♪ ことのはの葉裏に潜むかげろうのあをき羽音を思い聞くべし
折々のことば (朝日新聞 2015年7月24日) 鷲田清一
『一枚の布の尖端がほころびはじめて、その織り目の細い一本の繊維が風に揺らぐような場所から、言葉が生み出される。』 (佐々木幹郎)
◇若い頃、私は「悲しみ」という語だけは使うまいと決めていた。感情の微細な襞を一包みにしてしまう風呂敷みたいだから。詩人は、「悲しみ」の感情こそ一枚の布のようなものだと言う。それがさまざまの事象に触れつつ綾を広げてゆく尖端の、そのほつれた部分に抒情が生まれるのだと。「中原中也 悲しみからはじまる」から。
人は安易な言葉をよく使う。絆とか夢とか。それを言う事で何かを言った気になっているだけで、実は何も言っていないということに気づいていない。薄々気づいている人もいるかもしれないが、曖昧にして誤魔化すその場凌ぎの便利な言葉として使われることが多い。
政治家は、そんな言葉をたくさん持っていて、それらを羅列することで世間を煙に巻こうとする。
ウスバカゲロウ
悲しいとか、可哀想とかの言葉も同じことが言えそうだ。この鷲田清一氏も佐々木幹郎氏と同じ事を思っているのだ。安易に使ってしまう言葉は、時に本質を隠すために働いてしまうと。その言葉の生まれる端緒を見つけることが詩人の詩人たるところだという。
「怒っている人は傷ついているのだ。」これは脳科学者の言葉で、怒りの本質を見事に突いていると思う。この言葉のように、ものの核心を見ずして物事の本質を理解することは出来ない。
「事象の尖端のほつれた部分」にその本質がチラッと見え、その瞬間を逃さず言葉に置き換えていく詩人。
歌詠みにも同じ事が言えそうだ。ある言葉が浮かんだら、その言葉を別の角度から眺めてみると新たに見えてくるものがある。それを見つけることで初めて、短歌のもっている抒情性と情緒的表現が可能になる。
今朝の歌は、お分かりの方もいると思いますが、長塚節の「うまおひいの髭のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし」の本歌取りです。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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