話題の「ホワイト餃子」の店を見つけ一度食べてみようと思っていた。
近くへ行ったついでに「生」を買う予定で、開店11時を30分ほど過ぎたころに行くと既に売り切れだと言う。仕方が無いので、「焼き」餃子を買って帰った。
夜、店のスタッフが言う様にトースターで焼き直して食べてみたが、これがあんまり美味くない。バリバリの熱い皮につけてある甘みが、具の味に勝って肝心の餃子の味がしない。どうしてこんなものにああも人が押し寄せて買いまくっているのか分からない。
ボリュームがあるので一人10個も食べると結構腹に堪える。あんまりだった事もあって半分近く残したものを、翌日の朝、今度は電子レンジで温め直して食べてみることにした。
今度は、中までしっかり熱が通って本来の餃子らしくなり、もっちり感が戻った感じ。
しかし、確かに普通の餃子とは違うとは言うものの、いまいち納得できるものではなかった。
これだったら小さいながら「百老亭」の餃子の方がよっぽど美味いし、家内が作るものだって遥かに勝っていると思った。
やはり本来の焼きたてのものを食べないとその実力は分からないのかもしれないと思いつつも、大量に「生」を買って帰るほど美味いものかと言えば、どうしてもそうは思えなかった。
話題が口コミで広がり、TVでも取り上げられるようになって、そのブームに便乗する日本人気質が「世間の評価」を妄信しているとしか思えない。
また、あんまり普段美味しいものを食べていないんじゃないかと思ってしまう。それは高級なもの、高価なものという意味ではなく、本来の味を備えたちゃんとした作り方をした本物という意味です。
日本人の味覚は世界一であることは、「うま味」という味覚成分を発見したことからも充分うかがえるし、料理のダシの使い方などにも充分発揮されている。
そんな日本人が、昔からの日本食が如何に素晴らしいものかを知らないでいる人が多いのも事実。
今、日本食が見直されつつあることはいいことですが、自分の舌で判断できるまでに味覚を鍛えるには、子供のころからの食生活に掛かっていると思う。
手抜きをしないで、ちゃんとダシを取って下ごしらえをして、旬の食材を使った料理は値段なんか関係なしに美味しいものです。勿論、味付けのセンスが無ければ料理にはなりませんから、ちゃんとした”いいもの”を一杯食べてセンスを鍛え上げるしかない。
一般的に言っても、「あの店の・・・は美味しい」と聞いて、行ってみても美味しいと思ったことがない、と、ほとんどの人が言うぐらい味覚には個人差がある。
皆がみんな美味しいと言っている「ホワイト餃子」の実力のほどはどうなのか、未だ結論は出ていません。
ブームになると競ってそれを手に入れようとし、あっという間に忘れ去って行く。本当においしいものは競争して手に入れるものでもなく、自分の好みの味を食べたい時に食べてはじめて満足するというものでしょう。
飽食の時代と言われている今、何を食べても感激するという事が少なくなっているのも確か。
美味しいものは、たまに食べるから美味しいのである。”空腹に勝る味付けはない”とも言うし・・・・
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