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2006年04月28日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

Solyaが小学校の低学年までを過ごした母の実家があった町。
この至極分かりやすい町名の由来をsolyaは知らない。
奈良時代には伯耆の国府が置かれ、歌人としても有名な山上憶良が赴任し、室町時代には、西国の最有力大名山名氏が支城を築いて城下とした倉吉も、江戸時代に入ると倉吉陣屋(現成徳小学校=solyaの母校)が置かれただけで城はなく、町の主役も武家から商家へと移っていった。

魚町をはじめ、東仲町、西仲町、西町、岩倉町といわゆる八橋往来沿いには、有力な商家が軒をつらねた。

そうした町衆の需要に応えるべく、魚町には、魚屋、仕出し屋、料亭などが並んでいたものであろうか???

今でも、この町はしっとりと濡れたように時代が佇む町である。
明治四十一年に建てられた擬洋風建築の「倉吉大店会」、豪商桑田藤十郎の屋敷跡を利用したアンティークショップなどなど、倉吉の歴史そのものの匂いが墨絵のように漂っている。

八橋往来


昭和の時代になってからのことのようだ。
祖父は伊予今治の人。祖母はやはり伊予大島の出である。
どちらも倉吉の人ではない。
祖母は朝鮮総督に赴任した祖父に従って朝鮮半島に渡ったらしい。
そこで、三人の子をもうける。しかし、祖父は突然病に倒れ、そのまま不帰の人となる。
三人の子を抱えた祖母は、ずいぶんと難渋しながら、その頃倉吉に嫁いでいた母親(曾祖
母)をたよって倉吉の地まで辿り着くのである。
そして、喰わんがため、この老舗旅館に仲居として働きはじめる。
その内に、先代より譲り受けたものらしい。

祖母は女将として旅館の経営、接客にあたるだけでなく、板場も自分で差配した。
供する料理はみな京風の懐石であった。囲碁、席画、墨跡、文学にも堪能であったと聞く。


solyaの母は、若い頃、祖母の命で京都の老舗料亭に修行にでたことがあるらしい。
何故、祖母がこの老舗料亭と親交があったのか、誰も知らない。
ひょっとすると、三人の子を抱えた祖母は、まっすぐに倉吉を目差したのではないのかもしれない。

数年に一度、京都まで一人旅を楽しみにしていたのも、ここいらへんに理由がありそうである。

戦後、地元新聞社による「鳥取三女傑」の一に数えられた大女将の謎の前半生を、


今、ヤマトタケルノミコトが白鳥になって天に登ったと伝承される羽曳野の地から、
遠く白鷺の舞う倉吉と祖母の思い出に心遊ばす。

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今日も景気良く、何卒、ひとつ
ポチッと、よろしくねー。m(_ _)m

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Last updated  2006年04月28日 18時11分15秒
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