Aさん「逢ってる?」
Bさん「いや、待ってるって 言ってる。」
Bさん「ずっとあそこに 立ってるっんだって?」
何にでも”とっと”を付ける熊本弁。
あっとっと 会っている、合っている
いっとっと 言っている、入っている、炒ってる
うっとっと 売っている、打っている
えっとっと 選(え)っている
おっとっと 追っている、織っている
かっとっと 買っている、飼っている
きっとっと 切っている
くっとっと 食っている、繰っている
けっとっと 蹴っている
こっとっと 凝っている
さっとっと 去っている
しっとっと 知っている
すっとっと 吸っている、刷っている
せっとっと 競っている
そっとっと 剃っている、沿っている
とっとっと 取っている、撮っている
しっとっと 知っている
のんどっと 飲んでいる
たっとっと 立っている、建っている、絶っている
みとっと 見ている
へっとっと 減っている
よっとっと 撚っている
等など
この様に、何でも ”・・・している”場合に使う
会話の最後に”と”を付けるのも特徴で、女の子から熊本弁で話しかけられると、何だか心がほくほくしてくる。
この他に言葉そのものが標準語とは全く違うものも多く、地元の人同士の会話はまるで外国にいるようでさっぱり分からない。
熊本弁に限らず言葉そのものが違う方言は他にもあり、出雲弁や秋田弁もまず理解できない。
中部地方にも結構そういう言葉があって、芥川賞作家の諏訪哲史さんが、名古屋人らしいコラムを執筆していて面白い。
【スワ氏文集】
巻之百十五 婆さんとギャル孫と担任の会話 (2012年02月02日)
「先生さー、マジ家庭訪問とか今どきいらんからサクサク終わらそーぜー、ドラマ始まるし」
「愛ちゃんはまぁいつから『ぜ』なんぞと言うようんなったのえ。男の子言葉でゃねゃぁの」
「お婆(ばあ)ちゃんとは世代違うし」
「世代(せでゃぁ)みてゃぁ関係あらすか」
「おっしゃるとおり『ぜ』もそうですが、国語教師としては、僕は『サクサク』のほうがイライラします。あのね、それは君たちが思い込んでる『さっさと』や『スイスイ』みたいな能率の良さを表す副詞じゃなくて、雪を踏んだり、野菜を切ったりする時の感触を表す、奥ゆかしい、情緒のある言葉なんだよ」
「サクサク検索サクサク携帯」
「ええで叱ったってちょ先生」
「君のいう『サクサク終わらそーぜ』はあえて言い直せば…」
「つっつと終(しみゃ)ぁにしよみゃぁ」
「お婆さんは黙ってて下さい」
「あ、こりゃ、先生、怒らんといてぇね。わぁるかったなも」
「つかうぜぇのマジパねえし」
「へ? 愛ちゃん何だぁね?」
「お婆さんには少々手強(てごわ)いのがきたな。解説しましょう。『つか』は『つうか』『ていうか』の最短縮形です。これは相手の科白(せりふ)を頭から全否定しておいて、話題そのものがいま話し合うべき重要性を持つか否か疑義を呈しつつ、当の話題を根底から転換・リセットしてしまおうという敵意むき出しの挑発の罵言で、『さっきからそんな下らない寝言に付き合っていること自体が馬鹿馬鹿しい話で』というニュアンスです。
『うぜぇ』は『面倒臭い』。『マジ』は『真面目に』『本当に』。『パねー』の『パ』は『ハンパ』の『パ』で、『ハンパねえ』『半端ない』『半端じゃない』『半端なことではない』となり、つまり『もはや冗談で済ませられるようないい加減な度合いではありえない』という意味です。
最終的に総合して翻訳すると『さっきからそんな下らない寝言に付き合っていること自体が馬鹿馬鹿しい話なのであって、目下の状況の面倒臭いことときたら本当に、もはや冗談で済ませられるようないい加減な度合いではありえないのだし』というほどの意味になります」
「よけいわっかれせんくなってまったがね」(諏訪哲史・作家)
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
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