旅人の記録

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2009.02.18
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テーマ: ニュース(95848)
カテゴリ: 時事




 死刑基準をめぐっては、昭和58年7月の最高裁判決が、(1)犯行の罪質(2)動機(3)態様(特に殺害手段の執拗(しつよう)性、残虐性)(4)結果の重大性(特に殺害された被害者の数)(5)遺族の被害感情-などを考察し、やむを得ない場合に死刑は許されると判示。いわゆる「永山基準」として一般化されている。今回の無期判決は、この基準に準拠して判断された。

 判決は、東城さんの遺体を200片以上にバラバラにし、汚物のようにトイレなどに流した死体損壊・遺棄行為は残虐だとした。だが、東城さんの自宅にあった包丁で衝動的に突き刺した行為に計画性はなく、殺害方法に特別な執拗さや残虐さはないとした。

 「被害者1人は無期懲役、3人なら死刑」(司法関係者)という量刑判断が慣例化するなか、被害者が1人のみである点や、星島被告に前科がない点も重視した。判決は、星島被告が幼少時に大きなやけどを負い、劣等感を感じてきたことに同情したうえで、「冥福(めいふく)を祈らせるべきだ」と指摘し、極刑を回避した。


産経ニュース



これじゃ、殺された被害者も遺族も浮かばれませんね。

何の罪も無い人が殺され、遺体を切り刻まれトイレに流されたりゴミとして捨てられても「殺害方法に特別な執拗さや残虐さはない」とは・・・

裁判官の感覚では、死刑は極刑であるから、「死刑=考え得る最もひどいやり口の殺人に対する刑罰」という感覚で、そこから減点しうる事象が何かあれば死刑にはしないというような考え方にみえるけれど、それはちょっとおかしいんじゃないですかね?

もっと被害者の方、人ひとりの取り返しのつかない命が奪われた事の方の立場に立って考えるべきではないんですか?

悪いのは殺した方であって、殺された方ではないのだから、より守るべきは殺された人の方でしょ。


これじゃ、ただの殺され損です。
結果的に、まるで殺された方も悪いかの様だ。

人ひとりの命を奪ったなら、犯人の命で償わせるのが妥当でしょう。


少なくとも故意の殺人は、被害者が一人でもどんな方法であっても、最低でも死刑にすべきだと思いませんか?





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最終更新日  2009.02.19 00:56:10
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命は一つ さん
まったく同感です。命を奪った罪は己の命で償うべきと思います。過失じゃないのですから当然でしょう。>>「被告は矯正不可能とまではいえない」・・・・裁判官の感覚が??? (2009.09.13 23:41:32)

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