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2022.10.09
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カテゴリ: 鹿児島の歴史



説明板には次のように書いてある。

  ー登呂遺跡に並ぶ弥生時代の遺跡発見ー
 昭和25年鹿児島一之宮遺跡発掘のニュースが市民の話題をさらった。南九州で初めての竪穴式住居発見という学術的な関心もさることながら、2000年も前の自分達の先祖が地表下わずか1mのところに、その文化の痕跡を残していたという新鮮な驚きが大きかった。
(中略)発見された住居跡は全部で4基、集会所とみられる円形住居跡は直径6m,遺構や建物の保存状態も上々で中心部に舟形の炉、その周辺に土器、矢じり、包丁など石器も見つかった。
当時は床面の中央または隅に炉を掘り、炊事をしたり冬の暖房をとったりしていたと思われる。遺跡はこの住居跡を中心に現在の鹿児島大学付属小、中学校に及ぶ範囲に広がっている。(鹿児島県文化財)

 更に「鹿児島県の歴史散歩」(鹿児島県高等学校歴史部会編)によると、上記説明版にもあった鹿児島大学附属中学校校庭や鹿児島大学キャンパスからも縄文~平安時代の遺跡が多数みつかっており、弥生時代の堰(せき)など水利施設が検出されているとのことである。また中郡小学校(一之宮遺跡)からは平安時代とされる厨(くりや)の墨書土器も出土しており、この付近が古代の鹿児島の中心地であった可能性があるとのこと。


 下の写真は「弥生式住居跡」の一部。囲いをして保存されている。


 また一之宮神社の中にはたくさんの正体不明のものを含む石造物が残されている。





 これは仁王像の残欠か。




 これは石造の鬼瓦か。
私は過去に似たようなものを宮之城の宗功寺跡墓地(宮之城島津家墓地)と姶良市の蒲生八幡神社で見たことがあり、いずれも当ブログにもアップしている。いずれにしても珍しいものである。


 「今上陛下 奉祝」の記念樹も植樹されている。





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Last updated  2022.10.09 10:19:38
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