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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2021.12.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 英語ではジェニーバGeneva,ドイツ語ではゲンフGenfと呼びます。

 ”ジュネーブ史”(2021年1月 白水社刊 アルフレッド・デュフール著/大川四郎訳)を読みました。

 権力抗争を経ながら自由を希求してきたジュネーブについて、要塞都市から国際都市となるまでの歴史を概説しています。

 ジュネーヴはスイス南西部,レマン湖からローヌ川が流れ出る交通の要所にあり、フランス語地域の精神的中心であり国際的都市です。

 三日月形のレマン湖の南西側の角を取り囲むように広がり、サレーヴ山、ジュラ山脈等の山地に囲まれ、市内をアルヴ川、ローヌ川が流れています。

 人口は約19万人、面積は15.93平方km、標高は375mで、チューリッヒに次ぎスイス第2の都市です。

 スイスの公用語は、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語ですが、フランス語圏のジュネーヴでは、ほとんどの場合フランス語が用いられます。

 しかし、世界都市であるため基本的に英語も通用します。

 金融業が発達しており、プライベードバンクの中心地です。

 また、国際赤十字,ILO,世界保健機関などの本部所在地で,国際連合ヨーロッパ本部が置かれているパレ・デ・ナシヨンがあります。

 金融,商業の中心で、工業は時計,精密機械,アクセサリーなどがあります。

 また、公園の多い美しい町で,モン・ブラン山の景観に恵まれ,観光地としても著名です。

 12~14世紀の聖堂、15~16世紀の市庁、1559年創立の大学、図書館、美術館などがあります。

 古代ケルト人の町でしたが,1世紀にローマ植民市となりました。

 16世紀にはカルバン派の本拠地でした。

 1815年にスイス連邦に加盟し、19世紀後半以降、急速に発展しました。

 著者のアルフレッド・デュフール氏は1938年チューリッヒ生まれで、デュフール家は、14世紀以来、ジュネーヴ郊外サティニーに由来する旧家です。

 中等教育の一時期をチューリッヒで就学したことを別とすれば、少年時代の大半をサティニーで過ごしました。

 名門校コレージュ・ド・カルヴァンを優秀な成績で卒業し、ジュネーヴ大学法学部に進学しました。

 同学部を卒業後、文学部に学士入学し哲学をも学びました。

 ドイツのハイデルベルク、フライブルク両大学留学を経て、法学博士号を取得しました。

 ジュネーヴ大学法学部で教歴を重ね、1980年に正教授に就任しました。

 法制史の講義と研究に従事する一方、法制史研究室主任として、後進の研究者育成にもたずさわりました。

 主たる研究領域は、フーゴー・グロティウス、ザミュエル・プーフェンドルフらの近世理性主義的自然法論が、18世紀スイス・フランス語圏地方の婚姻法および国制にどのように浸透していったのかというテーマです。

 著者は、ジュネーヴ大学法学部在学中に聴講したポール・グッゲンハイム教授の講義に示唆され、フライブルク大学法学部留学中にハンス・ティーメ教授から直接の指導を受けています。

 その後、近世理性主義的自然法論の淵源として、スペイン後期スコラ学派にまで研究対象を拡げています。

 そして、2003年に定年退職し、現在はジュネーヴ大学名誉教授であり名誉法学部長です。

 訳者の大川四郎氏は1959年鹿児島県生まれ、1986年名古屋大学大学院法学研究科博士課程前期課程を修了しました。

 そして、ジュネーヴ大学法学部D.E.S(高等教育免状)課程を修了し、愛知大学法学部教授となり今日に至ります。

 本書は、著者が母校ジュネーヴ大学法学部で長年講じてきた、「ジュネーヴ法制度史」講義か原型となっています。

 例年夏学期に開講された講義では、中世から18世紀後半までの都市国家ジュネーヴにおける制度史が講じられました。

 その範囲を広げ、古くは古代ローマ時代にまで遡り、近くは21世紀初頭までのジュネーヴ史をコンパクトに叙述しています。

 訳者は、1991年10月からスイス政府奨学金留学生としてジュネーヴ大学法学部に留学しました。

 研究テーマは、17世紀スイスを媒介としてヨーロッパ中に伝播した近世理性主義的自然法論が18世紀フランス私法学に及ぼした影響でした。

 修士論文に相当する論文をまとめるにあたり、著者に師事しました。

 研究を進める傍ら、著者による各種関連講義を訳者は聴講しました。

 このうち、1992年夏学期に聴講した半期間の選択科目の1つが本書の原型となりました。

 奨学金終了後、著者の推薦で法制史研究室の助手として一年間の任期で雇用してもらいました。

 著者が本書の執筆を始めたのは、19934年頃だったと記憶するといいます。

 訳者は、修士論文の口述試験を終えると、1995年4月に日本へ帰国しました。

 その後も原稿執筆か続けられ、1997年にようやく本書が上梓されました。

 ただちに著者の了解を得、訳者は翻訳を始めたものの、諸般の事情により、完訳を終えるまでに実に22年もの歳月を要してしまったといいます。

 ジュネーヴは、カエサル「ガリア戦記」の冒頭に登場するアロブロゲス人によって築城された城塞都市に始まり、中世ヨーロッパにおける交易と金融の中心地になりました。

 そして、宗教改革の牙城に始まり、現代を風靡する急進主義について開かれた都市へと発展しました。

 その後、後退と発展をくり返し、現在のジュネーヴに至っています。

 対内的には、度重なる権力抗争を経ながら、自由を希求してきました。

 対外的には、小国ながら、周辺諸国との間で高度な外交術を駆使して、その独立を獲得し維持しようとしてきました。

 その延長線上に、今日の国際平和文化都市ジュネーヴがあります。

 ジュネーヴの歴史は古く、ローマ時代までさかのぼり、ユリウス・カエサルがこの地を占領し、ジュネーヴという名前を与えたといいます。

 その後、神聖ローマ帝国の支配を受けましたが、1315年のモルガルテンの戦い等の独立運動の影響でハプスブルク家から離れ、1648年のヴェストファーレン条約によって正式に独立が認められました。

 近世にはプロテスタントの一派である改革派の拠点となり、1536年にカトリックのサヴォイア公国から独立し、宗教改革がなされ、ジュネーヴ共和国としての宣言がなされ、ジャン・カルヴァンらによる共和政治が行われました。

 ジュネーヴ革命とも称されます。

 1602年、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世が、ジュネーヴ支配をもくろみ侵入しましたが、市民軍の抵抗にあい失敗に終わりました。

 この事件は、サヴォイア公が侵入に使った梯子にちなんで“エスカラード(梯子)”と呼ばれま

 現在のエスカラード祭はこの事件にちなんだものです。

 フォンテーヌブローの勅令の後、啓蒙主義の感化を受けた神学が台頭し、カルヴァン派の正統主義にとって代わりました。

 市民は市参事会を牛耳る門閥のシトワイアンとユグノー企業家のブルジョワに分裂していました。

 1704年から1782年にかけて、これらに非市民労働者を加えた各勢力が三つ巴となって政権を争いました。

 ユグノーが多かった時計職人がフランスでの迫害から逃れるためにジュネーブへ移住し、時計が地場産業となりました。

 機械式時計に用いられるジェネバ機構は、ジュネーブにちなんで命名されました。

 1781年に、ブルジョワと労働者が市民総会で間接民主制を採択しました。

 翌年、シトワイアンが保護同盟を結んでいた諸勢力に要請し、ジュネーヴを包囲させました。

 ジュネーヴは降伏してブルジョワが亡命し、フランスへ逃げた者はフランス革命に関与しました。

 1798年には、ナポレオン・ボナパルトによりフランスに併合されました。

 その後、ウィーン会議において、スイス連邦に加わりました。

 このころからジュネーヴは、スイスの歴史において国際金融市場の司令塔であり続けました。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦中はスイスは中立国だったため、両陣営の外交官や亡命者が集まりました。

 1960年代にファンド・オブ・ファンズのバーニー・コーンフェルドが、国際投資信託=Investors Overseas Services の本部をジュネーヴに置きました。

 2017年の調査によると、世界20位の金融センターであり、スイスではチューリッヒに次ぐ2位です。

 本書は結果的には、文庫本にしては珍しいほど、著しく内容が凝縮された通史となっています。

 全体を通じて、重要な歴史事象の制度史的背景が立体的に叙述されています。

 第二編から第三編には、カルヴァン指導下で宗教改革か導入された16世紀、啓蒙思想家ルソーとヴォルテー・ルが活躍した18世紀、赤十字運動を立ち上げたアッリー・デュナンを輩出した19世紀が記述されています。

 そして、多数の国際諸機関か設置された20世紀について叙述されています。

 ジュネーヴは、1848年に成立したスイス連邦よりも歴史か古く、不羈独立の共和国であることを衿持としてきました。

 しかし、ジュネーヴ史はこれら4つの時代に尽きるものではありません。

 なお、第二版までの本書は第三編第二章で終わっていましたが、第三版以後は終章部分か加筆されています。

 ジュネーヴ気質について、コスモポリタン的な文化の下ではありながら、綿々と続いてきているのは、地元にこだわり、際立って用心深い気風であると述べています。

 ここには普遍的な思想を志向する哲学者、高遠な信条を奉ずる人道主義者、新しい事に熱狂する上流社会人がいます。

 その他方、冷静沈着な旧市民、そして、愛郷のジュネーヴ中心主義者もいます。

 ジュネーヴ気質とは、とっつきにくく、不愛想であり邪樫です。

 なお、この部分の出自は、1929年の文筆家ロベータ・ドートラ著「ジュネーヴ精神」に由来しているといいます。

緒論 ジュネーヴ、その起源から司教都市成立まで/第一編 司教領としてのジュネーヴ(第一章 司教都市、封建体制、コミューンの形成/第二章 中世ジュネーヴの最盛期/第三章 政治的独立を目指すコミューンの闘いと司教領の終焉)/第二編 ジュネーヴ、プロテスタント共和国(第一章 プロテスタント共和国の出現とジュネーヴにおける諸制度の再編成/第二章 十七世紀のジュネーヴ/第三章 啓蒙主義時代のジュネーヴ)/第三編 スイスの一カントンそして国際都市としてのジュネーヴ(第一章 スイスの一カントンとしてのジュネーヴ/第二章 国際都市ジュネーヴ/終 章 ジュネーヴ伝説とジュネーヴ精神)/訳者あとがき/参考文献

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Last updated  2021.12.25 06:17:27
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