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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2009.03.03
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 龍安寺は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を大雲山と称します。

 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承です。

 ”京の古寺から16 龍安寺”(1997年9月 淡交社刊 松倉紹英/水野克比古著)を読みました。

 石庭で知られ枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺を、写真と文章で紹介しています。

 松倉紹英さんは、前龍安寺住職で、1908年岐阜市に生まれ、臨済宗専門学院を卒えて、梅林僧堂にて修行し、一時軍務に服し、終戦にて帰国し、1948年龍安寺住職に就任し、1983年遷化しました。

 水野克比古さんは、1941年京都市上京区に生まれ、1964年同志社大学文学部を卒業し、1969年からフリーランス・フォトグラフアーとして、日本の伝統文化を深く見つめ、京都の風物を題材とした撮影に取り組んできました。

 龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が1450年に創建した禅寺です。

 衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものです。

 初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承を迎えました。



 創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったといいます。

 1467-1477年の応仁の乱で焼失し、勝元の子の細川政元と、4世住持・特芳禅傑によって1488年に再興されました。

 寺では特芳を中興開山と称しています。

 その後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護しています。

 最盛期には塔頭が21か寺、軒を連ねていたといいます。

 現存するものは3か寺です。

 1797年の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈としまた。

 方丈南側の枯山水庭園が石庭として名高く、二方を油土塀で囲み、東西30メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3に配置しています。

京の古寺から(16)






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Last updated  2009.03.03 20:24:31
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