なぜ、アインシュタインは相対性理論を思いついたんだろう?
なぜ、エジソンは電球を発明したんだろう?
なぜ、ファラデーは磁力線を思いついたんだろう?
って、思ったことありませんか?
彼らは天才だから?
だったら、そういう天才と僕らはどこが違うんだろう?
そうして、天才的な創造的な仕事をする人を育てるには
どういう教育をすればいいのだろう?
これは、永遠のテーマかもしれませんが、あえて、
ドンキホーテのごとく追求したいと思うのです。
人は自分のイメージできるものしか認識できません。
また、セルフイメージを超えた人間にもなれないと言われています。
当然ですね。
でも、それだけだと、予期しない事実の発見という説明ができません。
起きると信じていることだけを探している科学者は
他のことが起きても観察しないだろうし、目に入らないのです。
もし、観察したとしてもその重要性が、ピンとこないでしょう。
結局、これは、思考のフレキシビリティーの問題なのでしょう。
期待しないチャンスに敏感であるためには、
科学者はその知識を固定観念の中に堅く閉じさせてはいけません。
その知識を吸収し、自分の中に取り込まなくてはならないのです。
でも、そういうフレキシブルな思考というもの自体が、
準備された精神・認識ということになるのかもしれません。
偶然の発見と言うと、すぐ思い浮かぶのが、
カビの中から、ペニシリンを発見したフレミングのことです。
人は、彼の発見を偶然と言いますが、
彼は真剣に抗バクテリア剤を探していたまさにそのときなのです。
抗バクテリアのカビを偶然発見したというのは。
さらに、彼はその分野でよく研究をしており、
知識・素養もありました。
さらに、彼は、好奇心旺盛でした。
彼の精神は、完全にそのペニシリンの発見のための準備をしていたのです。
偉大な発見の種は常に我々の周りに漂っているのです。
しかし、それは、それを受け取る準備がよくなされた心にのみ根を下ろすのです。
これは、アメリカの物理学者Joseph Henryの言葉ですが、
Louis Pasteurも同じようなことを言っています。
私たちは、常に、常識の世界をちょっと超えた、可能性の世界を
常に心に思いめぐらすべきなのでしょう。
そういう自由な想像の翼を広げさせる教育をしたいものです。
知識をいっぱい詰め込むことや、実験結果を覚えること、
実験の方法論と技術の専門性を伸ばすことは、
科学者として働くための
一番大切な準備ではないのです。
このような準備は 技術的に有能な技術者を育てるかもしれませんが、
真に創造的な科学者は育てないことを、
教育者は、忘れないようにしたいものです。
10月25日に仙台で開かれる
「大人のための児童館フェスタ」に
ブースを設けさせていただくことになりました。
主催は、宮城県児童館連絡協議会です。
30分×3回の授業で、
私のテーマは、「光の実験を通して、カラフル万華鏡を作ろう」です。
他にも各界の達人が集合します。
一般の方もOKのようなので、遊びに来てください。
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