親や教師が、子どものために、尽くすって、どんなことでしょう?
一生懸命、教えることでしょうか?
実は、寅さんは、子どもの頃、模範的な優等生だったように見られる向きもありますが、
自分としては、親や教師の言葉に、真面目に従った覚えはありません。
どんなに素晴らしい教えでも、意地でも、逆の方向を探ってきました。
それで、失敗もいっぱいしてきました。
でも、それでいいのだと思っています。
強く、自立した人間に育つためには、
失敗する自由を保証しなければなりません。
じゃ、親や教師が子どもにできることがあるとすれば、一体、何でしょう?
、「親や教師が人間的に成長すること、
または、成長しようとする姿勢を見せること」、
それしか、ないんじゃないかって、思います。
子どもは、大人の言葉には従いませんが、
確実に、親や教師の影響を受けて暮らしています。
唯心論的物理学から言っても、
人それぞれ宇宙をもっており、
相手の世界に直接的な影響を狙うことは、できないのですが、
こちらの世界が変化すれば、確実に、相手の世界に影響を与えるのです。
そうすると、親子一緒に、成長していくのです。
問題は、大人が、何を目指して、成長しようとしているかです。
競争社会を前提にした、物質的な豊かさや、様々な欲望を象徴したもの。
これらは、実は、不安感を裏返しにしたものなのですが、
これらを目標にアクセクしている姿を見せるのでは、逆効果です。
この意識で、お金や贅沢な環境を用意してやるのが、
子どもの幸せにつながるなんて考え、これは、全く逆です。
学校などの設備などもそうです。
お金のかかった、素晴らしい教育施設。
一見、子どもを幸せにしているように見えます。
しかし、それには、大人の浅ましい欲望が染みこんでいます。
親の期待するような子どもになれよ、という。
ですから、子どもは苦しくて仕方がないのです。
子どもが暴れたり、イジメたりするようになるのです。
大人が、「勝ち組」「負け組」の思考から、自由になっていなければ、
子どもの幸せを奪ってしまいます。
本当に、大人は、教師は、「物質主義的な幸福」追求から、自由になっているでしょうか?
これらは、、自分にとって、好都合なことばかり望む教えです。
表面的な華やかさや豊かさにだまされない、
人生の深部を見つめる「生きる姿勢」こそ、子どもにとっての栄養です。
「幸せとは何か」という最も本質的で、大切なことを
学校は、大人も子どもも共に、追い求める場にならなければいけません。
社会の競争エネルギーに追い立てられ、断片的な知識を教え込まれ、
「負けるな」「落ちこぼれるな」と励ましてきたのが、
残念ながら、学校です。
こんなところに、本当の生の躍動があるはずがありません。
活き活きとした生徒が、存在するはずがないのです。
誤解を恐れずに言えば、大人は、子どもと向き合ってはいけません。
子どもに教えこもうとしてはいけないのです。
大人と子どもは、同じ人間として、目指すべき星に向かって、
共に駈けてていく同志にならなければいけないのです。
ですから、授業は、本質的に、教師の自分自身への独り言なのです。
自分自身を叱咤激励する、魂の叫びなのです。
自然や宇宙の偉大さ、無条件の愛を讃美する歌なのです。
そして、それに共感するかどうかは、生徒の自由なのです。
そこにあるのは、深い信頼だけです。
生徒の教師への信頼じゃないですよ。
教師の生徒への一方的な、無条件な信頼です。
それがあれば、確実に、影響力をもつことができます。
教師が向き合うべきなのは、生徒の魂ではありません。
自分自身の魂なのです。
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