そして、そういう気分に浸ることで仲間意識が生まれ、弱いもの同士が結束していく。何とコントロールしやすい民族なのだろう。
先日の尖閣列島の問題でもその弱さを露呈した。
そんな悲観的気分から脱して楽観的になるためには、確かに相当な意思が必要だという事が良く分かる。
江戸の昔、「ええじゃないか」という社会現象があった。
今こそ楽観主義というものを見直して、緊張から解放された日々を送るべく前向きの発想を心がけるべきだと思う。
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