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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2022.05.07
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 ”法然を生きる”(2022年1月 佼成出版社刊 ひろさちや著)を読みました。

 平安末期から鎌倉初期に浄土宗を開いた法然上人の生涯と思想を紹介しながら、その生き方や考え方と現代とのかかわりを解明しようとしています。

 専ら阿弥陀仏の誓いを信じ、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれました。

 念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏の元祖と称されます。

 浄土宗では、善導を高祖とし、法然を元祖と崇めています。

 この他力易行の教えは武士や農民の間で受け入れられ、九条兼実など貴族にも帰依する者がありました。

 ひろさちやさん、本名増原良彦さんは1936年大阪市生まれ、北野高校を経て、東京大学文学部印度哲学科を卒業し、同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程を修了しました。

 1965年から20年間、気象大学校教授をつとめました。

 1985年に気象大学校教授を退職し、大正大学客員教授に就任し、宗教文化研究所所長を務めました。

 退職後、仏教をはじめとする宗教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動を行いました。

 厖大かつ多様で難解な仏教の教えを、逆説やユーモアを駆使して表現される筆致や語り口は、年齢や性別を超えて好評を博しました。

 自称、仏教原理主義者で、多数の一般向けの解説書を執筆しました。

 ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語です。

 超宗派の仏教信者の集まりである”まんだらの会”を主宰していましたが、近年その活動を終了していて、2022年4月7日に86歳で死去しました。

 法然上人は1133年美作国久米、現在の岡山県久米郡久米南町の押領使、漆間時国と、母秦氏君清刀自との子として生まれました。

 生誕地は、出家した熊谷直実が建立したとされる誕生寺になっています。

 1141年9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が夜討をしかけて父親が殺害されました。

 その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られました。

 その才に気づいた観覚は、出家のための学問を授け、当時の仏教の最高学府であった比叡山での勉学を勧めました。

 その後、1145年に、比叡山延暦寺に登り、源光に師事しました。

 源光は自分ではこれ以上教えることがないとして、1147年に同じく比叡山の皇円の下で得度し、天台座主行玄を戒師として授戒を受けました。

 1150年に皇円のもとを辞し、比叡山黒谷別所に移り、叡空を師として修行して戒律を護持する生活を送ることになりました。

 年少であるのに出離の志をおこすとはまさに法然道理の聖であると、叡空から絶賛されました。

 このとき、18歳で法然房という房号を、源光と叡空から一字ずつとって源空という諱も授かりました。

 法然の僧としての正式な名は法然房源空で、智慧第一の法然房と称されました。

 1156年に京都東山黒谷を出て、清凉寺に7日間参篭し、そこに集まる民衆を見て衆生救済について真剣に深く考えました。

 そして醍醐寺、次いで奈良に遊学し、法相宗、三論宗、華厳宗の学僧らと談義しました。

 1175年43歳の時、善導によって回心を体験し、専修念仏を奉ずる立場に進んで新たな宗派の浄土宗を開こうと考え、比叡山を下りて岡崎の小山の地に降り立ちました。

 そこで法然は念仏を唱えひと眠りすると、夢の中で紫雲がたなびき、下半身がまるで仏のように金色に輝く善導が表れ、対面を果たしたといいます。

 これにより、法然はますます浄土宗開宗の意思を強固にし、この地に草庵・白河禅房、現・金戒光明寺を設けました。

 まもなく弟弟子である信空の叔父、円照がいる西山広谷に足を延ばしました。

 法然は善導の信奉者であった円照と談義し、この地にも草庵を設けました。

 間もなく東山にあった吉水草庵に移り住んで、念仏の教えを広めることとしました。

 この年が浄土宗の立教開宗の年とされ、法然のもとには延暦寺の官僧であった証空、隆寛、親鸞らが入門するなど次第に勢力を拡げました。

 1181年に東大寺の大勧進職に推挙されましたが辞退し、俊乗房重源を推挙しました。

 1186年に、以前に法然と宗論を行ったことがある天台僧の顕真が、法然を大原勝林院に招請しました。

 そこで法然は浄土宗義について、顕真、明遍、証真、貞慶、智海、重源らと一昼夜にわたって聖浄二門の問答を行いました。

 念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生できることを知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けました。

 なかでも重源は、翌日に自らを南無阿弥陀仏と号して法然に師事しました。

 1190年に重源の依頼により再建中の東大寺大仏殿に於いて浄土三部経を講じ、1198年に専修念仏の徒となった九条兼実の懇請を受けて『選択本願念仏集』を著しました。

 1204年に、後白河法皇13回忌法要である浄土如法経法要を、法皇ゆかりの寺院・長講堂で営みました。

 1204年に、比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫って蜂起しましたので、法然は『七箇条制誡』を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送りました。

 しかし、1205年の興福寺奏状の提出が原因のひとつとなって、1207年に後鳥羽上皇により念仏停止の断が下されました。

 法然は還俗させられ、藤井元彦を名前として土佐国に流される予定でしたが、配流途中、九条兼実の庇護により讃岐国への流罪に変更されました。

 讃岐国滞在は10ヶ月と短いものでしたが、九条家領地の塩飽諸島本島や西念寺を拠点に、75歳の高齢にもかかわらず讃岐国中に布教の足跡を残し、空海の建てた由緒ある善通寺にも参詣しました。

 1207年に赦免されて讃岐国から戻って摂津国豊島郡の勝尾寺に1210年まで滞在し、翌年、京に入り吉水にもどりました。

 そして、1212年1月25日に、京都東山大谷にて享年80(満78歳)で死去しました。

 法然の門下には、弁長・源智・信空・隆寛・証空・聖覚・湛空・長西・幸西・道弁・親鸞・蓮生らがいます。

 死んだほうがましだ、もう少し生きたいなどと考えずに、すべてを阿弥陀仏におまかせすればいい、といいます。

 阿弥陀仏はあらゆる衆生を救わんがために、ただ称名念仏という一つの行をもって、その本願とされました。

 現代日本の仏教が「葬式仏教」と呼ばれて、生きている人間はそっちのけで死者のための仏教になっているということも、まぎれもない事実だといいます。

 けれども、本来の仏教は、死者のためのものではなく、わたしたち生きている人間に、どのように生きればよいかを教えてくれるのが本来の仏教です。

 われわれがそのように断言できるのも、本書の主人公である浄土宗の開祖の法然の登場によってです。

 法然以前の日本仏教は、本質的に「国家仏教」でした。

 国家仏教は国家のための仏教で、そこでは国家の安泰だけが考えられていました。

 国家仏教において僧侶というのは言うなれば国家公務員であり、ただひたすら天皇や貴族の利益に奉仕すればよかったのです。

 そういう国家仏教によって法然は迫害を受け、流罪になっています。

 そういう国家仏教の時代にあって、法然がはじめて、われわれ庶民のための仏教を説いてくれました。

 優等生、品行方正な人を優先させる国家仏教と、法然の考える仏教はまったく違います。

 法然が国家権力から迫害されたのも、当然と言えば当然です。

 仏教は天皇や貴族たちの独占物ではない、大勢の貧しい人たち、世の中の底辺にあって悩み、苦しんで生きている人たちのために仏教はあります。

 そういう仏教を法然は説き、そしてそういう人たちがどのように生きればよいかを教えてくれました。

 著者は、法然はそのような仏教者だと思っているといいます。

 法然の教える、われわれ庶民の生き方はどういうものでしょうか。

 立派な人間になれとは言はない、立派でなくていい、あなたがいまある、そのありのままでいい、というのが法然の教えでした。

 すべてをほとけさまにおまかせしておけばいい、すべてをほとけさまにおまかせして生きる、それが法然を生きることだといいます。

 法然は、極楽浄土から照射してこの世で生きる意味を考えました。

 それ故、この世の生き方はどうだっていいのであり、ただ極楽世界に往生できればいい、それが法然の考え方です。

 そして著者は、”わたしは法然が大好きです”といいます。

まえがき/第1章 法然の魅力/第2章 比叡山における修学/第3章 法然の念仏理論/第4章 浄土門の教えを説く法然/第5章 法然教団への圧迫/第6章 流罪の法然/第7章 法然の最期/第8章 現代と法然/法然略年譜

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法然を生きる


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Last updated  2022.05.07 07:11:24
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