寅さんの卒業した中学校は、一学年が、10クラスあるマンモス校です。
(ついこの間まで、同じ状態の、全国で指折りのマンモス校でした。)
このお正月、50歳を記念して、その同期会が開かれます。
昨日、幹事25名が集まり、最終打合せを行いました。
この会議自体が、ちょっとした同窓会みたい。
忙しい中、よく集まってくれたもんだ、って、
正直、目頭が熱くなります。
寅さんは、今までこのための会議に、どうしてもタイミングが合わず、
また、ズボラだったもんで、参加できませんでした。
でも、発起人さんを中心に、本当に頑張ってくれています。
ありがたいことです。
しかも、寅さんが、昔、生徒会長だったことから、
何も貢献していないのに、代表幹事として名前を出してくれ、
代表のあいさつも、することになりました。
今、申込みは、350名の同期生のうち、100名弱です。
担任の先生も、5人来てくださいます。
この数字を見て、悔しがっている人もいましたが、
私は、よく集まってくれるもんだと、拍手したいです。
人生、50年も生きていれば、
いろんな波に巻き込まれます。
山あり、谷あり。
そんな中、同級会に顔を出せるというのは、幸せなことです。
いろんな幸運が重ならなければ、とても出席できません。
実は、10年前にも、同じ同期会があったのです。
しかも、会場は、寅さんの家の隣のホテル。
しかし、私は、ドタキャンしてしまいました。
当時、私は、家業の酒卸の経営が行き詰まり、
大手に身売りをし、経営者から、使われる立場になって
身も心もボロボロでした。
特に、12月31日は、年間で最も忙しい日で、
年越しもあったもんじゃありません。
仕事が終了したら、あけましておめでとうも言えない状態で、
ダウン。
同級生に「あけましておめでとう」と笑顔であいさつする心境には、
到底なれませんでした。
心は、ただ、悔しさと情けなさと、不満でいっぱいでした。
10年後の今、こういう形で、同期会を企画する側に立てていること
それだけで、本当に幸せなことです。
今、まさに、人生の荒波にもまれている友もいるでしょう。
同窓会どころではない人。
とても顔を出せない人。
仕事や家族の都合で来られない人。
いろいろです。
何らかの挫折を経験していない人は、まず、いないはずです。
すでに、天国に行った人もいます。
事件、事故を起こした人もいます。
その彼らの思いの分まで、受け止めて、
私たちは、とにもかくにも、お正月に顔を合わせることができる幸せを
かみしめたいと思います。
幹事は、半年をかけて、準備をしてきましたが、
その過程で、いろいろなことがわかり、
旧友の思いが伝わって来て、
あらためて、同級生は、お宝だなあ、
何てったって、かけがえのないお宝だなあって、つくづく思います。
また、先生方も、この歳になって、お正月に呼び出されるのも
たいへんなことでしょうに、喜んで出席してくださり、
私たちにカツを入れることを楽しみにしてくれています。
ありがたいことです。
単なる仕事としての、教師業では、こうはいきません。
そして、あの時、ぼくたちは、20代の先生たちに指導を受けていたんだなあって、
あらためて、驚かされます。
そして、50になった私たちにとって、
いまだに、先生は、先生なのです。
教師というものの、怖さ、素晴らしさを思うものです。
(ただ、3年生の時の直接の担任の先生しかお呼びできないのが、残念です。)
私は、現在の母校の姿を写真に収めて、
当日、紹介することしました。
これから、写真を撮りまくらせていただきます。
外見は、ずいぶん変わっても、
僕たちの思いってものは、染み付いています。
容易によみがえってくる、いろんな「念」の場として、
学校というもの、そして建物は、立ち続けてくれていると思うと
「学校さん、たいへんだねえ、ご苦労さま。」
と、ねぎらいたくなります。
人生に“IF”はつきものですが、
もし、生徒会長をしていなければ、
もし、先生から、無理矢理、立候補を迫られなければ、
もし、友達が、私がステージで演ずるパロディーを
企画してくれなければ、
今の寅さんは、存在しなかったでしょう。
全体を包み込む、大きな愛を感じずにはいられません。
ありがとうございます。
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