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近いうちにプロバイダを変更するのに伴い、ホームページを閉鎖することになりそうです。古い文章ばかりですし、中には現在では考えの変わっているものも皆無ではありませんが、内容に資料的価値のあるものもあるので、すべてではありませんが、順次ブログに転載していこうと思います。---※本記事は20年近く前に執筆したもので、DNA分析はその後も長足の進歩を遂げています。そのため、記事の内容は現在では古くなっていることをお断りしておきます。先住民たちの歩いた道日本人とアンデスの先住民は共通の祖先から枝わかれした遠い親類同士だと言われる。実際、日本人や韓国人、中国人、東南アジア人とアメリカ大陸の先住民は、モンゴロイドという同じ人種に属している。まったく、地球の裏側同士だというのに!コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した当時、コーカソイド(白人)は欧州と北アフリカ・中近東・インドに、ニグロイド(黒人)はサハラ以南のアフリカに広がっていたのに対して、残るすべての地域、地球の全陸地の7割に広がったのがモンゴロイドである。中でもアメリカ先住民は、人類発祥の地であるアフリカからはもっとも遠くまで到達した。そこで今回は彼等がどのようにアメリカ大陸に渡ったのかという話。人類誕生分子生物学の研究によると、人類とチンパンジーの祖先が枝別れしたのはおよそ500万年前のことだという。ただし、これについては古生物学者からの異論も数多い。化石に残る最初の人類アウストラロピテクス(猿人)が姿を現すのは今から400万年以上前、そして約240万年前にはより進歩したホモ・ハビリスが登場する。ここまでは人類の活動の舞台はアフリカだけに限られていたが、続いて150万年前に出現したホモ・エレクトゥス(原人)はアジアやヨーロッパにも進出する。ジャワ原人や北京原人がそれである。ホモ・サピエンス、つまり現在の人類の直系の祖先が姿を現すのは僅かに2~30万年前。中でも、直接的に我々現代の人類につながる現代型ホモ・サピエンス(いわゆる新人)の登場はほんの数万年前である。では、モンゴロイドという人種が出現したのはいつか。これには二つの説がある。一つは、150万年前、世界に広がった原人がヨーロッパで白人に、アジアでモンゴロイドに、アフリカ居残り組が黒人になったという考え(多地域進化説)、もう一つが、アフリカを飛び出した原人たちは子孫を残さずに滅び去り、唯一アフリカに残った系統から現在のすべての人類が生まれたという説(一地域進化説)である。多地域進化説によれば、三大人種の分岐は原人がアフリカを離れた150万年前に遡るし、一地域進化説に基づけば、それは今からわずか十数万年前のことになる。ただ、どちらの説が正しいにしろ、我々の遠い祖先がアフリカからはるばる旅をしてきたこと、それが地質区分で第四紀の更新世という時代であることは確かである。氷河期という時代アフリカに猿人が登場した時代は、第三紀鮮新世と呼ばれている。当時、地球は少しづつ寒冷化乾燥化に向かっていたが、それでも現在よりは遥かに温暖だった。それが200万年前、第三紀が終わり第四紀が始まると気候は激変する。この時代は別名「氷河期」とも言うが、200万年間ずっと寒冷だったのではなく、寒冷な気候と温暖な気候が次々と繰り返した。寒冷期(氷期)は4回あり、その間に4回の間氷期があった。現在は5回目の間氷期だが、まだ次の氷期が来ていないので、後氷期と呼ばれている。間氷期は、現在並みかそれ以上に温暖な時代である。一方、氷期には、たとえば北海道東部では森林はほとんど姿を消し、ツンドラに疎らに針葉樹が点在するだけとなった。森林が成育できる限界の高さ(森林限界)は、最終氷期のもっとも寒い時期には北海道南部で海抜0m、本州中部でも1000~1500mだったと推定されている。山登りをする方ならご存じの通り、現在の日本の森林限界、つまりトウヒやシラビソの鬱蒼とした亜高山帯針葉樹林から明るいダケカンバ林を経て、急に見晴らしのいいハイマツ帯(または高山植物のお花畑)に出る高さは、日本アルプスで海抜 2500m内外、北海道で1000~1500mである。一般に、高度が100m上がるごとに気温は0.6度低下する。したがって、森林限界が1000~1500m低下するということは、気温が平均6~9度下がるということである。東京・中野区の江古田で、3万年前から1万年前のブナ・ミズナラ・シナノキ・トウヒ・マツハダ・オオシラビソ・コメツガ・カラマツなどの植物化石が多数見付かっている。詳しい説明は省くが、これらの樹木から推定される当時の東京の気候は、現在の上高地や札幌と大同小異ということになる。このように、氷期と間氷期が繰り返すごとに、植物たちは北へ南へ右往左往した。植物が動けば動物も動き、人間もまた動く。人類が急激に分布を広げ、進歩を速めたのは、この第四紀に入ってからのことで、ついにはシベリア極北部にまで人類は進出を果たす。シベリアの大地にてシベリア最古の人類の遺跡はヤクーツク近くにあり、その年代は不明だが、40~25万年前の第3間氷期(ミンデル-リス間氷期)と推定される。間氷期と言っても今と同じくらいには寒かっただろう。しかしシベリアで人類の活動が活発化するのは、最終氷期(ウルム氷期)になってからのことである。氷期といっても、世界の大部分が氷に閉ざされたわけではない。例えば日本では、日本アルプスや日高山脈に、ごく小規模な山岳氷河があっただけある(でも、涸沢や槍沢に氷河をまとった槍穂高連峰なんて、さぞかし壮観な眺めだっただろうと思うけれど)。当時大規模な氷河に覆われていたのは、南極とグリーンランドの他、北欧から西シベリアにかけてとカナダから米国北部にかけてだけである。不思議なことに、世界で、南極の次に寒い土地である東シベリアには、ほとんど氷河がなかった。その理由は二つあると考えられる。第一に、氷河が成立する条件が、「冬の寒さ」よりも「夏の涼しさ」だからである。一般に、氷河は夏の平均気温が4度以下でないと成立しない。現在の東シベリアの冬は南極並みに激烈だが、南極と違って夏の気温はかなり上がる。だからシベリアの大部分はタイガ(北方針葉樹林)に覆われている。氷期の東シベリアは今より更に低温で、樹木はほとんど姿を消したが、それでも氷河に覆われるには夏の気温が高過ぎたようである。もう一つは単純明快。東シベリアが砂漠並に乾燥した土地だからである。どんなに寒くたって、雪や雨が降らなければ氷河はできない道理だ。えっ、砂漠並に降水量が少ないのに、どうして青々とした森が広がっているのかって?それは永久凍土のお陰である。永久凍土とは、地中が一年中凍り付いている土地のことである。夏には地表近くの2~3mは溶けるが、全部は溶け切らないうちに次の冬がくる。東シベリアでは、氷河がなかった分地表が猛烈な寒気に晒され、永久凍土が発達した。そして、永久凍土は水を通さないのである。雨や雪が降っても、永久凍土に阻まれて地下2~3mより下には染み込まない。もちろん、寒いから蒸発もしない。だから、砂漠並の降水量でも土壌に水分が保たれ、針葉樹の密林が育つのである。東シベリアが氷に閉ざされなかったという事実は、人類のアメリカ大陸移動の重要な条件の一つだった。なぜなら、そこは人類がアメリカに渡る通り道だったからである。マンモスの狩人たちそれにしても、そんな寒いところで彼等は何を食べて生活していたのだろうか。現在のシベリアは、南方ではタイガ、北方ではツンドラ(湿地性草原)に覆われている。一方、氷期にはタイガは遥か南方に下って、シベリアからほとんど姿を消し、代りに今は存在しない「冷涼ステップ」という草原が広がっていた。ツンドラが湿地性の草原なのに対して、冷涼ステップは、イネ科やアカザ科・ヨモギ科などの乾燥草原だった。ただし、そこにはツンドラの湿地性植物も多く混じっていた。つまり、現在のモンゴルの乾燥した草原と、シベリアの湿地性のツンドラがモザイク状に入り交じった植生、それが冷涼ステップだったのである。この冷涼ステップは、別名「マンモスステップ」とも言う。マンモスがダンスをするから・・・、いや失礼。この草原がマンモスゾウの生活の舞台だったからである。マンモスの他に、ケサイ(サイの仲間)・ウマ・サイガ・バイソン・オーロックス(家畜の牛の祖先)・ジャコウウシ・トナカイ・ヘラジカ・ホラアナライオン・ホラアナハイエナ・ホラアナグマ・ヒグマ・オオカミ・クズリ(イタチの化け物)・オオヤマネコ・ホッキョクギツネなどがこの草原に住んでいた。これらを総称して、「マンモス動物群」と呼んでいる。まるでアフリカのサバンナの野生動物が総出でシベリアに引っ越したような賑やかさだが、このうち現在もシベリアに生存するのはトナカイ・ヘラジカとヒグマ以下各種だけである。余談だが、これらの動物のうち、マンモス・ウマ・バイソン・トナカイ・ヘラジカ・ホラアナライオン・ヒグマ・オオカミ・オオヤマネコは日本にも渡来した(マンモスとトナカイは北海道まで、その他は本州まで。ヒグマも氷期には本州まで来ていた)。シベリアに進出した人類の食料になったのは、これらの動物である。中でも、マンモスはその大きさ故、格好のお得意様だったようだ。肉を食べるだけでなく、毛皮や骨は様々な道具の材料に使われた。ある遺跡では、住居の材料などに合計80頭分ものマンモスの骨が使われていたというから凄い。ベーリング海峡へ・・・さて、シベリアに到達した人類は、いよいよ処女地アメリカ大陸に向かう。アジアとアメリカの間にはベーリング海峡があるが、人類はこの障壁を難なく越えた。地球が寒冷化し氷河が拡大すると、大量の水が氷になって陸の上に乗ってしまう。すると、その分海水の量が減り海面が低下する。そのため、最終氷期には海面は最大150m近く低下したと推定される。日本の場合、北海道はサハリンと共にシベリアと陸続きになり、瀬戸内海も干上がって本州・四国・九州は一つの島になった。津軽海峡と対馬海峡が干上がったかどうかは微妙だが、もし両海峡とも干上がったとすれば、日本海は巨大な湖となったわけである。ましてベーリング海峡は水深40mあまり。氷期には完全に干上がって広大な陸地になった。この土地(ベーリンジアと呼んでいる)にも冷涼ステップが広がり、マンモスとその仲間がいた。アメリカ先住民の祖先は、それを追ってアラスカに達する。コロンブスがアメリカを「発見」したなどというたわごとは別にしても、アメリカ大陸は確かに人類にとって「新大陸」であった。ただ、そこには大いなる障壁が待ち構えていた。アラスカには、東シベリアと似た事情で南部の山岳地帯以外では氷河が発達しなかった。だがその南、カナダでは、現在の南極にも匹敵する大氷河が大陸の西から東までを覆い尽くし、人類の行く手を阻んでいた。大絶滅時代最終氷期が終了したのは、今からおよそ1万年余り前である。地質区分で言うと、第四紀の更新世から完新世に移るその頃、地球規模で大型哺乳類の大量絶滅が起きた。 前回触れたシベリアのマンモス動物群も、ほとんど消滅してしまった。しかしそれ以上に大量の絶滅が起きたのがアメリカ大陸である。体重44kg以上の哺乳類が、更新世末期の 北米に43属(属は生物の分類単位で、ごく近縁な種同士をまとめたグループ)生息していたが、うち31属が絶滅、南米では同じく57属中45属が絶滅した。北米・ユーラシア起源の動物では、ゾウ類が全滅、ウシ類は約10属中バイソンとジャコウウシを除き全滅、北米起源のウマ類とバク類は南米でバクが生き残ったが北米では全滅。同じく北米で進化したラクダ類も、やはり進出先の南米でグァナコとビクーニャが現存するが、本家の北米では全滅。ネコ類は、スミロドン・モホテリウム(双方とも、巨大 な犬歯を持つサーベルタイガーの仲間)・ライオン・チーターなどが絶滅した。南米起源の大型哺乳類の場合はさらにひどく、南蹄類・滑距類・大型アルマジロ類・グリプトドン類・地上性ナマケモノ類がほとんど絶滅した。南蹄類と滑距類はすでに絶滅寸前であったが、アルマジロ・グリプトドン・地上性ナマケモノなどは繁栄の極みで、北米にも勢力を広げつつあったときに突然全滅したのである。 さらに不思議なのは、絶滅が大型動物のみに起き小型動物はほとんど影響を受けていないことである。例えば、アルマジロの仲間では、大型種は全滅したが、小型種は現在も繁栄を続けている。いったいなぜこんなことが起きたのだろうか。最初のアメリカ人時計の針を少しばかり元に戻してみよう。最終氷期にアラスカに達した人類を待ち受けていたのは、巨大な二つの氷河、カナダの北東部から広がったローレンタイド氷床と、ロ ッキー山脈から流れ出したコルディエラ氷床である。規模は前者のほうが大きく、両者とも気候の変動によって拡大と縮小を繰り返してきた。最終氷期の最寒冷期、およそ2万1千年前から1万4千年前までの間は、この二つの氷床が合流し、北米大陸北部を西から東まで完全に覆い尽くして、人間を含めてあらゆる生物の往来を拒絶していた。だがその後、地球の気温は急速に上昇し、それにつれて北米の氷床も縮小する。約1万 3千年前頃には、ついに二つの氷床が分離し、両者の境界、ロッキー山脈の東側を南北に 走る「無氷回廊」が出現した。人類の行く手を阻む障壁が消滅したのである。この回廊を抜けた人々の前には※、豊かな大地が無限に広がっていた(ように見えた)。彼等は猛烈な速度でアメリカ大陸を南下する。北米最古の人類遺跡の年代は約1万2千年前と推定されている一方、南米の最南端、フエゴ島の遺跡は1万1千年前頃とされている。わずか1千年ほどの間に、人類は北米から南米までを縦断したようである。というのが、現在有力な説である。ただ、それは確定した事実ではない。肝心のアラスカで、氷期のものと断定できる人類遺跡が発見されていないから、人類がいつベーリング海峡を渡ったのかは分かっていない。北米最古の遺跡は1万2千年前と言っても、それは年代が確実に証明できる限りというだけに過ぎない。だから、ひょっとして最終氷期の最寒冷期以前にアメリカ大陸(氷床以南)に足を踏み入れた人達もいたのかもしれない。※現在では、アメリカ先住民はローレンタイト氷床とコルディエラ氷床の間の無氷回廊ではなく、太平洋岸を南に渡ったという考えが主流になっているようです。 大型哺乳類を滅ぼしたものさて、先程の大型哺乳類絶滅の話に戻ろう。南北アメリカ大陸では他の地域より大規模な絶滅が起きたが、加えて特徴的なのは、絶滅が非常に短期間に起きたことと、それが他の地域よりは遅い時期の出来事だったことである。絶滅の大部分は1万1千年前頃に集中して起きた。一方、人類がアメリカ大陸に姿を現したのは1万2千年前で、その1千年後には南米の南端に達した。何となく、関連がありそうである。そう、大型哺乳類の大量絶滅を引き起こしたのは人類だったのだ! と、決め付けるのはいささか拙速というものである。もう一つ、急激な温暖化による環境の激変も動物に重大な影響を与えた。シベリアのマンモス動物群の場合は、氷期が終わるとともに「冷涼ステップ」が消滅してタイガの密林に取って代わったことで大きな打撃を受けた。ヘラジカやヒグマなど一部の動物は森林での生活にも適応したが、草原に生きる動物たちの多くは、ある種は北方のツンドラへ、ある種は南方の乾燥草原へと分布地域が分断された。その過程で、変化に対応できずに絶滅したものも多い。その一方で、シベリアでもアメリカ大陸でも、氷期の人類遺跡には絶滅動物の大量の骨が伴っていることも事実である。それに、古くから人類が進出して少しづつ狩りの技術を 向上させたシベリアなどでは、動物の絶滅はより古い年代から始まって、種類ごと地域ごとに時期にバラつきがあるのに対し、こうして高度な狩猟技術を獲得した人類といきなり対面したアメリカ大陸の動物たちは、短期間で一斉に全滅した・・・。と考えると、アメ リカ大陸と他の地域での絶滅の過程と規模の違いの辻褄が合うのである。 恐らくは、大型哺乳類の絶滅は、この両方の相乗効果によって起きたのだろう。人類が引き起こした、世界最初の自然破壊、と言えるかもしれない。言語から見た先住民の歴史※この最初のアメリカ人と現在のアメリカ先住民との関係はよく分かっていない。だが少なくとも、彼等はすべてのアメリカ先住民の共通の祖先ではなさそうである。というのも、1万2千年前にアメリカに渡ったのは、まさしく先駆者であり、その後も次々と様々な集団がアメリカに渡ったらしいからである。 言語の面から見ると、アメリカ先住民は大きく3つに分けられるという。一つがエスキモー(イヌイット)の言葉、もう一つがナバホ語やアパッチ語などのグループ(北米北部を中心に米国の中西部まで分布)、そして最後の一つが、残るすべての先住民語のグルー プ(何て強引なまとめ方だ、だから異論も多い)である。このうち、最後にアメリカ大陸に到着した(もちろんコロンブス以降の人々は別にして、の話である)エスキモーの言語は、シベリアのチュクチ語と5千年ほど前に別れたと推測されている。つまり、アメリカ大陸への移住は、およそ1万2千年前に始まり、5千年前くらいまで続いたということが大雑把に推測できる。 移住の波は、新しいほうから順にエスキモー、ナバホ族アパッチ族の祖先、その他全ての先住民の祖先と、少なくとも3回あったことは確実である。しかも、「その他の先住民すべて」の祖先が一度に移住したとは限らない。というのは、この言語グループが共通の祖語から分岐したのは少なくとも1万年以上前だというのである。彼等はアメリカ大陸に渡る前にすでに分岐していたのかもしれない。※この節の内容は、現在ではほとんどの部分が古くなってしまっています。石器は語る1万2千年前のアメリカ人は、クローヴィス型という石器を使っていた。この石器はマ ンモスの化石と共に出土することが多い。当然、彼等の主要な食料はマンモスだったと考えられる。マンモスは中米のエルサルバドルまで南下したが、南米までは進出しなかった (より原始的なステゴマストドンゾウが南米まで渡っている)。そこで、南米の人類遺跡からはクローヴィス型石器は発見されておらず、魚尾形尖頭器というややこしい名前の石器が使われていた。後者はおそらくクローヴィス型石器からの改良によって生み出されたもので、どちらの石器も、その命運は大型哺 乳類の大量絶滅と共に尽きた。つづいて登場したのは、北米ではフォルサム型という石器で、主にバイソンの骨と共に見付かっている。バイソンは、大量絶滅を生き延びた数少ない動物の中では最大の種である。だが、この石器もクローヴィス型同様、わずか1千年ほどで消え去っていく。 石器は重要な資料ではあるが、必ずしも持ち主のすべてを語ってくれるわけではない。 たとえば、クローヴィス型石器を使っていた人々と、続くフォルサム型石器を使っていた人々は同じ集団だったのだろうか。さらにそれに続く石器群の持ち主は・・・。いずれにせよ、石器の形の変化は、それほど簡単な出来事ではなかったはずだ。大型動物の絶滅は、その責任が最初のアメリカ人にあったにしろなかったにしろ、彼等に重大な影響を与えたに違いない。なにしろ最大の食料源が消滅したのだから、餓死者が大勢出ただろう。その危機から脱するために彼等は新たな石器を発明したのかもしれない。だが、存亡の危機に立った彼等の前に、新しい環境に適応し、新しい石器を持った新たな集団が姿を現したのかもしれない。農耕の始まり当たり前の話だが、最初のアメリカ人がマンモスを始め大型哺乳類を狩り尽くしたと言っても、彼等が肉ばかり食べていたわけではあるまい。様々な植物も食料にしていた筈である。そして大型哺乳類の絶滅後、その比重はますます高まったであろう。そしてやがては植物を採集するだけではなく自らの手での栽培が始まる。アメリカ大陸起源の栽培植物と言えば、まずトウモロコシとジャガイモが何と言っても 筆頭であろう。その他にトマト・インゲンマメ・カボチャ・サツマイモ・トウガラシ・キ ヌア・カカオ・タバコ・コカ・・・・。我々は、現在の食生活について、アメリカ先住民に感謝しなければならないだろう。アメリカ大陸で農耕が始まったのは、メキシコでは今から9千年近く前であるらしい。 ただし、最初はごく小規模であり、採集の補助的な役割しかなかったようだ。7千年前頃には現在のメキシコ料理の主役トウモロコシの栽培が始まるが、依然として食料全体に占める栽培植物の比重は低く、わずか10%ほどでしかなかった。栽培植物が食料の大半を占めるようになるのは、メキシコのテワカン遺跡では何と西暦8世紀頃、すでにティオティワカ ンの巨大ピラミッドが建設されていた時代である。一方、アンデス地方では、最初に栽培が始まったのは約8千年前のインゲンマメだが、現在の主食、ジャガイモの栽培化の時期は不明である。リャマやアルパカの飼育が始まったのはおそらく6千年ほど前である。 農業は文明の発展の前提条件となった。だから、アメリカ大陸の中では最も古くから農耕が始まっていたメキシコと中央アンデスでは、高度に発展した文明社会が築き上げられた。その繁栄は、1492年、コロンブスがこの大陸に到達するまで続くのである。参考文献 「アメリカ大陸の自然史 1~3」 赤澤威・阪口豊・冨田幸光・山本紀夫編 岩波書店 「モンゴロイドの道」 朝日選書 『科学朝日』編 朝日新聞社 「極北シベリア」 岩波新書 福田正己著 岩波書店 「絶滅した大哺乳類たち」(国立科学博物館特別展プログラム)冨田幸光編 読売新聞社 「ピテカントロプス展」(国立科学博物館特別展プログラム)馬場悠男編 読売新聞社 「東京の生物史」 沼田真・小原秀雄編 紀伊國屋書店 「図説哺乳類の進化」 ロバート・サベージ著・瀬戸口烈司訳 テラハウス 「地団研専報32 野尻湖の発掘4(1984-1986)」 野尻湖発掘調査団編 地学団体研究会 ほか
2023.08.29
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立花隆さんが死去 評論家、「田中角栄研究」「田中角栄研究」で脚光を浴び、脳や宇宙など多彩なジャンルを追究したジャーナリストで評論家の立花隆さんが4月30日に死去した。80歳だった。東京大仏文科卒。文芸春秋社を退社しフリーになった後の1974年、「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表、故田中角栄首相の金権政治の実態を明らかにし、首相退陣、ロッキード事件摘発のきっかけとなった。数多くの資料を駆使した手法で「ニュージャーナリズムの旗手」と呼ばれた。政治をテーマとした執筆活動に加え、科学技術分野の取材、評論も積極的に行い、「脳死」「臨死体験」「脳を究める」などの脳に関する著作や、宇宙など幅広い分野で言論活動を展開した。東大客員教授なども務め、後進を育てる教育活動にも熱心に取り組んだ。2007年に膀胱がんの手術を受けたことを公表、治療を続けながらがんについても多くの著書を発表していた。主な著書に「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「精神と物質」など。菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞多数。---だいぶ取り上げるのが遅くなってしまいましたが、立花隆、亡くなってしまいましたね。「日本共産党の研究」という、共産党に対してかなり攻撃的な著作もあることから、ある時期は左派から批判を浴びたこともあります。でも、田中角栄追及を当初の文春から、当時はその対極の朝日ジャーナルに移してでも続行したところは、筋を通したなと思います。個人的には、もっとも面白いと思った著作はこちらです。サル学の現在 上サル学の現在 下インタビューで構成された作品ですが、どちらかというと、というか完全に人文社会系の分野のテーマでものを書く人だと思っていたので、こういう分野で本を書くとは思っていませんでした。後から考えると、脳研究に関する著作もずいぶん書いているので、その方向性の最初の一歩だったのかもしれません。とにかく、取り上げるテーマが幅広い、それも浅く広くではなく、深く広く、という人であったように思います。でも、私にとって立花隆で一番印象に残っているのは、これです。「耳をすませば」の月島雫のお父さん役の声。棒読みっぽいんだけど、でもいい味出しているなあ、と。立花隆と言えども、「役者」(この場合は声優ですが)をやったのは、この時だけではないかと思います。YouTubeを色々検索したのですが、立花隆のセリフが聞こえるのは、この予告編しかないようです。そういえば、近藤喜文監督は、「耳をすませば」の数年後に亡くなられたんですよね。監督作品としては、「耳をすませば」が唯一のものとなってしまいました。(最後に参加した作品はその2年後の「もののけ姫」の作画監督)
2021.06.28
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前々回の記事ダーウィンと憲法は何の関係もないの中で、生物進化についていろいろ書きましたが、よく考えてみると、私が書いた進化についての理解は、ダーウィンによるオリジナルの進化論そのものではなく、1960年代末に国立遺伝学研究所の木村資生が発表した「分子進化の中立説(中立進化説)」に依拠している部分が大きいことに気が付きました。前々回の記事で「変化は偶然の産物ですから、必ずしも環境の変化に合致するように変化すとは限りません。ただ、環境の変化に反する変化を遂げた生物は繁栄できない、あるいは絶滅する可能性が高く、環境の変化に合致する方向に変化したものは繁栄する可能性が高まりますから、結果として環境の変化に合わせて生物が進化したかのように見えるだけです。」と書きました。先に書いたように、進化(変化)とは遺伝子のコピーミスの集積ですから、どういう方向に進化するかは偶然の産物であって、生存に有利な方向に進化するものであると決まっているわけではありません。この考えは、発表された当時は、ダーウィンの進化論と対立する考えと受け取られ、一大論争を巻き起こしたそうですが、現在ではダーウィンの考えと矛盾するとは受け取られていません。いずれにしても、中立進化説は、現在の分子生物学の基礎となっている考え方です。ヒトとチンパンジーは何百万年前に枝分かれしたか、それぞれの生物群の遠近関係、どういう順番でどこから分岐したか、これらは中立進化説に基づく分子時計(遺伝子は一定の期間にだいたい一定の割合でコピーミスを繰り返すことから、遺伝子の変異割合から、枝分かれの順番や年代を類推する)の考え方に基づいています。もちろん、前述のとおり、環境の変化に反する変化を遂げた生物は繁栄できない、あるいは絶滅する可能性が高く、環境の変化に合致する方向に変化したものは繁栄する可能性が高まるということは言えます。ただし、現実には、世の中の生物進化の大半は、生存に有利でも不利でもないものです。世界には非常に多くの種類の生物がいます。植物は30万種以上、昆虫は100万種、哺乳類が約5千種、鳥類9千種・・・・・。この地球上で生命の発生がたった一度限りのことだったのか、複数回生命の発生があったのかは正確には分かりませんが、少なくとも我々の良く知る真核生物(動物、植物、菌類つまりキノコやカビ、原生生物など)はすべて、ただ1種(見方によればミトコンドリアの祖先と2種ですが)の共通祖先から枝分かれしたものです。元々1種の生物がどうやって複数の種に枝分かれするか。有性生殖をおこなう動植物の場合、元々同じ種だった生物の分布域が何らかの理由で分断されたり、あるいは個体群の一部が隔絶した土地に進出したりして、二つの集団に分断されて互いの交流が絶えて数万年、あるいは十数万年経過し、もはや互いに生殖の対象とできなくなります(種分化)。でも、この枝分かれはあくまでも、互いに遺伝子のコピーミスを繰り返すことで同一性が保てなくなってしまった、ということであって、互いの優劣とか、より環境に適応している、していない、ということではありません。だって、ウマの仲間のウマ、ロバ、シマウマで、どの種類が一番生存に有利な進化をしたとか、どの種類が一番環境に適応している、なんてことがありますか?スズメとイエスズメとニュウナイスズメだったらどうですか?ツバメとコシアカツバメとリュウキュウツバメだったら?トラとライオンとヒョウとジャガーでは?はっきり言って、「違う」というだけなのです。どの種が生存に有利とか、より環境に適応している、とか、そんなものはない、もしくは条件次第でいくらでも変わる程度のものです。世の中の生物進化のほとんどは、そういったものです。もちろん、中には、生存への有利不利とか、環境への適応の優劣が分かるような進化の例もあります。飛べない恐竜から飛べる鳥が進化したり、4つ足の類人猿から2足歩行の人が進化したり。でも、そんな分かりやすい例はごくわずかしかありませんし、空を飛ぶ能力を獲得した最初の鳥は、飛行は下手くそで、飛べない恐竜と比べてそんなに目に見えるほど有利ではなかったかもしれません。また、生存に不利な進化を遂げたら即絶滅かというと、必ずしもそうではありません。以前の記事に、鳥の呼吸システムが我々哺乳類より格段に優れている、という話を書いたことがあります。それによって鳥は、成層圏の高度1万m超すら飛行できます。しかしこの呼吸システムは、鳥が飛行をするために獲得したものではなく、その祖先である飛べない恐竜がすでにそのような呼吸システムを獲得していたと推定されています。ペルム紀末の大量絶滅以降、地球の酸素濃度が急減して、高効率の呼吸システムが生存上有利だったからです。だからその後恐竜は大繁栄したわけですが、では恐竜→鳥類に比べればはるかに能力の劣る呼吸システムしか持たない単弓類→哺乳類は絶滅したでしょうか?ペルム紀末期の大量絶滅期には単弓類も大半の種が絶滅しましたが何種類かは生き残り、そこから哺乳類が進化して、恐竜の全盛期にもそこそこに繁栄していました。劣った呼吸システムは生存上明らかに不利ですが、それで絶滅するほど決定的なハンデにはならなかったのです。逆に優れた呼吸システムを持っていたはずの恐竜は、6500万年前に白亜紀末期に、鳥の系統を残して絶滅しました。これもまた、恐竜が生存上不利だったから絶滅したわけではないことは明白です。(巨大隕石の落下という外的要因による絶滅だった)生物進化などというものは、いわゆる「複雑系」の最たるものですから、有利な条件を獲得したら大繁栄、不利な条件を獲得してしまったら絶滅、なんて、そんな分かりやすくはできていないのです。
2020.06.23
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人口43万人減、過去最大 少子化進み10年連続総務省が10日発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、今年1月1日時点の国内の日本人は1億2477万6364人で、前年から過去最大の43万3239人減少した。マイナスは10年連続。昨年1年間の出生数が最少だったのが大きく影響した。都道府県別で伸びたのは東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)と沖縄のみ。外国人は16万9543人増の266万7199人だった。人口が減る中、居住地が東京圏に偏る構図で、少子化対策と一極集中の是正が求められる。名古屋圏(岐阜、愛知、三重)と関西圏(京都、大阪、兵庫、奈良)の落ち込みが大きかった。---日本の人口が初めて減少したのは2005年のことですが、このときの人口減少は一時的なもので、翌年から2年ほどは、ギリギリの人口増が続きました。しかし、2008年に再び人口減に陥って以降は、人口増に転じることはなく、減少幅も次第に拡大しながら現在に至っています。合計特殊出生率は、2005年の1.26を底としてそれ以下にはならず、近年は1.4を少し越える程度の「低値安定」が続いていますが、分母となる出産可能年齢の女性が減っているので、出生数は減っています。そして、現在の社会の仕組みが大きく変わるようなことがなければ、この状況が突然大きく変わることは、現在のところなさそうです。少子化は日本に止まらず、世界の多くの国で共通の現象となっています。日本韓国中国(台湾・香港も)のみならず、タイや北朝鮮すら、合計特殊出生率は2を割っています。ということは、誠に残念ながら、外国のこんな制度を導入すれば出生率は上がるだろう、とは言えないのです。もちろん、出生率を上げるための試行錯誤は必要です。子どもを育てることへの様々な障害は、少ない方がよいに決まっているのです。それで状況が劇的に改善することはなくても、多少の効果はあるでしょうから。しかし、それとともに、高齢化、人口減を前提として社会の仕組みを考えざるを得ないでしょう。国立社会保障・人口問題研究所の一昨年の推計によると、今から34年後の2053年に日本の総人口は1億人を割り、44年後の2063年には9000万人を割る、ということです。そのときの高齢化率(65歳以上の割合)は41%と推計されています。年金を巡る2000万円騒動がありましたが、年金が自分の積み立てた年金保険料を受け取るものではなく、世代間扶養、つまり今現役世代の払う年金保険料は現在の年金生活者のため、今の現役世代が将来受けとる年金はそのときの現役世代の払う年金保険料でまかなう、という建前を維持するなら(もちろん、莫大な額の年金積立金があるから、ことはそう単純ではないけれど)、高齢者が増えて現役世代が減少すれば、最終的には年金給付額を下げるか、受給開始年齢を上げるかしかなくなります。とは言え、年金生活に入るに際して2000万円必要、なんて言われても、そんな用意のある人はさほど多くはないでしょうから、結局は働ける間は働くしかない、ということになります。少なくとも私個人としては、「こうあるべき」という論は論として、そうするしかないな、と思っています。これからしばらくは、子どもの学費が大きくかかる時期ですが、それが済めば、給料が大きく下がっても問題ないですし。ところで、現在でこそ日本では少子化が深刻な問題になっていますが、数十年前には、歯止めなき人口増加が問題となっていました。戦前や、戦後すぐの出生率がその後もずっと続いていたら、日本は今とは逆に増加する人口による様々な問題に悩まされていたはずです。おそらく、そちらの方が深刻な事態に至っていただろうと思います。幸いにして、そうはならずに子どもの数は急減しました。1947年の合計特殊出生率は4.5もありましたが、わずか10年後の1957年には半減以下の2.04になっています。しかし、合計特殊出生率がほぼ2前後で推移していた期間はごく短いのです。1975年には2を割り、77年には1.8も割っていますから、現代社会にとって都合がよい、と考えられる程度の出生率だった時代はわずか20年程度です。これは、諸外国でも同じでしょう。中国はかつて厳しい一人っ子政策で人口増を抑制していましたが、それがなかったら、とても現在のような経済成長はできなかったでしょう。しかし人口抑制が効きすぎて、一人っ子政策を撤廃しても、子どもの数が増えないのが現在の中国です。何故都合よく行かないのでしょうか。私の無根拠な推測になりますが、そもそも現代文明は、人間にとっては不自然なものであり、長期間安定的に維持することが、そもそもできないのではないか、ということです。人類の歴史(旧石器時代から)のほとんどは多産多死の時代です。おそらく、平均的には女性は生涯に2人より遥かに多くの子どもを産んでいたはずです。現代文明の都合上は、子どもの数は2人前後がよいわけですが、生物としての人間は、そんな都合よく出生率をコントロールはできない、ということなのかもしれません。加えて、そもそも人類の出生率なんて、そんなに安定したものではなかったのかもしれません。有史以前、いや有史以降だって、その時々の食糧事情や天変地異の発生などによって、生き残る子どもの数は大差が生じたはずです。食糧事情が安定して、疫病や災害もない時代が続けば、乳幼児死亡率は低く、人口はあっという間に増える、しかし、気象の変化や人口の増えすぎが原因で食料が不足、あるいは疫病の流行や災害などが起こると人がバタバタ死に、人口はあっという間に急減し、その結果食糧事情は再び改善し・・・・・・といったサイクルが繰り返されてきたはずです。だとすれば、出生率(または生き残る子どもの割合)など、そもそも乱高下を繰り返してきたものであって、一定の割合で安定させること自体が不可能事なのかもしれません。いずれにしても、現代社会がいろいろな意味で曲がり角に来ている、ということの反映なのだろうと私は思います。
2019.07.11
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昨日は西穂高岳に登ってきたわけですが、この登山道、一般ルートとしては比較的難易度が高い部類とされています。が、しかしもちろん、熟達した登山者でなくても、ある程度岩場に慣れていれば登ることができます(中級者程度?)。事故はありますが、おそらく事故発生率は0.1%にも満たないでしょう。写真で見ると、とんでもないところを歩いているように感じますけど、実際歩いてみれば、写真から受ける印象ほどではありません。しかし、ではここを乗り物で踏破しようとしたらどうでしょうか。オフロードバイクでもキャタピラトラクターでも、絶対に不可能であることは間違いありません。人間は、様々な乗り物を開発してきました。速度とか、輸送力という意味では、人の足より人が開発した様々な乗り物のほうが、圧倒的に優れています。しかし、人間が開発した乗り物が力を発揮するには、一つの条件が必要です。それは、専用の軌道があるということです。道路や鉄道です。道路は、舗装されているか否かだけでも、走る車の走行性能は大きく変わります。まして、砂利道ですらない場所では、人間の開発した乗り物は、まったく力を発揮することができません。丁度1年前に御嶽山が噴火したとき、災害派遣で出動した陸上自衛隊が、89式装甲戦闘車という車両を何両か現地に持ち込みました。あれはいったい何のために持ち込んだのかと思ったら、まったく使われることなく引き上げて行きました。「途中まで進出した装甲車を中継基地とすれば」などとおバカなことをいう自称「軍事専門家」がいたらしいですが、もちろん、装甲車は御嶽山の「途中まで進出」することなどできないのです。御嶽山は、日本の3000m級の山の中では、もっとも簡単に登れる山の一つです。技術的には困難な場所は皆無であり、人並み程度の体力があって悪天候でなければ、誰でも登れる山です。一方、装甲車や戦車は、人間の開発した乗り物の中ではもっとも不整地の走行性能に優れた部類に属します。ところが、人間の足では技術的のもっとも平易や登山道ですら、キャタピラ付きの装甲車でも手も足も出ないのが現実です。つまり、不整地を踏破することにかけては、人間の足は、あらゆる乗り物を凌駕する、圧倒的な能力を持っているわけです。(整備された場所での)速度とか輸送力という単能的なスペックでは乗り物にはまるでかなわないけれど、万能性という意味では人間の足をしのぐ乗り物は存在しません。ま、残念ながら現代人は素足での能力はやや制約があって、靴を必要としますけど。人間に限らず、地球の生命の進化上、すべての動物は、反復運動によって推進力を得ています。陸上の動物は、足を前後に動かすことによって移動するし、魚は胴体を左右にくねらせる(クジラ類は上下にくねらせる)ことで移動しています。昆虫や鳥も、羽を上下に往復運動させることで飛行しています。人間社会ではこれだけ発達している、車輪という移動システムは、自然界には存在しないものです。車輪だけでなく、スクリューやプロペラ、タービンに類するような回転運動で推進する仕組みは、生物界には存在しません。どこか、遠い宇宙の別の星に、車輪式の動物がいるかどうかは定かではありませんが・・・・・・。たまたま、最初に進化した動物が、推進力を得る手段として往復運動を選んだため、その子孫のすべてもそのくびきから脱することができない、ということなのでしょう。しかし、有利不利ということで考えても、人間が整備した環境下以外では、回転運動系は圧倒的に不利で、とても競争には勝てなかっただろうなと思います。ま、何にしても、人間は歩いてこそ人間です。
2015.09.21
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先の投稿で、日本に限らず、アフリカを除く世界中で出生率が低下してきていることに触れました。とりわけ、アジア諸国の出生率の低下が著しい。その中で、中国の合計特殊出生率について、1.8という数字を引用しました。しかし、実は中国の本当の合計特殊出生率は、そんな数字ではなかったようです。中国労働人口、年内に減少へによると、昨年夏に詳細が公表された2010人口センサスによる中国の合計特殊出生率は、1.18だそうです。いわゆる闇っ子など、統計に出てこない出生も多少はあるにしても、少子化の状況はすでに日本を越えてしまっているようです。内訳を見ると、やはり少数民族の自治区では数字が高い(少数民族には一人っ子政策が適用されていないといわれます)のですが、それでも2を超える地域はなく、逆に北京や上海の合計特殊出生率は0.7という数値になっています。その結果、中国の労働人口は今年をピークに減り始め、2020年頃には総人口も現象に転じる、というのが上記リンク先記事の見立てです。--ところで、話は変わりますが、人はもともと生涯にどの程度の子どもを産むものなのでしょうか。まったくの自然状態で、というのはヒトという生物の特性としてなかなか推測困難なのですが、おおむね3人から10人程度と言われます。それは、逆に言うと近代社会以前は、そのくらいの出生があっても、成人して子を残せるまで生き残るのは2人を若干超える程度だった、ということでもあります。さて、ではヒトにもっとも近縁な動物であるチンパンジーは、生涯にどの程度の子どもを産むのでしょうか。実は、おおむね2から4頭と言われます。ヒトより明らかに子どもの数が少ないのです。団塊の世代の時代の合計特殊出生率より低いくらいです。この出生数で、個体数が大変動することなく「人口」がおおむね維持できていたとすると、おとなになる前に死んでしまう子どもの割合は、近代以前のヒトよりチンパンジーのほうが低いのかもしれません。なお、チンパンジーが出生から大人になるまでに要する期間は15年程度のようです。逆に言うと、人が近代以降猛烈な勢いで人口を増やすことができたのは、類人猿類の中でも人がもっとも多産な種族だったから、ということも言えるかもしれません。ただ、多死を前提として多産が、文明の発達で多産少死になれば、人口は急増しますが、その状態は、どう考えても持続可能ではないのです。ヒトは、現在バイオマス(ここで言うバイオマスは個体数×体重のこと)としては世界最大の動物です。ヒトより体重のでかい動物は、ヒトよりはるかに個体数が少なく、ヒトより個体数の多い動物は、微生物なので体重が極めて小さい。自然状態で維持可能な人数ではとっくになくなっており、農耕や様々な科学技術の存在を前提に考えても、今後も人口が増え続ければ、地球環境に対する付加は限界に達しかねません。そういう意味では、世界的な少子化の進行というのは、案外ヒトという生物は集団的にも利口にできていて、集団自滅を避けるための最善の行動をとっている、のかも知れないな、なんて思ってしまいます。
2013.01.07
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人口減21万人超、戦後最大=昨年の赤ちゃんは最少-厚労省2012年に生まれた日本人の赤ちゃんは103万3000人と、戦後最も少なかったことが31日、厚生労働省の人口動態統計(年間推計)で分かった。死亡数は124万5000人で、東日本大震災による死者を考慮しなければ、戦後最多となる。出生から死亡を差し引いた自然増減数は21万2000人の減少で、人口減少幅は戦後最大。 死因は例年と同様に、がん、心臓病、肺炎、脳卒中が上位を占めている。厚労省は「高齢化で死亡数の増加は続く。女性も減っており、出生率が上がらなければ、人口は減っていく」としている。---2年ほど前に、人口減少問題についての記事を書いたことがあります。人口減少社会続人口減少社会その当時と比べて、事態はそれほど変わっていないようです。2011年の合計特殊出生率は1.39なので、記事を書いた当時の最新数値(2009年1.37)とほぼ同じ水準を維持しています。去年の数字は不明ですが、多分そう大きくは変わっていないと思います。出生数が減ったというのは、子どもを生む年齢の女性の人口が減ったことによるのではないかと思います。上記の記事で引用した、2005年当時の人口将来予測は、その年の合計特殊出生率1.26から、さらに出生率が低下していく見通しで計算されたため、2012年は1年間で40万人以上の人口減という予測※になっています。※日本の将来推計人口よりしかし、実際にはその後日本の合計特殊出生率は少し持ち直して、ここ数年1.36から1.39程度の数値を維持しているので、当時の予測よりは多少人口減が穏やかになっているのです。が、まあ誤差の範囲内程度と言ってもいいかもしれません。上記の記事でも書きましたが、今後も人口減少は続くでしょう。良し悪しの問題ではなく、見通しの問題として、突然に出生数が急増する事態は考えられないのです。他ならぬ我が家も、子どもは一人だけですし。ある程度の出生増によって、人口減少のカーブをできるだけ緩やかなものにする努力は必要だと思いますが、人口を再び増加に転じさせるのは不可能です。いや、可能性としては移民の大幅受け入れという手段がありますが、それが望ましい手段とも思えませんし、移民だって豊かになれば出生率は落ちるでしょうから、一過性の解決策です※。※豊かになれば、どころか、現在アジア諸国のほとんどは、必ずしも豊かではない国も含めて、出生率は急激に低下しています。韓国や台湾の合計特殊出生率は日本より下だし、中国1.6、タイ1.58、ベトナム1.82(いずれも2010年の数値)など。全世界的に見ても、依然として出生率が非常に高いのはアフリカのサハラ以南だけで、それ以外はアジアでもラテンアメリカでも、大多数の国で出生率は急激に下がってきています。そのため、世界の人口増加は止まっていませんが、増加のスピードは以前に比べるとかなり鈍化しています。37万平方キロの日本に、人口1億2千万人というのは、土地の生産力やエネルギー問題などから考えると、多過ぎるのだろうと思います。もちろん、全世界に70億人という人数自体もそうなのですが、日本を含む先進国は、エネルギーの消費量も食料の消費量(肉類の生産には大量の穀類を消費する)も、人口当たり発展途上国の何倍、何十倍にもなります。そういう意味では、日本を含む先進国の人口が今以上に増加し続けたら、50年後100年後の地球は重大な危機に瀕することになるでしょう。もちろん、人口減少と高齢化の進行には、大きな問題がたくさんありますけど、このまま人口が増え続けた結果待ち受けるであろう未来図に比べれば、「まだマシ」と思うしかありません。
2013.01.03
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ヒトの知性、6千年前ピーク? 米教授「狩りやめ低下」人類の知性は2千~6千年前ごろをピークにゆっくりと低下し続けているかもしれない――。こんな説を米スタンフォード大のジェラルド・クラブトリー教授が米科学誌セルの関連誌に発表した。教授の論文によると、人類の知性の形成には2千~5千という多数の遺伝子が関係しており、ランダムに起きる変異により、それらの遺伝子は、働きが低下する危険にさらされている。一瞬の判断の誤りが命取りになる狩猟採集生活を送っていたころは、知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、人類の知性は高まっていった。---なかなか興味深い説ではありますが、ちょっと賛同はできないなと思います。「知性」というのはなかなか定義の難しいものです。単なる知能とも、知識ともちょっと違う。知能と知識と性格の総合体とも呼ぶべきものが知性であろうと思います。(もっとも、この学者は英語で論文を書いたはずですが、原文ではどういう単語なんでしょうね。日本語と英語では、微妙なニュアンスに差があると思いますので)純然たる大脳の知的能力、という意味なら、記事のようなこともあり得なくはないかも知れません(後述するように、私は懐疑的ですが)。ただ、「知性」ということになると、知識という要素も無視できません。知識は、純然たる能力ではなく、データの蓄積です。個人だけでなく、集団による知識の蓄積と継承が大きくモノをいいます。どう考えたって6000年前や2000年前より、現在の方が知識の蓄積は進んでいます。さて、では純然たる知的能力という面ではどうでしょう。知識の蓄積はその後進んでいても、大脳の能力は6000年前か2000年前頃がピークだったのでしょうか。私にははっきりしたことは言えませんが、「一瞬の判断の誤りが命取りになる狩猟採集生活を送っていたころは、知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、人類の知性は高まっていった。」というのは、どうかなと思うのです。狩猟はともかく植物の採集に関しては、一瞬の判断が命取りになるとは思えない(農耕生活と比較して、の話です)し、狩猟だって、一瞬の判断が命取りになるような獲物なんて、そう滅多にいるものではないでしょう。どうも、「狩猟採集生活=マンモスみたいな手強い相手ばかりを狩猟する人たち」というような、あり得ない前提がちらついて見えてしまいます。狩猟採集生活を送る人間集団は、現在でも皆無ではありません。アフリカ南部のサン族(いわゆるブッシュマン)とか、オーストラリアのアポリジニとか、南米アマゾンの諸民族など。この説が事実だとすれば、現在も狩猟採集生活を送っている彼らの方が、それ以外の人類の平均より知的能力が高い、ということになります。知的な能力に関して、狩猟採集民族もそれ以外の民族も、何も差はありません。能力が劣っているわけでも、優れているわけでもないんじゃないかと思われるのですが、このあたりはちゃんと検討したのでしょうかね。ずっと以前に書いたことがあるのですが、ヒトのヒトたるゆえんは、直立二足歩行を行うこと、です。ヒト以外に直立二足歩行を行う動物はいません。400万年前にアフリカにいたアウストラロピテクス、いわゆる猿人は、脳の発達から言えばチンパンジーと大差がありませんでしたが、古生物学上、アウストラロピテクスは疑問の余地なくヒトの仲間であって、猿(類人猿)ではないのです。なぜなら、アウストラロピテクスは、ほぼ完全に直立二足歩行をしていたから。つまり、ヒトは二足歩行をするようになったからヒトになったのであって、知能が発達したからヒトになったのではないのです。知能の発達は、二足歩行の後、二次的に獲得された能力です。では、ヒトの知能はいかにして発達したか。二足歩行によって前足(手)が自由になったからだと言われています。もともと、猿(特に類人猿)は手が器用で知能の高い動物ですが、ヒトは直立二足歩行によって、手が完全に自由になり、その手を最大限に使うことが、脳の発達を促したのだと考えられています。ヒトのヒトたるゆえんは直立二足歩行ですが、人類の知能の源泉は手先を使うことにあり、なのです。狩猟採集生活か農耕生活あるいは現代文明かということより、どれだけ手先を使うか、ということの方が知能の発達には影響が大きかったと思われるのです。
2012.11.20
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雪男の確率「60~70%」 西シベリアで発見の体毛イエティ(雪男)と呼ばれる謎の動物の体毛である確率は60~70%――。ロシアの西シベリア・ケメロボ州で米ロなどの研究者が昨年秋に洞窟で見つけた毛について鑑定した結果、そうした結論に達したと、ロシア国立気象大学のサプノフ主任研究員がノーボスチ通信に明らかにした。昨年秋に国際会議を開いたケメロボ州政府も10月29日、サンクトペテルブルクの研究所で毛のDNA鑑定が終わったと発表。サプノフ氏の言葉を引用し、「アザス洞窟で見つかった10本の毛は人間のものではない。哺乳類のものだが、クマやヤギ、オオカミなどの動物でもない」と伝えた。サプノフ氏は同通信に対し、「電子顕微鏡での体毛検査や核DNAの抽出を通して、60~70%の確率で、どの生物のものかを言える。チンパンジーよりはヒトに近い」と述べ、アザス洞窟で見つかった足跡も95%の確率でイエティのものといえると主張した。ケメロボ州で昨年開かれた国際会議には米国、ロシア、カナダなど5カ国の専門家が参加し、イエティの目撃証言が相次いだ洞窟や周辺の山を探索。洞窟の足跡の一つから毛が見つかっていた。一方で、一度も死体が見つかっていないなど異論もあり、論争を呼んでいる。---この話を事実だと仮定すると、イエティの正体は何でしょうか。クマの可能性が高いように思うのですが、仮に今まで未発見の動物だったとすると、その候補として可能性が高いのは、現生人類の進化の隣人であるネアンデルタール人かデニソワ人、ということになるでしょう。特に、デニソワ人は西シベリアから化石が見つかっているので、位置も一致します。それ以外のヒトあるいはサルの仲間である可能性は、著しく低いと思われます。なぜなら、シベリアという酷寒の地にすむことができる霊長類は、ネアンデルタール人、デニソワ人、現生人類に限られるからです。が、しかし、やっぱりそれって本物ですか?ってところは、いささか(というか、非常に)怪しいなと思います。「電子顕微鏡での体毛検査や核DNAの抽出」もいいけど、C14年代測定をしなくちゃ。もし、それが本当に雪男の毛だったとしても、年代測定してみたら5万年前のものでした、って可能性だってあるわけです。酷寒の地だけに、シベリアでは数万年前のマンモスの毛も発見されているのです。それに、現在知られている限り、デニソワ人は現生人類とそんなにかけ離れた風体ではなく、頭の毛を除けば、毛むくじゃらだったわけでもありません。イエティの正体がデニソワ人でも、あるいは他の何かだったとしても、何万年も生存し続けるには、それなりの個体数が必要です。最低限数十人以上はいなければ、無理でしょう。いくらシベリアは広大で人口密度も低いとは言っても、そのような動物集団が存在すれば、われわれ現生人類との接触がないはずがなく、昔からの目撃例や居住の痕跡、死体などがまったく見つからないのは、あまりに不自然と考えざるを得ません。大胆に予想するなら、問題の「イエティ」の毛の正体は(クマなどその他の動物のものではない、というのが事実とすれば)前述のとおり、本物のデニソワ人だが、体毛は数万年前のものまたは実はイエティでもなんでもなく、ホームレスが洞窟に住み着いていただけの、いずれかではないかと私は思うんですね。事実が知りたいところですが、正体が明らかになる日が来るんでしょうかね。
2012.11.02
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アイヌ、琉球は縄文系=本土は弥生人との混血―日本人のDNA解析・総研大など日本人を北海道のアイヌ、本土人、沖縄の琉球人の3集団に分けた場合、縄文人に起源があるアイヌと琉球人が近く、本土人は中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人と縄文人との混血が進んだことが確認された。総合研究大学院大や国立遺伝学研究所(遺伝研)、東京大などの研究チームが、過去最大規模の細胞核DNA解析を行い、1日付の日本人類遺伝学会の英文誌電子版に発表した。アイヌと琉球人が同系との説は、東大医学部の教官を務めたドイツ人ベルツが1911年に初めて論文発表した。頭骨の分析では、狩猟採集生活の縄文人は小さい丸顔で彫りが深く、約3000年前に渡来し稲作をもたらした弥生人は北方寒冷地に適応していたため、顔が平たく長い傾向がある。総研大と遺伝研の斎藤成也教授は「ベルツの説が101年後に最終的に証明された。本土人は大ざっぱに言えば、縄文人2~3割と弥生人7~8割の混血ではないか。今後は縄文人のDNA解析で起源を探るほか、弥生時代に農耕が広がり人口が急増した時期を推定したい」と話している。---記事にあるように、これは従来から言われていた説がDNA鑑定によって再確認された、というだけの話です。日本にいつから人類が住み始めたかは判然としないものの、第四紀更新世(1万年前より古い時代)には、すでに人が住んでいたことははっきりしています。旧石器時代の日本における人類の足跡は、2000年に発覚した旧石器捏造事件によってかなり揺らいでしまい、前期・中期旧石器時代に関しては、日本に確実に人類が住んでいた証拠は消滅してしまっています。ただ、後期旧石器時代(3万年前より新しい時代)については、捏造と無関係の遺跡が見つかっているので、日本にヒトが住んでいたことは間違いない。旧石器時代人と縄文人の関係は、よくわかってはいません。旧石器時代の石器などの遺物は数多く見つかっているものの、人骨はごくわずかしか見つかっていないからです。旧石器時代人は縄文人の祖先かもしれないし、別々に渡来した別系統の民族だったかもしれません。わずかな例からは別々の系統という可能性が示唆されているようです。ただし、旧石器時代人も縄文人も単一の集団だったとは限りません。いずれにしても、旧石器時代人も縄文人も、東南アジアから北上してきた南方系の集団であることはほぼ間違いないようです。つまり、この日本列島に最初に住み着いた人々(旧石器時代人、あるいは縄文人)は、南方系だったと思われます。その後、弥生時代以降になって、新しい集団が日本に流入します。中国大陸から朝鮮半島経由でやってきた北方系の弥生人です。弥生時代の始まった時期には諸説ありますが、2千数百年前から3千年前くらいと考えれば間違いありません。弥生人の渡来もその頃に始まったのでしょう。縄文人が先住者で弥生人は後発ですが、弥生人のほうが勢力が強く、日本本土の主要部分は弥生人が占拠し、縄文人は駆逐されました。駆逐といっても、完全消滅したわけではなく、混血によってある程度の痕跡は現代の日本人にも残されています。その割合は、記事にあるように、おおむね「縄文人2~3割と弥生人7~8割の混血」という程度ではないかといわれます。しかし、後発組の弥生人は日本のすべての地域で多数派になったわけではなく、縄文人の血筋が色濃く残った地域が二つあります。それが、北海道のアイヌと沖縄、というわけです。ただし、歴史的に見れば、北海道と沖縄に限らず、東北地方の広い範囲(蝦夷)と九州南部(熊襲)に、大和朝廷に服属しない異民族が存在していたことが知られています。熊襲は古墳時代には平定されていますが、蝦夷が最終的に征服された時代ははるかに新しく、平安時代の終わり、源頼朝によってです。源頼朝が鎌倉幕府を開いた際の「征夷大将軍」という称号が「蝦夷征服の将軍」という意味であったことは、いまさら説明する必要もないでしょう。蝦夷や熊襲と、現在のアイヌ、琉球人との関係ははっきりしませんが、やはり縄文人の血筋を色濃く受け継いでいた人々であった可能性が高そうです。いずれにしても、現代のわれわれ日本人の祖先は、主要部分が朝鮮・中国から渡来した人々、一部が南方から渡来した人々と見て間違いないでしょう。朝鮮半島から、あるいは中国から朝鮮半島経由で渡来した人々は、弥生人だけではなく、それ以降も7~8世紀ころまでは絶えることがなかったようです。だから、朝鮮半島出身、あるいは朝鮮半島経由の血筋をまったく引いていない、などという日本人は、よほど近年に帰化した人(たとえばフィンランドから帰化したツルネン・マルテイとか、米国人から帰化したドナルド・キーンとか)以外は、皆無と言っていいはずです。皇后が以前に、自分たちの祖先には朝鮮からの血が入っている、という発言をしたことがあります。当然の話です。入っていないはずがない。私にも、あなたにも、安倍晋三にも石原慎太郎にも、在特会の桜井誠にも、朝鮮半島由来の血筋は、間違いなく入っています。---話は変わりますが、尼崎市の遺体遺棄・行方不明事件で連日マスコミをにぎわせている角田美代子を巡る都市伝説に、「彼女は在日朝鮮人だ」というのがあります。明白なデマです。デマ話の根拠になったのは、角田の「戸籍上の従兄弟」が李正則という在日韓国人だから、ということなのですが、わざわざ「戸籍上の」と注釈がついているのは、養子縁組によって従兄弟になっただけで、血がつながっているわけではないからです。そんなことは、マスコミで散々報じられているので、ちょっと調べればすぐに分かることです。週刊新潮や文春が彼女の生い立ちを追っており、彼女の両親の職業から、もともと名乗っていた苗字(角田は母方の苗字で、もともとは父方の苗字を名乗っていたらしい)から、若い頃の「武勇伝」から、みんな報じられています。どこにも、彼女が在日(あるいは帰化した)という痕跡はありません。それにも関わらず、一度犯人の周辺に在日韓国・朝鮮人の名を見つけたが最後、誰でも調べれば分かる、あたりまえの事実すら目に入らなくなって、ひたすら「在日の犯罪」と思い込むのが、ネットウヨク脳という奴なのでしょう。まったく救いようがない。ええ、確かに問題の角田美代子にも、朝鮮由来の血は入っているでしょうよ、前述のような意味ではね。そういう意味で、朝鮮由来の血を引いていない日本人などいません。ネットウヨクだって同じです。
2012.11.01
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ヒトの祖先がチンパンジーの祖先と枝分かれしたのは、おおよそ500万年から700万年前とされています。今のところはっきりしている最古のヒトの仲間であるアウストラロピテクスが登場したのが、おおむね400万年前(すでにほぼ完全な直立二足歩行を獲得していた)、そして、我々現生のヒト、つまりホモ・サピエンスが登場したのは、約16万年前だと考えられています。古生物学的に見て、ヒトの祖先はアフリカを拠点として、何度かそこから他の大陸に広がっていきましたが、我々ホモ・サピエンスの祖先がアフリカを出たのは、せいぜい6~7万年前のことだと推定されています。人類の歴史は、たったそれくらいの長さしかないのです。16万年とか6~7万年を「たった」と表現するのは不思議に感じるかも知れませんが、ヒトの遺伝子は、非常に多様性が乏しいことが知られています。アフリカ大陸の左右両端に住むチンパンジーの遺伝子の差異と、アフリカと南米に住むヒトの遺伝子の差異のどちらの方が大きいかというと、実はチンパンジーだと言われます。もともと遺伝的な多様性が乏しい現生人類の中でも、アフリカ人(いわゆる黒人)は比較的遺伝的に多様で、それ以外の住民(いわゆる白人と黄色人種)の遺伝的多様性は、さらに小さいことが知られています。それは、何を意味しているかというと、人類の種としての歴史が非常に浅いこと、集団の規模(人口)がとても小さかったこと、そして、おそらく各集団の間で遺伝的な交流が比較的濃密に保たれていた、ということです。アフリカ人以外で特に遺伝的な多様性が乏しいということは、人類の発生の地がアフリカであることと、前述の傾向が特にアフリカ人以外で著しい、ということを意味しているのです。現在世界の人口は約70億人ですが、こんなに急激に人口が増え始めたのは、最近数千年の話です。それまでは人口がきわめて少なかったので、遺伝的な多様性が乏しいわけです。さて、ではこれから先、人類はどうなっていくのでしょうか。生物としてのヒト(ホモ・サピエンス)は、かなり短い歴史しかありません。つまり、種としてのヒトは、まだまだ若いのです。もっとも、生物の各個体には寿命がありますが、種(集団)には、定まった寿命があるわけではありません。生存を脅かす環境変化がなければ、いくらでも存続するし、何か起こればあっという間に絶滅する。生物種としてのヒトが、あとどのくらいの期間生き続けるかは分かりませんが、いろいろな条件を総合して考えると、あと100万年も存続できるかどうか、というところだと思います。ヒト科の中で最も長く生きながらえた種類の寿命が、だいたいそんなところですから。実際には、もっと短いかも知れません。でも、さすがにあと10万年くらいは続くでしょう。ただし、これは純然たる生物種としての寿命の話です。生物学的な意味ではなく、「現代文明の担い手としての人類」の歴史となると、あと10万年なんて無理だろうなと思います。間違いなく言えることは、今の文明を、まったく今のままで維持し続けるのは、10万年どころか、あと1000年だって不可能だということです。石油や天然ガス、ウランの埋蔵量があとどれくらいあるか、正確なところは分かっていませんが、どう考えても、あと1000年分もないでしょう。ま、10万年は言うまでもなく、1000年先だって、今生きている我々の寿命から考えれば、遙か遙か彼方の遠い未来ではあります。そんな未来のことなんか、どうでも良い、というのも一つの考えではあるかも知れません。もちろん、1000年先に対して負える責任なんてものは、かなり限られていることは確かです。それでも、せめて1000年後の子孫に「顔向け」できるようにはしたいと思うのです。今のまま行けば、資源エネルギーを使い果たしたところで、人類社会は阿鼻叫喚の地獄に陥らざるを得ません。生物種としても、危機的な状況に陥るでしょう。70億なんて人口が、資源エネルギーなしで維持できるわけがありませんから。我々の子孫がそんな事態に陥らないためには、どうしていけば良いんでしょうかね。
2012.03.22
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「ロシアに雪男いる確率95%」 国際会議で結論ロシア・西シベリアのケメロボ州で6~8日に開かれたイエティ(雪男)に関する国際会議で、人類学などの専門家らは「これまでに見つかった各種資料は、ケメロボ州に雪男が95%(の確率で)存在していることを証明している」との結論に達した。ケメロボ州政府が9日、発表した。会議期間中、米ロやカナダ、スウェーデン、エストニアの専門家らが、雪男の目撃情報が相次いだ同州南部ゴールナヤ・ショリヤのアザス洞窟や周辺の山を探索。雪男のものとみられる生息場所や体毛を見つけたと報告した。ロシアメディアによると、洞窟にあった足跡の一つから12本の灰色の体毛が見つかり、科学鑑定されるという。米国の研究者は会議で、米カリフォルニア州にいるとされる雪男「ビッグフット」の声だとする録音も披露した。参加者らは、ケメロボ国立大をベースに雪男の特別研究センターを創設するよう提案した。-------それって本当でしょうか?確かにシベリアは日本などとは違って、人口密度がきわめて低いので、人跡未踏の地もたくさんあるでしょうが、雪男が未だに人間(現生人類)に知られることなく生きながらえている、と考えるのは、いささか無理があるように思います。「灰色の体毛」だけだったら、そりゃクマの可能性を考えた方が現実的じゃないのかな、と思ってしまうのです。まず、もし仮に雪男が存在するとして、それは分類的に見て何者ということになるのでしょうか。当然、霊長目(サル目)ヒト科のいずれかの種類ということになるはずです。ホモ属のいずれかの種か、またはその祖先に当たるアウストラロピテクス属のいずれかの種ということになるでしょう。実際には、アウストラロピテクス属のヒト(化石記録はアフリカからしか見つかっていない)が酷寒のシベリアで生きていけるはずがないので、ホモ属のいずれかの種しかあり得ないでしょう。現実的には、ホモ・エレクトス(北京原人・ジャワ原人など)か、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)のいずれかしかあり得ません。西シベリアのアルタイ山脈付近で、デニソワ人と呼ばれる、ネアンデルタール人に近縁なヒトが発見されているので、雪男がもし存在するなら、このデニソワ人の末裔というのが有力かも知れません。だけど、ネアンデルタール人は、一説には「もし背広を着て地下鉄に乗っていたら、誰も気がつかないだろう」とも言われます。現生人類と、そんなに大きな違いがあるわけではありません。何より決定的なのは、ネアンデルタール人は毛むくじゃらではない(と推定されている)ということです。現在推定されているネアンデルタール人の復元像デニソワ人の復元像というのは私は知りませんが、ネアンデルタール人に近縁なので、ほぼ同じような風体だったはずです。これを、「雪男」というのは、ちょっと無理じゃないかなあ。となると、最後に残る候補は、ホモ・エレクトス、つまり北京原人などの末裔ということになります。だけど、ホモ・エレクトスがシベリアという酷寒の地に住むことができたか、というのは大いに問題です。そもそも、サル目というのは熱帯起源の動物です。サル目の中で唯一、もっとも寒い地域まで分布しているのが我々現生人類(ホモ・サピエンス)です。それに次ぐのは、前述のネアンデルタール人(デニソワ人も)。彼等は北極圏には達しなかったけれど、最終氷期の寒冷気候の中でヨーロッパやシベリアに住んでいたのだから、能力的にはおそらく今のシベリアにも居住できるでしょう。しかし、この2種以外では、日本の青森県下北半島に住むニホンザルが、サル目の分布の最北端です。ホモ・エレクトスも、中国の北京あたりに住んでいた(北京原人)のだから、寒さに無抵抗ではなかったでしょうが、シベリアの寒さに耐えて生きていけるかというと、ちょっと無理じゃないかなと思うのです。まあ、「雪男がいるかも」というロマンはあってもいいかもしれないですけどね。
2011.10.12
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100507-00000004-maip-sociネアンデルタール人 ヒトと混血の可能性 ゲノムを解析ヒトと、ヒトに最も近い種で絶滅したネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)を独米などの研究チームが比較した結果、過去に一部が混血し、ヒトにもネアンデルタール人に由来する遺伝子が残っている可能性があることが分かった。チームが7日発行の米科学誌サイエンスに発表した。独マックスプランク進化人類学研究所などの研究チームは、クロアチアで出土した約3万8000年前のネアンデルタール人3体の骨の化石の細胞核からDNAを取り出し、ゲノムを解析。アフリカ南部▽同西部▽パプアニューギニア▽中国▽フランスのヒト5人のゲノムと比較した。その結果、アフリカ人を除く3人の方がネアンデルタール人のゲノムと一致する率がわずかに高かった。チームは、アフリカで誕生したヒトの一部が8万年前以降にアフリカを離れた後、ユーラシア大陸に広がる前に中東近辺でネアンデルタール人と混血した可能性があると指摘。「ヒトの遺伝子の1~4%はネアンデルタール人に由来している可能性がある」と推測している。これまでヒトの細胞内のミトコンドリアDNAの分析などから、ヒトの祖先はアフリカで15万~20万年前に誕生して以降、絶滅した他種と混血しないまま、ユーラシア大陸を経て全世界に広まったという「アフリカ単一起源説」が主流だった。一方、ネアンデルタール人については、ヒトと共存する時期があったことや、両者の交流を示唆する石器が発見されていることから、混血の可能性も指摘されていた。-----------------かつて、ネアンデルタール人は我々現生人類の直接の祖先だと考えられていました。しかし、ネアンデルタール人の化石からDNAを抽出することに成功したことから、現生人類とDNAの比較が行われ、ネアンデルタール人と現生人類の分岐が約40万年前だったことが分かりました。一方現生人類はすべて、約12~20万年前に共通祖先から分岐しているので、ネアンデルタール人は現生人類にとって、いとこ筋に当たる存在で、直接の祖先ではないことが分かったのです。人類の進化については、一地域進化説(アフリカ単一起源説)と多地域進化説が長く対立してきました。人類の祖先は、約400万年前のアフリカの猿人(アウストラロピテクス)まだ遡ることができ、約100万年前以降は、より進化した原人がアフリカ以外の地域にも分布を広げました。一地域進化説とは、現生人類は比較的新しい時代に少数の母集団から生まれた種類だという考え方です。別の言い方をすれば、古い時代にアフリカを出たジャワ原人や北京原人、あるいは問題のネアンデルタール人などは現生人類の直接の祖先ではない(彼らは子孫を残さずに絶滅した)というのが一地域進化説の考えです。一方、多地域進化説は、アフリカの原人はアフリカ人へ、ヨーロッパの原人はヨーロッパ人へ、アジアの原人はアジア人へ、というように世界各地の原人がそれぞれ現生人類に進化していったという考え方です。この二つの説の対立は、最終的にはDNAの分析によって決着が付きました。現生人類は驚くほど遺伝的に均質な集団であり(※)、12~20万年遡るだけですべての人の共通祖先にたどり着くことが分かったからです。※ たとえば、チンパンジーは個体数が人類より遙かに少なく、また分布もアフリカの一部に限られているにもかかわらず、チンパンジー同士の遺伝的差異は、現生人類同士の遺伝的な差異より遙かに大きいのですところが、今回の調査の結果、現生人類に、ごくわずかながらネアンデルタール人の血が受け継がれている(かもしれない)ことが示唆されました。正確に言うと、アフリカ人(いわゆる黒人)にはネアンデルタール人の血は受け継がれず、ヨーロッパ人とアジア人だけに受け継がれた、ということのようです。実は、ネアンデルタール人と現生人類の間に交雑が起こった可能性があることは、化石資料からも支持されています。手元に文献がないのでうろ覚えですが、ネアンデルタール人の絶滅寸前の時期に、ネアンデルタール人と現生人類の両方の特徴を併せ持つ子どもの化石が発見されているからです。ということは、ネアンデルタール人と現生人類の交雑は可能(子孫が生き残ったかどうかは別にして)ということになります。ただ、ネアンデルタール人と混血していたと言っても、たかだか1%から4%程度ですから、一地域進化説が揺らぐ、というには混血の割合が低すぎるかもしれません。いずれにしても、現生人類が非常に均質な遺伝集団だという事実に変わりはありません。ずっと昔の記事に書いたことがありますが、「黒人」「白人」「黄色人種」などという「人種」という区分は、DNA鑑定の元ではまったく意味がない。まして日本人と中国人など、区別すること自体バカバカしいというものです。
2010.05.08
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一昨日の日記に、ヒトのヒトたる所以は直立二足歩行を行うことである、と書きました。ヒトとチンパンジーの分岐は、500万年から700万年前とされています。気が遠くなるほど遠い過去のことですが、しかし生物の進化という意味では、それほど昔のことではありません。霊長類(サル目)は、少なくとも5000万年以上、ひょっとすると6500万年に登場していますし、ほ乳類の登場は2億年前(実は恐竜とほぼ同時期)まで遡るのです。その長い期間、ほ乳類は(サルも含めて)ずっと四足歩行をしていたのです。その長い歴史に比べれば、ヒトが直立二足歩行を始めたのは、「わずか」500-700万年前のことに過ぎないと言えます。そのため、ヒトはまだ完全に直立二足歩行という新しい形態に適応してはいないのです。ヒトの骨格は、チンパンジーの祖先から分岐して早々に、直立二足歩行にほぼ適応しました。400万年前の初期のヒトであるアウストラロピテクスが、すでにほぼ完全な直立二足歩行を行っていたことは、すでに書いたとおりです。しかし、循環器系や内臓は、未だに直立二足歩行という新しい体勢には適応していません。そして、そのことが原因となって、人間に特有の様々な病気が生じるのです。一番分かりやすい例は胃下垂でしょう。人間の胴体が垂直に立っているからこそ胃下垂という病気があるので、胴体が横になっていたら、そんな病気はあり得ません。痔も同様です。痔は、静脈を心臓に戻ってくる血液が、途中で逆流、鬱血することで起こるわけですが、実はそういう事態を避けるために、手足の大静脈には逆流防止の弁が付いているのです。ところが、胴体内の大静脈には、逆流防止の弁がほとんどない。四つ足で歩いている動物の胴体は水平なので、そんなものがなくても血液は順調に流れるからです。しかし人間は胴体が垂直に立っているため、逆流防止弁がないと大静脈の血液が鬱血しやすい。その場所が、大静脈が胴体に入ったところ(お尻)というわけです。お尻といえば、汚い話で恐縮ですが、ヒト以外の動物が排泄をするのにティッシュが必要などという話は聞いたことがありません。これも、ヒトは直立二足歩行を始めた結果、肛門がお尻の奥に引っ込んでいることが原因です。(もちろん、昔はティッシュなどではなく、木の葉などで拭いていたでしょうが・・・・・・)腰痛もヒトが二足歩行を行っていることが原因で起こる病気の一つです。上半身の重さを四本の足ではなく二本の足だけで支えるので、それだけ足腰への負担が大きいのです。気管に異物が入り込みやすい、入り込んだものが肺まで落ち込みやすいのも、体(気管)が垂直だからです。妊娠・出産を巡る様々な病気にも、二足歩行に起因するのではないかと思われるものがあります。だいたい、犬猫に難産という話はあまり聞かないですね。たとえば、妊娠中毒症という病気があります。原因は明確には分かっていませんが、胎児の重さで腰(起きているとき)や背骨(寝ているとき)の周辺の血流が圧迫されることが原因の一つだと言われています。そこで、犬猫のようにうつぶせの姿勢をとると良い、というので、ドーナツ型クッションなんてものがある。直立二足歩行のデメリットをいろいろと書き連ねましたが、しかし直立二足歩行なしに高度な知能を獲得することがあり得なかったことは、前の日記に書いたとおりです。だから、これらのことは高度な知能を獲得した代償ということもできるでしょう。もしヒトがこれから先あと何百万年か絶滅せずに生き続けることができるとしたら、我々の子孫はこれら直立二足歩行のデメリットを解消していくようなかたちの進化を遂げていくことが、出来るんでしょうかね。その前に絶滅しているかも知れないけれど。
2008.09.21
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昨日に引き続いて人類の進化に関係した話を。かつて、分子生物学の手法が登場する以前には、人類と類人猿の分岐は1500万年以上昔のことだと考えられていたことは、昨日書きました。その当時、人類の最古の祖先は1400万年前のラマピテクスと考えられていました。人類最古の祖先が1400万年前ということは、人類と類人猿の分岐はそれより以前、1500万年以上前、ということになります。ところが、DNAの分析による分子生物学は、人類と類人猿(チンパンジー/ボノボ)との分岐は500万年前という、当時の常識とはかけ離れた数字を示したのです。最初は、疑念の目で見られましたが、やがて、ラマピテクスのより完全な化石が発見され、この動物が実は人間の祖先ではなく、オランウータンの祖先である可能性が高まったこと、その他の様々な証拠からも人とチンパンジーの分岐は500万年前という数字が支持され、新しい定説として定着するに至ったのです。が、ごく最近になって、600~700万年前の人の祖先ではないかとされる化石が次々と発見されてしまったことで、人とチンパンジーの分岐500万年前という定説が揺らいでいます。新たに発見された化石は、約600万年前のオロリン・トゥゲネンシスと、それより更に古いサヘラントロプス。特にオロリン・トゥゲネンシスは、それまで最古の人の祖先として知られていたアウストラロピテクスよりも現在のヒトに近いのではないかとも言われています。これらのことを受けて、ヒトとチンパンジーの分岐は700万年前という説が登場しています。実は、DNAを使った分子生物学の手法は、二つの種の遺伝的な距離を測ることはできますが、その遺伝的な距離を「分岐してから何万年」という時間的な距離に置き換えることは、本来はできないのです。ではどうやって時間的距離を測るかというと、化石資料と照合するのです。猿(霊長目)の仲間はいくつかのグループがありますが、このうち、「真猿類」と呼ばれるグループは、アフリカ・アジア・南アメリカに住んでいます。アフリカとアジアに住んでいるのが狭鼻猿類(ヒトもその仲間)、南アメリカに住んでいるのが広鼻猿類です。南アメリカに住む広鼻猿類は、約2500万年前に突然南アメリカに姿を現しました。当時、南アメリカはどの大陸ともつながっていない孤立した大陸(オーストラリアや南極と同様)で、どうやって渡ってきたのかはよく分かっていません。ともかくアジアやアフリカの狭鼻猿類と南アメリカの広鼻猿類の分岐がそれ以前であることは明らかです。南アメリカにサルが姿を現す更に1000万年前、おおむね3500前頃に両者は分岐した、と考えられておりそこで、狭鼻猿類と広鼻猿類の遺伝的距離を基準として、その半分くらいの遺伝的距離なら、3500万年の半分の1700~800万年前、10分の1の遺伝的距離なら350万年前、というようなかたちで時間的距離を算出したわけです。ところが、この計算方法は、「二つの種の間で遺伝子の変化速度は一定である」「遺伝子の変化速度は常に一定である」という二つの前提条件に基づいていて、その前提条件が本当に事実なのか、という点に弱点を抱えているのです。加えてもう一つ、狭鼻猿類と広鼻猿類の分岐は本当に3500万年前なのか、という問題があります。つまり、南米に広鼻猿類が登場したのが3500万年前ですが、その祖先は南米に渡ってくるより以前から、すでにアジア・アフリカの狭鼻猿類の祖先とは枝分かれしていた、ということも考えられなくはないからです。そんなこんなで、分子生物学の手法による分岐年代の推定には、どうもある程度の誤差がありそうです。500万年前と700万年前というのも、誤差の範囲内、ということになるのでしょう。ところで、「ヒト」の定義とは何でしょう。多分様々な定義があると思います。「考える葦」という定義もありました。しかし、生物学的に見れば、ヒトの定義は「直立二足歩行を行う霊長類」となります。ヒトは、足と背骨を一直線に、垂直に伸ばして立ち、その姿勢で歩くことを常態にしています。このような姿勢をとることができる動物は、他のサルの仲間にはいません。否、サルの仲間どころか、ほ乳類いや全ての動物の中でも人間だけができる能力なのです。400万年前にアフリカに暮らしていた初期の人類アウストラロピテクスは、知能程度はチンパンジーやボノボとあまり変わらなかったと推定されています。脳の容量がチンパンジー類とあまり変わらないからです。しかし、アウストラロピテクスは疑問の余地なくヒトの仲間なのです。なぜなら、直立二足歩行を行っているからです。一方、チンパンジーやボノボ(特にボノボ)は、驚くほどの知能の高さが知られていますが、それでも議論の余地なく類人猿なのです。なぜなら、直立二足歩行が行えないからです。このことが何を示しているかというと、ヒトは脳味噌が進化したことで類人猿から分かれたのではない、ということです。ヒトは、まず二足歩行という能力を獲得したことで類人猿から分かれ、その後で知能を進化させたのです。もちろん、サルの仲間自体が、もともと進化とともに知能を発達させてきたという基本的な条件はあるのですが。では、何故二足歩行を始めたら急激に知能が発達したのでしょう。正確なことは分かりませんが、直立二足歩行によって手が自由になったことが大きな理由ではないか、と言われます。もともとサルも手(前足)は器用な動物ですが、ヒトは直立二足歩行によって手を歩行に使う必要がなくなったので、更に手先を自由に使えるようになりました。そして、その自由な手先を最大限に使うことによって、脳の発達が促されたのではないか、というのです。手先を使わなくても、知能が進化しなくとも、二足歩行をする限りヒトは生物学的にはヒトです。でも、高度な知能を持った「人」「人類」は、ヒトが手先をたくさん使わなければ、登場しなかったかも知れません。だから、手先はいっぱい使った方がいい。楽器を弾くのも良いし、料理をするのも良い、ものを作るのも良いでしょう。ヒトが手先を使わなくなったら、知能の発展も止まってしまうのではないか、という気がします。---------------追記:南米最古のサルはボリビアで化石が発見されているブラニセラです。その地質年代は、私の手元にある文献によると前期漸新世つまり概ね3500万年前となっています。そこで、上記のように狭鼻猿類と広鼻猿類の分岐は3500万年前と書いたのですが、改めてインターネットで検索すると後期漸新世つまり2500万年前としているサイトが多いようです。いつのまにか1000万年も新しくなっている。私の手元の文献は10年以上前のものなので、その後の調査で年代が改められたのかも知れません。それから、狭鼻猿類と広鼻猿類の分岐以外にも化石資料との照合手段がないわけではありません。たとえば狭鼻猿類の中で、狭義のサルと類人猿(ヒトも含め)の分岐は、化石資料から2500-3000万年前頃と推定されており、これを基準として遺伝的な距離を分岐の年代に置き換えることもできます。その他、様々な化石資料との照合によって年代は補正されているはずですが、その数字がかなりの誤差を含んでいることは否定しようがありません。
2008.09.19
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分子生物学による研究によると、人間にもっとも近縁な生物は類人猿のチンパンジーであり、両者が共通祖先から分離したのは500万年前から700万年前くらいのこととされています。かつては、人と類人猿の共通祖先からの分離は1500万年以上前と考えられていたのですが、分子生物学の進歩とともに、チンパンジーと人の間には、遺伝子的にはごくわずかの違いしかないことが分かってきたのです。それに加えて、人(ホモ・サピエンス)という生物は、遺伝子的に均質な生物です。チンパンジーは人より分布域が遙かに狭く、アフリカの限られた地域にしか住んでいませんが、4つの亜種に分かれ、更に近縁ながら別種とされるボノボ(ピグミーチンパンジー)もおり。個体間の遺伝的な変異は、人間より遙かに大きいとされています。人間の個体数(人口)はチンパンジーの1万倍以上、分布域もチンパンジーより遙かに広いにもかかわらず、です。この、遺伝的な変異があまりに小さいことから、人類の進化についての「多地域進化説」と「一地域進化説」の論争は、一地域進化説が広く受け容れられるという結果となりました。かつては人類の進化は、ヨーロッパのネアンデルタール人の子孫が白人に、ジャワ原人や北京原人の子孫がアジア人にというふうに、世界各地で同時並行的に原人や旧人から現在の人類(新人)に進化していったと考えられていました。つまり、人種の起源はこれらの原人がアフリカを出て世界各地に広がった100万年ほど前に遡ることが出来ると考えられていたのです。(多地域進化説)しかし、分子生物学の進展によって、現生の人類の共通祖先はわずかに十数万年前、アフリカで誕生したというというのが定説となりました。(一地域進化説)一般的に「遺伝子」という場合は、生殖細胞の染色体を指しますが、上記のように人間の遺伝子は個体間の変異が少なくて比較が難しいので、個体間の変異を比較するには、通常ミトコンドリアDNAを使います。ミトコンドリアDNAは生殖細胞のDNAよりも遙かに変化のスピードが速いため、変異を比較しやすいからです。しかも、ミトコンドリアDNAは母親から子どもにしか伝えられないので、祖先をたどりやすいというメリットもあります。このミトコンドリアDNAを解析した結果、現生の全ての人類の祖先は、今から十数万年前のアフリカ人の、1人の女性にたどり着いたのです。(ミトコンドリア・イブ仮説)その後、絶滅したネアンデルタール人の化石からもミトコンドリアDNAの抽出に成功し、彼らが現生の人類とは50万年くらい前に分岐したこと、従って十数万年前に誕生した我々現生人類の祖先ではないことも明らかになりました。人の遺伝的な変異があまりに小さいことから、多くの人類学者は、我々現生人類の祖先は、非常に小規模な集団だったのではないかと推測しています。かつて、ある時期に絶滅寸前の状態に陥り、個体数(人口)が極端に減ったことがあるため、遺伝的な多様性が失われたのではないか、とも言われています。とりわけ遺伝的多様性が乏しいのは、アジア人とヨーロッパ人です。つまり十数万年前の共通祖先に近い、古い時代に枝分かれしている集団は、全てアフリカ人(黒人)なのです。アジア人(黄色人種)とヨーロッパ人(白人)は、アフリカ人の1集団の中から、より新しい時代になって枝分かれした、新しい集団なのです。従って、アジア人とヨーロッパ人の遺伝的な変異は、アフリカ人に比べて遙かに小さい。それは、枝分かれの年代がより新しいということと、枝分かれしたときの集団(人口)がごく少なかったということを示唆しています。現生人類の共通祖先の誕生は十数万年前(15-20万年前)で、そこからアジア人とヨーロッパ人の共通祖先が枝分かれ(アフリカから出た)のは5-8万年前、アフリカを出た集団の規模は百数十人程度、という説が言われています。アジア人とヨーロッパ人の分岐は、当然それより更に新しい時代のことです。このように分析が進んだ結果、「人種」という定義がまったく無意味なものであることが明らかになりました。一般に、アフリカ人を黒人(ネグロイド)、アジア人を黄色人種(モンゴロイド)、ヨーロッパ人を白人(コーカソイド)と呼んでいます。(北アフリカや中東のアラブ人、インド人なども人類学的には白人)しかし、もともと現生人類は遺伝的に非常に均質なので、人「種」などという用語で区別することには無理があります。それでもあえて遺伝的な変異に従って人種をわけるとしたら、黒人A人種黒人B人種黒人C人種黒人D+白人+黄色人種とでも分けるしかないのです。なぜなら、黒人A~D間の変異は、黒人Dと白人、黄色人種間の変異より遙かに大きいからです。黒人A~Dを一つの「人種」にまとめて、白人という「人種」、黄色人種という「人種」と対置させることの無意味さは、容易に理解できることと思います。もちろん、生物学的な分類とは別に、社会的・文化的な意味での人間集団としては(つまり、「民族」と同じような意味での)「人種」には意味があるかも知れません。たとえば米国における黒人はそのような概念かも知れません。ただし、日本人とアメリカ先住民に同じ黄色人種としての社会的・文化的な意味での同一性があるか、ケニアのマサイ族とカラハリ砂漠のサン族ではどうかと考えると、いささか無理がある。もう一つ、では十数万年前に登場した、現生人類の最初の集団はどんな肌の色をしていたのでしょうか。もちろん、肌の色が分かるような化石資料は発見されていないし、今後も発見されないでしょう。しかし、その場所がアフリカであったこと、古い時代に枝分かれしている人間集団がみんな黒人であることから考えると、最初のホモ・サピエンス集団も黒人(黒い肌の人間集団)であった可能性が極めて高い。ということは、日本人だろうが中国人だろうが、イギリス人だろうが南アフリカの白人であろうが、遡ればご先祖様は黒い肌の人々だった、ということです。
2008.09.18
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