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ものを見るには、光が網膜に入ればそれですむと思いがちです。
全然、違います。
私たちの網膜に映るのは、二次元の光のつぶつぶでしかありません。
そこから、何の形を立体的に読み取るのかは、全く別の「解釈」の問題です。
さらには、脳がその解釈をするのに、 必要とする光のデータがすべて見えることも、
少ないのです。
私たちが、見たり、聞いたり、感じたりしていることは、
実は、仮説に基づいています。
つまり、私たちの予期に基づいています。
そして、この予期は、過去のあらゆる経験や記憶から生まれています。
今現在、私たちが見ているものは、過去に私たちにとって、有用だったものごとです。
学習の産物なのです。
ところが、その予期が裏切られたり、思いがけないデータが入ってくると、
脳は、混乱し、ありもしない誤った世界を私たちに見せてしまいます。
また、逆に、あまりにも、予測どおりに事がすすんでいると、
脳は、すぐ怠慢になり、周囲で起きていることの多くを見落とさせてしまいます。
私たちが、事実にもとづいた確かな現実のように思っていること、
それは、脳が、過去の経験から私たちのために作り上げた錯覚の世界です。
知覚の大部分は、基本的に錯覚です。
だから、私たちの経験も、実は私たちのシュミレーションなのです。
予測しているものしか、経験できないのです。
だったら、真正面からそれを認め、最初から意識してシュミレーションをすればいいじゃありませんか。
勉強をしても、理解できないのは、シュミレーションが不足しているからです。
勉強をして、新しいことを覚えるのではありません。
覚えることの内容を予測しているから、理解できるのです。
勉強は取り組む前が命なのは、そういう意味があります。
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