全国学力調査の結果が発表なりましたね。
これで、またまた、学校では、目先の点数アップのために、
先生方が尻を叩かれるんだろうなあ。
そして、生徒の宿題が増えるんだろうなあ。
そもそも学力向上と言っても、
あの試験で出る点数は、非常に狭い範囲です。
もし、教育の目的が、生徒の幸せのためであるなら、
教育効果というのは、その後、どんな人生を歩んだか
それにどんな影響を与えたかで、測られるべきでしょう。
そんなの現実的ではない、と言いますが、
それこそが、教育を受けることの意味
生徒にとっての「現実」ではないでしょうか?
その「現実」を、進学率なんかに置いて、お茶を濁すのは、
とっても卑怯です。
その子が幸せになったかどうかなんです。
たいへん難しい追跡調査ですが、
トライしようとさえしないのは、どうかと思います。
よしんば、それは、無理だとしましょう。
だったら、今、今の子どもに、今、この教育を受けて
「幸せかどうか」を聞いてみたらどうでしょう?
もしかして、いや、きっと、こっちの方が
将来の幸せよりも、重要で本質的です。
明日の命の保証の無い子のことを考えてみましょう。
この授業が最後というとき、その授業を受けることが幸せだったかどうか?
次に、(私は本質的では無いと思うのですが)、
社会の役に立つ人間になったかどうか、という効果測定があります。
でも、ですよ。
最前線の学者でも、次の社会に必要な資質は、
「わからない」というのが、正直なところのはずです。
だったら、人類社会が生き残るための安全装置として、
人類の多様性を維持すべきです。
生命の多様性は、環境変化を生き残る、
大きな武器だったわけです。
いろんなタイプの人間がいる組織の方が、強いのです。
ところが、今、教育は「個性の重視」なんてお題目としてさえ、吹き飛んでしまったくらい
画一的な方向に進んでいます。
これはアホの見本です。
森の声さんのブログで「科学の限界」 の話がありましたが、
権力と結びついた、「科学」っぽい指導には、恐ろしい落とし穴があります。
人間の認識の方法は、とっても偏っていて、
多様性でできている全体の、極、一断面しか見れないのです。
国家や、人類の未来を真剣に憂える国の指導者が考えるべき
教育のあり方は、ペーパーテストの成績を上げることよりも、
教育の多様性をどう確保していくかだと思います。
そのためには、学習指導要領なんて、無い方がよっぽどいい。
あってもいいかもしれないけど、
それなら、多数の指導要領を用意して選べるようにすべきです。
そして、いろんな育て方を容認すべきです。
どんな育ち方をした子が、人類を救うかわからないからです。
一番リスクの大きな教育は、画一化なのです。
そのリスクは絶滅です。
授業研究と楽しさ 2009.09.18
アインシュタインの教育観 2008.11.22
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