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京都3大祭りの最後の時代祭が10月22日に開催、ここ数年は行列を見るというよりも午前10時頃の御所について、この行列は先頭が明治維新、そこから時代を遡っての行列、出発地点の近くには明治維新の時代行列に参加の人達から、行列の順に広い御所の中で三々五々、その時代の衣装を来た人達が集合、行列に参加の人達も多いが、行列に参加の馬も多く、こういう行列に慣れた馬を、四国や山口あたりまでから調達、夜どうしかけて馬運車で運ばれてきた馬達は疲れと睡眠不足、しきりに居眠りをする馬達もいて、見物に来た人達はそんな事はお構いなしに馬の横で記念撮影、そんなコンデションの悪い中、時間が来れば出発、急に大勢の見物客、歓声も上る、カメラのフラッシュが一斉にたかれる、馬も動揺してイライラ、馬の歩くペースで前に進めればいいが、少し進んでは、立ち止まる、それの繰り返し、時には気性の荒い馬は、イライラが爆発、暴れたり、乗っている人を振り落としてしまったり、それを知っている人も多く、馬の鼻面を撫でながら、「今日は大人しく歩くんやでェ!」、と声をかける人も。 出発前にここへ来るのは、行列の時は前をス~と通り抜けるだけだが、ここでは各時代の衣装を着、綺麗に化粧をした女性達が行列が始まるまでの間、しばしののスタンバイ、皇女和宮、淀君、出雲阿国、吉野太夫、常盤御前、静御前、横笛、紀貫之の娘、紫式部、清少納言等々、こういう人達のまわりには多くのアマチュアカメラマンが取り囲み撮影会、京都の花街の綺麗どころの人達が輪番制で受け持つ平安時代婦人列は大人気、中でもこの行列でただ1人、女性で白馬にまたがり巡行する巴御前は一番の人気、一番最後に大型のタクシーで到着、お馴染みの贔屓のお客さんも大勢待ち構えている、そういうお客さんと一通り並んで記念撮影、それが終わると、髪の毛や、化粧直しを少しして、その後は、アマチュアカメラマンの、「こっちを向いて」、の声に快くニッコリ笑って、ポーズ、そんな巴御前も、白馬にまたがる時には少し緊張の面持ち、数人の手助けで漸く馬上の人に、長刀を手にし、背筋をピンと伸ばすと、もうすでに凛とした、凛々しい尼将軍、馬も気配を察するのか、気合十分に前足のひづめで、砂利を、カッ、カッ、カッツ、とかき鳴らす、巴御前は馬の首筋を優しく撫でながら、「今日は、よろしくね」、と声をかけると、首を上下に振りながら急に大人しくなる、馬もようくわかってるな、数年前の行列の時に、御所を出発して間も無く、巴御前が乗った白馬の体調が悪く、倒れて、巴御前に幸い怪我も無く、代わりの白馬にまたがって、平安神宮までの行列を終えたということもあった、葵祭の時もそうだが、パトカーで盛んに、「馬が驚いて暴れますので、カメラのフラッシュ撮影はお止めください」、と盛んに、むしろ神経質なほど呼びかけている。 お祭の時には好天が望ましいが、出発前に御所で白塗りの美人達の撮影の時には、天気がよすぎるとコントラストが強すぎて、苦労する、明るい目の曇り空、こういう日が一番コンデイションが良い、今年はこの日を休みのシフトに組んでいる、この時代祭りに室町時代が抜けていた、足利幕府が出来た時の足利尊氏と後醍醐天皇の経緯、その遠慮があって行列には長い間、抜けていたが、今年から室町時代が行列に参加すると聞く、室町時代は京都に縁の深い時代、金閣、銀閣に代表される東山文化の豪華絢爛の文化の遺産、もう一方では京都の都を壊滅的に焼き尽くし、破壊しつくした長い戦、応仁の乱、この戦に全国から馳せ参じ、そのまま郷土に戻ることなく、京都に住みついた全国各地の多くの人々、その人達を受け入れた事が、室町時代の末期、群雄割拠の戦国時代、江戸時代、の長きに亘って都であり続けた、都としての強かさの原動力にもなっている、そんな縁の深い室町時代が時代祭に登場、100年以上もこの室町時代の行列が無しで、この祭りが行われていたのも不思議といえば不思議な話であった。 ■「今日の言葉」■ 「 我儘が通るということは 決して幸せではないと知ろう 」 (自然社・平成19年・新生活標語より)
Oct 9, 2007
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レミーのクラブスペシャルというブランデー、いつか祇園のクラブでそのブランデーをキープする身分になりたい、ちょっと気取って、エ、エ格好をして見たいという完全にミーハーな憧れ、時はバブル、会社を経営していればそれくらいのことは出来た、誰かと飲みに行ってもテーブルに運ばれるそのボトルを見て、「良い酒を飲んでるのやね」、といわれる、それが暫くの間得意げ、でもあった、確かに香りが良くて、旨くて、口に入れると軽くパーッと甘い豊かな香りと共にアルコールがが口全体に広がり、少し飲みすぎても、家に帰ってから熱い珈琲か紅茶でも飲んでおくと、適度にアルコールが回って翌朝がすっきりとして、良いブランデーだった、ただ飲む場所が場所だけに、ブランデーグラスでゆっっくりと手のひらで暖めて香りを楽しみながらユックリと味わうというそんな飲み方は出来ず、春のお彼岸から、秋のお彼岸までは水割り、秋のお彼岸から春のお彼岸までは、丁子を入れてお湯割り、いささかそのブランデーには失礼な飲み方であった。 このブランデーをキープするようになって何かが変わったわけではない、ただ最初にキープした店のママさんがこのブランデーが大好きで、以来、オレの席で、余りありがたくは無いが、長居をすることぐらいであった、元のヘネシーに戻そうかと思いながら、その機会が無く、たまたまその店が急遽閉店、ところがその店にいた女の子の勤めた次の店でも同じものをキープ、他に出入りしていた店の何軒かは全てヘネシー、ただこの店は珍しくカラオケが無く、その代わりにピアノのオネーさんが白いグランドピアノを弾き語り、店の雰囲気も好きで、和服の似合う小柄なママさんもお気に入り、暫くしてから、このママさんと月に一度くらいはどこかで食事をして、同伴で出勤、ところが世間はバブルが崩壊して久しい、ご多分に漏れずこの店もお客さんが激減、こんなんで店はやっていけるのんかという日が続く、ある時、ママさんと食事中に、もうじきこの店の契約更新、それまでに、もっと安い家賃のビルに移ろうかと思っているといわれ、オレも「まあ、最近は暇そうやし、そらァ、それの方がエエわ、まあ、店が変わっても行くから」。 ということで間も無く店を移転、店の構えは数段格落ち、女の子も一番若い、まだ水商売に不慣れな女の子だけ、そしてその子の友達2人がアルバイトで店に入る、ここのビルは各階に店が一軒だけというつくりの小さいビル、エレベータのドアーが開き一歩踏み出すともう店の中、こういうビルの店は余り好きではない、うっかりボタンを押し間違うと、別の階のとんでもない店に飛び込んでしまう時がある、いらっしゃいませの声と同時に間違った事に気がつく、「アッ、階を間違いました」、直ぐにエレベーターの飛び乗ろうとするが、一瞬、早くドアーが閉まり、別の階へ、その階に戻ってくるまで、店の中に背を向けて、後でおこる、まるで自分に向けられているかのような笑い声、ただひたすらにエレベーターよ、早く来い、と階数表示を見上げながら、妙にバツの悪い、実に間の抜けた時間を過ごす羽目になる、だからこういう構造の店は嫌いである。 馴染の店はここだけでもない、まあ、たまにチョッと立ち寄ればなんて考えていたが、アルバイトに来た女の子の一人に、飛び切りの美人、昼間は事務の仕事、水商売は始めて、完全な素人さんだが、祇園辺りでも最近ではトンと見かけないほど、菅野美穂を少し背を高くした感じで、話し振りはゆっくりと、天然のチョッととぼけたキャラ、初対面から話しが合った、そして店のママさんは意識してオレが行くといつもオレの席につけてくれた、もうこうなると店の構造なってどうでもいい、タマにどころではない、週に二度、三度という事になり、当然のことながら、「次の出勤の日に、どこかで待ち合わせて、食事でも」という事になる。 しかし開店当初は前の店の顔見知りのお客さんもタマに見かけていたが、余りはやっている感じはしなかった、そんなある時たまたま、食事に行く相手がドタキャン、一人で腹ごしらえはしたもの、飲みいくには早すぎる、この店のママさんの出勤はいつも早い、ここならという事で飛び込んで、飲んでいると顔に見覚えのある日掛け金融の集金のお兄さんが店の中へ、しかもその翌日にもこの店で見かけたのである、家賃の安い店に移っても、日掛け金融に手を着ける、大分この店は苦しいのんやなァ、しかし、その時にはまあオレには関係のない事、と思っていたのだが、ある時、その店の近くの店から出た途端に、その店の前の店でチーママさんをしていた女の子にバッタリ、暫く立ち話、前の店のママさんに閉店前に来てくれといわれて来たがまだ時間が小一時間ほどあるという事で、それなら時間つぶしに付き合おうかという事で、今出てきた店に逆戻り。 「今度のママの店に良く行くの」、「ア、ア、良く行ってるよ」、「ママさんとは仲が良かったもんね」、「男と女としてではないけどね」、「そうなん?」、「そう」、うそつきとでも言いたそうな顔つきでオレの顔を見る、話題を変えようと、「今日はママさんに、何の用事?」、「前の店の最後の3ケ月分の給料、まだもらってないので」、チョッと待ってほしい、もう少し待ってほしいと引き伸ばされていたらしいが、今日はその話しを着けに来たらしい、他の女の子への支払いはもう済んだらしいのだが、自分が最後に残ったという事であった、閉店の時間が近づいてきたので彼女は、「時間つぶしに付き合ってもらってありがとう、ご馳走さんでした」、と店を出て行った。 もうあの店とは深入りしない方がなんて、ふと考えたのだが、それから間もなくして、相談事があるので昼間にあってほしいといわれた、用件は分かっていたが、どうもこうい時に逃げ出すのは苦手な性分、何口かの日掛け金融からお金を借りているが、毎日の返済が大変で、ある金融屋さんが借金を一本にまとめたらどうかという話があり、そのことの相談であった、日掛けの金融屋さんは子分で、その話を持ちかけた金融屋さんはその親分、それに手を着けたらもう最後、恐らく返せへんやろう、それだけは止めとき、一体いくらあったら乗り切れるのんや、とツイツイ見兼ねて言ってしまった、そして二度に亘ってそこそこまとまったお金を融通する事に。 店のママさんと、こういうようにお金の貸し借りが出来てしまうとその店に遊びに行っても余り面白くない、アルバイトに来ていた女の子も給料が滞り勝ち、店に嫌気が差して他所の店に、そして店に行くたびにもう少ししたらボチボチでも返済すると言い訳の連続、自然と足が遠のき、その後もう一度店を移転、その後一度だけ口座に僅かな金額の入金があったが、それっきり、それからもう数年、オレもわけあって祇園界隈に足を運ばなくなり、久しく、レミーのクラブスペシャルを口にしていない、家の近くのショットバーのマスター、ブランデーはたまにしか飲まないが、一番好きで、旨いと思うのがこれですと指差した先は、レミーのクラブスペシャルの見慣れた黒い六角形のボトルであった。「あるブランデー(レミーのクラブスペシャル)との付き合い」、7月7日(1)、7月17日(2)、8月14日(3)、9月17日(4)、9月23日(5)、11月15日(終わり)。 ■「今日の言葉」■ 「 自分から和していく勇気を出そう 自分が変われば相手も変わる 」
Nov 15, 2005
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夕食を食べる約束、たまたま相手がドタキャン、一人で外で夕食を食う、これはどうも苦手、こういう時お酒を飲みながら、少しお腹に入れることが出来る気楽な店というと一軒ぐらいしかない、今日は定休日ではないので、そこへ行ってみるが暖簾が上がっていない、本日、都合により休みます、の張り紙、こういう日にはこういう事が重なるもの、仕方なく蕎麦屋でざる蕎麦とビール、食い終わって時計を見ると、まだ午後の7時半、この時間に開いている店は無い、ママが毎日7時過ぎに来ている店、ここなら時間も潰せる、しかしこんな日に限ってお客さんと同伴の食事、まさか、それならしょうがないサウナへでも行くかと、とりあえずその店へ、その店というのは、「レミーのクラブスペシャル(あるブランデー)との付き合い」、7月7日(1)、7月17日(2)、8月14日(3)、9月17日(4)、と4回にわたって書いている店。 1階が画廊の小さなビル、画廊の横の突き当りがエレベーター、小さなビルだから各フロアーに店が1件づつ、エレエーターのドアーが開いて、1歩踏み出せば、そこはもう店の中、時間が早いから、店の奥のほうの電気は節約のために消えたたまま、入り口近くのカウンターでママがなにやら帳面でも見ている様子、この時間に店の来るのは酒屋さんか、氷屋さんか、花屋さんぐらいのもの、ところが入ってきたのは客のオレ、「どないしやはったん、こんな早い時間に」、「夕食の相手がドタキャンで、この時間に開いてる店は無いし、ここならと思って、来てみたんや」、ママが椅子から立ち上がって、店の奥の電気をつけて、着物に少し手を添えてから、さあこれからお仕事といわんばかりに、帯を軽くぽんと叩いてから、「嬉しいわ、こんなに早い時間から、どうぞ」、いつもの座りなれた場所へ、急いで氷と、ミネラルウオーターと、そしてオレのクラブ・レミーのボトル、普通なら乾き物おつまみが、ところがオレはこういう店では、おつまみを食べないから、ママは心得ていて、そういうものは持ってこない。 「先に、ビールにするわ」、「私ももらっていい?」、キリンのラガーの小瓶とビアグラスを2つ、小さく乾杯、ビールは好きな酒、クーっと、一気に飲み干す、「ビールどうします?」、「ア、ア、もう一本もらう」、ママがカウンターの奥にビールを取に行った時にエレベーターが開く、「あれこんな早い時間にまたお客さん」、かなと思ってチラッと見ると、何となく見覚えのある顔、ママはその人を待たしておいてオレのテーブルにビールを運んできて、「ごめん、手酌でやっててね」、店の隅でなにやらひそひそ話し、手酌でビールをついて、一口飲んで、髭についたビールの泡をお絞りでぬぐって、タバコに火をつける、今はいって来た人とどこで出会ったのかなー、なかなか思い出せない、そうこうしている内に、その人は帰っていった、ママは今日はアルバイトの彼女が休みの日、その日に来るなんて珍しいね、そうかそういえばこの店はそのアルバイトの美人が来るようになってから、その日しかここには来ていないなァ、オレも結構分かりやすい性格をしているなあと思うと少し可笑しかった。 「こんな早い時間に、珍しい」、今日の夕方からのいきさつを一通り説明、「そのお陰で、早くから来てくれたんや、しかも彼女が休みの日なのに、「彼女の事、好きナン」、「ア、ア、この辺りではね」、「やはり、若い子がいいんだ」、「でもないよ、オレから見れば、ママだって若いよ」、「喜んでいのかな」、「その通に受けとってもいいよ」、午後の8時を回っても店の中はママとオレの二人だけ、そうこうしている内にアルバイトの女の子が、「おはようございます」、と出勤してくる、ママはやりかけの帳面を済ますのにその彼女と席を交代、「彼女の休みの日に、しかもこんなに早い時間に」、さっきと同じ話しの繰り返し、そんなところにもう一人の女の子が5、6人のお客さんと同伴出勤、そのお客さんのうちの一人とは顔見知り、挨拶だけして、入れ替わりに店を出て行く。 今日もこのあたりは暇そう、道に黒服が大勢立っている、顔見知りの黒服が挨拶、たまには店によってよ、ア、ア、そのうちにね、もう次に行く店は決めていた、たぶんそこへ行けば、飲み友達がいるだろうと、ちょっと螺旋になっている地下の階段を降りかける、がっしりとした黒っぽい扉、その両横に、ろうそくを入れた照明器具、この雰囲気は死体置き場か霊安室、ドアーを開けると、マネージャがオレの顔を見るなり、先ほどからお友達がお待ちかねですよ、いたいた、指定席に飲み友達が、約束してたわけではないが、そいつもオレがきっと来るだろうとこの店に先に来ていたらしく、「おそいなあ」、「ごめん、ごめん」、「座る前に先にトイレ」、マネージャーの顔を見ると、トイレは今空いてますよと合図、先ほどのビールを先にトイレで出してくる、誰か先に入った人がオシッコを派手の飛び散らしている、お手拭用のお絞りを使って便器の掃除、そうしないとオレの直ぐ後に入った人に、あいつ派手に撒き散らしやがってと思われそうなので、オレが入った時にもう、すでに汚れている便器の掃除してから出ることにしている、お絞りで便器を拭いている時に、さっきの店の来ていたどこかで顔を見た人のことを思い出した、このあたりの日掛け金融の集金のオニイサンだった。 この日掛け金融というヤツは、飲み屋さんあたりで、急に50万ほどお金が入用になった時、簡単に融資してくれる金融屋、50万円融資すると、翌日から毎日5千円ずつ返済していいき、100日で元金の50万円を返済、そして後20日間、利息として、毎日5千円支払うという仕組み、120日間で2割の利息、(年利にすると8割になる高金利)、バブル崩壊後の不景気で、この金融を利用する飲み屋さんが随分と多い、しかも数社から、宵の口の早い時間が日掛け金融の取立てタイム、ゴムバンドでとめた、集金札を持って、こっちのビルから、あっちのビルへと、忙しく集金にまわる、よく見かける集金のオニーさんだった。 家賃の安いビルに変わり、それでも日掛けの金融に手を出している、ママの店もかなり苦しいのんやなァ、まあ、オレには関係のないことナンやけど、その時は確かにそうだったんだが・・・・・。 ■「今日の言葉」■ 「 しっかりと目標を立てるところに 実力を伸ばす出発点がある 」
Sep 23, 2005
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40歳を過ぎてオヤジから会社を引継ぎ、売り上げが順調に伸びだし、軌道に乗り、経営が安定、しかし世間はバブル、こんなのは当たり前のこと、しかし本人は、ツイツイ、オレがという気持ち、遊びも派手になる、若い頃から、いつかクラブあたりで、レミーのクラブスペシャルこれをキープしてみたいと思っていたが、馴染みの店で飲んだ勢いで気が大きくなり、ボトルが空いた時に、女の子に、「新しいヤツは、レミーのクラブスペシャルを持ってきて」、オレの座っている席に憧れのブランデーが運ばれてくる、何となくビックになったような、偉くなったような気持ち、確かに中身は旨い、ストレートで飲んでも、口の中に良い香りと、アルコールがパーッと広がり、喉に引っかかることなくスーッと通り過ぎ、そしていの中でパーッと心地よく、アルコールが広がっていく、良いブランデーてこんなものか、というのもほんの何ヶ月かの間だけ、何かが変わったわけでもなし、別段どうってないことである、ボトルを何本か空けた頃には、元のヘネシーに戻そうか、値段が高いだけ、ところが一旦、高いお酒にすると、同じ店では安い方の元のお酒に戻しにくく、その店が急遽の閉店、ところがその店に勤めていた女の子が、新しくオープンの店に勤めるようになり、オレも顔出し、ボトルの注文のときに、彼女が、「前の店のお酒と同じでいいね」、この一言で決まり、その新しい店でも、レミーのクラブスペシャルをキープ。 時はもうすでにバブルも崩壊、その新しい店は、店の雰囲気も良く、和服の良く似合うママさんも良く、お気に入りの店であったが、2周年を迎える前に、もっと家賃の安いビルに移転、このあたりの事を、「レミーのクラブスペシャル(あるブランデー)との付き合い」、7月7日(1)、7月17日(2)、8月14日(3)、と3回にわたって書いてきて、今日がその第4回目。 この店のママさん、京都での水商売は長く、着物が良く似合い、着物の数が半端ではない、ちょっと格違いの女性のような気がしていて、きっと凄いスポンサーがいる、かなりの間そう思っていた、マネージャーや女の子にそれとなく聞いてみた、それらしき人はいない様子、今の店も自力でオープンとのことであった、この店の前にも2軒ほど店をしている、その前の店からの馴染みのお客さんもいるはずなのだが、不思議な事に、お客さんとの同伴は滅多にしない、これはママさんに直接聞いてみることにした、「ママは、同伴しないね」、「誰も誘ってくれない」、「じゃ、誘うか」、「嬉しい!」、話は以外にとんとん拍子に、そして、その頃の待ち合わせの定番、今はアパ祇園ホテルになっているが、昔の祇園ホテル、その1楷のティールームで待ち合わせ、その近くの行きつけの割烹屋さんに、初めての一緒の食事、まずはビールで乾杯、ぐいっと1杯目を飲み干した後、ビールをお互いのグラスに注ぎあった後、ひょいっと目の前に、左手を差し出された、その着物の左袖にはしつけの糸がついたまま、なーんて粋な事をされて、以来、月に一度くらいは一緒に食事、華やかな1周年の後、お客さんが少なくなりだし、やがて暇な日が続きだす、そんなある時ママさんと食事中に、もうじきビルテナント料の更新、新しく更新せずにもっと家賃の安いビルに移ろうかと、店が変わっても来てくれる、こんな時の返事は決まりきっている、「アぁ、店が変わっても行くよ」。 次に移った店、1階が画廊、その奥にエレベーター、そこの4階、エレベーターのドアーが開き、1歩踏み出すと、そこはもう店の中というタイプの店、今までの店が余りにも豪華な店だったために、いかにもわびしい都落ち、といった感じのショボイ店、前の店の一番若い、アルバイトの女の子が一人この店についてきて、後はその子の友達が2人、水商売は初めて、しかもアルバイト、その友達の一人が、ついぞ会った事が無いような飛び切りの美人、菅野美穂を笑った時に歯茎が出ずに、背を高くしたようなタイプ、しかも話し方が少し甘えたようなおっとりタイプ、どちらかといえば少し天然ボケが入っている、お陰で前の店から持ってきたレミーのクラブスペッシャルのウーロン割を暫く飲まされる羽目に、これも全て彼女の天然の部分の思い込み。 前の店に比べると随分と安っぽい店、仕事のときにはちょっと使いずらい、まァ、プライベートの時ぐらいか、なんて最初は思っていた、アルバイトの彼女の出勤の日には、オレも必ずその店に行く事になり、やがてママさんが、彼女を食事に誘ったら、という成り行きで、オレは彼女のアルバイトの出勤日の夜の給食係、待ち合わせる、食事をする、もう時間ぎりぎりだ、慌てて店に飛び込む、ただ、ただそれだけのお付合い。 この新しい店の隣のビルの地階のクラブ、ここも良く出入りをする店、そこの店で12時くらいまで飲んでいて、店を出ると、新しい店の前の店に勤めていた女の子とバッタリと、「久し振り」、「今日は、前の店のママさんの処へ、ちょっと、ママに用事が有って、行ったんやけど、閉店してから来てと言われたん」、「そうか、まだ1時間も有るでェ、時間つぶしに付き合おうか」、「嬉しいわあ、よかった」、ということで今出てきた店に逆戻り、今度はボックス席では無くカウンターで飲みながら、その女の子は、ママさんも前の店の最後の半年くらいはお金に苦しかったみたい、お酒屋さんの支払いもずれたり、女の子の給料も遅れがち、前の店の更新料を払うお金が無くて、新しい店に変わった、他の女の子の未払いの給料はもうすんだけど、私の分がまだ3ケ月分も残ってて、電話ではちょっと待って、の連続で、いつまでたってもラチがあかへんので、今日は店に押しかけてきたん。 「一人でやったらなかなか時間がつぶれへんのに、もうこんな時間」、時計を見ると、午前1時に5分ほど前、「ほな、私行きます、ご馳走さんでした」、あのママさん、お金に困ってるのか、この時何となく嫌な予感、こういう話には首を突っ込みたくない、この話は聞かなかった事にしておこう、「これからママさんのところに行っても、オレとここで飲んでいたのは内緒、さっきの話は聞かんかった事にしといて」、「そやねェ、お金貸して言われたら困るモンね」、と言って妙な意味ありげな笑いを残して、彼女は出て行った、その後、その時の話は聞かなかった事にして、またママさんもお金に困っている素振りを見せる事も無く、オレはオレで、相変わらずアルバイトの彼女の出勤日には、夜の給食係をしていて、食事をして、店に同伴出勤を繰り返していた、そんなある時彼女は、「店を変わろうと思ってるノン」、もう面接は済ましていていつからでもと言われている様子、「何で?」、「ここんとこ、お給料が」、「遅れてるんかいな」、「そう」、「そうか」、「で、次はどこ行くノン」、次に行く店の名前を聞くと、良く知っている店だった、「まあ、ええのんちゃう」、「ままには言ったの」、「まだ」、その何日後かに彼女はママに店を変わると言い、次の女の子が見つかる暫くの間、引き止められた様子であった、その引き止められている途中、たまたま早い時間に、開いている店が無く、この店はママが午後の6時半頃に店に入るので、まあ、ここなら一人で勝手に飲めると、この店に行き、しかも2日続けて、そして2日続けて、少し奇妙な光景を見る事になった。 ■「今日の言葉」■ 「 分からぬ先の事を思う人ほど 今日の一日を疎かにしている 」
Sep 17, 2005
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1959年(昭和34年)、東宝映画の「青春を賭けろ」という映画で、元々主演俳優が歌う予定の歌を、ある新人歌手が歌いそれが大ヒット、その年から始まった第1回日本レコード大賞の大賞受賞曲となった、「黒い花びら」、そしてそれをうたったのが、「おミズ」という愛称の、目つきの危なそうな遊び人、独特の甘い低音の水原弘という歌手、この年の紅白歌合戦にも出場、オレの好きな曲、「黄昏のビギン」も続けてヒット、一躍スターに、しかし、その後長い低迷が続き、1967年(昭和42年)、「君こそわが命」で奇跡のカムバックを遂げたが、ただ無類の酒好き、そのセイで体調を崩し、1978年(昭和53年)、肝硬変(食道静脈瘤破裂とも言われている)で僅か42歳の若さで他界、この歌手がテレビの番組で、毎晩、銀座の高給クラブでレーミーのクラブ・スペッシャルを一本空ける、それを見ていて豪快な遊びっぷり、飲みっぷりとともに、このレミーのクラブ・スペッシャルというブランデーに、憧れと、いつか、オレも祇園のクラブあたりでこのお酒を飲みたいものだと思うようになった。 少し商売もうまく行きだし、祇園あたりのクラブにも出入りするようになり、なじみの店も出来、ある時、ボトルが空いたときに、新しいボトルはレミーのクラブ・スペッシャルを持って来てくれる、その時のその店のママの嬉しそうな顔、ボトルの値段が高い事もあるが、彼女の一番好きなブランデーだった、ところが最近ではこれをキープするお客さんが無かったところ、久し振りにオレがキープ、それがよほど嬉しかった様子、実際にこの後ママさんがオレの席にやってくることが多くなった。 オレのほうも憧れていたお酒という事で、自分の席にこのボトルが置かれているだけで嬉しかったが、これが数ヶ月もたつと、別にそんなことはどうって無い事で、旨いブランデーには違いないが、ボトル代が高くつく、ところが同じ店では元のブランデーに戻すタイミングどうも難しい、ボトルが空くたびに元のブランデーに戻すわと、喉元まで出掛かっているが、ボトルが空いたときに、それを言う前に、同じレミーのクラブ・スペッシャルの瓶が運ばれてくる、そんなことがダラダラと続く、ひょんなことでその店が閉店、その店に居た女の子が別の新しく出来る店に移り、その店にお誘い、この新しい店では、別のブランデーを頼もうと思っていたら、前の店のお酒と同じでイイ、といわれてしまうと、イイヤとは言えずに、つい、ああ、それでイイよ。 とこの辺りまでを7月7日、「レミーのクラブ・スペッシャルとの付き合い(1)」、7月17日、「あるブランデーとの付き合い(2)」で書いてきた、レミーのクラブ・スペシャルとこの店のママさんとのお付き合いが、もう少しの間、この時から4年ほど続くのであった。 新しいツインビル、入り口からエレベーターまでのエントランス、高い天井、照明のガラスにカラフルな天女が舞う天井画、黒い大理石の床、通路には真っ赤なじゅうたん、この雰囲気は好きだった、そしこのビルの4階の店、淡いパステルカラーのゆったりとした店内、目を引くのは大きなグランドピアノ、その上に大きな花瓶にたっぷりといろんな花が活けられている、小柄だが、ぞうりを履き、着物用に頭をアップにセット、店を新規オープン、気合も入っている、そして何よりも着物を着ると着映えがする、ママとしての貫禄も備わっている、実際よりも大きく見える、きりっとしてなかなかいい女、しかしどう考えてもオレでは役不足、高嶺の花、それに毎日違う着物と帯、その数は半端な数ではなさそう、きっと良いスポンサーがいる、そうに違いない無い、これはずっと後で分かったことだが、これはどうやらオレの勘違い、ママさんには良いスポンサーも、良い旦那もいなかった、この店で何よりも気に入ったのはカラオケが無いこと、その代わりに、午後の9時くらいから、30分おきに、これまたちょっとコじゃれた、歳はそう若くは無いが、ピアノの前に座ると一段と魅力的、曲終わってお客さんの拍手に応える仕草が、なんともいえず色っぽく、大人の色気を漂わせたオネーさんがピアノの弾き語りを30分ほど、この雰囲気がオレにはお気に入り。 何度かいろんな遊び友達を連れて行く、するとその友達はまた誰か他の友達を連れて行く、そして別の、といった具合にお客さんがドンドン広がっていくのだが、どうやらオレがこの店を気にっているほどに、友達は余り気に入らない様子であった、カラオケが無いから、ときめいたり、誘いたくなるような美人のオネーさんがいない、少しお上品過ぎる、値段が高い、店が妙にだだっ広い、何軒かは共通の店がある遊び友達でも、ここはどうももうひとつ合わない様子、だからどちらかといえば、1人で宵の口にこの店に来て、お客さんが込み出してくるとオレが店を出て行く、そしてオレは誰か遊び友達がたまっていそうな店に出かけて行く、あるときこの店にしては珍しく美人が、百貨店のブランドコーナーのショップの店員さん、週に一日だけアルバイトで出勤、勿論、以来、その日にはオレは皆勤。 世間はバブルがはじけているにも拘らず、最初の間はこの店もお客さんが多く、女の子が少ない日にはピアノの弾き語りのオネーさんが、もう1軒の店と掛け持ちしていたが、そちらの方が最近お客さん少なく、演奏の回数は間引き、オレの席で30分ほど時間つぶし、そんなことも度々、開店1周年記念が過ぎたあたりから、お客さんの入りに翳りが、そして間も無く、タマにオレが宵の口にこの店に来て、2時間ほど、午後の10時が過ぎてもお客さんが来ないという日もあり、誰かお客さんが来れば帰ろうと思いながら、店を出そびれ、午後の11時過ぎに待望のお客さんが、という日もあるようになった、あるそんな日に以前から不思議に思っていたのだが、この店のママさん、お客さんと同伴で店に来るのを見かけたことが無い、それとなくそのことを訊いてみると、ちょっと甘えた声で、誰も誘ってくれない、と返事、それではということで、オレにはちょっと敷居が高すぎると思っていたこの店のママさんと、食事をする約束、以来月に一度ほどのペースで、この店のママさんと食事をして同伴出勤をするようになった、店はますます暇に、そして本業のギャラの高いホステスさんがいなくなり、ギャラの安いアルバイトのホステスさんばかりになり、ピアノのオネーさんも店に来なくなり、店はますます暇に、そんなある時、店のママさんが食事中に、この半年余り毎月赤字、それもダンダン大きく、再来月には店の更新、今の店を閉めて、家賃の安いビル移ろうと思っているとポツリと、ただお金の相談ごとなどではない様子、少しその気配でホッとして、そらそうやなァ、ここんとこかなり暇そうやったもんなァ、もう行くところ決まってるノン、まだ契約はしてないけど、おおよそは。 開店1周年の時、はあれほど豪勢なお花が多くお祝いに届いていたのに、それからたった1年後に、もう店仕舞い、こわい世界、まさに水商売かァ、まあ、店が変わっても行くよ、というと急に元気を取り戻したように、帯の脇あたりを軽くぽんと叩いて、着物の胸元を慣れた手つきで直し、背筋をピンと伸ばして、さァ、がんばろう、店ではもう暫くこの話は内緒にしといてね。 ■「今日の言葉」■ 「 心に硬く決めたことは いつかは必ず実現する機会がくる 」
Aug 14, 2005
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祇園あたりに飲みに出られるようになって、ボトルをキープ、サントリーのリザーブあたりから始まって、だんだんと高いお酒、そしてヘネシーのブランデーあたりまで、しかし憧れのボトルというか、黒い、六角形の壜の、レミーのクラブ・スペシャル、ヤットこれをリザーブできる身分に、とは言うものの、これも2年も経つと、そんなことはどうって無いこと、また元の少し値段の安いヘネシーのブランデーあたりに戻そうとするが、同じ店では、高いお酒に変える時には別段抵抗は無いが、安いお酒に変えるのは、どうもと思っている時に、その店が訳ありの急遽店じまい。 もう次の店ではレミーのクラブ・スペシャルはやめて、ヘネシーあたりにしょうと思っていたが、前の店にいた女の子がこの店に移り、その子の顔だてにこの店にきて、そこで「前の店のと、同じでいいね」、この一言で変えそびれてしまった、「ア、ア、それでいいよ」、ただ、気に入らないのは、オレが飲む段には旨くて良い、それに前の店のママの様に、目を細めて美味しそうに飲む、これも許せる、しかし、最近のクラブ勤めの女の子でお酒の飲めない子が増えてきて、薄い目のウーロン割、店の暇な時には入れ替わり立ち替わりやってきて、一口か二口飲んだところで、お客さんが入ってくると、別の席へ、だからオレが飲むのが半分、これが半分、こんな飲み方をする子にこの酒は、どう考えても勿体無い、なんて思いながら、これは、オレの悪い癖だが、「まあ、いいかァ」、だらだらと数年続く。 ここの店のママさん、40代の半ば、やや小柄、毎日着物、それに合わせて帯も変わる頭は毎日、美容院で前髪がこんもりと盛り上がって、後はアップにセットしてからご出勤、こういう店のママさん特有の、着物用の少しかさ高いへアースタイル、これで背は丁度いいぐらい、どう丁度いいかというと、172センチのオレが横にならんで歩くのに丁度良い、さすがに着物を着慣れている、背筋をピンと伸ばし、着物の後襟が大きい目に繰られている、アップした襟足の白いうなじに色気が漂う、良い女である、目は大きくて魅力的だ、これは化粧が濃いので素顔となると想像がつかない、鼻は少し小さめの好きな形、ただなんをいえば、あぶら症、特に鼻の辺りの時折脂が浮いて、テカってくる、本人もそのことを意識しているらしく、席についていても暫くすると席を立って、京都で有名な小間物屋さんの、あぶらとり紙、を使って化粧直し、も少し時間が経って、この店に慣れてから、一度食事でもと誘うのにしては、オレには、チョット、敷居が高そうなママさんである。 この店が気に入ったのは、カラオケが無いこと、その代わりに1時間おきに、20分ほど、女性がピアノを弾いて歌を歌いに来る、この彼女、近くの店と掛け持ちである、30歳は過ぎているがなかなかチャーミング、演奏中にお客さんから彼女に飲み物が届く、ピアノの上に飲み物を置きながら、あちらの席のお客さんからと、持ってきた女の子が言っているのだろう、演奏中にその席のほうを向いて、にっこりと軽くお礼の会釈、演奏が終わってお客さんの拍手が終わって、それに応える時、20分間の演奏が終わって、次の店に行く時、お客さんに挨拶をしながら出て行くとき、なにか、妙に格好よく、それでいて、どことなくエレガントである、彼女の演奏が、おしゃれな大人のクラブの雰囲気の演出に一役買っていた。 世間ではバブルがはじけた後であったが、この店も1周年を迎える頃までは賑わっていた、その時には、高そうな胡蝶蘭が幾鉢もお祝いに届いていた、オレもお付き合いで友達と2人の連名のしょぼい胡蝶蘭、1ケ月ほど店に飾ってあったが、立派な花の間にしょぼい花、さらし者状態、いっそうの事無い方がましだ、誰かに見られると格好が悪いので、送り主のネームプレーと抜いておいてくれと頼んでおいた、やっと、この花が片付けられた頃から、お客さんががくんと少なくなってきた、水商売暦が長い割りに、ママ自身のお客さんというのが随分と少なかった、お客さんの殆どが店に勤めている女の子の元居た店のおなじみのお客さん、その勤めている女の子も、本業のホステスさんが少なく、週に2日か、3日、店に勤めるOLさんや、デパートガールさん、そして中には女子大生、オレ自身も、直ぐに仲良くなったのが、高島屋の海外ブランドのブテイックに勤めている昼間はデパートガール、この店への出勤は週に2日、当然のことながら、お目当ての彼女が出勤の日に行くことが多くなった。 もうその頃には本業のホステスさんは年齢がそこそこ、美人も少なく、そうなるとお客さんのほうも悪いのだが、若い、可愛い、アルバイトの女の子を席に呼ぶことが増えてくる、このことが、こういう店をつまらなくしている、お酒を飲みながらエッチな話、きわどい話、それ以外に時にはまともな、いろんな話、1時間から、2時間、ア、ア、今日は楽しかったということが少なくなってくる、高いお金を払って、お客さんのほうが席を盛り上げ、店の女の子を遊ばせているている、どちらがホステスか分からない、こうなると、どうしてもこの店で楽しくお酒を飲んで遊びたいということが無くなり、ただ何となく、まるで癖か、習慣のように、店に立ち寄る、行かなくってもどうという事はない、しかし夕方になると人恋しくなる、そこで寂しがり屋の遊び友達に電話、電話がかかるのを、待っていたかのように、特に金曜日の夕方などは、「ほな、行こか」と夜の祇園に出没。 この店に行くようになって半年目くらい、少し敷居が高いママさんと思っていた彼女と初めての食事、祇園の小粋なすし屋で待ち合わせ、ビールで乾杯して、その後、仕付け糸がついたままの左袖をオレの眼の前に、オレはその仕付け糸を取り外す、店のオヤジは、そんなオレを見ながら、ヨウ、ヨウとでも言いたげに、意味ありそうににんまり、食べて、飲んで、途中でママさんがトイレに、それを見て店のオヤジが、ビール瓶を持ってどうぞと、「ありがとう」、とビールを注いでもらい、オヤジはオレの耳元で、「彼女には、高くついていますな」、小声でボソッと言って、先ほどと同じような笑い顔、はは~ん、オヤジ、彼女とは今日が初めての食事、何か勘違いをしている様子、祇園のど真ん中で長く商売、いろんな事を見てきているオヤジがオレとママとの仲を勘違い、まんざらでもない勘違い、今度はオレがオヤジと同じような笑い顔、トイレから戻ってきた彼女、先ほどはほんの少し鼻の周りにうっすらとあぶら、戻ってきたときにはそれが綺麗になくなっていた。 レミーのクラブ・スペシャルとこの店のママさんとのお付き合いが、もう少しの間、この時から4年ほど続くのであった。 ■「今日の言葉」■ 「 分からぬ先の事を思う人ほど 今日の一日を疎かにしている 」
Jul 17, 2005
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最近は外でお酒を飲むときは、ビール、そしてバーボンウイスキーのロック、仕上げに時たまコロナビール、カウンターで飲んでいると隣のお客さんがブランデー、六角形の黒いボトルのレミーのクラブ・スペシャル、このお酒は何となく懐かしいお酒、若い頃からこのボトルは憧れ、たまたま、お酒を飲んだ勢いで初キープ、あるお店でこのお酒をボトルキープ、口当たりが良く、飲みやすく、実に旨い、しかも後に残らない、値段が高いのが玉のキズ、こいうものは一旦このお酒をキープしてしまうと、なかなか他のお酒に変えられない、変えよう、変えようと思いながらも、このお酒とは、ちょこ10年ほどの付き合いがあった。 このお酒との出会いは、銀行の懇親会の2次会で始めて行った店、この道、ン10年というベテラン、オレより少し年上のママさん、ずんぐりとした髭もじゃの歳下の旦那がマネージャー、ベテランのママの店らしく女の子のしつけが行き届いている、居心地のいい店であった、元アナウンサーという少し変わった、少々理屈っぽい美人の女のこが居て、この女のこがお気に入りで、この店に通うようになり、最初のうちはヘネシーのブランデーを飲んでいたが、飲んだ勢いでツイツイ調子に乗って、ボトルが空になったときに、レミーのクラブ・スペシャルにしようかな、オレの声は余り通らないはずだが、離れた席に座っていたが、耳ざとく聞いていて、ニコニコ顔でその新しいボトルをオレの席に持ってきた、どうやら、このママさんが一番好きなお酒らしい、この時がこのレミーのクラブ・スペシャルとの付合いの始まり、当然その時以来このママさんがオレの席にきて、座っている時間が長くなった。 理屈っぽい美人が、オレがこの店に行きだして1年ほどして、結婚のために店をやめることになり、彼女と入れ替わるように、ハワイかポリネシアなど南方系の顔立ち、顔が丸く、瞳が大きい、ややぽっちゃりした新人の女のこ、19歳ですよろしく、この19歳というのは怪しいもんだと思っていたが、後で分かったのだが、4つもサバを読んでいた、別段、オレの好きなタイプではなかったが、このこが席に来ると、実際に大きな声を出して、良く笑うこだった、席が陽気で、ぱっと明るくなる、だから、この店に行くと必ず席に呼ぶようになった、よく何人かで、合コン状態で食事に行き、その後、この店に同伴出勤、半年ほど経った頃、会社に電話、「お店がつぶれた!」。 事情を良く聞いてみると、マネージャーの旦那がバクチ好き、大きなレートの賭けマージャンで負けが込んで、身動きが取れなくなり、どこかへ、誰にも内緒で夜逃げをした様子、「後2,3年この商売を続けて、それから旦那と2人でうどん屋がしたい」、それが口癖やったのになァ、それに、この前の帰り際に新しいボトルを下ろして帰ったのに、せやけど、運良く、お金はまだ払っていないので、まあいいか、せやけど、ややこしい奴が集金なんて、ふと思ったが、そういう事もなく、1、2ヶ月が経過、また、仕事中に電話、来月始めに新しくオープンするお店で働くことにしたのでよろしく、友達の中に女の子が店を変われば、その女のこについていき、店を変わってしまうヤツも多いが、オレはその逆でその女のこが、その店にいるからこそ、いつもその女のこを席に呼ぶが、店を変わってしまうと、顔を立てるための、その店を一度くらいは覗くが、それっきりというタイプ、店につくお客さんのタイプ、しかし、今度の場合はお店がクローズ、そのこが新しい店に勤めて、オレがそこの新しい店のお客さんになっても、少しもオレの主義に反することはない、というわけでそのこが勤める新規オープンの店に彼女の客さんとして顔を出すことに。 いい加減な場所の聞き方、しかし、このあたりは通いなれた道、賑やかな、派手なツインビルが出来たモンやナァ、と新しく出来たビルを見上げると、そのビルの4階に聞いていた名前のお店が、ビルの入り口は何フロアーか吹き抜け、高いところにセザンヌ風の天井画、両サイドには新規オープンのビルらしくずらりと花が、こういう時には花でもいるかな、と一瞬、思ったが、もう遅い、エレベーターで4階へ、店に入ると、黒服のマネージャーが2人も、ちょっと大層な店やな、「いらっしゃいませェ~」、女のこの数も多い、素早くオレを見つけて、「来てくれたんや、嬉しいわァ」、彼女が前に勤めていた店より随分と立派で、高級な店、店も広くゆったりとしている、店の中央に白いグランドピアノがデーンと、そしてピアノの上に生花のオブジェ、所狭しと開店のお祝いの立派な花がずらりと、それを見ると慌ててセコイ花を買わずに来て良かった、ちょうど一巡お客さんが入れ替わって、一段落ついたところのようで、和服を粋に着こなした、どちらかといえば小柄な、小顔、顔の各パーツも、目以外は全て小ぶり、40過ぎの古臭い言い方だが、小股の切れ上がった小粋なママさん、彼女はオレを、前の店のお客さんと紹介、名刺を交換。 そこでお飲み物は、「う・・・ン、ん」、とためらっていると、彼女はすかさず、前のお店と同じので良いですよねェ、ここの店のボトルの値段を聞く前に、ツイツイ、ちょっとビビリながら、「ア、ア、それでいいよ」、もう少し安いブランデーに変える良いチャンスをこの時に逃がしてしまう。(レミーのクラブ・スペシャルとの付き合いのパート(1)、少し期間をあけながら続きを書きます。) ■「今日の言葉」■ 「 一つの考え方にこだわることは 心の自由を捨てることである 」
Jul 7, 2005
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「ある祇園の小さな割烹屋さん」のタイトルで日記に、9月2日(1)、9月16日(2)、9月27日(3)、10月8日(4)、10月19日(5)、11月6日(完)、と6回にわたって、開店から順調にお客さんが増え、その店の料理、いろんなお客さんとの出会い、お客さん同士の出会い、そしてその店の売り物の一つになっていた店のオヤジと女将さんの夫婦喧嘩、それがいつの間にかオレ達、お客さん同士が知らない間に本当の夫婦喧嘩に発展、女将さんが子育てを理由に店に余りに姿を見せなくなり、店の雰囲気のちょっとした変化に、少しずつお客さんが減り始め、開店当初の急激にお客さんが増えだして繁盛したのと、今度はまるで逆の現象、こうなると悪い事の連鎖反応、そしてついに別居から離婚、楽しい思い出のいっぱいに詰まったこの店に足を運ばなくなってしまった。 と11月6日の「完」で書き終わったが、書き始めたとき、8月末にこの店のある通り、祇園石段下からの四条通り、その北側を西へ、花見小路通りに出るまでの北への道、5本か、6本ある、細い薄暗い、雨降りの日などは傘を差してすれ違いができないほどの道幅、各道に数軒の飲食店が、恐らく未だに一度も通り抜けた事の無い道も何本かあるはず、そんな何本目かの道にあった「ある祇園の小さな割烹屋さん」、深夜に火事が出て、数件が全焼、そしてこの店も消失、此処久しく夜の祇園を徘徊しなくなったオレは全く知らずに数回書いていた。 そして11月6日の「完」を書く少し前に、清水界隈へ写真を撮りに行き、八坂の五重塔の良く見慣れた風景を撮っているときに、ファインダーの中を横切った一台の黒いバイク、ヘルメットをかぶっていて顔は横見えなかったのだが、一瞬そのバイクのほうを見ると、見慣れた顔、向こうも気がつき、バイクを止めてヘルメットをはずすとこの店の大将、僅か会わなかったのは数年、余りのも人相が変わっていて、頬はコケ、顔色がどす黒く、久しぶりとかを言う前に思わず、「どないしたン?」、その時に始めて8月末に火事になって、店が燃えてしまった事を知った、そして余りの人相の変わりようも、その後で、長年のお酒の飲みすぎがたたり、肝臓を壊し、暫く入院していたセイとの事だった、何となくこの店に足を運ばなくなって数年、楽しい思い出を懐かしみながら書き始めたシリーズの日記であったが、この店の惜別の日記になってしまった。 先日の新聞記事で、この道が火事の後、綺麗に石畳を敷いて復興され、舞妓さんが二人で通り初めの写真、この道の正式な名前があったかどうかは知らないが、オレ達は適当に「メクラ通」とか「クラヤミ通」とか適当に呼んでいたが、「祇園のある小さな割烹屋さん」はそこで店を再開する事は無かったが、「祇園小路」と名づけられた。■「今日の言葉」■ 「 確実に約束を果たす人の 周囲に安心と信頼が生まれている 」
Nov 20, 2004
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ある祇園の小さな割烹屋さん、9月2日(1)、9月16日(2)、9月27日(3)、10月8日(4)、10月19日(5)開店間もない頃に始めて行った時から、この店を大いに気に入って、いろんな人をその店に紹介し、その店もあっという間に大繁盛、そしてその店でよく出会う、様々なお客さん、そしていつもオヤジに怒鳴られている女将さんのとりなしでお客さん同志の交流、飲み歩き、ゴルフ、酒蔵見学、台湾旅行etc 、しかし何年目かを境にして、ちょっとした弾みでお客さんが減りだし、その後は、さまざまな事が悪いほうに、一度悪いほうに弾みがつき出すともう止まらない、好きな店だからたまりかねてオヤジとじっくり、話をしてみると、女将さんとすでにしばらく別居の後で、離婚。(5回目までで、話はこのあたりまで) ある小さな祇園の割烹屋さん、兄貴の店から独立してオープンしたのが、土砂降りの雨の日の3月末であった、夕方始めて店の暖簾をかけ、こんなひどい雨の中、果たしてお客さんが来てくれるかなという店のオヤジと女将さんの心配を他所に、断るお客さんも出てくるほどの大入り、以来毎年この3月末の一週間は、この店の開店記念週間、初日の一番早い時間に予約を入れたお客さんが、この店が樽買いしている越前の酒蔵から樽酒が数樽、この記念の振舞い酒の樽開き、記念週間の終わり頃に行くと、銘柄の違う樽酒、途中で頼んでおいた樽酒では足らなくなり、止む無く別銘柄、店の中には、お客さんからのご祝儀袋が壁にベタベタと張り巡らされている、連日店は満員、予約ナシで来て断られるお客さんも、枡酒を一杯だけ、ぐいっと立ち飲み、それだけでも、「開店、ン周年オメデトウ」とご祝儀袋だけ置いて帰る、太っ腹の良いお客さんも。 仲の良い飲み友達のボタン屋さんの社長が3月末が誕生日という事も有って、毎年、その開店記念週間には誕生祝もかねて、浮世絵画廊のオーナーさんと、祇園のオネーさんを交えてお祝い、途中、他のお客さんと同じように店に行く回数が徐々に減っていくが、それが十数年間続く、ところが3年前、女将さんが店からいなくなった、オヤジが離婚したした次の年、この記念週間の挨拶状が来なくなって、今年はやらないのかと思っていたところ、店のオヤジから電話、もう始まっていて後2日間、必ず来て欲しいとの電話、3人とも都合のついたのが最終日、開いていないこもをかぶったままの樽が2ケ、ということは初日に樽割をした酒がまだ残っている、如何にお客さんが少なかったか、最終日というのに壁に貼り付けてあるご祝儀袋も数える程まばら、オヤジに案内状をどうして出さなかったのかと尋ねると、請求書を出したり、いろんな案内状を出したり、暑中見舞や年賀状、それと銀行関係の管理、これらの仕事は皆、女将さんの仕事だった、開店記念週間の案内状の印刷は早く出来上がっていたのだが、宛名書きが出来ずに店に来たお客さんに手渡ししていたわけである。 足繁く通っていた3人ともが知らなかったということは、如何に最近は店に来ていないかということである、此処の女将さんが開店と同時に店に顔を出していた頃には、毎月の請求には必ずもう一枚、手書きの季節の挨拶や、お礼の言葉が添えてあったり、振り込んだ後には、振込みのお礼と、その月の旬の食材と、近い日のご来店を心待ちにしていますと一言添えた葉書が来ていた、また店での何気ない会話の中で、別段、根掘り葉掘り聞くわけではなく、オヤジさんに怒鳴られ、ケンカしたり、洗い物をしたり、後片付けをしたりしながら、フト小耳挟んだことを、お客さんの名簿のようなものを作っていて、お客さんや奥さんや子供さんの誕生日や、趣味や、好みや、職業や、仕事の内容や、家族構成や、細々とした事までキチンとつけて、書き込みをしていた様子で、そしてそれを頭にインプット、生来の愛想のよさや愛嬌だけでなく、そういう見えない部分での女将さんとしての根気のいる地道な努力、気遣い、心使い、それがあればこその、それほどに美人でもないのに拘わらず、店に来るお客さんにとって、なんともいえない心地のいい、人当たりの良さがあった。 店のオヤジだけがそのことに気付いていなかった、イヤむしろ認めようとしなかった、この店は誰がなんと言おうと俺の料理の腕、包丁の腕で持っている、ところが女将さんの方はというと、店でいつも夫婦喧嘩の怒鳴られ役、一見、少しドジで、トロくて、言い返せなくて、オロオロ、オドオドしているようにみえるが、金波銀波の鴨川で産湯を使った、祇園生まれの祇園育ち、芯はしたたかで、しっかり者で、気の強い京女、店での一方的な怒鳴られ役は、ちょっとしたヤラセの様な物で、所謂、演技であった、開店資金の店の権利金や改装費の銀行借り入れの返済の目途がつく、殆ど年中無休で営業していた3年間ほどは、別段なんともなかったが、やっと一段落着き出した頃、これはあくまでオレの想像だが、店は大繁盛、オヤジにしてはチョッとした天下を取ったような気分、店が終わると、売り上げの金を腹巻に突っ込んで、といっても現金払いの人は少なく、殆ど銀行振込み、それはがっちりと女将さんが握っていて、だから大した事は無いのだが、連日、朝まで飲み歩き、女将さんが少し文句でも言おうものなら、店の延長で怒鳴り散らす、店ではそれで済んでいたが、ところが場所はお客さんのいない家の中、そうなると、本気のガチンコのぶつかり合い、この状態が暫く続き、勘の鈍いオレは気がつかなかったのだが、敏感なヤツは、「最近の店のオヤジと女将さんの夫婦喧嘩、様子が少しおかしいぞォ~」。 いつかの時点で喧嘩の最中にオヤジが女将さんに向かって、「俺の店は、お前なんかおらんでもやっていける!」、この一言が、娘さんの高校受験を切っ掛けに、女将さんが店に出てくる時間が遅くなり、女将さんの顔を見れなくなった途端にお客さんが減りだし暇な日は出てこなくなったり、ますますお客さんが減る、やがていろんなことの悪循環の連鎖反応、3年前の3月末の開店記念週の最終日に行ったきりその後は一度も。 今でも時折、この「ある祇園の小さな割烹屋さん」のそこでの楽しかったいろんな事を、フト思い出すことが、それを思いつくままに何回かに分けて、書いてきて、この話の落とし処は全く考えていなかったのだが、繁盛するのに様々な理由もあり、閑古鳥が鳴くようになるにも多くの訳が有ったが、本当の処は「この店はオヤジと女将さんの夫婦仲の善さに釣られてお客さんが集まり、夫婦仲が悪くなると、お客さんが遠のいていった。」、そんな気がします。 女将さんは、祇園の実家を改造して和風スナック、オヤジは今年の8月に近所の火事で店が類焼、立ち退き、その後、飲み過ぎの影響で肝臓をこわし、暫く入院、数週間前に五条坂付近で写真を撮っているところでバッタリと、一瞬見間違うほどに劇ヤセ、少し立ち話をしただけで、どこかへ急いでいる様子、「またなァ~」、「またァー」。■「今日の言葉」■ 「 物の働きに感謝する心でこそ 物を生かす工夫を授かる 」
Nov 6, 2004
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ある祇園の小さな割烹屋さん、9月2日(1)、9月16日(2)、9月27日(3)、10月8日(4)、開店間もない頃に始めて行った時から、この店を大いに気に入って、いろんな人をその店に紹介し、その店もあっという間に大繁盛、そしてその店でよく出会う、様々なお客さん、そしていつもオヤジに怒鳴られている女将さんのとりなしでお客さん同志の交流、飲み歩き、ゴルフ、酒蔵見学、台湾旅行etc 。(と4回でこのあたりまで) このある祇園の小さな割烹屋さん、アニキの店から独立、最初の2年間は大晦日と元旦の2日だけが休み、後は休みなし、店の権利金、内装費、食器、その他諸々の開店資金、これを出来るだけ早く、繰上げ返済を目指して、ほぼ無休状態で営業、オヤジと女将さんの意気込みが感じられ、出てくるいきの良い、新鮮な、珍しいもの、しかもたっぷり目の出てくる料理、余りにも飲みやすく、口当たりも良く、ツイツイの飲みすぎてしまう、罪作りな程に旨い酒と、女将さんの人当たりのよさと、箸休めにここの名物、夫婦喧嘩、そしていいお客さんがいいお客さんを呼び、さらに良いお客さんを呼ぶ、半年もしないうちに大盛況、カウンターだけの狭い店、座れるのは僅か10人とちょっと、電話で予約をしないととてもじゃないが断られる状態、開店から3年目ぐらいまでは世間ではバブルが崩壊しているのに、この店はまるでそういうことなど関係のない様子。 ただこの後、年に1度くらいは、アレッ、今日はどうなってんの、という日、午後の7時過ぎに店に入って、2時間半後くらいに店を出るまで、他のお客さんが誰も来ない、こんな日もあるの、オヤジはたまには骨休めですよ、じゃあ、骨休めついでに女将さんを1時間ほど借りていくよ、と言って女将さんと連れ立って一緒に次の店へ、あの店に行っているから、早くもう店じまいして、飲みにおいでよ、待ってるから、と珍しくこんな日も。 そうこうしている内に、女の子のアルバイトが来るようになり、それと入れ替わるように女将さんが店に来るの午後10時頃になり、聞いてみると、2人の娘さんのうち、お姉ーちゃんのほうが来年高校の受験ということで、今までのように早く店に出られなくなったとの事、飛び切りの美人という訳でもない女将さん、店のオヤジもお客さんも、えざわざ女将さん目当てのお客さんが大勢いて、それで店が賑わっているとは思ってもいなかった、ただ若い可愛いアルバイトでも、どうしてもその代わりは出来なかった、かなり後で分かった事なのだが、祇園の芸妓さんの子供だったのである、女将さんの客当たり良さというか、客あしらいの巧さというか、これは持って生まれた天性のようなもの、宵の口から店に出ていて、毎度毎度の夫婦喧嘩、一方的にオヤジに怒鳴れているだけのように思っていたが、女将さんが不在の店は、なぜか分からないがどこかが物足りない、お客さんがオヤジに、電話をかけて俺が来ているからと言って店へ呼んでくれ、来るのは多分10時過ぎですわ、そんな時間まで店にいてヘン、残念やナァ~、折角、女将さんの顔が見れると思ってやって来たのにと、そういって名残惜しそうに帰っていくお客さん、そんなお客さんが随分と増えだした、オヤジ、この店は女将さんでもっている店かいなァ、違いまっせ、あんなんおってもおらんでも関係あれヘン。(後は口には出さないが、この店はオレの包丁でもってるネン、と言いたそうなオヤジの顔つき、実はこの時は本当に、そう思っていたようである) この店の雰囲気の微妙な変化に敏感なお客さん、画家さん、お坊さん、画廊のオーナーさん、学校の先生、そのほか先生と呼ばれている税理士さん、弁護士さん、学習塾の先生兼オーナーさん、このあたりの職業の人たち、どちらかと言えば、人柄ではなく、職業柄が品が良さそうに見えるお客さんがいつの間にか来なくなり、次第にその人たちが紹介したつながりのあるお客さんまでが店で顔を合わすことが無くなり出し、開店当初の数ヶ月間の間に、お客さんがどんどん広がり増えていくのと、全く逆の現象が起こり出して来た、こうなると予約なしで店に行ってもいつでも空いている日が増えてきて、今までなら前日か、その日の昼頃までに必ず予約を入れていたのが、お客さんのほうも横着になりだし、予約しなくなる、オレも「まあ、行けば、空いているやろー」。 新鮮な生モノをふんだんに食べさすのがウリのこの店、予約が減ると、込む日と込まない日が極端になり、材料の仕込が随分と難しくなり、日持ちのしない材料が残ったり、少し少ない目に仕込むと、そんな日に限ってお客さんが多く、早い時間からお客さんに出す材料がなくなる、やがて少しでも日持ちのするネタが多くなり、種類も少なくなりだす、こうなると、機嫌よく食って飲んで、一人当たり約12,000円也、出てくるボリュームは以前と同じ、同じネタのものが量だけ多くなる、ここの売り物の新鮮な生モノを種類をたっぷりという、この魅力がなくなり、この店で、この金額を払うのは一寸~、というお客さんの足も自然と遠のく。 それと、ここのオヤジは無類の酒飲みである、店を閉め、掃除をして、そしてその日の売り上げを財布に入れて腹巻の中へ、店の仕事中にも、お客さんに奨められて、普通の人なら今日はもうこれで充分というほどお酒を飲んでいながら、ふらりとどこかへ飲みに行き、家に帰るのが新聞配達さんと牛乳配達さんの中間の時間、お客さんが多く、明日も予約のお客さんが可也有る、そんな頃には帰る前に、カウンター内の調理場のすのこを洗い、タタキも洗剤で洗い、キチンと綺麗に掃除をして、それから飲みに出ていたのが、昨日も、今日も、この何日か今日はお客さんが多いと思って多い目にネタを仕込むとお客さんが少なく、またその逆の日も、オヤジの思惑がズット外れっぱなし、折角仕込んだネタが、お客さんに出さず仕舞に、翌日には出せないネタをゴミ箱へ、落ち込むわ、ムシャクシャする、エイッとばかりに、掃除も中途半端に飲みに出る。 飲食店で掃除を怠ると命取り、特に生もの魚介類は匂いがきつく残る、それだけに毎日の掃除がキチンと行き届いて出来ていないと店の中に嫌な匂いが残る、オヤジは毎日、毎日、素手でさわり、さばいて、料理して、匂いが身体中に染み付いている、ことこういう店の匂いに関しては、お客さんのほうが敏感で、特に生モノを食べさす店では過敏になる、オヤジの方は毎日、そこで仕事をしているから、麻痺してしまい、気がつくのが遅い、しかしさすがのオヤジも、その日の下ごしらえと仕込が終わり、午後の4時半頃から近くの銭湯で開店前に一風呂浴びてから、店に戻る、この時に始めて店の匂いに気付く、ここでこれからは店を閉めてからの掃除を性根をすえてやろうとすれば良かったところ、開店前にお香を焚く事を始めた、それで嫌な匂いを消そうとした、もうこの頃には匂いに敏感なお客さんは来なくなっていた、少々においに鈍感なオレでさえも、以前はほんの一瞬だったが、最近では、この店の嫌な匂いに鼻が慣れるまでに、少し時間が要するようになってきた。 それだけではない、こういう店は売り上げが落ち、お客さんが減ってくるとネタの仕込みを落とし、みみっちくなって来て、料理の中身が悪くなり、さらに自分の首を締め出す、例えば、前日仕込んだサザエが残る、その翌日に行くと、刺身にサザエがないのに、途中でサザエのつぼ焼きが出てくる、刺身サザエがあって、その後につぼ焼きが出てくると別段なんとも思わないのだが、このような出し方をされると、昨日の残りのサザエをつぼ焼きにして出しやがったなァ、とまる分かりである、時には焚いてあるサザエが出る時がある、こういうときはつき返す、3日目の残り物のサザエなんて食いたくないの意思表示、ただ自分では工夫したつもりなのだが、素人目にも化けの皮をはがれるようなことをする、比較的最後までこの店に辛抱強く通い続けた、ボタン屋さん、浮世絵画廊のオーナーさん、そしてこのオレの3人組、この店のオヤジのこういうところ、がさつで、粗野で、ガキ大将がそのまま大人になったようなところが妙に好きなのであった。 ある時お客さんは長い時間、オレたち3人だけ、「オヤジこの店は余りにも汚すぎる、随分辛抱して通ってきたが、改装でもしない限りもう来ない」、まず店の中の嫌な匂い、仕事着が汚い、トイレもあまりきれいではない、カウンターの木の隙間からアブラムシが出てくる、布巾が汚い、コップを持つときによく手を洗ってから持つように、グラスが生臭い、料理に工夫が足りない、仕事中に味覚がおかしくなるまで酒を飲むな、お客さんの食べる量とペースに応じて料理を出せ、とにかく3人が思い思いに言いたいことポンポンと、そして最後に口をそろえて、やっぱり改装やでェ~、これが一番手っ取り早い、文句が一通り出尽くす迄、黙って聞いていたオヤジは冷蔵庫からビールを取り出し、栓を少し手荒く抜いて、手酌で3杯ほど一気に飲んでから、「女房と別れることにしたんですわ」、「・・・・・・・・」、「しゃーから慰謝料に子供の養育費、生活費、改装どころではないんですわァー」、「・・・・・・・」、3人とも言葉が出てこない、「もう、2ケ月ほど前に子供を連れて家を出て、お母~はんのところにいるんです」、やっと言葉が出た、「届けにハンをついたんかいな」、「もう届けが出てる筈ですネン」、それから、オヤジは暖簾を下ろし、看板の灯を消して、小一時間かけて一部始終を・・・・・・。■「今日の言葉」■ 「 生涯の高い目標を持つ人ほど 足もとの小さな努力を惜しまない 」
Oct 19, 2004
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ある祇園の小さな割烹屋さん、9月2日(1)、9月16日(2)、9月27日(3)、開店間もない頃に始めて行った時から、気に入って、いろんな人をその店に紹介し、その店もあっという間に大繁盛、そしてその店でよく出会う、様々なお客さん。(と3回でこのあたりまで) カウンターだけの店、満員で11名、だいたい店にいるのが食って、飲んで2時間余り、店に行くのが週に一度か二度、同じようなお客さんが大勢、いつも店のオヤジにぼろくそに怒られているが、これもこの店の名物の一つ、その女将さんが、根っからの客商売上手、店で良く会う知らないお客さん同士の仲を取り持ってくれる、店で何度か顔をあわし、お酒も入っており、お互いに女将さんに改めて紹介されると、ま、まァ、一杯どうぞ、あっという間に打ち解けて、店を出る頃には仇名や愛称で呼び合ったり、店に入った時間が同じだと、出る時間もほぼ同じ、そのままお互いに知っている店に案内しあって、数件ハシゴということも。 こんなことが良くあるので、店で出会う今まで全く付き合いの無かった業種の人たちと知り合いに、中でも祇園の新門前に画廊を構える、浮世絵専門の画廊のオーナー、毎週金曜日になるとどちらかから電話、そして夕方にどこかで、4人(男2人、女2人)で落ち合い、大概どこかの飲み屋さんのオネーさんと一緒、数年間よく飽きもせずに遊んだ、その絡みで他の画廊のオーナーさん、古物商さん、質屋さん、外国人の浮世絵コレクターさん、外国人のバイヤーさん、中堅どころの何人かの画家さん、フトした弾みで鋭い目つきに変わる捜査1課の刑事さん、初めはスキンヘッドでサングラス、怖い職業と勘違いしたいくつかの有名寺院のお坊さん、学校の先生、大手ゼネコン数社の営業さん、某自民党大物代議士の、なぜか地元の京都に張り付いていた政策秘書さん、某釣具メーカーの営業さん、工務店のオヤジさん連中、いろんな業種の零細企業の社長さん連中、そしてこの店の会長こと、銘木商のオヤジさん、ナドナド、そしてこの人たちの奥さんや子供さん、お連れのワケありの女性や飲みやさんのオネーさんやママさんたち、多くの韓国バーのホステスさん達。 得意先との接待の時もあるが、友達同士のとき、それと場所的に便利なので、飲み屋さんのオネーさんと一緒ということが多く、数百人とまでは行かないが、数十人とはここで食事をして、それから同伴出勤、これはオレだけでなく、そこで知り合いになった殆どの人たちがそれに利用していた、そのたびに女将さんが店の外まで出てか、「気ィーつけて、いっといでやすゥ~」。 お客さん同士がこの店を出てから、他所へ飲みにいくのから始まって、メンバーが揃えばゴルフ、当然店のゴルフコンペも、その店で使いいているお酒、東尋坊の直ぐ傍の越前の小さな造り酒屋からの樽買い、毎年2月の中旬に、その年の大吟醸や純米酒を絞り終わって杜氏さんがほっと一息ついた頃合を見計らって、芦原温泉に一泊する酒蔵見学ツアー、店のオヤジとと女将さんを入れて20名弱、兎に角京都駅を雷鳥が発車するや否や飲み始めて、翌日雷鳥が京都駅につくまでの間寝ているとき以外は酒を飲みっぱなしという、すざましいまでの酒飲みツアー、時には早く、中途半端な時間に京都に着いた為に、そこでどこかの店に飛び込んで、数時間、宴会の続き。 こうしてお客さん同士が親しくなり、毎月誰かの誕生日や昇進祝い、時には転勤、店のアルバイトの卒業祝いや送別会、妙にワケありのペアーのように見えていた二人が無事に婚約、その婚約祝い、何かと理由をつけては、その店に集まる、開店当初は店のオヤジの料理の腕でお客さんが集まってきていたが、数年経って来ると、どうも女将さんを中心にしてお客さんが集まってきている様子に変化、ある時誰かが、女将さんはいつもオヤジに怒鳴られているばかり、息抜きにどこへ旅行で行こうかと言い出し、陶器や工芸品や美術品好きの女将さんは、台北の故宮博物館に行きたい、ということで、台湾3泊4日の旅行、初めのうちは30人ぐらいの参加の予定が、仕事の都合その他で1人減り、2人減り、結局は20名弱の参加。 この台湾旅行の後、2人の娘さんのうち、長女が高校の受験、女将さんは、今までどおりに店に出てこなくなってきた、来ない日や、来ても遅い時間、それから暫くすると、宵の口からこの店で、男3人で食事をしていて、この店にしては珍しいことだが、午後の9時になっても、他のお客さんは誰も来ない、余り暇そうなのでオヤジも一緒になって飲み出し、午後の11時過ぎまで店に長居、結局誰も来なかった、店を出て3人とも珍しいこともあるモンや、と口々に。 それから半年後にはもうその夜のように暇な日はさして珍しいことではなくなっていた。■「今日の言葉」■ 「自分を飾るのは無駄である 自分の実力は他人が知っている
Oct 8, 2004
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ある祇園の小さな割烹屋さん、9月2日に第1話、16日に第2話、今日で第3話、この店で会ういろんなお客さん。 この前に書きましたが、はやる店はお客さんがお客さんを呼び、誰かに一度つれて来てもらうと、その店を気に入って直ぐに誰かを連れてきたくなるそんな店、僅かの期間に鼠算式にお客さんが、それも良いお客さんが増えていく、この店が数年後に、バブルがはじけたということもあるが、そのあたりのことは別の機会に書きますが、開店してから半年ほどの間に増えたお客さんが、もう少しスピードは緩やかであるが、次第にお客さんの足が遠のきだす、それも良いお客さんの中のとりわけ良いお客さんから徐々に。 何分、カウンターだけの小さな狭い店、飲みながら、食べながらでどうしても時間が長く、そのために店で出会うお客さん同士が直ぐに仲良くなり、来た時は別々でも、帰る時は同時、そして一緒に別の店に飲みに、それで余計にお客さん同士が親しくなれる、今までは業界の者同士のお付き合いが殆どだったが、この店では今までまったく縁の無かった人たちとお付き合いが出来るようになった。 お寺関係の人、スキンヘッドにサングラス、最初の間この人たちがお寺さんとわかるまでは、余りそばに座るのが嫌で、避けていたが、そうと聞いて一安心、この人たちは何時も次の店に行くのに、そこ店の馴染みのホステスに迎えに来させてからその店に出かける、あいつらは祇園が不案内か、方向音痴の集まりか、なんて陰口。 警察関係、しかも捜査1課の刑事のお客さん、面白いのは2人連れの時、決まったように片方は厳つい如何にもというタイプ、もう片方はどう見ても刑事には見えそうも無い優男、こういったドラマなどでよく見かける正反対のコンビが多く、ある時など一人はよく店で見かけるお客さん、もう一人は、どう観ても幹部クラスの組関係にしかみえない、しかも身につけている金ピカのアクセサリーが物凄い、店の中で2時間ほど結局一度も笑うことの無かったお客さん、後で聞いてみるとこの人も同僚の刑事さん、店にいる時に子供さんから電話、「オトウサンは会社を出て、会社のお友達と食事中、11時頃に家に帰る!」、これにはぷっと吹き出したが、こう言う時にも傍で誰が聞いてるかも分からないので、警察とは絶対に言わないで会社と言うように神経を使っている。 学校関係者のお客さん、とにかく良く食うし、良く酒を飲む、賑やか、うるさい客といった方がいいかもしれない、初めてこの店に連れてこられた、特に若い先生、ここの冷酒、罪作りの酒、飲みやすいから見る見る間に、ボトルのお代わり、後で知らないぞ~、と思っていると、急に静かになったかと思うと、30分ほどの間トイレに篭りっきり、お陰でこちらがトイレに行きたくなると、一番近くの行きつけの飲み屋さんに行って、後で来るからといって、「ママ、トイレかして~」、特に困るのが飲み屋さんのきれいなオネーさんと同伴前の食事の時に出くわすと、普段から飲む時の癖かどうか知らないが、2人の話に割り込むは、オネーさんにお酒を無理強いするは、余りうるさいので途中で席を変わる時も。 画家さん、この職業の人とはこの店で出会わなければ、生涯知り合うことのなかった人たち、良く会ったのが美術大学の頃の同級生で、卒業後、長い間、年に一度グループ展の開催を続けている仲間たち、皆それぞれ中堅どころ、その殆どが親も、その中には祖父も画家さんという人が多く、この世界も世襲制かと思わせる、知り合った頃がバブルの最盛期、この人たちでも描きさえすれば、号がナンボで売れた時代、当然金回りも良く、家は新築、別荘を買ってそれをアトリエ、そして遊び、それぞれ豪快で酒も強く、普段仕事の制作は夜が多く、夜にもめっぽう強く、ある時など、ここで全英オープンのテレビ中継が流れていて、凄いコースやなァ、あんなラフやバンカーに打ち込んだらクラブではどうしようもない、一度あのコースを回ってみたい、などとワイワイ、ガヤガヤ、オレは食事が済んだので、お先にと出て、次の週に店に行くと、店の女将さんは、あの先生方はただいまイギリスでゴルフ中、オレが帰った後、話がますます盛り上がり、イギリスまでゴルフをしに行こうということになったらしい。 画家さんの絡みで画廊さんや画商さん、大手ゼネコンの課長さんとそのお友達、店の会長と呼ばれていて、奥の席が指定席、オレなんか結構お馴染みさんになってからも、その席に座る時には、今日は会長さんは来ない、と聞いてから座る、古木・銘木商屋さんのオヤジ、反対側の隅っこが指定席になっている、この店で漬物をあてに日本酒しか飲まない、痩せギスのなんとも奇妙な面構えの、清水門前の土産物屋さんの雇われ女店長、此処でであってから後に随分と一緒にツルンデ遊ぶことになる、週に5日ぐらい此処できれいなオネーさんと食事している浮世絵専門の画商・画廊のオーナーさん、そして最近では夜のギオンの絶滅品種になりかけている職種はテンでバラバラながら、オレも含めて零細企業の社長さん連中、そしてお客さんのお誘いの時には、必ず約束の時間よりも先にやってきて、お客さんが来るまでは、飲み物や食事には一切手を触れずに律儀にじっと待っている、髪の毛はアップで、いかにも水商売らしく、後ろ襟を大きい目に艶っぽく抜いて、背筋をピンと伸ばして、横顔のりんとした、涼しげな目元の涼しげな、今日はどこの誰との待ち合わせかなァ、少し気なるほどの何処かのママさんかチーママさんかプロフェッショナルのホステスさん。 そして、店のオヤジと女将さんは、相変わらず、始めて来たお客さんは思わず、ドキッとするほどの夫婦喧嘩、「アホー、何してんねん、辛気臭いなァ」、「ガッシャーん!」(器の割れる音)、帰りがけのお客さんが女将さんに、次此処へ行くネン、送ってんかァ、とオヤジにぼろくそに怒鳴られている女将さんを息抜きにほんの少しの間、店から連れ出す、どのお客さんも女将さんの味方。 ■「今日の言葉」■ 「 人と和し明るい心で過ごすこと が健康に恵まれる元である 」
Sep 27, 2004
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(9月2日の続き)ある祇園の小さな割烹屋さん(2) 京料理、京会席、京風料理に馴れた者にとって、新鮮な魚介類をふんだんに、それでいて品の良い清水焼の器(最近で京都の和食の店で、器を清水焼を使っている店が少なくなってきた、ここは正真正銘の清水焼の器、このあたりのセンスの良さは女将さん)に盛り付けた、ここの料理が新鮮で、料理に勢いが感じられた、始めてこの店に来た時、二品ほど小鉢物、そして次にグラスに出汁をいれ、カウンターにある蓋をした鉢からおで玉掬い上げ、グラスに入れると、元気に跳ね回っている白魚の稚魚、チンチンに冷えた出汁と一緒にグイッと一気に飲み干すと、生きた稚魚が跳ねながらノドを通り過ぎて行き、一匹か二匹、胃の入り口辺りでまだ跳ねている、毛蟹を捌きながら、オレタチの飲んだときのリアクションを見ながら、「ノド越しだけは良いでしょう」。 そして次に人一匹ずつの毛蟹、これはここの店の特徴だが、夏場は毛蟹、冬場は松葉蟹、とにかくお客さんにサッと出せる、そして少し食べるのに手間取る蟹を出しておいて、次に刺身を出すまでの繋ぎの料理、そしてここの名物料理といって良い刺身の盛り合わせ、この後、随分と多くの人とここに一緒に来たが、殆どの人がここの刺身の盛り合わせが出てくると、オオウッ、声を上げるほど、オレもこの時そうだった、なんと盛り付けられた刺身が8種類、隅っこの雲丹も入れると9種類、鱧のおとし、ひらめ、皮を湯引きした皮付きの鯛、中トロ、あわび、少し炙った貝柱、アジのたたき、そして四国の高知の出身らしく、のれそれ(太刀魚の稚魚)、少しずつ、二切れずつ程の盛り合わせ、そしてこれは4人で分けてくださいサラダ代わりにと、足摺風のカツオのたたき。 この刺身の盛り合わせの種類の多さと、包丁捌きの速さと勢いのよさに驚いた、こらビールなんか飲んどられんと、冷酒を注文、聞いたことの無い銘柄だが、ワインの瓶に入ったまるで白ワインのような色をした、越前の小さな造り酒屋さんの別注の冷酒、罪作りな冷酒、罪作りというのはまた別の機会に書くことにするが、まあとにもかくにも、軽くて、さっぱりと、料理の邪魔をせず、それでいて酒だけを飲んでもそれなりの酒としての自己主張もあり、ついつい飲みすぎてしまうほど旨い冷酒、特に女性がこの酒の飲み口のよさに飲みすぎて、悪酔いすることが多く、いつからとも無く、誰が言うでもなしに、この冷酒のことを、罪作りな冷酒と。 オレのように普段から余り量の食べないものはもうこれだけで充分、ここからはその日、仕込んだものとの相談ずくで出てくる、焼き物は、まだ京都では珍しかった頃のキンキか若狭グジが定番だが、僅か10席ほどの店にしては仕込みの量と、種類の多さ、それと珍しいものも多く、腹が膨れていても、ついつい今まで食ったことが無いので注文。 時期はバブルということもあって、誰かとこの店に行く、すると必ず1週間から10日後以内に、その人はこの店を気に入って、別の人を連れて行く、初めて行った店が気に入って次に行くのは、店の人が覚えているうちにと思うとどうしても、それぐらいに日にちが限度、オレも始めて行ってから、1週間後に別の人と、それというものは2、3ヶ月の間に毎週、誰か別の人を誘って店に顔を出す、他のお客さんも同じ、あっという間に鼠算式にお客さんが広がっていく、いい店とか、はやる店はこういうもので、一度誰かにつれてきてもらうと、次に誰を連れて来たくなる店、お客さんのこの広がり方というものは物凄い広がり方をするモノで、こうなると、この店で食事しようとなると必ず予約を入れないと、飛び込みで行こうものなら、必ず断られる、「2人やけど、何時やったらいける」、「ゴメン、今日はもう無理です、この後も今日の予約がびっしり!」。 何人分かの1週間ほど先の予約入っていて、前日くらいに予約を入れると、早い時間か、遅い時間しか空いていないということも、店もこうなると仕込みも予定がたって随分と楽になり、少々値段が張っても、お客さん珍しがったり、変わったものも、高価なものを仕込むことが出来るし、それによってますますお客さんも増えていく、次の週の店の予約の空き具合を聞いてから、「来週の水曜日、7時から3人予約」、オレだけではない、ほかのお客さんも同じように、数日か、次の週の予約入れている。 世間はバブルがはじけてもこの店だけは別の様子だった、相変わらずの賑わい、料理も旨いし、酒も美味い、そしてこの店のもうひとつの名物ともいえる、店のオヤジと女将さんの夫婦喧嘩も快調、おそがけにふらりと店を覗いたお客さんに、「すんまヘン、もう今日は生モンが無くなってしまいました。」、「ここんとこ、何回も断わられてるんで、冷蔵庫の残りモンでもエエワ!」、入ってきたお客さんに久しぶりと声をかけて、入れ替わるように店を出て、オウ10時前か今日はゆっくりしたなァ、店を出て暗闇どおりの細い道、帰り道とは逆方向の富永町通り、送りに出てきた女将さんが、「今日は、おおきにー、ほな、気ィーつけて、いっといでやす~」。 ■「今日の言葉」■ 「 子供は何気ない親の姿の中に 人としての生き方を学んでいる 」
Sep 16, 2004
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祇園の石段下から四条通北側を西に、一本北の富永町通に抜ける細い、雨降りなどは傘差してすれ違えないほどの路地が数本、夜遅くには酔っ払いが立ちションベンをしたり、ゲロをはくのに都合のよさそうな道、その何本目かの細い路地、ここらの道は夜に気まぐれで通り抜けたことはあっても行きつけに店というのは一軒も無かった、もう15年ほど前に、気の合ったメンバーでのゴルフの帰り、クラブハウスではほんの一杯だけビールを飲んで、とにかく京都まで帰ってそれからユックリというわけで、その細い路地にあるメンバーの一人の行きつけの割烹屋さんへ、 この割烹屋さんのオヤジ、祇園の新橋の実の兄貴の割烹の店で長年手伝い、所帯を持って子供も出来て、店でも酒が強く、少しやんちゃ坊主のようなところもあり、馴染みのお客さんにも可愛がられ、料理の腕も一人前、頃はバブル期、そこでこの暗闇通に苗字と名前から一時づつとって、それを屋号に店を構えて数ヶ月。 オヤジはこういう店でタマに見かけるタイプで、短気そうで、偏屈なタイプ、女将さんはというと、小柄で和服の似合う、決して美人ではないが、口元がまるで微笑んでいるようにたえず上に向いていて、愛想の良い顔、不思議な魅力、そして話し方は少しトロイほど、おっとりして京言葉、どこか花街の香り、随分と後で分かったことだが彼女は祇園町の芸者さんの子供、だから当然といえば当然のこと。 ここの店を紹介したメンバーの一人は、兄貴の店からのお馴染みさん、そしてそこの店を手伝っていた頃からその女将さんを可愛がっており、この店がオープンしてからは、兄貴の店には行かずに専らこちらの店に、その日も店は普段は5時からだが、無理に早い目の時間に開けさせていた、4時から2時間ほど、カウンターの席が11人分のみの狭い店、オープンして間が無いために、新しく、キレイで、清潔、新鮮な鮮度の良い魚介類が売り物の店にはうってつけ、時間が普段の開店よりも早かったために、オレ達4人のほかにお客さんはなし。 その間にここのオヤジ、手伝っている女将さんに、皿が違う、皿の向きが違う、その器と違う、ビールが空いてるやろ、アサヒと違うサッポロやろー、料理を作るのに少し雑で荒っぽいほど手際がいい、その合間に女将さんに怒鳴る、時には出刃包丁や柳葉包丁が飛びかねないような剣幕で、開店のときの店の権利金、内装費、その他諸々はすべて借金、3年をめどで完済を目指して、その間は休みは大晦日と元旦のみの予定、そんな頑張ってる新しい店の、オヤジと女将さんの夫婦喧嘩、というより一方的に、怒鳴ったり、怒り散らしているオヤジと、それでもお客さんに愛想良く接している女将さん、実はこの10年後にこの夫婦にとんでもない結末が待ち受けているのだが、店をオープンしてからあっという間に常連さんが増えていき、軌道に乗り出し、ここの店の料理のほかに、罪作りなほどに飲みやすい旨い酒と、この店のオヤジと女将さんのこんなやり取りも、店の人気のひとつになっていった。 この時がきっかけで、以来十数年ほどの間、我ながらよくも通ったなと感心するほどこの店に通うことになる、ここの料理のこと、この店に行った連れのこと、店で出会うお客さんのこと、バブルの最盛期からバブルの終焉、そしてバブル後、書きたいことが山ほどある店、それは何回かに亘って後日ということで、毎年3月末にに開店記念週間、お馴染みのお客さんがこの週にはほとんどが顔を出し、お祝いの祝儀袋が店中に所狭しと張り巡らされ、その週の終わりころには、振る舞い酒の空き樽が5つも6つも、それが開店13周年目には、最終日に何とか顔出ししてみたが、初日に割った最初の樽酒がまだ少し残っている有様、その日以来この細い暗闇通を通ることが無くなった。 ■「今日の言葉」■ 「 相手の働きに感謝できると 心は優しく穏やかになれる」
Sep 2, 2004
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(昨日の続き、実はもうこのとき店のママは、このまま日本で彼女を治療せずに、とんでもない方法で、病気の彼女を韓国に送り返す手はずを取っていた。) 彼女と同じマンションの同室で生活している同僚3人に限界、病気の症状が出だしてからもう2週間以上、彼女の殆んど食事をしない、話さない、笑わない、話し掛けても返事をしない、一日中部屋を暗くして、ベッドの脇に蹲って、どこか一点をズット見つめたまま、部屋の電気をつけると暗くしてと怒鳴る、時折タバコに火をつけるが、その時は火のついた先をじっと、特に夜店から帰ったとき真っ暗な部屋の中にいる彼女を見ると、仕事柄お酒を飲んで酔って帰っても酔いが一気に醒めてゾットして気味が悪く、今度はなかなか寝つけない、同じ国のしかも同僚、何とかしたいという気持もあるが、それも現実の気味悪さや怖さで限界、ママの顔を見るたびに何とかしてくれと文句をいったり、泣きながら訴える子も。 ママにしたら、3人が他所の店に移ったり、何かの弾みで、病気の彼女が外出をしたとき、警察官に不審尋問されるのをのを恐れたようである、店の女の子も、ママ自身でさえも、不法滞在、或いは違法なパスポート、この弱みを抱えていることが多く、なるだけ警察にはかかわりたくない。 観光ビザで日本にやって来て滞在期限が済んでも日本に留まる、所謂オーバー・ステイというヤツ、日本語学校などに入学して学生ビザで入国して、就労が禁止されているのに働いたり、偽造パスポートで日本に来ていたり、韓国で結婚していて子供もいるのに、偽造パスポートで日本に独身者として来て(ついでに年も若く誤魔化して)、仲人屋さんの斡旋で、見ず知らずの将来も絶対に会うことの無い相手と、お金を払って偽装結婚(店のママや、チー・ママあたりになると、このケースが多い)、韓国バーが警察の手入れを受けて営業停止させられるのは、従業員のオーバー・ステイと学生ビザでの就労、このケースが殆んど。 ママも店の女の子に文句を言われるし、店のオーナーからも早く何とかと言われるから、エスコート屋さん(病気や怪我をした女の子に付き添って韓国に送り届けるのを仕事にしている)にワタリをつけたらしい、明日の午後6時というのはそのエスコート屋さんとの打ち合わせの時間だった、マンションの部屋に午後6時少し前に行くと、もう既に来ていて彼女の様子を見て、一緒に付き添って韓国に帰るのは無理という話に決着がついた後だった、オレがつくなり、ママが少し言い訳がましく、日本にいるより韓国に帰って治療した方がいいと思って、この人に連れて帰ってもらおうと思ったけど、空港で妙に騒がれたりしたら自分の身が危ないので断られたとのこと。 もう日本で治療するのが無理な状況になってしまっていたので、残された最後の手段、強制送還、発病してからも比較的彼女が信頼していたチー・ママが空港まで一緒に行き、彼女にソウルまでの航空チケットを持たせ、空港の係員に、「あの人の様子が少し変なんですが」と声をかけ、係員が二言、三言、彼女に声をかけ、すぐにもう一人の係員を応援に呼び、彼女の両脇を抱えるようにして、入国管理事務所の方角に。 航空チケットを持っていたためにどうやら、その日の内に韓国に強制送還、その翌日の昼頃に、ソウルから彼女の電話、普段と変わらない明るい口調で、昨日の夜、家に帰ってお母さんの顔を見た途端病気が治った、迷惑をかけてごめんなさい、エエッと思いながらまるで狐につままれたたようで、何日か悪い夢を見続けていたようで、マァ兎に角、無事に着いたのならヨカッタ、「元気になったら、また日本においで」と電話を切って、お世話になった先生の病院に、治療費の支払いと、先ほどの電話の報告、一時的に良くなるという事も考えられるが、向うできちんと治療を受けた方がいいんだけどなァ。 その後どうしているかなァ、とは思いながらこちらから連絡がとれず、1年後くらいに韓国のソウルからの電話、韓国に帰ってから少しの期間入院して、その後通院を続け、許可が出たから、近いうちに日本に行って、オレと精神科の先生にお礼がいいたい、ということで間もなくしてやってきた彼女は、少しふっくらとした感じになっていたが健康そのものの元の彼女。 その後、この10年ほどの間に、何度か会って食事をしたり、お酒を飲んだり、しばらく日本に来れない時は、電話がたまにかかってくる。(会ったり電話の度に、病気の事を聞いてみるが、あの後一度も発病していない、という返事がいつも返ってくるが、本当のところは今も尚その病気と闘い続けているのかどうかは、オレにはわからない、それでもたまにかかってくるソウルからの電話。)
May 13, 2004
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ソウルからたまにかかる電話、その電話の主は、スーツケース一つで日本にやって来て、韓国バーに勤めていた「鄭勲姫(チョン・フニ)」と言う女性、間隔があくときは数ヶ月、かかってきたところで、元気、とお互いに言い合うだけで、殆どその後はしゃべらずにどちらからとなく、では、また、できってしまう、何年か前までは、いつ日本に来るの、2ヶ月ほど先、日にちが決まったら電話くれる、その頃は空けておくから食事でも一緒にしよう、昔勤めていた韓国バーに、観光ビザで京都に2週間ほど、アルバイトで小遣い稼ぎにやってくる、滞在期限の2週間の間に、2日に一度は同伴出勤をする相手をきちんと何人か予約してから日本に来るので、店側としてもそれなりに売り上げに貢献するので、ギャラも弾むらしく、年に数回は日本にやってくる、当然オレもその間に2回ほど。 その彼女と最初に出会ったとき、数回同伴出勤をして、友達以上、恋人未満の、まだ中途半端な関係の頃に、韓国にいたときからの持病、総合失調症、以前精神分裂病と呼んでいた病気が発病、本人はそれの兆しに気付いていたと思われるが、オレにはっまたくの突然、それにこの病気のことがわからず、彼女のあまりにもの変わりように、オレのほうも持病の、自律神経失調の異常発汗、病院に行けばすぐにと思っていたが、本人が病院に行くのを頑として拒否、そこでいつも困りごとばかりを持ち込み、それは無理や、と言いながらも最後にオレの頼みごとを聞いてくれる友達に泣きつき、オレが困り果てているにも拘らず、オレ自身なんとなく行きがかりに近い状態で逃げることが出ずに背負い込んだわけだが、彼女とオレの関係を根掘り葉掘り、電話だから顔は見えなかったが、受話器の向こうでニヤニヤしながら聞いていた事だろう。 そしていつもの調子でそれはワシには無理や無理やといいながら、以前京都の大きな精神病院に勤めていて、最近開業した先生がいるから頼んでみたらといわれ、早速連絡をとって会いに行き、この先生にも先ほど友達に、説明する時と同じで、どうも上手く彼女とオレの関係が説明できない、いや関係と言うより、おれがこのことを背負い込んだ、経緯を先生に理解させることが出来ない、友達もそうだったがこの先生も、体の関係もないのにただ単なる店の客、彼女の客というだけで、必死になっているのが理解出来ないらしく、オレは一生懸命に説明するが、先生のほうはなんとなくニヤニヤしたいのをこらえながら何度も何度も彼女との関係を聞き返す、ただ、助かったことに、この先生も大概変わり者、友達の紹介とはいえ、オレとこうして会っているということは、もうすでに厄介なことを引き受けかけている、同病相哀れむというヤツ、この先生も厄介なことを避けようと思いながらも、いつしか厄介なことを背負い込むタチらしい、「わかった、診察時間も終わっているから診に行こう」、毎日は無理だから一日おきに点滴に行き、症状が出始めたばかりだから、5回ほど点滴をして薬をキチンと飲めば治るだろう。 生来の神経質でありながら楽天的なオレは、ものの10日もすれば彼女はまた元に戻ると信じて、いや信じようとしていた、ところがその時の彼女はもう別人になっているのに気付いていなかった、これはかなり後になってから彼女に聞いたことだが、その時は、彼女はオレに危害を加えられる、もっと病気をひどくさせられる、殺されるかも知れないとさえ思っていたらしく、オレが連れて行った先生さえ信じておらず、薬は飲んだ振りをして、トイレに流してしまっていたらしく、2回目の点滴の時に、もうこれ以上点滴もさせないために、病気が治った振りをして出し抜こうとさえした、4回目の点滴の時には先生も薬をチャンと飲んでいないのに、気付いたらしく、入院さえ出来れば、と少し弱気な言葉、受け入れの病院の手配は出来るのだが、やはりネックになるのは、彼女の入院の同意、これ無しに無理やり入院ということになれば、最早治療の為とはいえ、警察沙汰で、拉致監禁。 兎に角、明後日にもう一回点滴の約束をして、先生は次の往診先へ、先ほどから店のママが携帯電話で、あちこちに電話、殆んど韓国語で話しているから、内容はわからないが、店のオーナーとのやり取りや、他所への電話、声の調子から察すると何となく込み入った話の様子、一通り電話をかけ倒した後、せわしなくタバコを吸い終わったり、先ほどまでの電話の時の険しい表情とは打って変わった、店で見せるようないつもの飛び切りの笑顔で、「お願い、明日の午後6時にこのマンションにもう一度来て下さい」と韓国訛りで甘えるような口調で、「じゃあ、明日また」、チョッとどこかで飲んでから帰ろうというオレの心をまるで見透かしたように、飲みに出るんだったら店にも寄ってね、ママの店には寄る気になれず、「いや、今日は真っ直ぐ帰るわ!」。(明日に続く、実はもうこの時、店のママは、このまま日本で彼女を治療せずに、とんでもない方法で、病気の彼女を韓国に送り返す手はずを取っていた。)
May 12, 2004
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たまにかかるソウルから電話の主、以前韓国から日本に働きに来ていて、そのときに勤めていた韓国バーで、客として知り合い、友達3人と、店の女の子3人で合コン状態で食事をして、それから店へ一緒に同伴出勤、彼女たちの殆どがスーツケースひとつで、日本にやってきて、住むところは店が手配、マンションの一室に2人から4人が同居、東山三条あたりや、東山安井あたりに、フイリッピンや韓国の女性が住んでいるこういった類のマンションが点在、住む所は一応確保できるが、生活用品や、店で着る服などを日本で購入するために、お金がいるが、そんなお金を持たずに日本やってきているために、その当座のお金を店から借金する、これが所謂、「バンス」というヤツである。 店側は何とか、早くこのバンスを回収するために、少しでも金離れのいいお客さんを確保するために、月に4回とか、6回の同伴ノルマが掛けられる、このノルマが達成されないと、給料が引かれたり、ノルマが達成出来たら報奨金が出たりもする、店の女の子にとってはこのノルマ達成に必死、初めて行った店で女の子に名刺でも渡そうものなら、翌日のは必ず昨日のお礼の電話、これはもてた訳でも何でも無く、ただ単に次回の同伴出勤のお誘いなのである。 オレもその口で、まずは合コン、食事している時、たまたま席が隣同士、いや~、意識して隣の席に座ったのかもしれないが、その日のあと2人っきりで、どこかで待ち合わせて食事をして、店の同伴出勤の入店のリミットの時間までに店に行く、日本語もうまく、頭もよく、気立てもよく、何よりも色白で美人、その彼女が2ヶ月ほどしたころに、持病の精神分裂病が再発、そして友人の紹介の、ちょっと変わった精神科の先生、最初の往診でまだ軽い段階の症状とのこと、注射と点滴を1日おきに5回ほど、それから薬を飲めば10日ほどで元通りになるだろう。 この精神分裂病についてまったく知識が無かったので、先生の言うとおり、ものの10日もすれば元通りになるだろうと、タカをくくっていたのだが、彼女がオレに対して物凄く疑い、オレが彼女にもっと病気をひどくしたり、危害を加えたり、殺されるのではないかと猜疑心と警戒心を抱いているのには気づかなかった、最初の往診から1日置いて、二度目の往診、その点滴のとき、自分で勝手に針をぬかない様に、見張っているとき、様子がおかしくなってからはオレの顔をまともに見ることも無く、視線を合わすことも無かったのだが、以来始めて、オレの顔と目を見つめて、「有難う、ごめんね、もう大分良くなった」。 この日は先生は点滴の針を入れてから、点滴の容器を医院まで返却をオレに頼み次の往診先に、そのとき先生がいれば彼女が嘘をついていることに気付いたかもしれないが、オレはそのとき思った以上に薬が良く効いて、快方にに向かっているとてっきり思い込んでいた、同じ部屋の住んでいる同僚もそう思い込んでいた、ところが3回目、4回目、の往診になってもあまり変わらない、先生が薬をきちんと飲んでいるかと聞くと、ハイと頷く、それなら薬を持ってきてごらんといわれると、急に韓国語で怒ったような口ぶりで文句を言っている様子、先生はやっぱりそうか、どうも薬が効いてこないと思ったら、飲まずに捨ててしまっていたんだな。 相部屋の同僚に、君達の力も彼女の病気を治すには必要と話し掛けるが、この4人の中の力関係は、彼女が一番のようで、これはどうも無理な様子、同僚を全く無視のような状態、飲み薬を飲まないで、一日おきの点滴だけでは、殆んど症状は変わらず、むしろ悪くなるかもしれない状況、入院させるのが一番良いのだけれど、彼女の同意が、また親族の同意も得られそうにないので、無理に入院ということも法的な問題が絡んでくるので出来そうにない、ウーン、困ったことに、先生にそういわれるとオレもっと困ったことに、とりあえず明後日また点滴にきますといって先生が帰った後、店のママとチーママと同室の3人、なにやかやと看病の疲れも出てきて、特に同室の3人は、夜になると彼女が奇妙な気持の悪い行動をするらしく、気味が悪く、怖くて、よく眠れず、睡眠不足。 先ほどから何度もママが、携帯電話のやり取り、困り果てて店のオーナーに電話を入れている様子、韓国語で話しているから何のことかわからなかったが、彼女を兎に角、韓国に送り返そうということらしかった、結構長い電話のやり取りの後、明日の午後6時にオレにこのマンションにこれるかどうか確認してから電話を切って、さっきまでの険しい表情と打って変わったような、店と同じ様な営業用の笑顔を浮かべて、少し甘えるように、韓国訛りのある日本語で明日もよろしくお願いします、どういうことなのか深く詮索もせず、考えもせず、言っても駄目なのを承知で、彼女にチャンと薬を飲めよと、声をかけるが、返事をすることなく横を向いたまま、お前のためにやってるんだけど、といいたい言葉を飲み込んで、その日は帰ることに、そして彼女の病気が余り良い方に向かっていないだけに、この数日間の疲れがドット背中に。
Apr 28, 2004
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(昨日の続き)友達の紹介というものの、今さっき出会ったばかりのクリニックの先生、頼みごとが頼みごと、愛人でもない、恋人でもない、知り合ってまだ僅か、しかも韓国から日本に稼ぎに来ている韓国バーの女性、その女性が克って韓国で入院歴のある精神分裂病の持病、それが日本で再発、病院につれていこうにも、頑として病院に行かず、困り果てて、友達に助けを求めると、この先生を紹介、この先生も実に変わった先生、オレのもう一つ分けのわからないような話、オレの話振りが余程、困ったように思ったのか、自律神経失調の異常発汗が同情をひいたのか、二つ返事で往診に、彼女のマンションに向かう途中、何を話していいのやら、クリニックの中ではタバコを吸っていなかったので、パーラメントを立て続けに、2本、ただお医者さんの人柄か、余り気まずい沈黙ではなかった。 やがて先生の方から、変な薬をやっていないのなら、話からいくと多分、分裂病、1日おきに3時に病院に迎えに来てくれれば点滴にいく、5回ぐらいでよくなると思う、それと今日往診が終わってから、くすりを取りに病院に戻って欲しい、この薬もキッチリと朝・昼・晩と飲ませれば何とか、ただこれで治らなければ少し困ったことに、入院の手配は、以前に勤めていた病院に頼めるが、恐らく本人は入院に同意しないだろうし、日本に親族もいないだろうし、あんたが身元引受人になるとしても時間がかかる、だから入院は無理、だから点滴と薬で治さないと。 マンションに着いてすぐに先生が問診、何を聴かれても返事をしない、周りにいる店のママ、チー・ママ、相部屋の同僚3人、それとオレ、チョッと全員席をはずすように、隣の部屋に移ると、すぐに先生の質問に返事をしている様子、30分ほどしてから先生が隣の部屋に、ママとチー・ママに点滴の針を自分で抜かないように、見張りを頼んで、それから、彼女は精神分裂病の再発、再発したばかりなので、車の中で話したとおり、10日ほどで何とか、相部屋の同僚3人には、薬をチャンと飲ませるように、彼女を良くするのは君達次第と諭すように頼んで、後で薬を取りに来るようにと、先生はマンションを後に。 何となく後10日と思うとやれやれと、ホッとした感じ、しかし彼女にとっては、もうオレは一番嫌な、胡散臭い、悪いヤツ、心の中で薬を飲むともっと病気が悪くなり、殺される、何とか点滴もされず、薬を飲まない方法はと考えているのに、全く気付いていなかった、また詳しいことは後日に書くことにするが、2日後には、演技で治ったフリまで。
Apr 17, 2004
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(一昨日の続き)友達が紹介した精神科のお医者さん、チョッと変わってるでと、前置きしたとおり、顔つきといい、服装といい、ものの言い方といい、およそお医者さんらしからぬ印象、ただ今回の場合は、オレの乏しい想像力のイメージどおりの精神科のお医者さんでなくて、正直なところむしろホッとした。 ところで君が?、イヤ私ではないです、じゃあァ、知り合いの女性です、奥さん?、イヤ、彼女?、デモ無いです、知り合いです、どうして?、・・・・、先生は彼女とオレの関係を知りたいらしい、どうもオレの答えようが悪いみたいだ、話がまるでかみ合わない、精神病のような病気が再発した友人の女性のことで来ましたと答えると、やがてカルテらしきものを取り出して、名前は?、よかったこれで話がまえに進みそうだ、「チョンフニ」、うん?、イケネー、また話がつかえてしまった、韓国の女性です、どんな字?、書きましょうか?、それでメモ紙に、「鄭勲姫」。 年齢は?、何度か聞いたことはあるが、日本は満で数えるが、韓国数え年とか何とか言って、ハッキリとした年は知らない、オレにとっては30代後半の人でも、一括りにして若い女性、なら、30歳くらい?、ちよぃ下かナー、彼女の病歴は?、入院していた時期は?、・・・・・、そうか~、知らん人と同じやなァ。 どんな状態?、そこで普段の状態から僅か1週間ほどでの変化を説明すると、そううつ病でなくて、分裂病やなァ、この病気の事を知ってる?、いえ全然、昔と違って入院させなくても、キチンと薬さえ飲めば10日ほどでよくなる、数日間食事をせず、寝ていないようだから、栄養剤と、少し眠くなるような薬と、病気の薬を入れた点滴を持っていくから。 看護婦さんに往診に持っていく点滴を用意させている間、なんで?、ン、イヤどういう関係、彼女とは、どうも先ほどこの先生を紹介してくれた友人と同じ事を聞かれているようだ、中途半端に説明すると、また、やったかと聞かれそうなので、まだやっていないけど、普通のお客さんより親密、そんなところです、それぐらいの知り合いやのにまたどうして?、先ほどから話は思いっきりかみ合っていないのだが、別段この先生とは気があわないのでなく、先ほどからのやり取りでむしろ逆のような印象、そこでツイツイ本音で、一度でもやった相手なら妙に引くところやテレもあるが、そうでないだけに、かえって引くに引けず、かえって一生懸命に何とかしてやろうという気になれるんですわ。 俺を紹介したあの人も変わってるけど、あんたも結構、セやけどあいつもチョッと変わった先生やけど、と言ってましたよ、するとお医者さんらしくない表情でニヤリ、そのらしくない笑いが妙に頼もしく、ア、アー、よかったこの先生なら何とかしてくれそう、点滴の用意が出来た、さあ、いこか、駐車場のポンコツの赤いミニ・クーパー、乗り込んでみると見た目の割りに座席がゆったり、そして彼女のマンションへ。(明日に続く)
Apr 16, 2004
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たまにかかるソウルからの電話の主、日本の韓国バーで働いている時に知り合い、知り合ってから僅かしか経たない内に、持病の総合失調症(精神分裂病)が再発、店のママから、様子を見来てほしいと頼まれて、この時、何かの理由で、忙しいから行けないとか、断っていても誰からも文句のいわれることもないような彼女とのお付き合い、どちらかといえば、あまり厄介なことはなるべく避けて通りたい、そのように思っているタチながら、ついその場の成り行きで、このときも全くそのとおりで、あちこちの飲み屋さんで行く店行く店で、それぞれの店に親しい女の子がいて、そのうちの一人に過ぎなかっただけだが、様子が変と言われたが、どのように変なのか聞かずに、気安く、「アア、いいよー」、と返事したばかりに。 その様子が変というのは、持病の精神分裂病が再発して数日経っていて、食事をとらず、夜も殆んど寝ていない状態、もうすっかり彼女は別人のように、イヤ既に別人になっていたという方が正しいのかもしれないという状態、病気が完治して1年後くらいに再会したときに、彼女から聞いたことだが、病気が再発している彼女にとって、オレは1番嫌いな、危険な、警戒を要する人物、病気が再発したのもオレのせい、オレがのこのこやって来たのも、もっと病気悪くしようと企んでいる、そのように思っていたらしい、それを知らずに、オレが行けば何とかなる、オレには何とかできると思っていたのである。 店のチーママと2人で、まず病院に連れて行こうとしてみたが、彼女のマンションの近くの病院、その前まで行くと、最初のうちはのらりくらりとはぐらかされ、中に入らせようと、なだめたりすかしたりすること小1時間、昼間だから通る人には何事かとジロジロ見られ、時折語気を強めて病院の中に入らせようとするが、怒ったような顔つきで、韓国語の全くわからないオレに、韓国語でその憎しみがこもったような表情からすると、ののしっているか、怒っているようようである、埒があかず、さてこれからどうするのかわからないながら、一旦彼女のマンションに引き上げることに。 部屋に戻って缶コーヒーを飲みながらパーラメントに火をつけて、昨夜、すっかり変わってしまった彼女を見た途端に始まってしまったオレの自律神経失調の異常発汗、今日も結構汗をかいていて、洗面所で顔を洗ってからもう1本パーラメントに火をつけて、そうかこういう困った時はあいつか、高校時代からの付き合いで、困った時に電話すると、いつも大概、そら~、俺には出来んわー、無理やワ~、まずオレの頼みごとに口癖ののように、最初に断りの返事、しかし最後には話を聞くだけ聞いてから、いつものことだが、ヨッシャー、わかった!。 このときもいつもと全く同じだった、病気のことはすぐにわかったらしいが、ただ彼女とオレの関係を説明するのに、オレの気持も考えずに、何回やったのかなんて、合いの手が入ったり、やってないよと返事すると、では何でそんな厄介なことを背負い込んでるんだ、あせっているオレのことを無視、呑気そうな事を根掘り葉掘り、少々イライラし出してきて、オイ、何とかできるのかと聞くと、わかった、わかった、いかにもおまえらしい話しやなァ、此処のクリニック、少し変わった先生やけど、俺の紹介と言うて行って、先に電話を入れておくから相談に乗ってもらえ。 そのクリニックに電話をかけると、先に連絡が入いっていたから、診察時間が、後30分で終わるから、その後ならいいよという返事。(明日に続く)
Apr 14, 2004
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たまにかかってくるソウルからの電話、その相手は韓国から日本にお金を稼ぎにやってきた韓国バーの女性、綺麗で、そういう店には珍しく知的にさえ思える女性、店に行くとその女性が必ず隣に座り、週に一度は、適当な店、殆んどが今はアパ祇園ホテルに変わっているが、祇園石段下の少し西の祇園ホテル、この1階の同伴出勤の待ち合わせのメッカのような喫茶室、此処で落ち合ってどこかで食事をして、出勤時間に間に合うように、一緒に彼女の店に、いわゆる同伴出勤。 彼女と知り合ってから2ヶ月ほど、経った時、後でわかったことだが、過去に韓国で精神分裂病(当時はまだこの病気を総合失調症とは呼んでいなかった)で入院の経験が、その病気が再発、僅か4、5日の間に、別人のような変わりよう、店の寮代わりのマンションの1室に、4人住んでいるが、部屋で暗い表情で、ものも言わず、ジッとあらぬ方角を睨みつけているばかり、食事もとらず、夜も寝ない、夜中に目をあくと、同じ姿勢で動こうともしない、遂に他の3人は気持悪がって、近くのオールナイトのサウナで夜を過ごす。 困り果てた店の若いママがオレに電話、心配になったオレ店に覗きに行く、そのあたりのことは、数日前の日記に書いているが、この病気の人とこんなに身近に接するの初めて経験、強烈に厄介なこと、怖いこと、驚くようなこと、緊張すること、大きなショック、そういことに遭遇すると、滅多矢鱈と汗が出てくる、異常発汗、すっかり変わり果てた、まるで別人のような彼女を見た途端、その症状が。 兎に角、その店で彼女が店のママより信頼を寄せている、ちいママと昼間、病院に連れて行く約束、以前精神科のお医者さんに、そううつ病も精神分裂病も、そのメカニズムが解明され、いい薬が出来、この病気ももう特殊な病気ではなく、高血圧症の人が降圧剤を飲むのと同じ様に、兆候が現れたときに薬を飲めばよい、慢性病みたいなもんだということを聞いたことがあって、余りにも別人のように変わってしまった彼女を見たとき、驚き大きなショックがあったが、翌日には病院に行きさえすればすぐによくなる、結構楽観的というか、オレの生来の性格というか、そんな風に、病院に行きさえすれば、大丈夫、そう考えていたフシがあった。 これはこの病気のことを余りにも知ら無さすぎた所為であった、昨夜は外見の変化に驚いたが、心の中がより大きく変化しているのに気付かなかったのである、まだこの時までオレが言えば、病院にも行くだろうし、薬も飲むだろう、なんてタカをくくっていたところもあった、ところが彼女の心の中は、まるっきり正反対で、彼女にとってオレは一番嫌な人物、危険な人物、邪悪な人物、危害を加える人物になってしまっていたのである、クリニックの前までは行くが、中には頑として、入ろうとしない、小一時間、脅したり、なだめたり、色々と説得していたが、どうにもならずに、結局諦めて、ちいママと彼女とオレは、彼女のマンションの戻ることに、こういうときいつでも電話して頼みごとをするヤツがいる、そいつに電話をかけることにしよう、ただこの事の経緯をどのように説明しようか、なんて考えながら歩いている途中、勿論オレは拭っても拭っても汗が。
Apr 4, 2004
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昨日の続きで、時たま韓国のソウルからかかってくる電話の主、韓国バーの女性の持病とは、精神分裂病、今はこうは呼ばないらしく、総合失調症、食事の後薬を飲みそこなった日までの、店の中と外で数回あった時、オレの席では全て日本語で会話、美人とかスタイルがいいとか、それ以上に魅力的だったのは、お酒の席での会話の中とはいえ、わからない日本語が出て来ると、それはどういうことだとか、どういう意味だとか、日本語を覚えようと一生懸命、それだけに覚えるのも早く、日本語の発音も韓国の女性の独特の訛りもほとんどなく、賢く、店の同僚の信頼も厚く、日本に来て日も浅いにもかかわらず、相談相手にもなる、オネーさん的な存在であった。 祇園に飲みに出て、その日は男同士で食事に行き、よその店で飲んでいると携帯に店のママから電話、「フニの様子が2、3日前から様子がおかしい、時間あれば覗きに来て欲しい」、そういわれてその時に初めて過去に病気で韓国で精神病院に入院の経験があるということを、初めて聞かされた。 一緒に飲みに出た友達、「チョッと、野暮用、悪ど・・・・」、と別れてその店に直行、店に入ると彼女はお客さんのいない店の一番奥の席に一人ポツンと、オレの顔を見ても知らん顔、座って、「どうしたん?」、と声をかけても知らん顔、何となく心配になって何度聞いても返事をしない、腕をつかんでこちらを向かせようとしても、腕を振り払うしぐさ、そしてきつくオレの腕を振り払うと、怒ったような表情で、文句でもいっているように、韓国語でブツブツ、少し大きな声でなにやら、オレは韓国語はマルッきし、わからないからマネージャーに通訳、どうやらお前は誰、帰れといっているらしい。 彼女のマンションは店から近く、ホンの目と鼻の先、「ママ、もう、仕事にならんやろうから、送ってから帰るは」、ゆっくりと10分ほど歩いてマンションの前、その間、彼女の病気のことは全くわからないし、どうすればいいのかも、オレはどうすれば、なんてそんことばかりが頭の中をグルグル回るだけ、そして今日、はじめてオレの顔を覗き込むようにして口を利いた、「ごめんね」、と一言だけ、しかしその時の彼女の目はもう正常ではなく、黒目の奥に青白い炎を見たような気がした、その瞬間今度はオレの持病、自律神経失調の異常発汗、体中から水分がなくなってしまうかと思われるほどの汗が次から次へ、一応送って行ったこと告げに店に引き返し、そこでも汗が止まらない。 先ほどの異様な目が気になって、長く飲んでいる気にならず、ママと少し話をしてから店を後に、帰り際、ママが「何かあったら電話するから、フニをたのみます」、この一言で逃げられなくなってしまった。
Mar 26, 2004
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時たま携帯に非通知の電話、特に最近はこれは余りロクな電話でないことが多い、冗談ですが怖い借金の取り立てとか、それでも数ヶ月に一度、韓国のソウルからの電話がある、こちらからかけようとするとかからないが、韓国の携帯からは特別の契約しなくてもかけられるらしい、「もしもし、フニです、元気?」、「アア、元気!」、「そちらは?」、「元気!」、最近はこの後、話が続かない、以前なら電話がかかると、必ず近く日本に来る時であった。 以前ある時期、飲みに出ると必ず韓国バーに立ち寄っていた時期があった、店の女の子は、日本に小さいスーツケース1個でやってくるから、店に勤めると生活用具や、出勤のときの服がいるので、まず店のオーナーやママからまとまったお金をバンス(前借り)、店もこのバンスを出来るだけ早く取り戻そうと、同伴出勤のノルマが、普通の飲み屋さんに比べてキツイ、だから店の女の子は初めてのお客さんでも、同伴の声をかけると、喜んでO・Kの返事、店で約束しなくても、数日後に同伴のお誘いの電話。 自然と行く店行く店で、いつも同伴する女の子が出来てしまう、ただあまり稼ぎのよくない女の子はすぐにクビになったり、オレよりもっと金回りのいい、同伴相手が見付かるとそちらに乗り換えられたり、その同伴相手が怖いお兄さんだったりすると、こちらの方からそれとなく敬遠したり、10年ほどの間に馴染みのの韓国バーも随分出来、同伴出勤を何度かして、お友達になった女の子も数え切れないほど。 たまに韓国のソウルからの電話の相手は、そんな中の女の子のうちの一人、僅か2ヶ月程の付き合いだったが、顔は韓国人に見えず、日本人顔、日本に来てから期間が短いにもかかわらず日本語がうまく、変なアクセントもほとんどなく、店に行く前に食事をしていても、店の人には日本人と思われることも多く、また服装も店に出勤用の服装でなく、私服を着ていて、食事が終わって、その店を出る前に、トイレで、店用の服装に着替える、当時のオレはいかにも水商売と見える服装の相手と食事に行くのは苦手だった。 鄭勲姫(チョンフニ)、年齢はわからない、今では恐らく30代の後半、知り合ってから、何度目かの食事の後、薬を何錠か飲もうとしたとき、咳き込んだ弾みに、薬を落としてしまい、しばらく下を探してみたが見付からず、薬は飲めず、後になってから、わかったことだが、この数日前から自分では持病の再発の兆しがあって、再発予防のために薬を飲んでいようだった、このときに薬を飲めなかったから持病が再発したわけではないと思うが、この数日後に彼女の持病が再発、オレもこの病気の人は初めての経験、2週間ほどの間、この彼女の病気を何とか治そうと、また、事情を話すと力になってくれた、この分野の病気の、少し風変わりな専門医と、とんでもない経験をさせられた、その病気も数年で完治したらしく、気が向くと、たまに電話してきて、余り弾まない会話ながら、電話を切るときには必ず、「もう病気は治ったみたいだよ、安心して」。 「京都御苑・紅梅」
Mar 25, 2004
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