
先日の夜は、カーテンの方を向いてジッとしているので、何を見ているのか、猫の傍へ寄って視線の先を見てみた。が、よく分からない。何だろう?と思っていると、ソファーに寝そべっていた息子が突然跳びはねた。すぐ横に10cmはある大きなムカデが這っている。
猫は近づこうともせず遠くから眺めているだけ。小さな蛾を追い、ヤモリを捕まえようとしたりするのに。「ムカデ見るの初めてか?」と聞いても返事がない。きっと悍ましいと思っているに違いない。ヤツは怖がりなのだ。
前の話しに戻ると、猫が見ていたのは1mほどのアオダイショウだった。動くともなく長く伸びていて、その緩慢な様子に気を引かれたのだろう。網戸を開けて、「ほら見てごらん」と促しても窓のそばに寄ってこない。寄ってくるどころか、逃げた。逃げては戻って、また様子を窺っている。
怖いのだ。ビビっているのだ。気が小さいのは分かっていたが、余りにも怖がるので情けなくなってきた。闘争心とか好奇心とかが全く見受けられない。恐怖心の方が優っていて、怖気づいているのだ。
水を掛けたら、のそりのそりと移動して見えなくなった。その様子を見ていたピピ、見えなくなってもまだ同じ場所を見つめている。「戻ってきたらどうしよう」と心配している風情だ。
夜になってもこの場所へ近づくことが出来ず、緊張し警戒した顔で腰を落としてくんくんやっている。もしこの瞬間にひも状のものを投げてやったら、飛びあがって驚くだろう。「わッ」と驚かせば、期待通りのリアクションを見せてくれるだろう。
こんなんじゃあ野良ではまず生きて行けない。やさしい家族に拾われてピピは幸運、幸せってものだ。背中はポンポンやってくれるし、鳴くだけでドアは開くし。餌だって欲しいがままだ。感謝してもし切れない厚遇の中にいる。
「猫の恩返し」「忠猫ピピちゃん」なんて話は生まれそうにもない。向こうは「上手に甘えて、癒しを提供してやってるんだ」と思っているのかも知れない。確かに、話題は提供してくれるし、短歌・ブログのネタにもなっている。
「ワン」じゃない、この「ニャ~」の声に魅せられて、海外でもファンが増えているらしいし。せいぜい面白い生きざまを見せて欲しいニャ~。
人恋しくて、私の後ばかりついてくる日がある。
こうして仕事の邪魔をする。
代々の猫が爪を研ぐ二階の柱。
1cm以上削られている。
背中をぽんぽん叩いてやれば、直ぐにこの体勢になる。
私はお抱えマッサージ師だ。
★
-- おまけ --
本物の猫を寿司ネタにしている。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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