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ようやく余震が収まったきたかなぁ・・と思っているとまたまた夕べ、そして今朝も余震が何度もありました。それぞれの地域の方がどのような気持ちでどんな風に毎日過ごされているのだろうかと思わない日はありません。私の地域では断水が10日間、まだそれ以上続いているところもございます。水の尊さひしひしと感じております。また、色々な問題が次々と起こり波及してマイナスの波が押し寄せてくる、という不安感も募りますが、立ち竦んでばかりいるのはやめて、準備を整え、自分に出来る事を精一杯やり、そして緊張感を持って生きていきたいと改めて思いました。いつもお世話になっている音楽サロンでの演奏会のお知らせをさせて下さい。震災の直後ですので中止になるのかなぁ・・と思っていましたがこんな時だからこ演奏会をというお客様、そして演奏者たち、サロンオーナー様から私も元気を頂きました!伺うのを楽しみにしています。皆様もいかがでしょうか。お問い合わせソフィアザールサロン
March 23, 2011

前回のマタイ受難曲に関連したお話で、今日はモーツアルトの逸話を一つご紹介します。モーツアルトは(1756-1791)オーストリア、ザルツブルグ出身、大バッハの息子クリスチィアン・バッハに小さい頃出会ったエピソードもあるのですが、今日は別のお話しです。13歳の時、父親とローマで復活祭前週を過ごします。聖水曜日夕刻ミスティナ礼拝堂にて「ミゼーレ」を聴きます。絵画、ミケランジェロの「最後の審判」に光が当たり、荘厳な響きで始まりました。当時、法王つきの楽団員にも「ミゼーレ」(グレゴリオ・アレグリ作曲)の写譜は禁じていました。モーツアルトは何としてもその曲を知りたく「それならば暗記しよう」と思い立つのです。宿に帰り記憶をたどり書き写します。金曜日にまた同じ演奏会にもぐりこみ、自分の写し譜の訂正箇所を見つけたということです。モーツアルト◇オペラ「魔笛」より モーツアルト晩年の最高傑作「魔笛」、1791年、最後に完成させたオペラです。病気が進行し、制作中に何度も失神しながら書き続け、モーツアルト自身もオペラの中では特に心こよなく愛する作品でした。公演中は容態が悪化し、最初の9.10回ほどしか指揮をふれなかったとの事。いよいよ衰弱状態になると劇場へ脚を運ぶことも出来なくなり、ベットの脇に懐中時計を置き、夢の中でオーケストラを追っているようだったそうです。「さあ、第一幕が終わった」 「いま、あのアリアを歌っている」シャガール◇魔笛「魔笛」の台本は興行主・俳優・歌手であるエマヌエル・シカネーダーが自分の一座のために書きました。シカネーダーは当時ヨーロッパ各地を巡業していたたび一座のオーナーで、モーツアルトとはザルツブルグ時代の知り合い、またお互いにフリーメイソンの会員でもありました。シカネーダーは当時仕事がなく生活に困っていたモーツアルトに大作を依頼したのがそもそも傑作を生み出す始まりです。フリーメイソンの集会◇最前列右端がモーツアルトらしい・・魔笛の成功の大きな要素にはおそらくコンスタンツェへの想いが自分の作品のために必要な情熱的なアリアのモチーフとして見出されたことだと言われています。ウィーンで初演された時壮大な人気を博し、その年だけでも上演20回を越えたと言われています。ストーリー:魔法の笛に導かれた王子タミーノが数々の試練を乗り越え夜の女王の娘パミーナを結ばれるというロマンスと、夜の世界を支配する女王が昼の世界を支配するザラストロに倒されるという話の二重構造です。パパゲーノの軽快なアリア「おいらは鳥刺しパパゲーノ」、夜の女王が雷鳴と共に登場し歌う超絶技巧のアリア「恐れるな若者よ」「復習の心は地獄のように」などはこのオペラの最高の聴きどころともいえるのではないでしょうか。モーツアルトが愛した音楽家:ボッケリーニ・ヘンデルシャガール◇パパゲーノ参考書籍:「モーツアルトの廻廊」 海老沢敏著 春秋社 「モーツアルト」 スタンダール著 東京創元社パパゲーノ&パパゲーナの二重奏 Pa pa pa pa Cecilia Bartoli & Bryn Terfel パ・パ・パ・パ・パ・パ・パ、パパゲーナ パ・パ・パ・パ・パ・パ・パ、パパゲーノ パ・パ・パ・パ・パ・パ、パパゲーナ!(パパゲーノ!)きみってすっかりボクのもの?あたしすっかりキミのものぼくのおヨメになるのかい!?あたしの心の鳩になれ! なんてうれしいことだろか。 神さまたちのご配慮で、愛する二人が授かれば。かわいいちっちゃな赤ちゃんをまずは、ちっちゃなパパゲーノ。 おつぎ、ちっちゃなパパゲーナ。 そのあとまたも、パパゲーノ。 つぎもまたまた、パパゲーナ。 想いがはちきれ、あふれそう。いっぱい、いっぱい、いっぱいの パパパ・パパパパ、パパゲーノ、パパパ・パパパパ、パパゲーナ、 愉快なぼくらに産まれれば。 ちっちゃな子どもに取り巻かれ、 おなじ喜び分かち合い、おなじ姿にほほえんで。幸せなんて これよりも、大きなものがあるだろか? kumikopiano インフォメーション 今日の1曲◇モーツアルト:幻想曲二短調 ピアノ:本間くみ子録音スタジオ:ソフィアザールサロンyutubeに現在私自身の演奏を56曲アップしています音楽と絵画の部屋 新エッセイです Chapter 2. ドヴォルザーク「自問の時期」
March 17, 2011

早いものでもう3月を迎えました。やがて春分の日も訪れます。この時期ヨーロッパではイースターというお祭りがあるのもご存知の事でしょう。十字架にかけられたキリストが亡くなり、3日目に復活したとされる最も重要、記念すべき日。春分の日の後、最初の満月の次の日曜日に祝われている復活祭(イースター)にちなんだ作品を今日はご紹介します。 この曲を作るにあたり、当時復活祭前40日は「受難と復活に向けての準備期間」でありすべての歌舞音曲が禁止されていました。多忙なバッハはおそらくこの期間を利用してこの大規模な受難曲や復活祭のためのカンタータを準備する事ができたのであろう、という事です。バッハ◇マタイ受難曲より 52.「アリア:わが頬の涙」まずこれほどの大曲、大作を取り上げるにはこの小さなページではあまりにもお粗末なのではないか・・とも考えたのですが今後もシリーズとして再び取り上げていきたいと思います。 グイド・レーニ(1575-1642 伊)◇聖マタイと天使バッハはドイツ生まれ、1685年~1750年の生涯、当時としては比較的長生きをした音楽家です。また大きく3つの活動時期に分けられます。ワイマール時代 1708年~1717年 23才~32才ケーテン時代 1717年~1723年 32才~38才ライプツィヒ時代 1723年~1750年 38才~65才そしてこのマタイ受難曲はライプツィヒ時代を代表する作品であると共に、バッハ全作品中の最高峰に位置づけられる作品でもあるのです。しかしながら残念な事に1727年ライプツィヒの聖トーマス教会で初演された時はそれほどの評価を受けませんでした。以後改定を繰り返し1736年に完成したといわれています。ところが今日私たちがこの大作を知る事が出来た裏には、そのおよそ100年後1829年に「奇跡的な復活上演」があったからなのです。それはロマン派作曲家、メンデルスゾーンの貢献、偉業によって歴史的な上演がなされた事により、バッハの再評価につながったからなのです。 ゴッホ(1853-1890 和蘭)◇ピエタ(哀れみ、慈悲)<作品について>新約聖書「マタイによる福音書」の26,27章のキリストの受難をテーマにしたもの。多くの独唱、合唱、オーケストラを伴う大規模な音楽作品です。演奏時間はカット無しで約3時間、最近のピリオド奏法では2時間30分という長編です。第一部 : イエスの捕縛まで導入の合唱 / 十字架の士の予告 / 祭司長たちの合議 / 香油を注ぐベタニアの女 ユダの裏切り / 晩餐 / オリーブ山にて / ゲッセネマの苦しみ / 捕縛第二部 : イエスの捕縛、裁判、磔刑、埋葬と封印まで人気なき園に花婿を探すシオンの娘とエルサレムの娘たちの同情 / 大祭司の審問 / ペテロの否認 / ユダの後悔と末路 / 判決 / 鞭打ち / 十字架の道 / 十字架上のイエス / イエスの死 / 降下と埋葬 / 哀悼 それぞれのタイトルには合唱と独唱があります。合唱=コラール=群集=公的に対して、独唱=アリア=イエス・ペテロ・ユダ・ピラト・大祭司等の聖書引用部分にもとづいた台詞、そしてバッハ自身の感情、意思、思考表現の要素があります。 ドラクロワ(1798-1863 仏)◇埋葬 今日お届けする曲は、第2部「鞭打ち」から52番:アリア「我が頬の涙」です。たとえ私の頬に涙が流れなくても、おお、私の心を受け取って下さい。しかし主の傷が慈しみ深くも血を流すとき、私の心をこの血で満たし、捧げ物の皿とならせて下さい。 52番:アリア「我が頬の涙」 kumikopiano インフォメーション 今日の1曲◇バッハ:主よ、人の望みの喜びをyoutubeに現在私自身の演奏を56曲アップしていますピアノ:本間くみ子録音スタジオ:ソフィアザールサロン音楽と絵画の部屋 こちらもどうぞ Chapter 1. パッヘルベルの唯一の作品 Chapter 2. ドヴォルザーク「自問の時期」
March 1, 2011
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