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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2014.03.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 竹越與三郎は、三叉と号して、記者としてまた歴史家として知られ、政治家となっても筆を離さず、つねに時事を説き歴史を語り、独自の文明論、文明史観を論じ日本の発展を主張し続けました。

 しかし、今日ほとんど忘れられた存在となっています。

 ”ある明治リベラリストの記録”(2002年8月 中央公論新社刊 高坂 盛彦著)を読みました。

 孤高の戦闘者であった、リベラリスト竹越與三郎の生涯を記録しています。

 高坂盛彦さんは、1937年東京都出身で、1960年東京大学法学部を卒業し、日本国有鉄道勤務を経て、1997年に東京大学法学部に学士入学し、日本政治史・政治思想史を専攻しました。

 竹越與三郎は、明治中期以後、大正、昭和前期までの三代において、歴史家として、批評家およびジャーナリストとして、さらに政治家として、広く世に知られた人でした。

 著者は、大学時代、丸山真男の論文を読んで、自由民権運動における地方豪農層の役割を説いた竹越與三郎の名をはじめて知った、といいます。

 卒業後、サラリーマン生活を送る間も、政治思想史への関心は絶えることがなく、大学再入学を期として、竹越與三郎の業績を調べる機会に恵まれたということです。

 竹越與三郎の後半生について短いレポートを書き、軍国主義の風潮に抵抗する老知識人の姿に感銘したそうです。



 竹越與三郎は、1865年に武蔵国本庄宿の酒造業清野仙三郎の次男として生まれ、新潟県中頸城郡で成長しました。

 上京して中村敬宇に学び、1881年に慶應義塾に入学し、翌年、福沢諭吉から時事新報社への入社を薦められ、在学中から新聞に執筆し始めました。

 1883年に、新潟県柏崎出身の伯父・竹越藤平の養子となりました。

 時事新報社に入社しましたが、官民調和の臨調に反発して翌年退職し、小崎弘道の勧めで群馬高崎教会に住んで英語塾を開きました。

 1886年に、小崎弘道よりキリスト教の洗礼を受け、同年、前橋英学校の教員に招かれました。

 その後、”基督教新聞”や”大阪公論”の記者を務めました。

 その頃、湯浅治郎の紹介で徳富蘇峰と知り合い、民友社及び”国民新聞”の創刊の手伝いをしました。

 1889年に正式に民友社に入り、1890年の国民新聞創刊時から政治評論を担当しました。

 この年、オリバー・クロムウェルの伝記”クロムウェル”を刊行して、在野史家としてデビューを飾りました。

 1891年から全3巻の予定で、明治維新史を政治・外交・経済・宗教の側面より分析した”新日本史”の刊行を開始しました。

 ただし、下巻は未完に終わりました。



 山路愛山とも親交を結び、民友社を代表する史論家として知られるようになりました。

 伊藤博文、陸奥宗光、西園寺公望に見出されて高く評価されましたが、原敬、桂太郎、大隈重信とは対立しました。
 その後、日清戦争を機に国粋主義に傾倒していった蘇峰を竹越が批判したことから対立し、1895年に民友社を退社しました。

 その後、再び時事新報社に入りましたが、陸奥宗光・西園寺公望らの世話を受けて、1896年に”世界之日本”の主筆に迎えられました。

 同年に開拓社から、代表作となる日本通史”二千五百年史”が刊行されました。



 その後、欧州視察を経て、1902年の第7回衆議院議員総選挙において、新潟県郡部区より立憲政友会から立候補して初当選し、以後5回連続で当選を果たしました。

 その後、台湾総督府の児玉源太郎総督や後藤新平民政長官とも近くなり、欧米や南洋地域の視察を行って日仏協会設立に尽力したり、1906年に読売新聞主筆に就任するなど、評論活動を続けました。

 1915年の第12回衆議院議員総選挙で大隈信常に敗れて落選すると、日本経済史編纂会を結成し、1919年から翌年にかけて”日本経済史”全8巻を刊行しました。

 1922年に宮内省臨時帝室編修局御用掛に任命され、ほどなく編修官長に転じて”明治天皇紀”編纂の中心的役割を担いました。

 この年貴族院議員に任じられ、政友会系の交友倶楽部に属しました。

 1930年に、西園寺公望の半生を記した伝記”陶庵公”を執筆しました。

 1940年に枢密顧問官に転じましたが、軍部の圧迫で”二千五百年史”が発売禁止になるなどの圧迫を受けました。

 東京大空襲では、蔵書や原稿を焼失しました。

 戦後、枢密院廃止後は一切の公職から退き、1947年に公職追放処分を受け、1950年に老衰のため死去しました。

第1章 遊学時代
第2章 民友社時代
第3章 『世界之日本』時代
第4章 衆議院議員時代
第5章 修史家時代
第6章 貴族院議員・枢密顧問官時代






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Last updated  2014.03.10 09:47:12
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