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最近、CD購入続いてます…これは楽天ポイントが11月で切れるので、何がいいかなぁと思ってほとんど思いつきで申し込んだもの。ポイントで全て充当。自腹で払うんだったら、買わなかったかもしれない…ほんとにファンか?>ワタシ。期間限定生産、という言葉にもちょっと弱いんですが、どうも購入動機が消極的ですね…PVの映像、いろんな所で見れるから、ここでは貼りませんね。うーーん、そうだなぁ…「大好きな君に」は♪クリスマスの夜~ていう歌詞があるから入れたのねこの歌は、サビの1オクターブ高くなるところより、中盤までの低音で静かに動くところの方が、元々好きだったのだけど、高いところも、ゆずの人(どっちかわからん)きれいに歌ってる。ゆずは、試聴サイトでしか聴いたことがないので、実質初めて。「いつか」というのは、人気のある曲なのかな…そもそも、なんで小田さんとゆずが一緒にやることになったの?去年の「クリスマスの約束」に、ゆずが出てたのかな…*追記*2003年のゲストにゆずが出てるんですね。そこからのお付き合いなのかな…と思って、録画していた去年の「クリスマスの約束」を見る。2時間近く見終わって、何かおかしいことに気がついた。埼玉アリーナじゃない。どこかのスタジオのような狭い所で、そんなに多くないお客さんが車座に囲んで、至近距離で小田さんが歌っている。小田さんが、自分のデビューからのことの原稿を読んでいる、時系列にそって。ヤマハのコンテストの時のことから。山本潤子さんと「竹田の子守唄」「卒業写真」を歌う。潤子さんは、ほんとにいい声だ。その後は財津和夫さんも登場。koutaHさん、私、この時の財津さんの言葉、聞いてましたよ~…「今だから」歌う。大人のフォークロックぽく、しっとりしたアレンジ。20年前のレコードの「今だから」のイントロはYMOみたいだよ…チューリップのことはあんまり詳しくない私だけど、「魔法の黄色い靴」は、割と好きなほうだ。売れないオフコースの時代の話もしていた。2人から5人になり、ヤスさんが抜けることに決まっていたoverツアーの最後、武道館10日間公演の最終日。コンサートの終わりの合図に、コンサートでは歌わなかった「YES-YES-YES」が会場に流れると、お客さんの大合唱が起こり、それを袖で見ていた小田さんは感動したと。この後に出したアルバムには、その声を編集して入れた、そのレコードは、持っています。地響きのような歓声に鳥肌が立つ。4人になっても、オフコースのことを思って作ったという曲、「NEXTのテーマ~僕等がいた」を歌う。 私もこの歌は大好きだ。♪僕等の終わりは僕等が終わる それを誰も語れはしないだろう…そしてボブディランの「風に吹かれて」を恐ろしくきれいな声で歌うのがテーマソングなのかな?ゲストの中居くんが出てこなかったじゃないか。…これは、一昨年の「クリスマスの約束」だった。去年のも見た記憶があるが、夜中たまたまTVつけたらやっていて、録画するまもないまま、オンエアで見ただけだったのやった。結局、ゆずとの関係はわからないまま。今年も放送あるなら、きっとゆずも出演するだろうな。うん、まぁ一昨年のだったけど、小田さんの熱唱が見られてよかった。ここでは、「もうTVは終わり」なんて発言してたけど…いつ引退してもいい、みたいなニュアンスも漂わせていたから…それで、去年、どうしても、今行かなきゃ、という思いにかられて、無理して大阪までコンサートに行ったのだったなぁ。映像で見れば、また違った感想も抱けるのかもしれないが、今の私は、昨日のCDの影響があるので、悪いけど、心の奥底に響くような迫力は、ちょっと比べものにならないクリスマスっていうテーマが、私にはちょっとピンとこないのかな。放送はきっとサプライズもあるから、楽しみにしています。
Nov 30, 2006
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マリオネットとは…日本におけるポルトガルギターの草分け・湯淺隆とマンドリン奏者・吉田剛士によるアコースティックユニット。私はかれこれ18年ぐらい前に彼らの音楽に出会いました。ちょっと私の偏った好みの紹介なので、ご存知ない方が多いでしょうが…ポルトガルギターやマンドリュートなど演奏者の少ない楽器を取り上げ、ギターやマンドリンを組み合わせて、オリジナル音楽の創作を中心に、ファドやポピュラー音楽、映画音楽・TV番組テーマ・CM音楽など数多く担当。(ファドとはポルトガルの民衆の歌・人生につきまとう深い感情を表現)きっと知らないうちに、その音を耳にされているかもしれませんね。『ALGO』 (2006年11月24日発売)(今回は予約限定1000枚の特別装丁:綿貫宏介氏) 1.「ALGO」のテーマ/孔雀の城 2.朗読・FADO/アマリア・ロドリゲスに捧げる 朗読:日色ともゑ 3.檸檬サウダーデ/かなしい勇気 4.コスモスの散歩道 5.カプラオン通り 訳詩・歌:マキ凛花 6.小さなお話し/ぞうとのみ 7.Dの練習曲 8.朗読・絢爛たる孤独SAUDADE/サウダーデ 朗読:日色ともゑ 9.天に続く回廊 訳詩:阿木燿子 歌:新井英一 10.グランドーラ ヴィラ モレーナサウダーデとは「哀愁・郷愁」などと訳され、ファドやポルトガルギターを演奏する際に最も重要な感情のこと。今回はマンドリンはなく、ポルトガルギター中心になっており、朗読:日色ともゑさん、詞:阿木燿子さん、歌:新井英一さん/マキ凛花さんといった、マリオネット以外からの顔ぶれも多彩なアルバムです。出会いがあり、別れがある。また、縁があれば、再会もある。そして、知らず知らずのうちに、いくつもの出来事が折り重なり、ALGO(何ものか)が生まれる。ポルトガル語で「私たちの間には『ALGO』がある」と相打ちすれば、それは特別な「何か」をお互いが共有したことの了解だそうです。皆さんともブログでこうして「何か」を共有しているのかもしれませんねポルトガルギターってどんなの? →マリオネットのHP上のCD『エグゾチカ・ドラマチカ』の試聴ならあります→ コチラ
Nov 29, 2006
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1996年10月25日発売。『LIVE TSUVOX』 1.ただひとりの人 2.CHEEK TO CHEEK 3.砂のイニシャル 4.風が止まった日 5.風が違う 6.セピア色のOld Time Song 7.回転木馬 8.初恋 9.やさしさとして想い出として 10.ミスターグッドバーを探して 11.鈍色の空 12.ひとりの君へ 13.ENDLESS SONGこれも定価3000円のところを2600円でヤフオクで落札したもの。あまり安くないと思われるかもしれませんが、これはファンには人気のあるCDで5000円以上で高値取引されることもしょっちゅうです。しかも絶版となっているので、中古でしか手に入りません。そう思うと、今回はほとんど競りもせずラッキーでした。この中には作詞・天野滋、作曲細坪基佳の共作「風が違う」のライブバージョンが収められています。1999年のアルバム『クロスロード』には、オリジナルとして天野さんと一緒に歌ったスタジオバージョンが収録されていますが、それより先行して、ライブでは歌われていたみたいで、『TSUVOX』では未発表曲という印がついています。こちらは細坪さんだけのライブなので、天野さんの歌は入っていません。しかし、ふきのとう結成中(1989年)に、細坪基佳・天野滋コンサートというものもあったようです。ゲストは鈴木康博。ちなみに、こんな演目だったようです。雨上がりの午後・夕暮れ時はさびしそう・さようならの言葉・白い椅子の陰 走馬灯・秋日・赤い糸の伝説・初夏・雨は似合わない・風来坊・LOVE SONG BIRTHDAY・IF(鈴木康博)・夏の日の午後(鈴木康博)・さようなら ひとりの君へ・Baby, don't you cry・ENDLESS SONG・もの憂げな10月・VISITORこれのライブ盤、出して欲しいわ~。両方ファンだという人にはたまらないかもしれませんね生きているうちにしか叶わないことですから・・・好きな人のライブに行く機会があれば、「これが一期一会なんだ」という気持ちで、大切にしたいと思っていますもう1つ同時に落札したもの。1995年11月21日発売。『HARVEST MOON』 1.ただひとりの人 2.秘密と海と頬杖 3.瞳が忘れない 4.夢に逢えるまで 5.誰の為に 6.Hold Your Breath~愛さずにいられない~ 7.あなたへのLullaby通算4枚目のソロアルバム、ふきのとう解散してからは2枚目の、ソニーを離れてからは移籍後初のアルバムとなります。これ1枚では入札する気のなかったものですが(細坪さんゴメン!)上の『TSUVOX』と同じ出品者で、見ると終了3分前で入札ゼロだったので…出品者が同じということは、送料も振込手数料も1回分うきますから、お値段以上におトク感がありました。 (これも絶版のようです)細坪さん自身、イギリスからアメリカに渡ってウエスト・コースト・サウンドをやっていたイアン・マシューズ、グラハム・ナッシュといったアーチストが好きでこの頃にはその影響を受けて作った作品が多くみられます。harvestには「収穫期・取り入れ時(晩夏または初秋)」の意味があり、harvest moonは「秋分の前後の月・中秋の名月(満月)」の意味。また、細坪さんのファンクラブの名称もHARVEST MOONといいます。何か思い入れがあるのでしょうか『TSUVOX』のCD盤もきれいな満月ですね。
Nov 26, 2006
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1988年6月9日発売。少し前の「夏の別れ」のときに記事にしたアルバム。これは当時レンタルして、カセットテープだけが今も手元にありレコードがなくてテープだけ、というものはいつかテープがダメになってしまうのでは、と不安でした。何年も放っといたものですが・・・最近聴き始めて、「これはCDで欲しい!」定価3200円のところ、ヤフオクで1000円で落札。小田さんファンの人の日記では「クリスマスの約束」応募の話題でもちきりのようですが、どうせ行けないから応募もしない。そんな時、4人時代オフコースに夢中になってるのも、天邪鬼ぽくて好きだ。『STILL a long way to go』 1.君住む街へ 2.she's so wonderful 3.I can't stand this 4.陽射しの中で 5.夏の別れ 6.Still a long way to go~また会う日まで~ 7.多分 その哀しみは 8.逢いたい 9.悲しい愛を終わらせて 10.僕らしい夏 11.昨日見た夢「多分 その哀しみは」 歌詞が女性言葉で、女性の心情を歌ってるの…??昔から好きだったけど、今も泣けるほど好きです…♪誰かのために すべてを失くすこと 恐れずに…「Still a long way to go」にどんな意味をこめたのでしょう曲の方には「~また会う日まで~」の副題がついているまだ続く長い道のり…そう言い残して、これがオフコースの最後のオリジナルアルバムになった。『STILL a long way to go』→ 試聴
Nov 24, 2006
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NHK朝ドラの「芋たこなんきん」はご存知でしょうか。それに出演中の、アメリカ人イーデス・ハンソンさん演じる、おりんさんが女将という、一風変わったおでん屋さん。表に「関東煮」とかかれた提灯がさがっています。そう、私も子供の頃、給食の献立表に「かんとうに」とあったのを覚えてる。めちゃめちゃマズイひりょうずが入ってたっけ。私の母世代(70代)なら「かんとだき」ともいいます。関西での「おでん」の呼び方ですね。今なら、関西でも「おでん」で十分通じます。本当なら大根やこんにゃくは下茹でしてから汁で煮るのですが料理苦手な私の母はそういうことは一切せず、すべて放り込んでインスタントだしで煮るだけなので、冬にはよく作っていたような。美味しかった記憶はありません味をどうこういうのは贅沢というものでした牛スジ肉の代わりに、いつも鶏のモモ肉を入れていました(鶏肉のことは「かしわ」と言います…主に年配の人?)私は牛スジの串を使います…母から教えてもらった料理は何もないなぁおふくろの味というものは、存在しなかった。どんな味加減も自分で覚えるしかなかったですねおでんをする時に、たくさん大根を使うでしょうそれでむいた大根の皮を使って、いつも一品作ります。食べやすく切った大根皮をポリ袋に入れ、砂糖・醤油・酢を適宜加えて空気を抜いて、しばらく放っておきます。おでんが炊きあがる頃には食べられます。子供も大好き、「大根の皮のしょうゆ漬け」。これは…おふくろの味とは言いがたいですが、捨てる部分で出来るのだから「節約料理」ですかね(笑)そうそう、そのイーデス・ハンソンさん、外人さんやのに関西弁が上手やなぁと思って感心していたら、1960年から来日しているらしい。私より日本在住歴が長かった。恐れ入りました!
Nov 24, 2006
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11/10発売ふきのとうCD4枚組GIFT BOX、ようやく届きました。外観はこんな感じです。 裏はこんなに可愛い。CDの盤がすごく可愛いんですよ。 見たところサンプルの刻印はなく、現物のようです。ケースの中身も可愛いデザインになっています。春=ピンク、夏=水色、秋=紫、冬=白で四季のイメージになってます付録の「シングルジャケット集」ですが、本来、私はそういうのにマニアックではなく、中身(音楽)重視派なのですが、それでも、おぉっ!と驚くほど、見たことないものばかりで、うれしくなってしまいました。当分、ブログネタに使えそうです。^^ちなみに、私が提供したジャケットはこれです。それと今回、資料協力ということで、裏に小さく名前を載せて頂きました。嫌なら断ることもできたのですが、こんなこと、もう2度とないし、別に他の人が見ても誰かわかるわけでもないし、自分にとって記念になればよいと思ったので、OKしました。他にもソニーから、懐かしのGIFT BOXシリーズが出ているようです。興味のある方は→ イイオトナ.com
Nov 22, 2006
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秩父鉄道というのは、以前にtoshi20020710さんの日記のSL列車のお話でお目にかかったことがあって思い出したのですが、私は実際に行ったことがありません。「長瀞」の読み方がわからなくて、ずいぶん探したのですが「ながとろ」で合っていますよね…?こちらは、紅葉の名所なのでしょうか。埼玉県/長瀞町2006年11月19日(日) 観楓会紅葉、新そば、ライブを楽しむ会です。秩父鉄道「長瀞」駅に午前10時30分集合。その後、新そばや紅葉を楽しんで、山木康世のライブがあります。そば、ライブ代などをあわせて別途6000円位、各自払いとなります。解散は17時から17時半の予定です。日帰りで現地集合、現地解散です。どなたでもご参加できます。ご参加お申し込みは、山木倶楽部九段部へ、メールyamakudan@yahoo.co.jp観楓会という言い方はずいぶん風流な感じがするなぁ楓=かえで だから、紅葉狩りということですかね。こういう、埼玉の奥まった所とか群馬・栃木とか行ってみたい~。秩父鉄道*11/20追記*ライブ曲目は「小春日和」「ジャマイカの風」「一人の冬なら来るな」「おめでとう乾杯」「れもん」「洗濯日和」「街はひたすら」「冬のワルツ」「となりの電話」「月天心貧しき町を通りけり」「僕はひとりでした」「ステイション」「万華鏡」「Row&Rowようそろ」「めんどり・ぶるうす」「ムーンライトカーニバル」「水色の木もれ陽」まで全17曲とのことでした(参加者のかたの報告より)何曲か知らない歌もあるけど…山木さんと和気あいあい、とても楽しかった様子です…ああうらやましい。。。
Nov 18, 2006
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先日、混声合唱団の演奏会を聴きに、京都外国語大学・森田記念講堂という所に行ってきました。知人が所属している、社会人(アマチュア)の団体です。私は、合唱は学校の音楽会程度でしかやったことがないのでド素人ですがなんか知らないけど、好きですねNHKの全国合唱コンクールとかやってたら、つい見てしまいますで、一応ちゃんとした合唱団の演奏を生で聴いたのは久しぶりでした。色々と、団体のカラーがあると思うのですが、こちらは、宗教音楽(ミサ曲)を得意としているのかどうか、4部のうち3つはそういうプログラムでしたミサ曲について、全く知識がなかったので、少し調べましたが、ミサ曲は、統一性をもった形式があり、 1.キリエ(Kyrie=憐れみの賛歌) 2.グロリア(Gloria=栄光の賛歌) 3.クレド(Credo=信仰宣言) 4.サンクトゥス(Sanctus=感謝の賛歌) 5.アニュスディ(Agnus Dei=平和の賛歌)という、基本は5つの典礼文から成り立っているようです。(プログラムもそういう風になっていて、1楽章~4楽章、5楽章 …という感じかと思っていました)歌詞は、ラテン語だと思います。伴奏は、ありません。一般に、伴奏なしで歌うことを「アカペラ」といいますね。特にカトリックの総本山バチカンのシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)では、伝統的に無伴奏の演奏しか行わないため、そのような無伴奏の様式を「ア・カッペッラ(a Cappella(伊)=礼拝堂風)」すなわちアカペラと呼ぶようになったそうです。こういう、カトリックのミサからきている言葉なんですって、ご存知でしたか?伴奏がないというのは、すごいです。最初から最後まで、音をはずさずに、40人ほどの混声四部がまとまっている。これ、大変なことだと思います。社会人で、練習の時間も限られた中、とても美しく仕上がっていました相当レベル高いのかな。いや、普通を知らないけど合唱団てこうなのかしら。すごいね。 感動しました。ミサ曲とか、何も知らずに聴いてるんですけど、Amenと繰り返されると、なんだか敬虔な気持ちになっていく。こういう時、人間の声というのは、どんな楽器にもまさると思いますね。他には、寺山修司の詩による歌というのもあり、こちらは日本語で意味もわかるし、これもなかなかよかったです。京都外大には初めて行ったのですが、講堂の場所がわかるかな…と思ったら、門に警備員が何人か立っていたのでラッキー。尋ねようとしたら、向こうから「英検ですか?」・・・この日、英検の受験会場でもあったのでした・・・英検か~…昔、準1級を落ちて以来、長いこと受けていません。受ける気力もないな・・・DSトレーニングのえいご漬けで十分です・・・まだLevel 2 京都へ行く途中、瑞穂町という所を通るのですが、山がところどころ黄色になって、とてもきれいでした帰りに写真に撮ろう、と思ったのに、帰りはもう真っ暗でした
Nov 16, 2006
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『LOOKING BACK 2』(2001年)の小田さんのセルフカバーCDの中に「夏の別れ」(1988年)という曲があり、とてもいい曲だなと思いコックン4592さんにも紹介したりしていました。1988年だったら元の曲は知らないな、とずっと思っていたのですがなんと、家にあったのです。『STILL a long way to go』(1988年6月9日)というオフコースの、オリジナルとしては最後のアルバムに。この時代はもうCDになっていたのか、レコードだったのか忘れましたがレンタルして録音した、カセットテープだけが家にあります。「夏の別れ」1988年バージョン、聴いてみましたが、全然、覚えてないです。 印象、薄かったのかな…また、これは1988年10月25日にシングルカットされていますシングルのほうが、後ですね。これがオフコース最後のシングルとなったようです。もちろん、それも最近になって知りました。カップリングは、『STILL~』の中から「逢いたい」。この「逢いたい」という歌、作曲とボーカルはベースの清水仁さんですが、作詞はなんと吉田拓郎さんでした。オフコース解散後に清水・松尾・大間の3人は吉田拓郎のバックバンドにいたり、吉田拓郎とオフコースメンバーとは親交があったことは長七7614さんの日記でも紹介がありますが、オフコース活動中に詩を提供していたとは知りませんでした。試聴もできますが…サビのほうまで聴けないのが残念ですね…『STILL~』の中では、「多分 その哀しみは」というような、メロディアスな曲ばかり印象に残っていますこういうのは、今でも好きなのだけど、「夏の別れ」は、どちらかというと、淡々とした曲。(♪でもここからは別々の夏 思い出は思い出として…)の所がいいかな。当時はそれほど心に響かなかった曲が、今改めて聴いてみていいな、と思うことも、よくありますね…なぜ、かはよくわからない。 すごく私的・感覚的なことだから。セルフカバーされなかったら、改めて聴くこともなかったでしょう『STILL a long way to go』の試聴は→ コチラ『LOOKING BACK 2』の試聴は→ コチラ1988年(昭和63年)といえば、私は学生でした歌が私から離れていった頃・・・だったでしょうかあなたの1988年は、いかがでしたか。
Nov 12, 2006
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1974年10月21日発売、1stアルバム「ふきのとう」に収録。「夕暮れの街」は、デビューシングル「白い冬」のB面でもある。アマチュア時代からよく歌っていた彼らの持ち歌。前年の5月、全国フォーク音楽祭・全国大会で歌い、作曲賞を受賞した曲。この大会には、STV(札幌テレビ放送)ラジオの竹田健二ディレクターに連れられて上京したらしいが、竹田氏との出会いなど詳しいことは不明。そのフォーク音楽祭の全国大会の会場となったのは日比谷野外音楽堂だった。11年後(1984年)ふきのとう10周年記念ライブをおこなったのと同じ会場。ライブの中で、細坪さんが話す。(DVDでは割愛されているのが残念)「今でも忘れないのが、竹田さんと一緒に東京に来て、 ホテルからここにくる間に高速道路があって、そこの下にギター持って 僕らをつれてきて『ここで発声練習しろ、ここで大きな声で歌え』 車がば~っと通っているところで「オレンジ~」と歌って、 『よし声が出た。それじゃ行こうか』て言って。 賞をもらって思いっきり喜んでくれた竹田さん。 今日のコンサートは残念ですけど…きけずにいってしまいましたけれども」竹田氏は、1977年8月27日の朝、36歳の若さで急逝したのだった。アルバム「風来坊」(77.11.1発売)の中に「レクイエム8.27」という歌詞のない、或いは歌詞のつけられない楽曲を、山木さんは残している。(「GOLDEN J-POP/THE BESTふきのとう」97.11.21の1曲目にも収録)「ふきのとうにとって生涯忘れることのできない作品」だと、CBSソニー・ディレクターの前田仁氏に言わせている。アルバム「風来坊」から1年後、アルバム「思い出通り雨」(1978.7.21)のジャケットに、手記を寄せている。(byふきのとう となっているが、この辺は山木さんの文のような気がする)『或る夏の朝、白み始めた北の空に、とてつもなく巨きな星がひとつ 流れて消えていった…。』続いて、その知らせを受けたときの衝撃を語っている。何のことかということは、敢えてぼかしてあるから、知らない人が読むとちょっと抽象的な感じがする。『ある“出来事”を心の中で“想い出”と呼べるようになるまでに、 人はそれぞれに似合った時間を必要とする。・・・(略)・・・ こうして1年が流れたけど、まだその“想い出”を心の外に出して話す ことが上手くできないでいる。』そうして竹田氏のことを「君をいつまでも忘れない」という歌にした。作詞作曲・山木康世。(アルバム「思い出通り雨」に収録)「君はひとりぼっち星になった 若くまだこれからというのに… 君の君らしさに もう 君の姿にさよなら」あえて、哀しい曲調ではない。これを、日比谷野外音楽堂の10周年記念ライブでも歌い、上述の竹田氏との思い出を語り、続いて「夕暮れの街」を歌った。LPのブックレットには『またここで「夕暮れの街」を歌った…。12年たったら「君をいつまでも忘れない」という唄ができていた』とある。竹田氏の半生や、ふきのとうとのかかわりは資料がなくこれ以上わからない。が、竹田氏と「夕暮れの街」はふきのとうにとってプロになるきっかけとなる「とてつもなくおおきな」人物と曲であったようだ。竹田氏と松山千春との関係は、長七7614さんの日記をご覧ください。ふきのとうは、この「夕暮れの街」をデビュー曲にしたかったらしい。が、どこからかサイドから、これは同じ年の4月に出てヒットしているグレープの「精霊流し」に曲調が似ているから、違うのにしようということでデビュー曲とならなかったらしい。(ね、うまぽけろんろんさん。)…似てないと思うけどなぁ・・・コード進行もやや複雑で…夕焼けの広がる素敵な光景が目に浮かびます。試聴は →コチラ 歌詞・コードは →コチラ
Nov 5, 2006
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1974.9.21 デビューシングル。いい曲ですね。デビュー曲って、ちょっと拙かったり、若いな~って思うことないですか「白い冬」は、シンプルだけど、そういう未熟な感じがしない。私の主観的な感想かもしれないけど、細坪さんの声の出し方も、基本的に今と変わっていない気がする。そのクオリティの高さはどこからくるのだろうか。1973年3月、ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト優秀賞。同年4月、全国フォーク音楽祭・北海道大会優秀賞。同年5月、全国フォーク音楽祭・全国大会出場「夕暮れの街」で作曲賞受賞。やがて次々とプロダクションやレコード会社から誘いの声がかかり始めるが2人は拒否し続け、アルバイトとしてスナックで歌ったりしながら曲作りと練習に1年を費やす。山木さんは大学を卒業するものの就職せず、細坪さんは北海学園大学3年。自分のオリジナルを人前で発表することを趣味として楽しんでいるだけだった。プロになる気のない2人の処にエレックレコードの人が訪ねてくる。再び訪ねてきた時、今度はエレックをやめて新しい会社を設立するから一緒にやらないか、費用は全て負担するから一度デモテープをとらせてくれ…タダで東京に行けるのならと、1974年3月、エレックのスタジオで持ち歌50余曲を録音。しかし2人には特別な期待など何もなかったという。もう事務所も構えた、レコード製作の準備も整え待っているからと請われて再度上京したのが74年6月。プロになるという気持ちを持たぬまま上京し、7月から8月にかけてレコーディング。9月にCBSソニーからデビューという経緯。周囲がせっかく用意してくれているなら、記念に1枚くらい出しておくのも悪くない、その程度の気持ちしかなかった。せっかく大学4年まで行ったのに、大学のほうにはるかに未練があった細坪さんだった。2人が自分達のデビュー曲として「白い冬」が最適だとは考えていなかった。アマチュア時代の代表的作品ではなく、山木さんの友人の工藤忠行氏の詩に山木さんが即興的にメロディをつけた曲だった。この選曲の事情には、周囲の思惑がはたらいた。ただし当時は本人達はその事情を知らず、最近になって関係者から聞いたと細坪さんが語っていました。人は自分で選んだ道だけで歩いているのではなくて、人から仕向けられた道を歩いて、結果的にそれが成功することもある。人との出会いを大切にしたいと。誘われてすぐプロにならずに自分達の音楽を築いてきたこだわりを感じる。そうした素地があった上で、即興的なメロディの中にこそ山木さんの才能が光っているような気がする。 → 試聴
Nov 3, 2006
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