
朝ドラの「もえ」の方は高視聴率を維持して、観ている人はその意外な展開に驚きながら、毎回引き込まれるようにチャンネルを回す。もう日課のようになっても、毎回飽きさせない。
次々に起こる問題を解決していくのが主人公。それは小説でも映画でもTVドラマでも同じだ。その解決をしていく過程で見せる忍耐や努力、負けじと奮闘する、挫けそうになってもがく姿に感動し、主人公と一体となって応援する。そこにエンターテイメントの真骨頂があるわけです。
ドラマはフィクションなんですから、例え伝記ものでもそういう要素となる筋書きを作り上げなければ成り立たない。 言ってみれば、ウソの塊で出来上がっているのが小説であり映画なのです 。
バックに飛ぶのは建国神話に登場する八咫烏
私小説でさえ嘘の塊なんですから、幕末を背景に人間模様を描くものであっても事実だけでは面白いドラマにはなり得ない。主人公に次々と起こる問題があって初めて緊張が生まれ、観る側の心を刺激もしてくれる。「花燃ゆ」には、その一番肝心なエンターテイメントとなる要素が欠落している。
主人公「文」そのものには何も起こらず、周辺で起こる諸々をただ筋書きとして見せているだけ。問題を解決する主人公たるべき「文」に事が起こらない。身の危険を回避したり、軋轢と陰謀に汲々として必死に生きる姿がない。そういう状況の中でみせる人間性とその本質にまで突っ込んだものが無い。そういうものが史実と相俟ってこそ、大河ドラマの醍醐味というものが出てくるのだが、それが全く無い。
まるで淡々と綴った日記を詠まされている気分なのだ。昨日こんな事がありました。猫がネズミを捕りました。誰々が殺されました。誰と誰が喧嘩をしました。戦争が起こっている様です。みんな自分には直接には関わらないところで起こっているもの。そんな興味本位で書き記した日記を、スチール写真を見せながら朗読し、それを聞かされている様な気分なのだ。
史実はドラマのバックボーン であって、そこに肉付けをし、内臓を加え、血を流させるのが小説でありドラマというもの。 そこをどう創り上げるかが作者の力量というもの。バックボーンの史実だけをなぞっっても、ちっとも面白くないのは子供でも知っている。
じいちゃんの話が面白いのは、実際の話に枝葉や尾ひれを付けて面白くして喋るからだ。事実以上に面白いと思わせるのは、じいちゃんの創造力だし、話術があるからだ。じいちゃんには面白く聞かせたいというサービス精神があるから、いろいろ工夫するわけだ。
また、原作が悪ければ話にならないとはいえ、シナリオもそのドラマの重要なカギになる。その出来如何では原作を超えることだって不可能ではないでしょうが、今回のはそれも発揮されていない。
「花燃ゆ」は「大河ドラマではない」 と言って、当初から見切ってしまっていた人もいる。低視聴率に主役の井上真央が責任を感じて小さくなっているらしいが、彼女の責任ではない。彼女は良くやっていると思う。
國重友美の題字「英漢字(ええかんじ)」は大嫌いだ!最低だ!
2年前の松陰のドラマの製作発表当初、「妹という歴史上の事跡がほどんどない無名人を大河にするなら架空人物にした方が良かった。最低視聴率一ケタを記録した、”清盛”以下の視聴率を出す可能性が高い。」という意見もあったようだ。萩市は当初、松陰、高杉、木戸、久坂、伊藤、山県などの長州の男性藩士を全面に押し出してプロモーション活動をしていたが、萩市でも知名度が殆どない「松陰の妹」が主役という事で戸惑っていたらしい。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ 満10年となりました。 2016.05.07 コメント(2)
◆ 長年の便秘が治った様な爽快な気分。 2016.05.06
◆ 思い付きの出たとこ勝負 2016.05.05
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