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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2022.02.12
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 ベルベルという呼称は、7世紀に東方から侵入してきたアラブ人が、マグリブの原住民を指すのに用いたベラベルという言葉に由来しています。

 ”ベルベル人 歴史・思想・文明”(2121年9月 白水社刊 ジャン・セルヴィエ著/私市正年・白谷望・野口舞子訳)を読みました。

 チュニス・アルジェリア・モロッコなど北西アフリカ沿岸のマグリブ地方に住む、ムーア人と呼ばれる先住民について人びとの文化などを概説しています。

 ベラベルは、ローマ人が、リーメス(境界)の彼方の住民を指した呼び名バルバルスを受け継いだものです。

 バルバルスは、ギリシア語のバルバロス(バルバロイ)と同じく、意味の分からぬ言葉をしゃべる異人を野蛮人扱いして呼んだ名称でした。

 地中海の諸帝国が崩壊した後のあらゆる生き残りでもあり、また飢饉によってイラン高原から移住して来た遊牧民のあらゆる痕跡でもあります。

 さらに、諸民族の侵入、トルコ人の逃亡奴隷や、さまざまな出自の敗残者や海岸にたどり着いた遭難者たちが、肥沃な土地を求めてマグリブの地に相次いで到来しました。

 やがてベルベル人は、数世紀にわたって、地中海諸文明の継承者となり、ローマには学者を、キリスト教には教会の司教を、イスラームの帝国には王朝を、イスラーム教には聖者を供給しました。

 本書は、「日没の島」「ローマの穀倉」と呼ばれる地に住むベルベル人を、言語学、考古学、歴史学、民族学、社会学、建築学、芸術、食文化、服飾といった多様な側面から論じています。

 初版は1990年ですが、27年間で6版を数え、日本ではなじみのない民族でも、フランスでは広く知られ関心を引く民族であることによると思われます。

 ジャン・セルヴィエさんは1918年アルジェリアのコンスタンティーヌ生まれ、父親はコンスタンティーヌで発行されていた新聞の編集長でした。

 大学はパリのソルボンヌに進学し、民族学を学びました。

 第二次大戦ではフランス軍志願兵として参戦しました。

 1949年から1955年まで、アルジェリアを中心にマグリブ地域のベルベル社会の現地調査を行い、また1950年から1957年まで、C.N.R.S.=国立科学研究センターの研究員として従事しました。

 その後、モンペリエ大学大文学部教授として社会学と民族学の講義を担当し、学部長もつとめました。

 1954年にアルジェリアのオーレス地方で聞き取り調査を行っていたとき、アルジェリア独立戦争が勃発しました。

 オーレス地方は、アルジェリア人の武装闘争の発火点でした。

 軍の指揮官としてテロの被害にあったフランス人の救援活動にかけつけ、またその後、フランス領アルジェリアの防衛のために従軍しました。

 このように、アルジェリアには特別の思い入れがあったようです。

 イスラームやアラブ問題の学術研究にも関心をよせ、マグリブの生活習慣、エジプトやアルジェリアのナショナリズム運動などについて研究成果を残しました。

 訳者の私市正年さんは北海道大学文学部卒、中央大学大学院(東洋史学専攻)博士課程修了、博士(史学)で、上智大学名誉教授、順天堂大学講師を務めています。

 白谷 望さんはニューヨーク州立大学バッファロー校教養科学部学際的社会科学プログラム卒、上智大学大学院博士課程修了、博士(地域研究)で、愛知県立大学外国語学部准教授を務めています。

 野口舞子さんはお茶の水女子大学文教育学部卒、お茶の水女子大学大学院博士課程修了、博士(人文科学)で、日本学術振興会特別研究員を務めています。

 ベルベル人は、北アフリカのマグリブの広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称です。

 北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族です。

 形質的には、元来はコーカソイドだったと考えられますが、トゥアレグ族など混血により一部ネグロイド化した部族も見られます。

 カビール、シャウィーア、ムザブ人、トゥアレグの4部族をはじめ、多くの諸部族に分かれます。

 東はエジプト西部の砂漠地帯から、西はモロッコ全域、南はニジェール川方面まで、サハラ砂漠以北の広い地域にわたって分布し、総人口は1000万人から1500万人ほどです。

 モロッコでは国の人口の半数、アルジェリアで5分の1、その他、リビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどでそれぞれ人口の数%を占めます。

 北アフリカのアラブ部族の中には、ベルベル部族がアラブ化したと考えられているものも多いです。

 ヨーロッパのベルベル人移民人口は300万人と言われ、主にフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどに居住している他、北米ではカナダのケベック州にも居住しています。

 ベルベル人の先祖はタドラルト・アカクス(1万2000年前)やタッシリ・ナジェールに代表されるカプサ文化(1万年前-4000年前)と呼ばれる石器文化を築いた人々と考えられています。

 チュニジア周辺から、北アフリカ全域に広がったとみられています。

 ベルベル人の歴史は侵略者との戦いと敗北の連続に彩られています。

 紀元前10世紀頃、フェニキア人がカルタゴなどの交易都市を建設すると、ヌミディアのヌミディア人やマウレタニアのマウリ人などのベルベル系先住民族は隊商交易に従事し、傭兵としても用いられました。

 また、古代エジプト王朝とは緊密な関係にあり、傭兵となって王国軍の主力になり活躍することもあれば、王権の弱体化によって王位を簒奪することもありました。

 西のマウリやヌミディアのマッサエシュリ部族とマッシュリー部族は、部族連合を組んで集権的な国家を整えていきました。

 東のガラマンテス族達は、小部族が合従連衡する状態から抜け出せないまま現代に至り、リビア内戦の遠因となりました。

 古代カルタゴの末期、前219年の第二次ポエニ戦争でカルタゴが衰えた後、その西のヌミディアでも紀元前112年から、共和政ローマの侵攻を受けユグルタ戦争となりました。

 長い抵抗の末にローマ帝国に屈服し、その属州となりました。

 ラテン語が公用語として高い権威を持つようになり、ベルベル人の知識人や指導者もラテン語を解するようになりました。

 ローマ帝国がキリスト教化された後には、ベルベル人のキリスト教化が進みました。

 ローマ帝国の衰退の後、フン族の侵入に押される形でゲルマニアに出自するヴァンダル人が北ヨーロッパからガリア、ヒスパニアを越えて侵入し、ベルベル人を征服してヴァンダル王国を樹立しました。

 ローマ帝国時代からヴァンダル王国の時代にかけて、一部のベルベル人は言語的にロマンス化し、民衆ラテン語の方言を話すようになりました。

 ヴァンダル王国は6世紀に入ると、ベルベル人の反乱や東ゴート王国との戦争により衰退し、最終的に東ローマ帝国によって征服されました。

 7世紀以来、イスラーム教が浸透し、ウマイヤ朝、アッバース朝の支配を受けながらアラブ人との同化が進みました。

 アッバース朝の支配が弱まると、8~9世紀にモロッコのイドリース朝、アルジェリアのルスタム朝、チュニジアのアグラブ朝などが自立しましたが、いずれもアラブ人が支配する国家でした。

 アグラブ朝は地中海沿岸に艦隊を送り、キリスト教世界を海上から圧迫しました。

 ついで10世紀にチュニジアにシーア派国家のファーティマ朝が起こりましたが、ファーティマ朝は間もなく拠点をエジプトのカイロに移し、その後はマグリブにはベルベル人のイスラーム地方政権の分立が続きました。

 11世紀に成立したムラービト朝はベルベル人を主体とした王朝であり、その勢力はイベリア半島にも及びました。

 次のムワッヒド朝もベルベル人を統一した有力なイスラーム王朝でした。

 ムワッヒド朝衰退後は再び分裂時代に入り、モロッコのマリーン朝、チュニジアのハフス朝のもとで西方イスラーム文化が繁栄しました。

 しかし、イスラーム教が続くいた結果、現在はベルベル人としての独自性はなく、ほとんどアラブ化しています。

 本書は、ベルベル人(公式にはアマズィダ)についての知の総合化を試みた書です。

 著者かモンペリエ大学を定年退職後に出版したことから、ベルベル研究の集大成の成果を一般書として著した書と言えるといいます。

 マグリブの地の最古の住民ベルベル人は、この地の歴史の経糸となってきた民族です。

 穀物栽培の文明を共有する、様々な文明圏からやって来た多様な集団の生き残りであり、さらにイラン高原から移住してきた遊牧民の痕跡でもありました。

 しかしこの一見、ばらばらな人びとからなるベルベル人の世界には、地中海文明の継承者としての深い統一性か見いだされます。

 フェニキア、ローマ、アラブ、トルコ、フランスといった侵入者に対し、山岳地に逃げ、反乱を企て、また再結集をしました。

 それが今日のベルベル系住民の主な居住地を形成しました。

 ベルベル人たちの統一性を確立させているものは、現世においても来世においても、クランを重視し、その上に築かれたベルベル的思想の不変要素です。

 死者は、墓の守護者として生者を守っていると考え、死者と生者という相対立する二つの要素か補完的に結合するという思想は、地中海文明の古い二元論です。

 永遠に対立する二つの原理が、補完的に結合することによって統一性か生まれる、という思想です。

 二元論はさまざまな社会組織や政治組織の中に見出されます。

 地中海の北の国々への移住は、マグリブの人びとの精神の中に、近代世界に参加するのか、しばらくは後退や態度の保留をしながら、そこへの参加を拒否するのか、という選択をせまりました。

 いずれの選択をするにせよ、西洋との文化的衝突は不可避であり、その結果もたらされる衝撃波の大きさは、予測不可能です。

 本書は、言語学、考古学、歴史学、民族学、社会学、建築学、芸術や食文化、服飾など多様な側面から論じた、ベルベル人に関する知識の総合的分析です。

 ベルベル文明を地中海世界の中に位置づけ、その古代から継承された伝統的社会の物事に隠れた神話や儀礼、象徴の分析によって、ベルベル人の思想・行動・文明の統一性と不変性を明らかにしました。

第1章 日没の島/第2章 今日のベルベル語話者と彼らの「話し言葉」/第3章 ベルベル語/第4章 ベルベル人とマグリブの歴史/第5章 ベルベル文明/第6章 ベルベル芸術/結論

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Last updated  2022.02.12 07:26:13
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