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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2021.01.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 ヤン・フスの宗教改革は、ルター、カルヴァンに先んじ、社会と教会が一体化した中世に教会の権威を否定し、近代的な民族・国家誕生の契機となりました。

 ”ヤン・フスの宗教改革 中世の終わりと近代の始まり”(2020年7月 平凡社刊 佐藤 優著)を読みました。

 人を時代を動かし大転換をもたらした思想はどのように生まれたのか、危機の時代のいまこそ学ぶべき宗教改革の真髄を、15世紀チェコのヤン・フスの宗教改革を通じて明らかにします。

 フスはチェコ出身の宗教思想家、宗教改革者で、ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手しました。

 ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判しました。

 聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となりました。

 カトリック教会は1411年にフスを破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされました。

 その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処されました。

 佐藤優さんは1960年東京都渋谷区生まれ埼玉県大宮市育ち、幼少時は日本キリスト教会大宮東伝道所に通っていたそうです。

 1978年浦和高等学校を卒業、1年間の浪人を経て同志社大学神学部に進学しました。

 その後、同大学大学院神学研究科博士前期課程を修了し、神学修士号を取得しました。

 研究のテーマは、”チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について”でした。

 大学院修了後はチェコスロバキアのプラハのカレル大学留学と、本格的にフロマートカに関する研究をするという希望を持っていましたが断念したとのことです。

 外交官専門職になればチェコスロバキアに行けると考え、1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省しました。

 しかし、外務省から指定された研修言語は希望していたチェコ語ではなくロシア語で、5月に欧亜局ソビエト連邦課に配属されました。

 1986年夏に、イギリス・ロンドン郊外ベーコンズフィールドの英国陸軍語学学校で英語やロシア語を学びました。

 1987年8月末に、モスクワ国立大学言語学部にロシア語を学ぶため留学しました。

 1988年から1995年まで、在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務し、日本帰任後の1998年に、キャリア扱いに登用され、国際情報局分析第一課主任分析官となりました。

 そして、2000年までの日露平和条約締結に向けて交渉を行いました。

 外交官としての勤務のかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の客員講師や、東京大学教養学部非常勤講師を務めました。

 現在、同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授を務めています。

 本書は、2018年5月から19年2月まで、東京で行われた同志社講座”宗教改革とは何か?”の記録に、大幅な加除修正を加えることによってできたものです。

 フスは、1369年にボヘミア地方のプラハの南南西75キロメートルにあるフシネツで生まれました。

 両親はチェコ人で貧しい生活を送り、教会で奉公して生計を補いました。

 ボヘミアは神聖ローマ皇帝カール4世の時代に文化的な隆盛を迎え、プラハは独立の大司教区となり、プラハ大学、後のプラハ・カレル大学が創設されました。

 プラハ大司教や高位聖職者はカール4世の後ろ盾になり、宮廷で行政に携わりました。

 1380年代半ば頃に、フスは勉強のためにプラハに赴き、1393年に学術学士号を、1394年に論理学士号を、1396年に学術修士号を取りました。

 1400年に僧職者に任命され、1401年には哲学部長、翌年にはプラハ大学の学長に任命されました。

 イギリスで教会を批判し、聖書による信仰を回復することを説いたウィクリフの教説を知ってその影響を受けました。

 カトリック教会の世俗化を厳しく批判するようになり、1402年にプラハのベツレヘム礼拝堂の説教者にも指名され、チェコ語で説教を行いました。

 大司教ズビニェク・ザイーツのもと、フスは1405年には組織の説教者となりました。

 フスの説教は、ベーメンの貴族や民衆に広く受け容れられ、影響力を持つようになりました。

 1412年にローマ教皇の贖宥状の発売を批判すると、ついに破門されました。

 1414年に皇帝ジギスムントの召集したコンスタンツ公会議に召還されると、フスは自説を主張する機会と考えてそれに応じました。

 公会議は、3人の教皇が並立するという教会大分裂を収束させ、教会を正常化するために召集されました。

 ジギスムントがフスも招待しましたので、全ての議論を決したいと願い喜んでコンスタンツへの訪問を決めました。

 審問では一切の弁明も許されず、一方的に危険な異端の扇動者であると断じられ、翌1415年7月6日に火刑に処せられました。

 フスの思想は、教会の誤りを正し聖書に基づく信仰に戻ることに主眼があり、ローマ教皇の権威を否定したのでもありませんでした。

 また、ウィクリフの聖餐の秘蹟を否定した化体説批判には同調していませんでしたので、急進的なものではありませんでしたが、コンスタンツ公会議では危険思想の烙印を押されました。

 フスの思想はむしろその処刑後、封建領主としての教会に苦しめられていた民衆の抑圧からの解放と、ドイツ人に抑えられていたチェック人の自由を求める民族的自覚と結びつきました。

 フス派は急進派のタボル派と穏健派に分裂し、皇帝が穏健派を取り込んで急進派と戦うという構図となり、フス戦争が1419年から1436年まで起こりました。

 最終的には急進派が敗れ、皇帝と穏健派の勝利となり、フス派の穏健派はその後も信仰を認められました。

 フス戦争後のチェコのベーメンでは、神聖ローマ皇帝によるカトリック教会保護に対して、ウトラキストというフス派穏健派もその信仰を認められて大きな勢力を保ちました。

 またフス派急進派の流れをくむ人々はチェコ同胞団を結成し、たびたび弾圧を受けたましがなおも存続していました。

 さらに、フスの火刑からほぼ100年経った1517年に、ルターによって宗教改革が始まると、ルター派のプロテスタントもチェコに進出してきました。

 ウトラキスト、チェコ同胞団、ルター派の非カトリック三派は、1575年にチェコ人の信仰告白を発表し、神聖ローマ皇帝となったハプスブルク家のルドルフ2世はそれを承認しました。

 宗教改革には時代のハイブリッド性があり、宗教改革は中世の現象とも近代の現象とも言うことかできるといいます。

 三十年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約は、プロテスタント、カトリックの争いを終結させました。

 この条約締結には、神聖ローマ帝国内の各領邦国家もひとつの国として参加し、内政権と外交権を有する主権国家として認められました。

 この結果、覇権を握っていたハプスブルク帝国は衰退したため、この条約を区分として中世と近代を分けるのです。

 ただしこの時点ではまだ、国民、民族訳される近代的なネイションは生まれていません。

 近代的なネイションは、1789年のフランス革命によって誕生し、ナポレオンに征服された国々では、国民が一体となりナショナリズムが発揚し、第一次世界大戦の背景となりました。

 中世と近代の両方にかかってい宗教改革とは何だったのでしょうか。

 当時のヨーロッパの秩序を壊して近代という新しい世界をつくった宗教改革の構造を知ることで、いまの混迷する時代への視座を身に付けることかできるといいます。

 通常、宗教改革と聞くと、ドイツのマルティン・ルターを思い浮ヤン・フスとフス派の宗教改革を知るためのよい専門書がありませんでした。

 1956年に、チェコの傑出したプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカがが編著者となった、論文集”宗教改革から明日へ-近代・民族の誕生とプロテスタンティズム”が刊行されました。

 ルターの宗教改革から500年にあたる2017年に、筆者は監訳という形でこの論文集の日本語版を出しました。

 2017年は新書から専門書まで宗教改革を扱った本が出ましたが、ボヘミアの宗教改革をテーマにした本はこれだけです。

 フロマートカは、無神論を国是とする国で、教会に対する圧力が加えられている時代に、先祖から受け継いだ歴史的な遺産、フスの宗教改革の回復に取り組んだのです。

 本書では、第一章で、フスとフス派の宗教改革運動を題材に近代とはどんな時代であったのかを見ています。

 第二章は、特に終末に焦点を絞り、フス改革の神学的背景を見ています。同時に、キリスト教神学の基礎的な知識にも触れています。

 第三章では、近代のチェコの歩みを振り返り、近代の終焉に我々か直面している課題を明らかにします。

 第四章では、フロマート力の”宗教改革から明日へ”をテキストに、キリスト教神学の立場から、フスとフス派の宗教改革の内在論理を追い、21世紀に生きる日本人の我々か受け継ぐべき遺産を明らかにしま
す。

 現下の日本が直面する危機を克服するために、本書を活用して欲しいといいます。

 この世で起きていることすべてを信仰心でしっかりと見れば、今日の困難と憂慮の責任を、他の誰にでもなく自分に課す気になるでしょう。

序章 いま「宗教改革」を知ること/第1章 チェコの宗教改革者ヤン・フス/第2章 フス宗教改革の内在論理/第3章 近代チェコ史から見る民族、国家とキリスト教/第4章 フス宗教改革の遺産






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Last updated  2021.01.23 08:27:55
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