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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2021.02.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 後北条氏は関東の戦国大名の氏族で、室町幕府の御家人・伊勢氏の一族にあたる北条早雲こと、伊勢盛時を祖とし、本姓は平氏で家系は武家の桓武平氏伊勢氏流です。

 居城のあった相模国小田原の地名から小田原北条氏あるいは相模北条氏とも呼ばれ、最大時に関八州で240万石の一大版図を支配していました。

 ”戦国北条家の判子行政 現代につながる統治システム”(2020年10月 平凡社刊 黒田 基樹著)を読みました。

 戦乱の世に五代100年にわたる統治を実現した後北条家について、領国統治の仕組みと現代社会との継受性を明らかにしようとしています。

 黒田基樹さんは1965年東京都世田谷区生まれ、1989年に早稲田大学教育学部を卒業し、1995年に駒澤大学大学院博士課程(日本史学)を単位取得満期退学し、1999年に駒澤大学博士 号(日本史学)を取得しました。

 2008年に駿河台大学法学部准教授、2012年に教授・同大学副学長となり今日に至ります。

 専門は日本中世史で、歴史学研究会、戦国史研究会、武田氏研究会の活動もあり、千葉県史中世部会編纂委員や横須賀市史古代中世部会編纂委員を務めています。

 後北条家は元々は伊勢家であり、伊勢氏の宗家は室町幕府の要職であった政所の長官である執事を代々世襲していました。

 室町幕府の御家人であった伊勢氏一族の伊勢新九郎盛時、後の早雲庵宗瑞の姉北川殿は、駿河国に勢力を張った守護大名今川氏の今川義忠に嫁いでいました。

 1476年に義忠の戦死をきっかけにして起こった今川氏の内紛の際に、盛時は駿河国に下向し、甥の龍王丸、後の今川氏親を支援しました。

 これが伊勢氏=北条氏が関東圏に勢力を築くきっかけとなりました。

 1493年に、幕府の管領・細川政元による足利義澄の将軍擁立と連動して、盛時は伊豆国に侵入し、堀越公方の子の足利茶々丸を、新将軍の母と弟の仇として討つという大義名分のもとに滅ぼしました。

 以後、積極的に伊豆国を攻略して盛時の所領とした、と伝えられています。

 1495年に大森氏から相模国の小田原城を奪ってここに本拠地を移し、1516年に三浦半島の新井城に拠った三浦義同を滅ぼして、相模国全土を征服しました。

 北条氏を称したのはこの宗瑞の子の氏綱が、名字を「伊勢」から「北条」に改めてからのことです。

 今日では便宜上、早雲庵伊勢宗瑞に遡ってこれを「北条早雲」と呼んでいます。

 北条への改姓の正確な時期については、箱根権現の宝殿の修造完成を機に作成された1523年6月12日付の棟札は「伊勢」、1523年9月13日の近衛尚通の日記の記述に「北条」とあります。

 このことから、その3か月の間に行われたと推定されています。

 現代の日本社会における役所や会社が発行する公文書にも、いわゆる役所印や会社印、あるいは首長印や社長印が押捺されています。

 それだけでなく、組織内の決裁においても、担当部局の担当者印が押捺され、あるいは一般市民も、印鑑を押捺したさまざまな公式書類を作成しています。

 こうした状況は判子文化と呼ばれ、欧米を中心としたサイン文化と対比される、日本社会の特徴になっています。

 日本社会での印判使用は、古くは古代の律令国家にさかのぼり、天皇の御璽、中央宮司の大政官印や地方宮司の国衙印・郡衙印、あるいは寺社の印などが、公文書に押捺され発行されました。

 その仕組みそのものは江戸時代、さらに明治国家まで続き、現在にも継承されています。

 ただし、判子文化という場合には、統治機関の使用のみならず、民間の会社や庶民も一様に使用する状況を指しています。

 平安時代になると、国衙などの統治機関の役割は減少し、代わって荘園領主や知行国主による私的性格を帯びた領主の支配か大勢を占めるようになりました。

 それらの領主が公文書を出す場合に基本的に用いたのは、印鑑ではなく花押というサインの一種です。

 そのため、以後の社会では、花押こそが正式なものと認識されるようになりました。

 平安時代の後半から江戸時代までは、花押を中心とした文化でした。

 そのあり方の一部は明治国家にも継承され、現在においても総理大臣や閣僚による決裁は、花押を用いて行われています。

 明治時代からは判子文化が中心になりましたが、その前提は古代にあるのではなく江戸時代にありました。

 江戸時代には、納税を分担する社会人にあたる百姓身分は、すべてが印判を使用するようになっていました。

 明治時代に受け継かれたのは、そのように百姓が印判を使用する状況でした。

 平安時代の後半以降、国衙などの統治機関とは別に、僧侶や文化人などが印判を使用する状況かみられるようになりました。

 これはいねば落款の延長にあたるようなもので、使用される場面はかなり限定されていました。

 そうしたなかで、戦国大名か印判を公文書に使用するようになったのです。

 花押の代わりに使用するものは花押代用印と称され、その最初の事例は戦国大名駿河今川家の初代・今川氏親が、1487年10月20目付で領国内の東光寺に出したものです。

 また、統治者が出す公文書に公印として使用するものは、後北条家の最初の印判状がその最初の事例になっています。

 やがて後者の公印使用の影響をうけて、前者の花押代用印のあり方か大勢を占めるようになり、前者は百姓による印判使用に、後者は役所印や所轄印の使用へとつながりました。

 花押ではなく判子だけで公的意志を示す方法として、印判状という公文書のスタイルを生み出したのが、最初の印判状を出した後北条家でした。

 本書は、戦国大名後北条家の功績を、現代政治とのつながりという観点に焦点をあてて、あらためて提示しようとしています。

 戦国大名のなかで後北条家は、統治した領国の規模といい、存立した期間といい、一つとしてほかの戦国大名に劣ることのない卓越した存在でした。

 ところが一般の人々には、なぜか馴染みの薄い存在に置かれています。

 後北条家の功績がわかりやすく発信されていない、という側面があるのでしょう。

 戦国後北条家の最大の特徴は、何といっても五代100年におよんで関東に王国を築いたことにあります。

 近代以前の、いわゆる前近代において、日本の社会での社会主体であったのは、村・町という集団でした。

 後北条家に限らず戦国大名による領国統治は、村・町という民衆が形成する地域共同体に立脚するものでした。

 一般庶民にあたる百姓・町人という納税者身分は、村・町の構成員であることによって、その身分にありました。

 支配権力に対する納税の主体は村・町であり、個々の百姓・町人ではありませんでした。

 一定地域を統治する統治権力が列島の歴史に初めて登場するのが、戦国大名・国衆という、戦国時代に誕生した領域権力でした。

 統治権力が納税主体の村・町を、直接に統治の対象とするようになったのも、戦国大名からのことでした。

 統治権力が村落に対して直接に命令を通達するという事態は、戦国大名からみられました。

 後北条家の場合、その際に虎朱印と称される印判を使用し、虎朱印を押捺した書類を送付しました。

 この虎朱印は、後北条家の初代・伊勢宗瑞が、1517年に村落に対して最初に直接に公文書を通知した際に使い始めました。

 二代の氏綱以降も、連綿と使用され続け、後北条家が小田原合戦によって豊臣政権との戦争に敗北して滅亡する、五代・氏直まで続きました。

 その虎朱印に刻まれた印文が「禄寿応穏」でした。

 これは「禄と寿、まさに穏やかなるべし」と訓み、領民の禄=財産と寿=生命を保証して、平穏無事の社会にする、という意味でした。

 つまり、領民の存続を果たし平和を維持する、統治におけるスローガンにほかなりません。

 後北条家は、戦国大名としての存立が、領国の村々の状況に規定されることを自覚していました。

 そのため、統治の方針として、「領民の生命・財産の保証と平和な社会の実現」を掲げていました。

 この「村の成り立ち」の実現のために、統治政策の更新を重ねていきました。

 更新は、災害・飢饉・戦争といった社会的危機に瀕するたびに行われ、災害などからの復興政策として実行されました。

 その結果として構築された領国統治の仕組みは、その後の近世大名における仕組みと基本的に変わるところはないといってよいでしょう。

 後北条家は、およそ100年後に体制化するような領国統治の仕組みを、いちはやく作り上げた存在だったといえます。

 統治権力による領民統治の基本的な仕組みは、信長・秀吉によって作り出されたのではなく、すでに戦国大名によって作り出されていたのです。

 さらに注目すべきは、その統治のありようは多くの点で現代の統治システムの原点に位置するものとなっていることです。

 本書では、そのことをよく認識できる事例を取り上げていくといいます。

 第一章で納税通知書と判子文化、第二章で聞かれた裁判制度、第三章で税制改革、第四章で納税方式と利子付き延滞金、第五章で市場への介入、第六章で国家への義務、第七章で公共工事、などを取り上げます。

はじめに-現代の統治システムの礎が築かれた戦国時代/第一章 納税通知書と判子文化の成立/第二章 目安制が開いた裁判制度/第三章 一律税率の設定と減税政策/第四章 徴税方法の変革/第五章 市場関与と現物納/第六章 「国家」への義務の誕生/第七章 公共工事の起源/おわりに-戦国大名と現代国家のつながり

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Last updated  2021.02.06 07:17:39
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