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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2017.09.24
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 古田織部を主人公として描いた歴史漫画作品として、”へうげもの”=ひょうげものが知られています。


 第1巻は2005年12月22日に発売され、最近の第24巻は2017年6月23日に発売されました。


 この作品の第1巻から第9巻までが全39話で、2011年4月から2012年1月にかけて、NHK BSプレミアムにて放送されました。


 ”古田織部 - 美の革命を起こした武家茶人”(2016年1月 中央公論新社刊 諏訪 勝則著)を読みました。


 信長・秀吉・家康の三大英傑の時代を駆け抜けた戦国武将で、「後に数寄者として多くの人々から慕われ茶の湯界の先導役となった織部の生涯を紹介しています。


 ”へうげる”=剽げるとは、ふざける、おどける、の意味です。


 織田信長に仕えて調略の才を発揮した古田織部は、のち羽柴秀吉に従って天下取りに貢献し、他方で茶の湯を千利休に学んで高弟となりました。


 利休の死後は、特異な芸術センスで桃山文化に多大な影響力を及ぼし、公武にわたる広範な人脈を築きました。


 しかし、1615年の大坂夏の陣で、豊臣方への内通を疑われ、幕府から切腹を命じられました。


 古田織部は、単なるへうげものではありません。


 諏訪勝則さんは、1965年神奈川県生まれ、國學院大學文学部文学科卒業、同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了、現在、陸上自衛隊高等工科学校教官を務めています。


 古田織部という名前は茶人としての呼称で、武人としては古田重然=しげなりという名前です。


 1543年に美濃国本巣郡の山口城主・古田重安の弟・古田重定の子として生まれ、後に伯父・重安の養子となりました。


 織部の名は、壮年期に従五位下織部正の官位に叙任されたことに由来しています。


 古田氏は元々美濃国の守護大名土岐氏に仕えていましたが、1567年に織田信長の美濃進駐と共にその家臣として仕え、重然は使番を務めました。


 翌年の信長の上洛に従軍し、摂津攻略に参加したことが記録に残っています。


 1569年に摂津茨木城主・中川清秀の妹・せんと結婚しました。


 武人としての織部は、信長・秀吉・家康の三大英傑の時代を駆け抜けました。


 そこには、秀吉の名幕僚として出生街道を歩んだ華やかな姿は見られません。


 代官・補佐役・調略役として着実に職務に専念する、地味な武人として活動しました。


 美濃土岐氏の家臣から始まり、信長に属してからは、中川清秀と姻戚関係を結び、摂津・播磨攻略の一翼を担いました。


 本能寺の変直後には秀吉に与し、明智光秀討滅に貢献しました。


 賤ヶ岳合戦において清秀が陣没したため、その嫡男秀政を支え、小牧・長久手合戦や四国遠征に参加し、補佐役として活躍しました。


 秀吉の晩年には御伽衆として活動しました。


 千利休ほどではないにしろ、秀吉の側近くにあって、諸将への連絡調整や助言等を行っていました。


 関ヶ原合戦では徳川方に属し、佐竹義宣の調略に成功しています。


 武人との交流は盛んで、まず、伊達政宗・島津義弘・同家久・佐竹義宣・南部利直・毛利秀元・小早川秀包・北条氏盛ら、戦国大名とその一族の人々を門弟としていました。


 次に、細川幽斎・同忠興・松井康之・織田有楽・黒田如水・浅野長政・同幸長・大野治房・和久宗是・猪子一時・有馬豊氏・小堀遠州・上田宗箇・金森長近・同可重・


 九鬼守隆・古田重勝・村上頼勝・桑山重勝・同元晴・寺沢広高・竹中重利・別所吉治・藤堂高虎・石川貞通・池田利隆ら、織田・豊臣系の武将たちとの交流がありました。


 次に、徳川家康・秀忠を始め、本多正信・本多正純・土井利勝・榊原康政・松平正綱・水野守信・板倉重宗ら徳川家とその重臣たちにも茶の湯について指南していました。


 このように、旧豊臣系、徳川系を問わず、分け隔てなく交流し、軍事・政治的なネットワークは確たるものでした。


 文人との交流も盛んで、平時は文芸に勤しみ、秀吉・家康時代は、公家社会の最上位近衛信尹=このえ のぶただから連歌の指導を受けるなど、文事に一層精進していました。


 師の千利休を始めとして、津田宗及・同宗凡・神屋宗湛・松屋久好・住古屋宗無・今井宗久・同宗薫・武野宗瓦・藪内紹智といった茶人と深く関わりました。


 また、近衛信尹・今西洞院時慶ら公家衆とも交わりを持ちました。


 さらには本願寺教如・万里小路充房・文英清韓・松梅院禅昌・木阿弥光悦・松花堂昭乗とも親しかったです。


 市井の文化の担い手である京都の下京衆などにも、茶の湯を伝授しました。


 こうして、茶の湯を趣味とする風流人の数寄者として、多くの人々から慕われ茶の湯界の先導役となりました。


 誠実な人柄で周囲の人々に丁寧で気配りの利いた対応をしながら、最上を追い求める孤高の芸術家でもありました。


 村田珠光によって創始され、武野紹鴎を経て、千利休が大成させたわび茶を継承しました。


 そして、大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって、織部好みと呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらしました。


 千利休は自然の中から美を見いだした人ですが、作り出した人ではありません。


 古田織部は美を作り出した人で、芸術としての陶器は織部から始まっていると言われています。


 2014年の古田織部400年遠忌に合わせて、京都市北区上賀茂桜井町に古田織部美術館が開設されました。


第1章 一犬茶人に至るまで-生誕から信長時代 織部の生い立ち/信長の家臣として/文芸活動
第2章 利休の門人となる-豊臣政権確立期 秀吉に臣従/茶人としての道/中川家を支援/紀州・四国遠征/武将としての飛躍
第3章 師の側近として-天下人秀吉の時代 武家茶人/小田原遠征/秀吉の茶頭
第4章 天下一の茶匠-関ケ原合戦前後 合戦前夜/織部焼/関ヶ原合戦本戦/合戦後
第5章 巨匠の死-大坂夏の陣まで 東奔西走の日々/将軍家の茶匠/織部死す
終 章 織部の実像 武家文人/芸術家織部
主要参考文献/古田織部略年譜






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Last updated  2017.09.24 07:17:52
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