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うちの土日のどちらかは、家で餃子の食べ放題です。できるだけ季節感を取り入れた餃子を作ります。昨日は約100個を作り、40個ぐらい残りました。「遠慮しなくていいんだよ」って言うと「もう十分~」って。明日は餃子がメインで後はちょっと足せばよく、明日は楽できる日です(笑)今日はえのきだけをたくさん入れてちょっと秋を意識しました。うちの子どもたちはきのこを普通に出しても食べないので、餃子に混ぜてしまいます。あとは、間違えて冷蔵庫に保存してしまった冷凍インゲンも入れて、嵩増ししました。みんな餃子ならよく食べる!夫も「誕生日のお祝いに食べに行かなくていいから餃子がいい」というほど餃子が好きなので、毎週頑張っています。
2019年09月30日
「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)」で神様は言います。あなたの今の状況はあなたと調和しているか?と。調和しているなら、幸せであるはずなのです。調和しているなら、満足なはずです。そして、調和していないなら、前提条件を全部まっさらにして、何が調和を妨げているのか、ひとつひとつブロックを調べなさい、と言います。幸せであるなら、「私は幸せだ」と言葉で、行動で、示すはずなのです。そして、宇宙はそのままコピーをするはずなのです。そして、私は幸せのサイクルの中で生きるはずなのです。Who I really am? (私は本当は何者なのか?)Who I really want to be?(わたしは本当は何者になりたいのか?)それを繰り返し自分に問いかける。それが一番の幸せへの近道だそうです。自分自身の人生を生きよう。少なくとも、努力しよう。自分自身の人生に胸を張れるよう。
2019年09月29日
7/18のブログに書いたO牧師先生のところで、聖書の勉強会をするとあったので、行ってきました。聖書の勉強会、それは本当に言葉通り聖書の勉強会で、解説を聞いていた感じ。しばらくの間は「つまらない」「もうこの会に参加しないだろうな」と思っていました。でも、意見交換が始まって、このブログに書いているようなことを、自分なりの言葉で表現して、それに対して受け止めてくれる方(それはそこの教会の前牧師婦人でした)がいました。その後の食事の場で私がこの場にいることの意味を言葉を探しながらO先生に話したとき、その場で聞いていた彼女は私の感性を称賛してくれました。私はこの場は「私の求めに対する神様の回答」なのだと感じました。そう、「自己開示を恐れずにできる場」。いつも行っている教会ではどう思われるかと恐れてできないことも、ここでならやれる。O先生は「あなたがここにきてくれて嬉しかった」って言ってくれました。神様は「あなたが求める前から用意している」と言います。水曜礼拝に行くことも、O先生が水曜礼拝に来てくださったことも、全部わかっている神様の準備のうちなのですね。
2019年09月28日
真ん中のお兄ちゃんは戦国時代の博士です。ある日の会話。お姉ちゃん「『金閣寺』って誰が作ったっけ?」お兄ちゃん「足利義満」お姉ちゃん「足利尊氏じゃないの?なんかキラキラしていそうじゃん」お兄ちゃん「義満だよ」お姉ちゃん「じゃあ、銀閣寺は?誰?」お兄ちゃん「(足利)義政」全く迷いなく答えました。お兄ちゃんは室町時代もイケます。すごい。
2019年09月27日
ブログを再開して、1年が経過しました。読んでくださる皆様、ありがとうございます。私の価値観に関心を持ってくださる方がおられること、本当にうれしいです。読んでくださる皆様がいるからこそ、書き続けようと思えます。正直言って、これを書きながら、どんな反応をされるかと身構えていました。自己開示にトライし続けるのは、このブログが自分を振り返り、私は何を考えて、感じているのか、どんな経験を積んでいるのか、立ち止まって考え「自分と対話する」貴重な時間となっているからです。このブログを書くことが「神との対話」「聖書」を再読する豊かな時間も生み出しています。そしてもちろん、私の子どもたちに、少しでも人生を考えるきっかけにしてほしいと思うからです。自分の人生は自分で創る。自分のルールは自分で創る。自分はどんな存在であるのか、ありたいのか、自分で考えてほしい。私や夫を含めた周りが、聖書を含めた書物が、法律を始めとした社会のルールがどう言っているかを鵜呑みにするのではなく。それと共に、神様が私たちのことを知りつくした上で親友としていつもそばにいてくれる、私たちは神様を誤解しているのではないか、という説を検討してほしい。それを、心から祈ります。
2019年09月26日
自己肯定感を上げるって、どういうこと?自分を好きってどんな感じ?あるブログにこんなことが書いてありました。「自己肯定感が高い人はワイングラスにシャンパンが注がれる絵を見て『どれぐらい注がれると思う?』って聞かれたときに『あふれるくらい』って答える人のことですよ」最低でも満タン、だそうです。言葉ではうまく伝わらないことも、イメージだと腑に落ちるってこと、ありますよね。私はその文章を読んだときに、「私はそういうイメージを持つように努めよう」って思いました。あふれるくらい、って答える人はきっと、表情も明るいだろうなって思います。もし失敗しても「これはうまくいかないってわかってよかった」「成功する方法をいつかは見つけられる」って肯定的にとらえられるだろうと思います。あふれるシャンパン。そういうイメージでいたら、きっと宇宙のエネルギーもそういうオーラを纏うものを連れてきてくれるでしょう。ちなみに、「あふれるシャンパン」思考の女性は、蒸発してしまった父親であろうと父親を「大好き」と思うものだそうです。私はそれを読んで頭を抱えてしまいました。ヨシ、ソウオモウヨウニシヨウ。
2019年09月25日
今日はモーリシャスの先生とレッスンしました。モーリシャスはアフリカの島国で、マダガスカルの近く、15度ぐらいの冬(南半球なので今は冬です)と35度の夏の二つの季節を持つ、観光立国です。いくつもの美しい砂浜の写真を見せてくれました。イギリスを始めとしたヨーロッパから観光客がたくさん来るが、日本人はほとんど見かけないそうです。私もモーリシャス、どこ?って思うもの。政治が安定していて、社会インフラも整っていて、教育水準が高いそうです。学生さんはできたら留学したいって思う人が多いのだそうです。イギリスの旧植民地で、イギリスの教育制度に基づいた教育をしているため、一番人気はイギリス、でも、マレーシアとかオーストラリアとに留学する人もいるそうです。日本人は英語ができない人が多くて、留学とかもあまり人気がない、という話をしたら、英語ができると選択肢が広がるよ~って言っていました。すでに先進国で、日本国内でかなりまかなえてしまう日本人は、英語ができる発展途上国の人と比べて、なんとなく「英語を使って道を切り開いてもっと豊かになるんだ」みたいな意気込みが少ないかな~
2019年09月24日
最近の英語のレッスンは、自前の教材ばかりです。そして、やり方を分かってくれる同じ先生ばかりにお願いしています。自分で日本語から英語にスムーズに訳せるようになりたい文章を集めて、英語の文章を送り、この文章のように訳したいから、訳せるかどうか見てほしい、といつもお願いしています。そうしないと、ディスカッションも楽しいけど、習った文章がすぐに自分の頭からすり抜けて、使えるようになるまで留まってくれない感が強くて、私は上達しているんだろうか、と思ったからです。「自分で自由に使える文章」を増やすことが当面の英会話のレッスンの目標です。
2019年09月23日
今、リスニングの練習もかねて、「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)」の英語版を音読しています。そんなに難しい単語がしょっちゅう出てくるわけではないのですが(頻度は英語で書かれた恋愛小説の方がよっぽど多く理解が難しい)それでも、疲れ果てて寝落ちする感じです。日本語で何度も読み、英語で何度も聞いて、それでも、ここはどういう意味でどう読めばよかったんだっけと思うことは多々あります。その中で出てきた言葉。感情には恐れか愛の二つしかない。その二つが魂の言語だ。全ての行動のもとにあるのはどちらかだ、と。2000年前、イエス様を磔にしたのも、その後の多くの聖人を死に追いやったのも、人間は愛に振れ、恐れに振れ、破壊した後「あの人は本物だった」と愛する、それが人間の性質だからだ、と言います。私たちの行動がどちらから出たものか、振り返って考える時間が持てたら、ゆっくり自分と対話する時間が持てたら、愛の行動がもっと増える気がします。
2019年09月22日
牧師先生が「どう思いこむかが重要。マイナスの思い込みから脱却することが大事。でも、人はあまりにも自分の状態が当たり前すぎて、自分が変わることなんて考えられないんですよね」という話をしてくださいました。私は足らない、という思い込み。そこから「私は欲しい」という言葉を、行為を発します。そして宇宙はその「宣言」を叶えます。私は足らない、という状況を何度も再現します。私は不安の中で生きないといけないという思い込み。そこから「私は警戒する」という言葉を、行為をします。そして宇宙はその「宣言」を叶えます。不安の中で生きざるを得ない状況を何度も再現します。現状を変えたかったら、牧師先生が言うように「思い込みに気が付かないといけない」のだと思います。マイナスからプラスにするためには、優れた科学者がうまくいかないとそれまでの前提条件を全部疑ってかかるように、何を思い込んでいるのか、思い込みは適切なのかと疑ってかかるのが大切なんだろうと思います。でも、牧師先生が言うように、その思い込みは当たり前すぎて、気が付くのは、まして変えるのは、本当に難しい。それでも、変えた結果、うまくいったら素敵。
2019年09月21日
9/12のアクセス数を見て、びっくりしました。普段の10倍のアクセス。何が起こった?!って思い、アクセスされた記事を見たら、とても多かったのは2011年以前の記事でした。なるほど、きっと楽天のブログ内で紹介されたか何かなのですね。一日で落ちるだろうと思ったら3日くらい比較的高い日が続きました。昨日は平常数でした。私のブログは「興味深い」と思える人と思えない人がとても分かれるブログと思います。そのブログを読み続ける人、もっと言うと夜中の1時までに見てくれる人がいるというのは、すごいなあと思います。何度かチェックしたことがあり、そういう方々がいるのだとわかりました。おもしろいと思ってしょっちゅう読んでくださる方々、きっと私はその方々と感性が合うのでしょうね。
2019年09月20日
お兄ちゃんはずっととても仲の良い友達がいます。夏休みは泊まらせてもらいました。たくさんしゃべって、ゲームをしてきたようです。一番下の子は特定の子と仲良くするというよりはどの子とも仲良くするけど、遊びに行くほどの関係にならない、という状態が続いてきました。しかし、本人はお兄ちゃんのように友だちの家でゲームしたりするのが憧れです。そんな下の子、ようやっと夏休み前から遊びに行く友だちが出来ました。塾の友だちと、学校の友だちと、一人ずつ。塾の友だちとはお互いの家の場所を教えあい、コミュニティセンターで勉強などを一緒にしたりしています。学校の友だちは、元々私の友だちの子どもで、お兄ちゃん同士も同学年のため、時々お互いの家を行き来してきました。ご近所なので、遊びに行かせるにも迷いようがなく、穏やかな子なので安心して遊ばせられます。そして、そのお母さんは飾らない性格の人で、気楽にしていられます。放課後も楽しめる人間関係が出来てよかったね。
2019年09月19日
私は、このブログを読んでくれる人が何に関心をもって読んでくれているのかな~ってすごく興味があります。なので、毎日アクセス数をチェックしています。ここ一年で最もアクセスが多かった記事は昨年12/25の「みんな違ってみんないい」というタイトルのものでした。そして、ここ一か月で最もアクセス数の多い記事は9/1の「イエス様の霊と話したよ」というタイトルのものです。かなり突飛なことを書いた記事ですね。どちらも特にクリスチャンの方にはかなりインパクトのある記事となったことでしょう。そして、関心のあるなしがとても分かれる記事でもあったことと思います。ここに興味を持つのか~ってちょっと感慨深く思いながらアクセス数を眺めています。
2019年09月18日
「英語圏の学校にはなぜ運動会がないのか?学びに対する考え方が違うからだ。教育には「叩き込む」という意味があり、生徒へ一方的に知識を与えるスタイルだ。それに対してeducationには引き出すという意味があり、生徒それぞれの才能を引き出すことを意味している。運動会はなぜあるのか?集団行動を身につけるためだ。日本の運動会は海軍の催しが起源だ。集団主義を推進する時代にできたものなのだ。運動会とは集団主義を身につけさせるための隠れたカリキュラムなのだ。日本の学校で授業時間が進学するにつれて延びていくのはなぜか?忍耐力をつけさせるためだ。なぜ忍耐力をつけさせるのか?社会人になってからの長時間のデスクワークに耐えられるようにするためだ」(岡田昭人 東京外国語大学大学院教授、オックスフォード大学で日本人初の教育学博士号取得者)この考え方をどう思いますか?この解釈が正しいかどうかはわかりません。しかし、日本の教育が英語圏とだいぶ違っているのは確かなようです。こうやって考えると、当たり前だと思っている日本の教育は、世界に出ると非常識ともいえるようです。日本は戦後、軍隊を放棄しました。しかし、軍隊マインドを小学校から、いえ、幼稚園や保育園の頃から仕込んでいるという考え方もでき、そういった教育が当たり前、日本全国どの公立小学校でもそのマインドを叩き込んでいるというのはある意味不気味だな~って思います。岡田氏はバカンスを楽しめない国民性も、日本の「長期休暇であろうとも宿題から逃れられない教育のカリキュラム」からきていると言います。確かに、日本人は長期休暇を取ることは「休みを取らせてもらって申し訳ない」という思いや「休暇を取るのだから目いっぱい遊ばなければならない」という思いになりやすいですね。例えばヨーロッパでは有給取得率ほぼ100%、バカンスというのは何もしない時間のことだというのを聞いて、日本ではありえないという思いになるのは、夏休みであろうともたくさんの宿題を出されてのんびりできない日本の教育プログラムの隠れたカリキュラムのせいだというのはうなずける話だなと思います。日本の「当たり前」は海外の「当たり前」ではない。異文化コミュニケーションをすると、そのことを痛感します。今は運動会の季節ですが、私はいつも「運動会」を英会話の先生たちに説明するのに四苦八苦しています(笑)
2019年09月17日
先日、ジンバブエの先生とフリートークレッスンをしました。ジンバブエはアフリカの赤道と南アフリカの中間くらいにある内陸国です。その先生とは初めてであったことと、ジンバブエにはチャイルドがいるので、ジンバブエのことを色々聞きたかったからです。先生はチャイルドの住んでいる地域を尋ね、その地域の気候、最近の災害を教えてくれ、その地域の景色を送ってくれました。ジンバブエは基本的に気温が高めな国(年間通して25~35度くらい)なのですが、チャイルドの住んでいる地域は標高が高く、涼しい地域なのだそうです。ジンバブエのチャイルドは3人目で、3人とも英語の長い手紙を送ってくれる、という話をした時、先生はとてもうれしそうに、ジンバブエの教育水準の高さを話してくれました。教育水準は高い、しかし政権が腐敗していることもあり、国内の産業も大したものがなく、働き口がないため、海外に人材がものすごく流出していることを懸念していることも話してくれました。教育水準が高いということは潜在的な可能性を大いに秘めていること。これから、うまく投資すれば伸びる国の一つだろうと思います。ただ、政治体制の問題は大きいのですが。チャイルドとそのコミュニティがさらに発展するように、祈りながら支援を続けたいと思います。
2019年09月16日
牧師先生が「生きるとは100%受け入れること。自分の一番の理解者になることですよ」っていう話をしてくださいました。自分の一番の理解者どころではなく、私はつい自分を叱りつけ、自分の理想と程遠い、とけなしてしまいます。私は「自分を生きている」とは言えないのでしょうね。それでも、「それもまた私だ」と言ってくださる神様がいます。そんな私を肯定してくれて、魂が求めるもののところに連れて行ってくださいます。必ず求めるところにたどり着ける、なぜならそのように創ったからだ、あなたは正しい答えを出すために生きているのではない、神様と一緒に創造するために生きているのだ、と言ってくれる神様がいます。自分の一番の理解者になる。なかなかそうなれない自分ですが、神様が全てを分かった上でいつもそばにいてくださるのだから、きっと大丈夫、いつかはそうなれる日が来る、って思いたいです。
2019年09月15日
「自分より出世している女と付き合うなんざ、ごめんだね」ある恋愛小説に出てきた一節です。主人公は仕事が大好きなキャリアウーマン。仕事ができるため、同期の中では一番の出世スピードです。しかし、残業も多く、成果が出るのも楽しく、仕事に夢中になったため、就職してからできた彼氏には去られてしまいました。そんな彼女を陰で男性社員は言います。「寿退社してポストを空けてくれんかな~」「その前に彼氏ができないと。お前行ってこいよ」「いやだよ」そして、冒頭の言葉となります。話題になったアメリカ女性大統領候補。海外を見渡すと、現在結構な数の女性が責任ある地位にいます。しかし、100年前は女性が男性と肩を並べて働くのはとても大変なことでした。日本では依然として男女で賃金格差、昇進スピードが異なる日本の男女不平等さが指摘されています。発展途上国では、男女間の教育格差が当然のものとしてあります。神との対話の中で、神は男なのか、女なのか?という話が出てきます。神様は言います。「私は男でも女でもない」と。聖書ではアダム(男)を堕落させたのはイブ(女)ということで、女は男に害をなした、ということになっています。しかし、神様は言います。昔は女性優位の社会だった、女性を守る、という表向きの言い分で男性が力を持っていったのだ、と。神様は言います。「どっちが優れている、というのは危険な考え方だ」と。「愛を中心とした世界」にもそぐわない考え方と思います。この考え方から脱することが出来た時、文明社会に近づける、私はそう思います。
2019年09月14日
一番下の息子は、今回の夏休み、創意工夫展に出す作品を作ることを頑張りました。正三角形をいくつも組み合わせた立体オブジェを両開きの鏡に映し、万華鏡のようにその角度によってその見方が変わるというものを作りました。粘土と綿棒で作ったので、何度も崩れ、私は心が折れかけましたが、息子は頑として絵を描いて提出することを拒みました。最後には私が綿棒の先を全部糸と針で縫って固定しました。いや~私も大変だった(笑)それでも、息子が作りたかったものが作れてよかった。息子は磁石の棒と球を使ってこういうのを創り上げるのが大好きです。今回の誕生日プレゼントは磁石の棒と球を量を3倍に増やしてプレゼントし、より大きな作品ができるようにしました。才能を引き出すことより、一方的に知識を与えるタイプの日本のカリキュラムではきっと息子は窮屈な思いをしていることと思います。それでも、創造性を発揮できるようにできるだけ力を貸すからね。そして、いつか生徒それぞれの才能を引き出す場に巡り合えるといいな。誕生日、おめでとう。
2019年09月13日
お姉ちゃんと一番下の息子は同じ塾に通っています。息子は夏休み、自習で相当な回数塾に行きました。怠けているわけではなく頑張っている、でも、なかなか進まない様子も先生たちは見ています。お姉ちゃんに「『弟君、宿題ちゃんとやってる?』って先生に聞かれた」っていう話をされました。「なんて答えたの?」と聞くと、「『やってなくて寝ちゃって、朝になってやるけどやり切れないで学校に行っている』って言った」って話してくれました。塾の先生に「そうだろうな~」って言われたそうです(笑)いろんな人に気にかけてもらって、息子は成長しています。夏休みの最後、塾で「ありがとうございました。私も疲れた~」って言ったら、全員の先生から立ってお辞儀をされました(笑)私も頑張った、けど息子が一番頑張りました。
2019年09月12日
今、STEM(Scieince,Technology, Engineering and Mathematics,科学・技術・工学・数学)教育がもてはやされています。もちろん、STEM教育は大切なこと。人類の発展にこれからも大いに寄与することでしょう。しかし、STEM教育は車の片側の車輪だと私は思います。もう一つが機能しない、十分な働きをしない状態では、車は使い物にならないと思います。もう片方の車輪は何か?倫理とか人の生き方とか、価値観の見直しだと思います。もっと端的に言えば「愛を中心とした世界を創る」と決意し、具体的に推し進めていく動き。例えば学校教育に「力の理解」という科目があったらどうでしょう?パワーバランスについて、どのように力を使えばより人類は平和になるのか、深く掘り下げるのです。例えば「喜ばしい性的表現」という科目があったらどうでしょう?なぜ多くの国と地域で性について語るのがタブーとなっているのか、どうあるのが幸せにつながるのか、学校で科目として学ぶのです。これらは当然、ペーパーテストや先生が知識を与えるという形の教育になじまないでしょう。そういう教育が始まることが地球人が「文明社会を築いている星の一員となる」徴候となることと、私は思います。多くの人が「ときめきを感じる」社会が車の両輪をうまく回して実現出来たら素敵だな。
2019年09月11日
夫に「誕生日のプレゼントは自分が一番納得がいくものを自分で選んで買ったらいいよ」というので、ずっと吟味してこれならというものを色々買いました。財布、鞄、そして水着。水着は20年ぶりかなあ、買ったの。体型も(妊娠・出産時を除いて)変わらなかったので、20年もってしまいました(笑)さすがにボロボロになってしまったので新調です。財布もいい加減擦り切れてきたので新調。今使っている財布は実は夫の親族の遺品から譲ってもらったものです。全く使われていない状態で保存されていて、素敵だったので譲ってもらました。それも10年くらい使ったかな。鞄はさすがに10年ではなく去年買いましたが、毎日酷使しているため、だいぶお疲れな感じなので、予備用に一つ買いました。子育てがもう少し落ち着いたらその鞄を使ってハイキングとかできたらいいな。これからの生活を彩ってくれるそれらのものを大切に使いたいと思います。
2019年09月10日
子育てが落ち着いたら、もっと郊外に暮らしたいな。インターネットが不自由なく使えて、必要な医療が安定して受けられるところがいいな。インターネットが使えれば、買い物はこれからはそれほど困らないと思うから。コンパクトに大切な機能がまとまっていて、遠出をする必要がない、でも自然環境など、伸びやかさを感じられるところがいいな。自然災害にも強いところがいいな。きっと20年もしたら、そういう環境が整ったシンプルなコミュニティがたくさんできるんじゃないかな。田舎によっては、よそ者を警戒するところ、ご近所を詮索するところがあるって聞くけど、そういう関係ではなく、もっと開放的で風通しのよさを大事にするようなところがいいな。それでも、テロリストや犯罪者が隠れ家にしにくい、人を不愉快にする行為をする人が来にくくする仕組みは欲しいな。都市ほど人間関係が希薄ではないところがいいな。お互いに助け合えるような関係が築けて、困ったときにはどうしたらいいのかっていう仕組みがあるところがいいな。でも、強制力が多少なりとも働くような自治会や防犯・防火組織のようなものはシンプルな仕組みがいいな。心豊かに過ごせるところを探したいな。
2019年09月09日
私が今、幸せだと思えることは本当に感謝です。いつも守り、助けてくれる夫に、ありがとう。おかあさんにしてくれた子どもたちに、ありがとう。私はここにいていいのだと、いつも思わせてくれるね。大切に一生懸命育ててくれた両親に、ありがとう。今私があるのは二人のおかげです。ふたりが健康で人生を楽しんでいる様子がこれからもずっと続けばいいなと思います。
2019年09月08日
いろんな宗教がいろんな風に「脅かす」じゃないですか。「仏前にご飯をお供えしないとあの世に行った先祖がおなかをすかせる」「仏壇の管理(戒名の書き方、お墓のお世話、その他)によって、あの世のご先祖が苦しむ」「体調の悪さ、精神的な不調、運の悪さはご先祖様からの警告」「手かざし、宗教的踊り、献金、講演会や集会に参加、等をすると体調が、不運が好転しますよ」「宗教の修練会に参加すると正しい祈り方をお教えしますよ、正しい供養のやり方がわかりますよ」などなど…家に来る宗教のDMは結構読んでいますが、それぞれがいろいろな「方法」「ルール」を提案し、「守らないからこんな状態なんだ」と書かれています。キリスト教も「原罪から救われたかったらキリスト教を信仰しないといけない。そのルールを守らないといけない」って脅していますね。私は牧師先生の「大丈夫」っていう言葉がとても好きです。「大丈夫」って笑って柔らかく受け止めてくれるから、牧師先生のところに行くようなものです。私の信仰を話したときに「神様を信じているならそれでいい」って言ってくださったからこそ、私は私の信仰のままでキリスト教会に行っていいんだと思えています。私の信仰は、今まで読んでくださった方はわかるでしょうが、キリスト教とは違っています。神様も「ルールは自分で決めなさい」「正しいなんてことはない」「自分の真実があるだけ」って言ってくださるので、神との対話のグループではなく、教会に通っています。教会の人々に「受洗(洗礼を受ける、クリスチャンになる)は?」と聞かれることがありますが、私は受洗したいと思っていないです。でも、教会に通ってみんなと交流することは幸せです。
2019年09月07日
免許更新に行ってきました。一応ゴールド免許です。約20年前に事故を起こしてから運転が怖くて、全く運転していないもんで(笑)免許更新時、臓器提供の意思(賛否のどちらでもいいから)を示してください、というリーフレットをもらいました。私は以前から脳死段階での臓器提供の意思がある旨、免許証に記載して、夫に伝えてあります。今回も再度書き直し、夫にも見せて了解してもらいました。臓器提供は、自分ができる最後のボランティアだと思います。自分が死ぬしかないのなら、私の臓器があれば生きられる人にあげることは私の喜びです。そうすることで、私の家族も私の一部がまだ生きていると慰めを得られ、生きられる人とその家族はその未来に大きな希望を見出せます。移植待機者14000人のうち、一年間で移植を受けられる人はたった2%だそうです。これが100%以上になる未来を祈ります。
2019年09月06日
あるテレビ番組で、デンマークの二つ星レストランのコース料理が紹介されていました。世界的に影響のあるコンテストか何かで何度も最高賞を取っているレストランだそうです。そのレストランの6万円のコース料理が、コメントを聞いて、その映像を見ていると、「本当にそれを食べて幸せになれるの?」っていう料理で。なんていうか、抽象芸術を素晴らしいと思えるかどうか、みたいなレストランのメニュー。好みなんでしょうけどね~私はあれを食べるならよっぽど天ぷらや餃子みたいな、わかりやすい料理のほうがいいな~自分の舌が肥えているとは全く思わないし、繊細な料理はまるで食べていないので、庶民と言えば庶民的な感覚ですね。でも、自分が食べて満面の笑みを浮かべられるような料理を食べたいな~、って思いながら、番組を見ていました。ちなみに私が好きなレストランは、食べ放題です。いろんなものを少しずつ食べてみて、これおいしい!って思うとそればかり取ってきます(笑)誕生日のお祝いには、お気に入りのホテルの食べ放題に行く予定です。
2019年09月05日
私が最近よく見ているサイトの記事の最後はいつも、「あなたが今日も、『太陽』のように周りを照らしますように^^」という文章で締めくくられています。この文章が私は好きです。いつも笑顔でいようと努めているということを、以前書きました。家族に笑顔でいると、イライラするようなとき、腹が立つときも「ま、いっか」という気持ちになることがよくあります。それが「太陽の~」の文章のような私につながるかな~ってよく思います。私の家族における役割とは、究極的には「居心地の良い家庭を作る」ことなのだろうと私は思っています。笑顔でいることはそれを実現するうえでとても大きなパワーとなると、思います。マタイによる福音書6章27節にも「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも伸ばすことが出来ようか」とあります。思い悩んでも、イライラしても、寿命は縮まるだけ。笑顔と恐れ、不安は同時には立てない。だから笑っていよう。あなたが今日も、『太陽』のように周りを照らしますように^^
2019年09月04日
先週はチャイルドから2通の手紙をもらいました。これから1か月以内に全部のチャイルドの手紙を見直して、彼らへ返事を書いて、プレゼントもつけて送る予定です。先週届いたのはスリランカのチャイルドとベトナムの学校から。スリランカからは、彼のおばさんが書いてくれました。おばさんもまた、家族の一員。彼は叔父さんの家に滞在しているため、通常のレベルテストでよい成績が取れず、補習を受けているそうです。家族の幅が広いな~って思います。ベトナムは学校まるごとを何人かで支援するというスタイルの支援をしています。そのため、手紙は特定の子どもからくるわけではなく、いろんな学年の子が書いてくれます。プランのスタッフが現地視察してレポートをウエブで更新してくれるので、他のチャイルドより詳しい情報がわかります。今回、ベトナムからは絵を送ってくれました。家と花のついた木が2本。その周りは5色に塗りつぶされています。おそらく、ペンと色鉛筆で書いた絵です。きっと一生懸命描いてくれたのでしょう。
2019年09月03日
「近代化」というのは「西洋化」というのとほぼ同義語、という時代を、私たちは生きてきたと思います。しかし、これからは「私たちの近代化」が始まり、西洋化はcool(カッコいい、イケてる)ではなくなるのではないかなと思います。集権国家ではなく、都市国家となり、発達したコミュニケーションツールを使って外部との関りを保ちながらもみんなが心地よいまとまりの中で生き、それぞれの文化をcoolだと大切にするような社会が来るのではないかと思います。その集落それぞれで対話をし、助け合い、自分たちにあったルールを決め、国家は集落ではできないことを委任されるだけ。必要以上に買い込み、動植物を殺し、たくさん消費して、どんどん物を作って捨てるのがよいという文化はcoolではなくなるだろうと思います。農薬も遺伝子組み換えもやって、戦い、勝ったものが他をコントロールする、そのためには土地が荒れても生態系が崩れても気にしない、という社会はcoolではなくなるだろうと思います。私たちはどうあることが幸せなのか、みんながもっと考える社会が来ることを祈ります。
2019年09月02日
エイプリルフールならぬセプテンバーフールです。イエス様の霊と話したよ。イエス様に「どうしてある人の病は癒してあげたのに、全ての人の病は癒さなかったのですか?」って聞いたよ。癒してもらえた人はラッキーだった?そうじゃないんだって。イエス様は完全さを理解していて、この人は自分に病をいやされる機会を魂が求めているとわかったんだって。癒そうと思えば、癒せるけど、全員を癒すのは自分のやるべきことでないからやらなかったんだって。すごいね~わかっちゃうんだ~どうやったらイエス様のようになれるのですか?って聞いたら、「本気でなろうと思っていますか?」って逆に問い返されたよ。「この世は愛以外は幻想だって、本物のようにすごく精巧に作られているけれどドラマのようなものなんだって本気で信じられますか?」って聞かれたよ。そうだったら、どのような奇跡も起こせるでしょう。そうだったらその瞬間、あなたは悟りを開き、天国にいることに気が付くでしょう。無限の自由と無条件の愛を享受し、恐れることもないし、どんなことがあっても感謝と喜びと祈りの中に生きるでしょう。はあ~それが私とイエス様の差、なのですね…
2019年09月01日
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