その起源は享保年間の1732年に全国的な大飢饉が発生し、また江戸ではコレラが流行して、両方で非常に多くの人が亡くなくなりました。
1732年と1733年に襲った「享保の大飢饉」は近世の三大飢饉の一つに数えられます。
それはトノサマバッタやウンカ・アブラムシ・メイチュウなど各種の害虫による虫害で、餓死者は約百万人に上ったとされています。
その 供養と悪疫退散祈願
を兼ねて両国の大川(現在の隅田川)で幕府(時の将軍吉宗)が 水神祭
を行いました。
1733年からは 水神祭と同時
に、両国橋の料理屋が許可を得て 花火を打上げ
ました。
その後、 花火の打上げは大川の川開き行事として定着
し、
毎年旧暦 5月28日
に催されました。
それは戦争などで中断期間もあったものの、ともかく1961年まで続きました。
それ以降は現場付近の交通渋滞対策の為に廃止されました。
この時、花火を上げたのが「かぎやー!」の掛け声でも有名な、鍵屋6代目篠原弥兵衛でありました。
ちなみに、この鍵屋とともに有名な玉屋は鍵屋からのれん分けした花火屋で、1800年代前半に両国の花火を代表する花火屋でした。しかし、失火がもとで江戸追放になってしまいその活躍期間は30年程度、一代限りで途絶えてしまいましたが、その後、「たーまや~!!」という掛け声だけが残ったとされています。
今日は「花火の日」ということで、雑学になりましたが、「水神祭」に納涼花火大会の起源があったということをお伝えいたしました。
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