Shinanonokuniのブログ

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◎臺灣旅行記 (2007/08)



☆プロローグ
今年のお盆休みは臺灣へ行くことにして、累積した哩を利用しての特典航空券で出掛ける事にした。でないとお盆や5月大型連休などとても貧乏サラリーマンには手が出せない。
臺灣は三回目で過去臺北市、基隆市、淡水、九分など巡ったことがあった。今回の主たる目的は臺北は無視して他の都市特に花蓮市及び高雄市の観光を主眼に置き、加えて臺灣鐵路管理局線(臺鐵)に乗ることも併せて目論んだ次第である。

☆第一日目(8/11)
今日の飛行機は夕方の便で成田発臺北に向かう。自宅で昼食を摂ってから、
高速バスで新宿を目指す。お盆休み初日とあって高速道路はそこそこの混雑
バスも15分ほど遅れて新宿に到着。新宿で山手線に乗り換えて日暮里へ。京成のスカイライナーで成田へ行く。スカイライナーは相変わらずの閑散振りである。お盆連休初日にも拘わらずガラ空きの車輛で成田に向かう。
成田も朝の混雑は解消されたようで落ち着いた雰囲気。それでもYカウンターはそこそこの列。チェックイン。セキュリティーチェックも閑散としていて難無く通過。改装成ったサクララウンジで一献の後搭乗。
飛行機は日本アジア航空(EG209便)。長年使ってきたジャンボ機が経年退役となったのでハワイ便などに長く使われたB747-400型の比較的初期に導入された機材(座席仕様K13)が主に充当されている。 今日は運の良いことにC席Y解放。Aコンの元F席(12席)のみC席販売を行い、BコンとCコンのC席はY席扱いである。 僕はCコン最後列31Gをおさえてある。C席で最も後ろの列なので、インボラアップグレードなどで運良く座る人はこの辺りにアサインされた経験があると思う。後ろに人が居ないのでリクライニングが遠慮せずに出来るところが良い。席はJALのホームページにに大きく広告が載っているシェルフラットでなくてスカイラックスである。人によっては"不快ラックス"と揶揄する向きもあるらしい。椅子がCでも食事はYなのでサクッと済ませる。
揺れもなく順調に飛行を続け臺北中正國際機場へ着陸。ところが中正國際場はいつの間にか名前を桃園國際機場へ変更していた。もともと桃園にあるので桃園機場でも良いのだが、公式には"中正國際機場"と言っていた。が桃園が正式呼称になったらしい。そう言えば成田も元々は"新東京國際空港"であったが現在は"成田國際空港"が正式名称である。
荷物をピックアップして両替を済ませて外へ。タクシー運転手を無視してバスの乗り場へ向かう。
JAL(EG)は桃園國際機場の第二ターミナルへの発着。税関を通過して右へ進み、突き当たりを更に右に進むとリムジンバスの乗り場である。今日のバスは國光客運の國光號である。ちなみにバスは"巴士"と表記する。切符売場で125臺灣ドルを払って臺北火車站(鐵道駅)までの切符を購入する。当方の怪しい俄中国語で"タイペイチョーチャン"と言ったら「臺北駅ね!」と日本語で言われてちょっとがっかりする。
程なく巴士が到着して客を乗せて高速道路を快走して45分程で臺北火車站へ辿り着いた。飛行機には日本人だらけであったが、リムジンバスにはどうやら居ないようである。皆ツアーの客なのか、迎えの送迎車でホテルに向かったのであろう。
駅で明日朝の行動する場所を確認後、徒歩でホテルへ。今日の宿は「華華大飯店」である。
臺北駅から徒歩圏内で翌日の朝が早い人には便利な場所である。コンビニで寝酒と水を仕入れてからチェックインする。臺灣のコンビニは何故かセブンイレブンとファミリーマートが圧倒的大多数である。ちなみにファミリーマートは"百家便利店"と表記してある。
旅装を解き、寝酒を飲み、明日の日程を再確認後、移動の疲れも有ってか忽ち眠りに落ちる。

☆第二日目(8/12)
ぐっすりと眠って眼を覚まし、モーニングシャワーを浴びて覚醒する。支度をしてそそくさとホテルを出る。駅へ行って切符を買う。今日の目的地は花蓮市だ。臺灣鐵路管理局の列車は優等列車が自強號という特急、呂光號という急行になっている。(呂光號の呂という字は正しくは草冠が付く)今日は自強號で花蓮へ向かう。
予め紙に「自強1000號・成人票×1・単程・臺北→花蓮」と書いて用意してある物を窓口へ出して難なく切符を入手出来た。安心して朝食を購入する。鐵路局公認?の駅弁である。
日本風に言えば「鶏の照り焼き弁当」であった。駅のベンチで早速食する。そう不味くはない。値段も60臺灣ドルと日本人からみれば安価であった。
駅弁(台北駅)
改札を通ってホームへ。プラットホームは"月臺"と呼ぶ。なかなか風雅な呼称である。臺北の駅はかなり前に完全地下化が終了して簡素かつ合理的な造りで地下鐵の駅や名鉄名古屋駅のような趣である。指定された第二月臺へ。電気機関車牽引の特急列車が程なく入線。往年の日本の在来線電車特急列車を思わせる堂々の十四両編成で貫禄充分。しかも乗車率も極めて良好である。緩衝器がついているのか日本のブルトレのような不快な衝撃もなく発車。車内は狭軌の車輛と言うこともあって日本の14系客車などとそんなに変わらないと思われる。臺北-花蓮間は電化されているので電車も大丈夫であるが、臺湾の主役は未だに客車のようだ。
本当は有名な特急「太魯閣號」に乗りたかったが満席で断念。これは日本製の振子式特急電車でJR九州の車輛をベースに作られたとの事である。沿線の風景は類似した山国島国である日本とさして変わらないように思えた。駅はどの駅も堂々として構内も広く、貨物列車や荷物車も健在である。日本でいえば20~30年くらい前の国鐵時代のような雰囲気であって、なんとなくノスタルジックな気分に陥る。日本と比べてまだまだ鐵道の地位が高いと思われる。
途中駅で地元の子連れの夫婦が乗ってくる。可哀想に空席が無かったのか四両も離れた車輛にバラバラに指定券を持っていた。行き先も同じ花蓮であったし、気の毒なので乗車券を交換して車輛を移動する。「ありがとう」と日本語で礼をいただく。こちらは一人なので身軽である。ありがとうはこのあとも何度か耳にした。臺湾での浸透度はかなり高いと見えた。それにしても乗車率は高く満席である。14輛からの列車がこうも簡単に満席になるのでは臺湾の鐵道の未来も明るいのかと感じた。
全席指定の列車なので立っている客は無座票(立席特急券)の客である。高名な鐵道紀行作家の宮脇俊三氏も過去に指摘していたが、立席と言う席は不適当な日本語であると思う。「無座の切符」とは極めて適当な表現であると感じた。3時間にわたって走り続けた自強號は花蓮駅に無事到着。天気はあいにく雨天であった。
観光案内所で地図など貰い、自動存物箱(コインロッカー)へ荷物を入れて、タクシーを拾う。と言うか客引きも煩く群がってくるので容易に拾える。「天祥」と書いた紙を出して値段を聞く。太魯閣観光は料金が決まっているみたいで2000臺灣ドルとのこと。事前にインターネットなどで調べた金額と大差ないのでそれを呑むことにした。決して安くはない。日本円にして約7千円強。しかし、数十粁を往復して数時間自分のためだけに車と運転手を拘束する事を考えれば安いのかもしれない。
ちなみに臺湾人の観光客たちは雨にも拘わらずレンタルバイクを借りて順次出発していた。往復100粁近い距離を雨天時にレンタルバイクそれもタンデム走行とはかなりの根性であり感心する。もっとも向こうの人たちはバイクが日常の足であり、合羽を着て雨天時に走ることをちっとも苦としていないと思われる。このあと豪雨のなかを平然と走ってる光景を目にしてその思いを強くした。向こうは日本と違って小型二輪車(125cc級)が主力である。日本では小型二輪は中途半端と言う理由でいたって不人気であるが臺湾ではもっともポピュラーである。二人乗り可能でスクーター型がほとんど。ロードスポーツ型やオフロード型など遊興性を重視した車輛は少ない。
花蓮駅を出て幹線道路を北上する。途中空港の脇を通る。タイミング良く着陸寸前の飛行機が轟音と共に頭上をかすめる。明日はここから高雄へ飛ぶ予定だ。本当は花蓮から臺東を経て南廻り線で高雄へ陸路行くつもりであったが、先ほど花蓮駅の切符売り場で無座票しかありませんと言われ、根性無しの当方は呆気なく諦めて空路を選んでしまった。結果論から言えば、陸路も空路もどちらを選んでも失敗であった。このあたりは後述する。
四車線の幹線道路を爆走すること数十分、ガイドなどで何度も写真を見た太魯閣峡入り口の門に着いた。正確に言うと東西縦貫公路入口の門である。が、太魯閣峡谷のゲートウェイと言っても良い。観光客もみな記念撮影をしている。当方も赤い門を撮影した。既に道路の横を流れる川は峡谷の様相を呈している。これからもっと険しい地形になるのだろう。楽しみだ。
太魯閣峡入口
小雨は相変わらず降り続いている。バイクの観光客たちはそれにもめげずに精力的に観光している。タクシーが次の目的地へ止まった。長春洞というところで、東西縦貫公路の開削にあたって殉職した工事関係者が祀られている。大変な難路であったので多数の犠牲者を出して開通したらしい。素堀のトンネルと観音像(観音堂)がありお参りをする。谷はさらに深く刻まれ、雨天の為に下の川は濁流が勢いよく流れている。全て大理石の岩だということなので、贅沢なものだ。ちなみに花蓮は駅から空港、公園に至るまで大理石が多く敷き詰められていてリッチな気分になれる。
太魯閣峡谷
タクシーは深い谷と素堀のトンネルが続く場所で停まった。トンネルの所々に横穴があって谷を眺められる。深い峡谷ではあるが対岸まで至近距離だ。宮崎の高千穂峡を思い出した。もっとも高千穂は神々降臨の地であり何となく「静」であり神聖な気分がした。こちらはそれに引き替え「動」であり、実にダイナミック、大自然の営みを感じさせる谷であった。当方は高所恐怖症なので、手摺りから少し距離を置いて下を恐る恐る眺めてその景観に満足した。そう言った展望名所を数カ所巡る。
太魯閣峡谷
そして奥まったところが天祥である。ここはリゾートホテルが一軒、土産物屋と食堂街、五重の塔を持つ寺院が一軒。

天祥
どん詰まりの地である。赤い五重の塔から峡谷を見下ろす。かなりの高さである。14時を廻っていたが遅めの昼食も摂る。牛肉麺と臺湾ビールを注文し一息つく。牛肉麺は柔らかく煮た大きな牛肉の塊が入っていて美味しかった。あとは来た道を引き替えすだけである。
天祥
車中でまどろみながら花蓮の駅へ戻る。駅前には十数年前まで現役で使用されていたナローゲージの鐵道車輛がミニ博物館よろしく展示されている。軌間がたったの762ミリという軽便鐵道であり、日本の植民地時代に敷設されたものが改良を重ねられて1980年代まで使用されていた。急行から寝臺列車まで走る本格的なナローゲージの鐵道であった。しかし、輸送力の限界もあり、臺湾の急速な近代化推進のために狭軌(1067ミリ)に改軌されたうえ、接続路線である北廻り線と南廻り線が開通して臺湾一周鐵道が完成したのであった。臺東市周辺などはとくに険しい地形なので改軌工事もかなりの手間と費用がかかったかと思われる。その余韻を残す軽便鐵道客車と蒸気機関車が置かれていた。車内を覗いてみると確かに狭い。マイクロバスが無理に4列シートにしたような狭い車内である。
花蓮駅
駅前観光を終え、雨も降っているのでこれ以上の観光は断念。タクシーでホテルへ向かう。今日の泊まりは統帥大飯店というホテルで繁華街も近いらしい。チェックインして一休み後に市内へ繰り出す。雨もちょうどあがって、近くにはアジアらしい屋臺街があって活気にあふれている。それにしても果物が豊富である。マンゴ、パパイア、ドラゴンフルーツから始まってバナナ、パイナップルまで何でもある。フルーツはアジアというが本当に実感出来る。途中に飲茶の店があって長蛇の列である。人いきれと蒸籠蒸しの熱気で汗がしたたり落ちる。並ぶのをあっさり断念して冷気解放(冷房中)の店へ入る。小龍包と花蓮名物雲呑を頼み、臺湾ビールで祝杯を挙げる。今日も一日慌ただしかったが待望の太魯閣峡観光も出来てよかった。夕食も美味しく平らげた。部屋に戻って寝酒をいただき、忽ちのうちに就寝。

☆第三日目(8/13)
雨の音で目が覚める。良い降りだ。飛行機は欠航しないかちょっと心配になる。朝食を摂ってからチェックアウトしてタクシーで空港へ向かう。予め紙に「花蓮航空站」と書いておいたので、あっさり空港へ着く。とても綺麗な空港で床は勿論大理石であった。
大型電光掲示板を見ると一応「準點」との表示。英語で言えばON TIME、日本語で言えば定時運行とのことである。安心して遠東航空のカウンターで高雄行きの切符を購入する。X線検査を経て飛行機へ乗り込む。機種はダグラスのMD83である。搭乗率は3~4割程度。日本人もどこから現れたのか意外に多い。雨の中花蓮空港を10分遅れて離陸、高雄へ50分ほどの空の旅である。鐵道(南廻り)ならば五時間を要するところが1時間でたどり着ける。駆け足のツアーにはもってこいの路線である。
悪天候のため花蓮を離陸してからずーっと雲中飛行。時折若干揺れる。皆押し黙っておとなしく載っている。程なく高雄空港へ向けて降下を開始、揺れながらも順調に高度を下げて最終進入のグライドパスに乗った。ギアダウン、雲が切れて高雄郊外の田園地帯を見下ろす。あと2~3分で接地着陸だろう。ホッと気が緩む。その瞬間、大きく揺れて視界がゼロになり窓を雨粒が覆う。エンジンが咆吼し、ランディングギアの上がる音がする。着陸復航だ。あ~あ、この天候で無事着陸出来るのだろうか。上昇して高雄上空をホールド(旋回飛行)を続ける。機長より天候の回復を待ってますとのアナウンスが入る。時折揺れながら飛行を続ける。相変わらずの雲中飛行だ。しばらくして機長から再びアナウンス。嫌な予感がしていたが中国語なので何を言っているのか判らない。が、"花蓮"と中国語で言っているのが判ったので引き返しかなあ?と半ば観念する。続いて英語でアナウンス。悪天候のため着陸を断念して花蓮へ引き返すとの由。
服務小姐(スチュワーデス)がお茶を持ってくる。一息入れてこれからどうするか考える。我々が乗っているのが遠東航空の花蓮発高雄行きである。そう言えば次の高雄行きの便は華信航空のがあるはずだ。エンドースを頼んでみよう。約2時間の無駄な飛行を終えて、MD83型機は花蓮空港へ着陸した。雨は小雨で臺東から花蓮方面がよく見えた。早速遠東航空のカウンターで交渉。空港は英語が通じるのでエンドース(他社振り替え)を要請、難なくOKをもらって再び機上の客となる。
華信航空は英名をマンダリン航空と言い中華航空の子会社である。JALに対するJEXみたいなものである。今まで乗っていた遠東航空は英名はそのままFar Eastである。もうだいぶ昔になるが作家の向田邦子さんが遭難したことは何故か良く覚えている。別に私が向田ファンというわけでもないのだが。
華信航空の飛行機は蘭國製のFokker100型機である。これは日本国内では乗れない機種なので貴重な搭乗体験である。弟分のあたるFOKKER50型機は名古屋拠点でNV(NAL)が運行しているので3回ほど搭乗した経験はある。F100型機は2+3のシートとリアエンジン2発、T字型垂直尾翼と言う構成でボンバルディアやブラジル製のリージョナル機とほぼ同じ格好である。遠目には識別出来ないだろう。それにフォッカー社は倒産してしまったのでもう新規の機体は作られていない。
天候が回復しつつある花蓮空港を軽々と離陸したフォッカー機は再び雲中飛行を続けて高雄上空へ。乗客は僕の他にもエンドース組が意外に多い。日本人もツアーの団体客がそっくり乗り込んでいた。高雄上空の天候は先ほどより更に悪化、小刻みに揺れながら上空で旋回を繰り返す。二度ほど大きく揺れて少々落下した。悲鳴があがる。それを境に押し黙っていた乗客達が話を始めて機内が賑やかになった。それから暫くして機長より状況説明があり、再び花蓮へ戻ることになった。
今日のスケジュールは滅茶苦茶、飛行機の好きな当方でさえ、4時間近い雲中飛行と揺れで今日はもう飛行機に乗りたくなかった。花蓮空港へ戻り遠東航空のカウンターへ行くと地上係員が「また帰ってきたの?」って顔をして苦笑する。こちらも笑うしか無い。力無く「火車で臺北市へ向かうから搭乗券を払い戻ししてください」と要請する。向こうもソーリーソーリーを連発しながら払い戻しをしてくれた。臺北行きの飛行機には乗ることも出来たが、飛行機は今日はウンザリであった。結果として無料で4時間近くにわたって臺湾上空の雲中遊覧飛行を楽しむことが出来た。タクシーで空港をあとにして駅へ。高雄行き南廻り線の自強號切符を注文する。「駄目」との返答。理由は判らないが駄目らしい。仕方が無いので臺北行きの自強號の切符を注文する。指定券は売り切れで無座票ならあるとのこと。もう何でもよかった。呪われた?花蓮を離れたかった。次の臺北行きの切符を買ってから3時間遅れの昼食。駅弁で済ませる。駅弁は昨日の朝に引き続いて2回目。昨日は鶏だったので今日は猪(豚)にした。
臺湾鐵路局の無座票(立席特急券)はかなり優秀で「○○駅までは▲号車■番の席へ着座しなさい、それ以降は無座です」と親切に書かれている。区間利用客が使う席を上手に配分してたとえ無座票でもなるべく座ってくださいという精神が感じられてとても好ましい。日本のJRも是非見習うべきである。臺北までは445臺湾ドル、日本円換算で1600円位である。今度の列車は臺東始発なので気動車特急であった。「晩23分」との掲示が電光掲示板にある。23分遅れの意味である。どうやら臺東や南部高雄方面は相当に激しい雨のようだ。列車も遅れているし、先ほど高雄行きの切符は駄目と言われたが、これも駅の張り紙を見ると、南廻り線で増水、警戒水位を超えて鐵橋まで1.5mの高さまで水が来ているので運転見合わせとの記述があった。これなら切符が駄目な筈である。飛行機が着陸出来なかったのも無理はない。
気動車特急も10両を越える長大編成で、往年のキハ58系の長大編成の急行を思い出した。しかし馬力は強力なようで花蓮臺北間を三時間で走破する。ほぼ満席の状態で花蓮を出発した。本当は一筆書きに近い形で臺湾一周をしたかったので、同じ経路を往復するのは少々不満ではあるが仕方ない。不本意な自強號に揺られること3時間。こうなったら意地でも高雄に行くと決めた。
臺北駅で新幹線に乗り換える。高雄の手前の佐営駅までで1490臺湾ドル(日本円換算で5500円くらい)かなり高額だ。そのせいか客も少なく空いていた。またなんとなく乗客の身なりも在来線特急より良いように思えた。新幹線は出来て間もないので快適そのものである。日本のN700系をベースに開発されたらしいし、日本製の車輛であるので外国の列車に乗っているとは思えなくなる。車内で三度目となる駅弁で夕食。貧相な食事が続く。悪天候を恨む。
新幹線は将来高雄駅まで延長されるのだろうが現在は佐営という手前の駅までである。東北新幹線が赤羽あたりで終点のような感覚だ。また駅数も少な目で東京名古屋間に相当する距離に8駅だけだ。東海道新幹線なら東京名古屋間に13駅もあるのでそれを考えると停車駅拡大の余地はありそうだ。ただ佐営の駅はパーク&ライドの考え方で作られており、自家用車用の立体大駐車場が隣接して作られていた。鐵道のありかたを考える上で、とても興味深いやりかたに感心した。ダイヤは東海道新幹線開業当時に近い1時間に片道2本が標準である。ひかりタイプとこだまタイプが交互に出発して、臺北佐営間をひかりタイプで100分弱で、こだまタイプで120分程度で走破する。あとは臺中止まりの区間列車が少しある。まだとても単純なダイヤである。
嘉義市を過ぎる頃から雨が激しくなり、車体に巻き上げた雨が当たる音が大きく聞こえた。しかし、さすがに天下の最新鋭新幹線である。豪雨をものともせずまったく徐行減速もせずに走りまくり、定時に佐営に着いた。沿線では雨も凄かったが稲光もひっきりなしに見えた。相当に大気の状態が不安定なようだ。30秒に一回は閃光がきらめく。日本ではなかなかお目にかからない激しい雷雲である。佐営駅も当然バケツをひっくりかえしたような激しい雨であったが、駅前に待機しているタクシーに滑り込んだ。今日の泊まりは高雄市内の華園大飯店である。雷雨の中を激走して220臺湾ドルでホテルへ着いた。
チェックイン後寝酒を飲みながらテレビを見る。今日はずーっと外にいたので情報が皆無であったが、放送を見る限り今回の豪雨で土砂崩れで死者がでたり、交通が大混乱したことが判った。30秒おきの稲光はまだ止まない。飛行機も着陸出来なくて当然だし、昼間のその頃よりもかえって天候が悪化していると思われる。今日は特になにをしたわけでも無いのだが、気疲れであろう。何もする元気が無い。仕方がないのでそのまま就寝した。

☆第四日目(8/14)
目覚ましの音で起床。窓の外を見る。雨はいつもまにか小降りになっていた。本来ならば昨日昼前には高雄市について市内観光を行う予定であった。今日はもう帰国する日である。日本で建てたスケジュールによると、高雄から在来線の特急列車(自強號)で桃園まで行き、そこから路線バスで空港へ行くことになっている。在来線特急をやめて新幹線を利用すれば市内観光の時間を捻り出すことも出来る。しかし、今日はかなり弱気であった。タクシーで高雄駅まで行き、桃園行きの自強號切符を買う。朝食は駅の中にある麥當勞(マクドナルド)で猪肉蛋堡(ポーク&目玉焼入りハンバーガー)を食べる。
高雄土産も買って車輛に乗り込む。この列車は高雄から東に行った屏東始発であってこれまた電気機関車牽引の堂々たる13両編成である。しかも乗車率も良好。新幹線鐵道と平行する在来線に特急や急行など未だに走らせているとは実に興味深い。過去には夜行寝臺列車もあったらしいが、さすがにそれは無くなった。東京-名古屋間に相当する距離に新幹線が開業後も在来線の優等列車が活躍し、さらに航空路も健在である。日本の常識では考えられない。東京-名古屋間に相当する距離にある新潟や仙臺でさえ、新幹線の開通で航空路は全て撤退、在来線の優等列車も一部を除けば廃止となった歴史がある。
先にも書いたが、臺湾新幹線は1値段が高いこと、2運転本数がまだ少ないこと、3終点となるべき高雄駅に乗り入れが出来ていないこと、4途中の駅が少ないこと、5標準軌のために臺北以北及び佐営以南の直通乗り入れ不可な事、6佐営駅からの交通手段が現時点では自動車のみしかない(MRT新交通システムの開業の遅れ)などの理由によって未だに在来線に利用客が流れていると考えた方が良さそうである。これからどう変わって行くのか将来が楽しみである。
新幹線が2時間弱で走破する区間を4時間強かけて桃園まで向かう。在来線なので途中の中都市にこまめに停車する。けっこう客の乗降があって、乗車率は概ね良好である。運賃は新幹線の半値に近い779臺湾ドルで日本円換算で3千円弱である。車内販売員が臺車を押し駅弁を売りに来る。60臺湾ドルであった。これまた豚肉弁当。結局臺湾の駅弁は4回食べて3回までが豚肉弁当であった。さすがに最後の方は飽きてきた。当分臺湾の駅弁は食べなくても良いと思う。
車内は車内販売員が菓子、飲料、弁当を売りに来るが、日本と違って酒は売っていない。この点は生ビールまで積んでいる日本の車内販売に軍配が上がる。それと日本の新幹線では最近やるようになったが、ゴミの回収が1時間に一回は廻ってくる。トイレも1時間に一回は清掃と紙の補充を行っているようである。なので車内は綺麗である。車窓からの風景は昨日の豪雨を物語るように、水たまりが随所に出来ていた。穀倉地帯らしきところを通り、都市を通過して再び田園地帯になる。日本の沿線風景とそう大きくは変わらないように感じた。
列車は3分遅れで桃園駅へ到着。駅から出てみるとタクシーの客引きがうるさい。当方は大きな鞄など持っているのでなおさら視線を感じる。これらを無視して桃園空港行きのバス停を探す。駅前には無く、駅前通りを1本渡ってみるとバス停街があった。親切にどのバス停からどこ行きのバスが出るか全て各バス停の案内板に書いてある。それによると桃園空港行きのバスは15分後に駅から見て右側のバス停から出発することが判った。待っているとなかなか立派な路線バスがやってきた。前払いで降りる場所を申告して整理券のようなカードをもらう。どうやら料金で色分けされているようで、空港までは灰色のカードで42臺湾ドルである。タクシーなら200~300臺湾ドルはかかりそうだ。バスはこまめに停車して客の乗降を繰り返す。直行便リムジンでなくて生活路線の路線バスがそのまま空港にも乗り入れている感じである。約50分もかかって雨足の強くなった桃園空港に到着した。時刻表上の出発時刻の80分前の到着であった。
既にYのチェックインカウンターは長蛇の列である。それを横目にCのカウンターでサッと搭乗手続きを済ませて出国審査を抜けてサクララウンジへ。ラウンジは2~3年前に来たときと場所が変わって立派になっていた。以前は中二階のような変なところにあったのだが、現在は搭乗待合室からも近い便利な場所にあった。生ビールと点心のつまみで一献。ほどなく搭乗時刻となる。慌てて土産を買い込み、搭乗ゲートへ向かう。今日の飛行機は往路と同じB744である。席も往路と同じで31G、今日はAコンとBコンがC席販売、CコンはC席Y解放である。私は事前指定でC席Y解放をおさえてある。ほぼ満員の乗客を乗せて定時より5分早くドアクローズ。順調な出発である。
降りしきる雨の中、快調に離陸、大阪までなので2時間半ほどの空の旅である。スカイラックスといえども一応はC席なので座り心地は快適である。離陸後30分ですでに八重山諸島を右手に見ながら飛行する。機内食とワインで一献。日本本土は憎らしいくらい天気が良いらしい。揺れもなく快適な飛行後関空のRWY24Lへ着陸。残念ながら先日開業したばかりの新滑走路でなくて元からある滑走路へ降りた。入国審査を経て外に出る。なんと暑いことだ。臺湾は連日の雨で蒸し蒸しはしていたがこんなに暑くなかった。意地悪なものだ。ラピートβと御堂筋線で難波経由梅田へ。汗だくになって今宵の宿(中津と梅田の中間くらい)へ辿り着いた。
寝酒とともに就寝。暑いがやはり日本は良い。言葉は通じるし。ホッと一息安心する。それにしても、昨年・今年とお盆の旅行は天候に意地悪された。当方は実質無料の特典航空券で出掛けるのでまだ損害は少ないが、ファミリーの人達などは相当に高いツアー料金を家族の人数分払って海外旅行に来ているのだから、天候不良で予定していたことが出来なかったりすればとっても残念であろう。
今回は観光地へ行ったので日本人は空港・機内及び各観光地ではよく見かけた。鐵道車輛の中ではあまり見かけなかった。もっとも黙っていれば臺湾人なのか日本人なのか判らない。花蓮は臺北に比べると田舎の町なので英語はあまり通じなかった。臺灣は治安も良く鐵道などの公共交通機関も安く正確な運行を期待出来る(同じ元植民地である韓国もそう言った点ではよく似ている)タクシーも日本人の価値観から考えれば安価である。ツアーも楽で安心で良いが、個人(自由旅行)で行って見ても充分楽しめる場所であろうと思った。

<完>


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