2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全29件 (29件中 1-29件目)
1
タイ語の勉強を始めたきっかけは、以前書きましたが(3/24の記事参照)、今回はその後について書かせていただきます。実はタイ旅行に行った1994年当時、私は地方公務員をしてました(汗)。が、タイ語を勉強しては、その成果を試しにタイ旅行に行くということを繰り返すうち、「海外と関わる仕事がしたい」と思うようになったのです。「飛び出すなら30歳になる前だ」と、思い切って1997年に退職しました。我ながら無鉄砲だと思いますが(笑)。で、すぐにバンコクへ飛び、某タイ語学校に入学しました。当時、名が知られているタイ語学校は5,6校。私が選んだところは、生徒のほとんどが日本人駐在員の学校でした。そこで3ヶ月間、5時間/日学んで、自分では物凄く上達したように感じたものです。実際には日常会話がやっとできるようになった程度なんですが(笑)。買い物やタクシーでの会話には困らないくらいになったため、自分のタイ語力に自信を持ってしまったんですね。そんなある日、デパートで買い物をした際に店員の女の子に言われた一言が、そんな脆い私の自信を根底から崩しました。「ペン コン・チーン ロ~?」たったこれだけのフレーズが、私にはわからなかったのです!頭が真っ白になりました。後々よく考えてみると「中国人なの?」と聞いてきたことがわかりましたが、とっさに理解できなかった自分に、それはもう自信を失いました。そう、だってタイ語学校では、こんな言い方を教わってないんですよ。「クン ペン コン・チーン ル~ カ?」と習うワケです(笑)。でもあの子の発した言い方こそが、本当の日常会話タイ語なんですよね。それからの私は、教科書タイ語も勉強しましたが、それにも増して本当の日常会話表現やスラングの勉強に力を入れ出しました。翌年再度バンコクへ行った時も、プライベート授業の学校を選んで、そうしたことを中心に教えてもらいました(3/15の記事参照)。その後、紆余曲折を経て日本でタイ関係の仕事を得たのですが、それがまたタイ語学習意欲を一層燃やすことになり、2001年にタイの国立大学の聴講生になってしまうのでした(笑)。そのへんのことは、また書きたいと思います。長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2005/03/31
コメント(6)
東京・目黒のタイ大使館での観光ビザ発給ですが、昨年の2月くらいから急に厳しくなっていたのご存知ですか?私も5月に申請に行った時(タイの大学の怠慢で教育ビザ用書類が間に合わなかった!)、担当官に「書類は受理しますが、ビザは出ないかも知れませんよ」と脅かされました。結局は貰えたんですが。で、ここにきてまた状況が変わったようです。どうやらまた観光ビザ発給が緩和されたようです。必要書類が揃っていて、預金残高がタイ滞在中の費用を賄える程度あれば、貰いやすくなったみたいです。タイのこと、また状況が二転三転するかも知れませんが…。
2005/03/30
コメント(6)

「LOFTで売ってる、芽が出たら文字が書いてある豆の缶詰、日本から送って欲しいんだけど」バンコクでお世話になっているタイ人家族の次男坊に、こんなことを頼まれました。あー、あれね、「運芽ican」でしょ。どんな種類の文字があるのか調べてあげました。ファイト(^0^)ノずっと なかよしあ り が と うI LOVE YOUタイ人でも意味がわかるのって「I LOVE YOU」だけってことですね。「じゃ、『I LOVE YOU』を2つお願いします」と次男坊。これです。帰国後早速買ってEMSで送ったところ、昨日無事届いたとのメールがありました。税関で開けられないかちょっと心配してたんですが、大丈夫だったようです。その次男坊のカノジョ、実は芸能人だったりします。「誰にあげるの~?」などと野暮なことは聞きませんでしたが(笑)。でも、ここで疑問が2つ。・サイアムディスカバリー・センターのLOFTで売ってるってことでしょ? なぜわざわざ日本から送らせたんだ?・「I LOVE YOU」を「2つ」って、一体?やっぱり今度行ったら、誰にあげたのか聞いてみます…。
2005/03/29
コメント(4)
タイで収集してきた資料。去年分とこの前の分とでかなりの量です。部屋に無造作に積まれたその山を見て満足してたんですが(笑)、ゼミの先生から「早く書かないと間に合わないですよ」と脅しをかけられ、博士課程の先輩からも「え?まだ書いてないの?」と驚かれるにいたって、さすがに心配になってきました。なので、やっと重い腰を上げて今日から書き始めました、修士論文。大体、論文なんて書いた経験がないんですよね~。大学時代も私の学部は卒論がなかったので、書く機会がありませんでしたし。などと嘆いても、自分の選んだ道なので、頑張るしかないです。エンジンがかかるには、もうちょっと時間がかかりそうです。今日は15行書いたのでヨシとしましょう(笑)。明日はもっと頑張ります。たぶん…。
2005/03/28
コメント(2)
タイで今流れているこのCM、在タイの方にはきっと印象に残っていることでしょう。昨日、タイ国立図書館の記事で「雪化粧」の案内図を紹介したからには、このCMもはずせないと思い、取り上げてみました。雪化粧をしたバンコクの風景・・・。一番左は、民主記念塔です。こんなに積もっていたら、お近くの「竹亭」さんのところも、さぞかし雪掻きが大変でしょう(笑)。勿論これはCG映像ですが(笑)。ジョニー・ウォーカーのCMです。ところで、タイで雪が降ったことは今だかつてあるんでしょうか?そう思って、タイ気象庁のHPを調べてみたのですが、記録は公開されていません。が、色々調べているうちに、こんな記事に出会いました。「チェンライで雪」。当時の新聞写真も掲載されています。1955年1月7日の午後6時過ぎに北部チェンライで、小雨が、雪のような白く小さな雹やあられ(?)に変わり、相当降ったとのこと。恐らく厳密に言うと雪ではないようですが、それでも一面真っ白な世界になったようです。リンクの上の写真は14時間経った翌日、下の写真はさらにその38時間後に撮影されたものです。恐らく少なくとも戦後は、この1回だけだと思います。ご存知の方がいらっしゃいましたら、お知らせください。ただ雹なら、北部では時々降るようです。昨日3/26にもタイ気象庁は、北部地域に雹に注意するよう呼びかけていますし(新聞『タイラット』3/27)。北部ならまだしも、バンコクでCMのように雪が降ったことは、やっぱり無いみたいですね。
2005/03/27
コメント(10)
資料収集に、ここははずせないということで、タイ国立図書館にも二度今回の滞在中に行きました。入口で荷物を預け、入った右側は新聞・雑誌の部屋。昼間っからおじさん達が新聞を広げたり居眠りしたりしているのどかな光景が広がっています。でも国立図書館で最も使えるのは、実はこの部屋。保存されている過去の新聞・雑誌の量は、チュラ大、タマサート大の図書館と比較にならないほど充実しています。しかも閉架式のため、保存状態が良好です。2,3階に上ると、真面目な学生さんが多くなるのですが、のどかで、どこかけだるい雰囲気は共通してます。建物が古い上、エアコンの効きがタイにしては珍しくイマイチなのが、そう感じる理由かも知れません。そう、古いといえば今年10月で100周年なのだそうです。ちなみにインターネットでもこちらから蔵書検索が可能です。「Japan Thailand」で検索したら、54件がヒットしました。案内図を見ると何故か国立図書館が雪化粧(笑)。作成者の意図はどこにあるんでしょうね。ちょっと知りたくなってしまいました。場所は観光コースからちょっとはずれてるので、わかりにくいですが、ペッブリー通りからですと、23番・99番のバスで終点のテーウェートまで行けば、そこから歩いてすぐです。あるいは505番や16番なら真ん前に停まります。本以外に何があるというわけではないのですが、観光コースをそれて、タイ人社会ののどかな一側面を覗いてみるのもいいものです。
2005/03/26
コメント(10)
帰国した2日後に、この3月で卒業するタイ人留学生の送別会をしました。そのタイ人のコはお役人さん。日本の政府系機関の奨学金で大学院に来てました。同じゼミで、私よりタイ語が上手な日本人2人と、ラオス人3人、そして主賓の7人で横浜中華街で食事をしました。店の女主人が気を遣ってくださって、「料理辛めにする?」と聞いてくださったものだから、ほぼ全料理唐辛子入り!辛いのが好きなのに強くない私は、一人で滝のような汗をかいてました。7人の会話は・・・タイ語。私は会話についていくのに精一杯で、余計汗が吹き出ます。くだんの女主人、「この中で日本人は4人?」と、なかなかな質問を浴びせてきました。どうやらラオス人の1人も日本人と思ったようです。それはいいんですが、残りの3人に私も入ってますよね!?その席で主賓のコが、近く西洋人と結婚することを発表しました。バンコクのタイ語の先生といい(3/15の記事参照)、彼女といい、なんだか最近、タイ人が西洋人と結婚するの、流行ってるんでしょうか?
2005/03/25
コメント(6)
読んでくださっている方の中にも、現在タイ語を勉強している方がいらっしゃると思いますが、そもそも勉強を始めたきっかけってどんなことだったのでしょうか?私の場合、初めての海外旅行でタイに行ったことでした。そう、よくあるパターンです(笑)。でもちょっと変わってるかも、と思うのは、興味を持ったのが「タイ文字」だったことです・・・。その旅行は、友人に誘われました。最初は香港だけに行くはずが、友人が香港・タイを周遊するパック旅行にしようと言い出したのです。タイなんて「ヤシの木が生えてて、その下の未舗装の道を象が闊歩してる」という、今から考えるとトンデモなく勘違いなイメージしか持っていなかった私は、当然嫌がりましたが、友人になんだかんだ説得されて渋々同意したのです。1994年9月、バンコクに着きました。初めての海外でしたから、緊張してたのでしょう。記憶があるのはガイドさんと車に乗ってしばらくした時からです(笑)。大渋滞のため大きな交差点を越えるのに2時間かかりました。今思うとあれはディンデーン交差点でしょう。で、そこを越えた頃から私の目に飛び込んできたのは、へんちくりんな文字が書かれた商店の看板、看板、看板。丸だらけの得体の知れないその文字を眺めているうちに、時々、文字の上に「アイロン」が乗っかっていることに気付きました。しかもよく観察すると、その「アイロン」には取っ手が丸いものもあれば、一本棒、二本棒のものもあります。中にはなんと取っ手の無い「アイロン」も!(笑)。もう、気が付くと「この文字が読めたら楽しいだろうな~」という気持ちになっていました。その滞在中、サイアム・センターにあった文房具売り場で、タイ文字ステッカーを買いました。勿論何て書いてあるのかわかりません。「よし、ここに書いてあることがわかるようになるまで勉強するぞ!」そう決意したのでした。帰国後すぐに東京の外国語学校のタイ語プライベート・レッスンに通い始めました。そこには2年ほどお世話になりました。・・・その後、東京とバンコクのタイ語学校を転々として、ついでに仕事も転々として(泣)、気付くと10年半もの月日が経っていました。ずーっと勉強を続けていたわけではないので、その月日のわりには全然上達してないのですが(汗)、今後順次その後のことも書いていこうと思います。あ、ちなみにあのタイ文字ステッカー、去年引越しの荷物整理で発見するまで、すっかり忘れてたんです。「ハーム・スープ・ブリー(禁煙)」でした・・・。
2005/03/24
コメント(15)
ポンッ! 何かが破裂するような大きな音が、私の真横から聞こえてきました。それは、3/16の夕方にバンコクの伊勢丹正面のBig Cに入ろうとした時のことです。音のした方向に振り向くと、バスが急停車してドアを開けたのが見えました。「交通事故だ!」中腰にかがんでバスの車体の下を覗くと、右側後部車輪の向こう側に青いバイクが倒れています。すると、立ち上がろうとする人影があります。ドライバーのようです。「ケガが無いみたいだ。良かった~」が、そのすぐ左側に何かの影が見えるのに気が付き、目をやりました。そこには、モザイクの入る光景が広がっていました。同乗者がいたようです。私には正視することができません。すぐに人だかりができ、大勢のタイ人がその光景を眺めています。デジカメで写真を撮り出した青年もいました。ほどなくして警察の車両が2台到着したようでした。生死の瞬間に遭遇した初めての経験に、頭がパニックに陥っている私と、中には顔を強張らせている人がいつつも、あの光景を見ていられるタイ人達。この違いは何なのでしょうか。数日が経ち、気持ちが落ち着いてから、そんなことを考え始めました。死あるいは死体に対する考えが、日本人とタイ人とでは異なるのではないか?そんな気がしてきました。タイの大衆向け新聞に、死体写真が連日のように載っていることも、そう考えれば理解できるのでは、とあまり根拠も無く強引に結論付けようともしてみました。自分自身で納得するため、日本・タイの交通事故死者数を調べました。┏━━━┳━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┃2004年┃人 口┃平均寿命 ┃ 交 通 事 故 ┃┃ ┃(百万人)┃男/女(年) ┃事故数(件)┃負傷者数(人)┃死者数(人)┃┃日 本 ┃ 127.8┃ 77.9/85.1┃ 約952,000┃ 約1,183,000┃ 7,358┃┃タ イ ┃ 63.5┃ 65.3/73.5┃ 124,530┃ 94,164┃ 13,766┃┗━━━┻━━━━┻━━━━━┻━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━┛ 日本・タイの人口・平均寿命:『世界人口白書2004』(PDF),国連人口基金 日本の交通事故・負傷・死者数:『朝日新聞』2005年01月27日夕刊 タイの交通事故・負傷・死者数:タイ国家警察局統計2004年(PDF)タイは、人口が日本のちょうど半分にも関わらず、交通事故死者数が2倍近くにのぼっていることがわかります。つまり交通事故で死ぬ確率は、なんと日本の4倍。タイの事故・負傷者数が極端に低いのは、大事故でない限り警察に通報しないという国民性のためと思われます。また平均寿命も、タイは日本より12年前後短いことがわかります。元もとの死生観もさることながら、こうした実状によって死がより身近にあることが、タイ人の死や死体に対する畏怖心を軽くしているのかも知れません。在バンコクの日本人の友人に、事故を見たことを話すと、半年で二度も目撃した知り合いがいるとのこと。その方には申し訳ないのですが、私はまだまだマシなんだ、と自分に言い聞かせたのでした。みなさん、タイでは交通事故にくれぐれもお気をつけください。
2005/03/23
コメント(14)
ちょっと前の話になりますが3/12の夜、テンモーちゃんのドラマ最終回を見終わって(3/13の記事参照)から、TVのチャンネルを変えると、9チャンネルでコンサートの模様を放映していました。それは、2/13にスワン・ルムで行なわれたチャリティー・コンサート「The Light Of Love」でした。津波被害を受けた南部支援の募金と犠牲者追悼のため、グランミーが主催したものです。グランミーの大物歌手が大勢舞台に立ちましたが、その中で個人的に目を引いたのは、P'Bird、モス、クリスティナー。私がタイに行き始めた90年代半ばに第一線で活躍していた歌手達です。タイの芸能事情に詳しくない私にはP'Birdは別として、あとの2人の目立った歌手活動の情報が久しく入って来なかったので、元気に歌う姿を見て嬉しくなりました。また、アサニー・ワサン、ジェッタリン、南部出身のナット・ミリアもVCD以外で歌う姿を見たのが初めてだったので新鮮でした。しかし、その中でも群を抜いてオーラを発していたのは、P'Bird。ステージに登場すると観客からはもの凄い歓声が上がります。「タープーマイペー(あなたは負けぬ者)」を熱唱した時なんて、最前列の客席にいたタクシン首相親娘まで一緒に口ずさんでるんですよ!タイ国民老若男女問わず人気のあるP'Birdの圧倒的な偉大さが、ブラウン管を通してでも、十二分に伝わってきたコンサートでした。
2005/03/22
コメント(0)
バンコクから40kgの荷物を引きずってきたお陰の筋肉痛と、バンコクの病院で処方された風邪薬でフラフラになった状態とで、あまりコンディションのよろしくない今日の私です(泣)。40kgの荷物の中身は、新聞とコピーした資料の山。ロイヤル・オーキッド・プラス会員はドンムアン発は40kgまでOKなのを最大限活用したのですが、運動不足の私には地獄の道のりでした・・・。ラリッた頭で持ち帰った新聞をパラパラめくっていると、ある記事に目がとまりました。「マンガ『ヌーヒン』映画化!」おー! 思わず声を上げてしまいました。ヌーヒンとは、タイの人気月刊マンガの一つです。同種の「カーイ・フアロ」や「マハー・サヌック」が主に1~3コママンガの寄せ集め集なのに対して、「ヌーヒン」は一つのキャラクター設定のストーリー中心の内容となっています。で、主人公は、イサーン出身でバンコクの大富豪の家で家政婦をしているヌーヒン(14才)。彼女がその家の美人&グラマー名門女子大生ミルク(笑)や、その友人達と繰り広げるドタバタが面白いんです。実はこのマンガ、楽しみながらもタイ語学習にも利用できます。テキストや辞書には出ていないスラングや口語表現、はたまたイサーン方言まで出てくるからです(笑)。タイ人と飲んでるときにこのマンガで覚えたイサーン方言を言ったら、大笑いになったこともありました。オススメです。話を戻すと、その新聞によれば、映画化に際してヌーヒンを含めた出演者をオーディションで選ぶんだそうです。マンガの雰囲気どおりに再現できるのかどうか、楽しみにしたいと思います!
2005/03/21
コメント(4)
今朝のバンコク・ドンムアン空港は、中国系タイ人や日本人大学生の団体さんでごった返してました。チェックインであんなに並ばされたのは初めてです。今回の航空券は日本で買ったんですが、行きがエアインディアで帰りがタイ航空という、これまた私には初めての経験の航空券で、両社のサービスの違いを比べることができて面白かったです。私は、どこよりもやっぱりタイ航空が好きですねー。料理やサービスの面では絶対にANAの方が上だと思いますが、タイ航空の機内に一歩足を踏み入れたときに感じるあの香りと雰囲気はタイ旅行には欠かせない楽しみだと思っています。あと聴くととろけちゃいそうになる、心地よい響きのタイ語の機内アナウンスも欠かせませんねー。欲を言えば、各座席に液晶TVをつけて欲しいものですが(笑)。さてさて、バンコク滞在中は、部屋の電話が15分で強制切断されていたため、15分一本勝負で急いで記事だけ書いてました。これからは常時接続の環境に戻ったので、他の方のブログも覗いてみたりしていこうと思います。また、引き続きタイ&タイ語関係の話題を書いていくつもりです。これからもよろしくお願いいたします!
2005/03/20
コメント(0)
今回の18日間のバンコク滞在で、論文のための資料がほぼ揃いました。去年の留学時にも資料収集をしたんですが、帰国後落ち着いて読み返してみると、不足している部分が多く見つかりました。それで今回再度来ることにしたんです。そのメインの目的以外にも、毎日のように人と会い、みなさんのそれぞれ個性的な「タイと関わる生き方」を目の当たりにして、私もいい刺激を受けました。私も論文執筆とともに、私なりの「タイと関わる生き方」を具体化していこう。そう思わせてくれた滞在となりました。この滞在中、色々なことがあり、まだ全てを書ききれていません。帰国後にまた書いていこうと思います。とくに16日に目の当たりにしたショッキングな光景は、良くも悪くも触れなければ、と思っています。
2005/03/19
コメント(2)
例の3/12地震説の真偽を私に聞いてきた子と午前中に会いました。と言うのも、「心配する必要はない」との返事を送った時に、今バンコクに来ていることも書いたところ、是非会いたいとメールがあったからなんです。その子とは4年前にタイの大学で聴講生をしている時に同じ授業を取ったことから知り合いました。その後彼女は他大学に入りなおしたため、2回1年生をやっています。で、もうすぐ4年生。4年ぶりに会った彼女は、さすがに大人っぽくなっていました。なんと、理学部の海洋学専攻で津波の研究をしているんだそうです。12/26の津波の直後、被災地に通訳ボランティアとして入っていた時の話をしてくれました。1/7-8にもまた津波が来るという噂が流れてタクアパーの人たちは恐怖で逃げ惑っていたとのことです。現在タイでは津波関係の分野を研究している人が少ないので、自分が頑張って国のために役立ちたいと言っていました。卒業後は、津波対策の先進国の大学院に留学したいとのこと。またまた頼もしい限りです。4年前は本当に子供って感じだったのに、こんなにしっかりとした人物になっているなんて、嬉しく思いました。卒業したら日本に留学できるといいね。でも、根も葉もない噂に、もう惑わされちゃダメだよ!(笑)
2005/03/18
コメント(0)
実は数日前から風邪気味で、これ以上悪化しては困るので、今日病院へ行ってきました。そこは日本人向けに日本語の受付があります。椅子に腰掛けると、かつては日本語の話せるタイ人しか見たことが無かったのが、日本人がいるのに気付きました。診察券を出して症状を説明しつつ、「日本人の方には初めてお目にかかりましたよ」と話しかけたところ、「どこかでお会いしてませんか?」と逆に聞かれてしまいました。え? そういえば確かに見覚えのある顔・・・。わかった! 東京のタイ語学校で知り合った方だ!「うわー、お久しぶりです! バンコクで働いてたんですか!」「はい。ここで働いていると、よくこんな感じで知り合いと遭遇するんですよ」確か彼女は以前から医療関係に興味を持っていたはず。きっと今の仕事にはやりがいがあることでしょう。しかし、いつの間にあんなにタイ語が上手になったんでしょうか。頼もしい限りです。またもや心からエールを送りたい方に出会ってしまいました。ガンバレ~!
2005/03/17
コメント(0)
今日は昼前から日本人の知人がバンコクで経営する会社に行ってました。彼とはかつて日本でタイ語を一緒に学んだ仲間なんです。タイ語にもタイ人の考え方にも精通していて、ことあるごとについつい頼ってしまいます。今回も実は、私が去年滞在していた時から、私の代わりにその会社でタイ字新聞の年間購読契約をしてもらっていたんです。1年で3千バーツ余り。1万円くらいですから安いですよねー。論文の資料として使うために、お願いして保存しておいてもらっていました。事務所の隅に置かれた段ボール箱2箱。5か月分の量です。自分で持ち帰れる分は抜いて、あとは郵便局から船便で送ったのですが、郵送料は新聞の年間購読料より高いんですよ(笑)。なんだか間抜けなことをやってるなあ、と思いつつも仕方なく送りました。もっと安く送る方法ってないもんですかね?きっとアジアン雑貨のお店をやっている方などは、送料をいかに安くするかで悪戦苦闘してらっしゃるのでしょうね。是非是非貴重なアドバイスを頂きたいところですが、企業秘密なんでしょうか?
2005/03/16
コメント(0)
1999年に通っていたバンコクのタイ語学校の先生から、結婚式の写真がメールで届きました。彼女には色々と良くしてもらったんです。当時興味を持っていた口語表現を集中的に教えてくれたり、彼女の友人達に混じって食事にもよく行ったりしました。また紹介してもらって仲良くなった彼女の男友達とはディスコに行ったり、重い食中毒になった時は深夜にも関わらず車で病院まで連れて行ってもらったりしました。本当にいい想い出が、彼女のお陰で沢山できました。その彼女が先日、元教え子の西洋人と結婚しました。その時の写真を送ってきてくれたのです。早速彼女にTelすると、私がタイに来ていることに驚く様子もなく(しょっちゅう来ているもんで(笑))、久しぶりに会おうということになり、今日の昼を一緒に食べました。なんでも、来年にはご主人の国へ行って、しばらくそちらで暮らすとのこと。あれから6年の月日が経ったんだという現実を思い知らされました。もうあの頃には戻れないんだという淋しさと、彼女が幸せな結婚をしたことへの祝福の気持ちとで、複雑な心境の今日の私です。私もいつまでもフラフラしていられませんなあ。
2005/03/15
コメント(0)
先日、タイ国投資奨励委員会(BOI)の「投資図書館」に行ってきました。場所はセントラル・デパート ラートプラオ店から通りを渡った反対側です。図書館はBOIの1階にあり、広くはないものの投資関連文献や政府機関の刊行物が充実しています。訪れた目的は、もちろん論文の資料収集のためです。必要な文献のコピーを入手できただけでなく、担当職員の方からお話も伺えて思った以上に収穫がありました。しかもびっくりしたのは、日本人の常駐スタッフの方がいらっしゃるんです。頂いた資料によると、2003年上半期の海外からの大口投資は、日本からがダントツで全体の50%を占めています。日本人の方がいらっしゃるのも、もっともなことですよね。
2005/03/14
コメント(0)
芸能人に一目惚れするなんて、大学時代以来かも知れません。しかもタイの女優にハマッてしまいました!バンコクに着いた数日後、TVをつけると一目でそれとわかるお決まりの恋愛ドラマをやっていました。何気なく見ているとヒロインの女性のふとした表情がとてもカワイイいんですよ! 思わず見入ってしまいました。テンモーちゃんというコで、雑誌などで顔は前から知っていたのですが、動いている姿を見るのは実は初めてです。そのドラマは昨日が最終回でした。雑な作りのストーリーをテンモーちゃんの魅力だけでカバーしている感じでしたね。最後には挿入歌を自ら歌っているビデオクリップも流れてました。どうやら最近、人気急上昇中の女優さんのようです。一方のお相手の俳優はというと、これがブサイク(失礼)。なんであんなのが主役(?)になれるのかと思い、タイ人に聞いたところ、なんとその男性は、ドラマを放映したTV局のオーナーの孫なんだそうです(笑)。タイらしいというか何というか・・・。
2005/03/13
コメント(0)
「バンコクで大地震がある」という噂のあった3/12がとうとう訪れました。結果からいうと、結局何ごともなく終わりそうです。ただの噂だから当たり前と言えばそれまでですが、「タイの2チャンネル」のpantip.comでは、地震説の根拠として占星術に基づくもっともらしい説明の書き込みもあったので、ずっと心に引っかかっていたんですよねー。サイアム・スクエアもマーブンクローン・センターも、いつもと変わらぬ人出でした。ネットで広まった噂という性格もあり、あまり広まらなかったのかも知れませんね。でももし本当にバンコクで地震があったら、倒壊しない建物の方が少ないんじゃないでしょうか。日本では考えられないくらい細い柱の建物が多いですもんね。実際、去年12/26のあの津波を引き起こした地震は、バンコクでもわずかな揺れを感じたそうですが、あるコンドミニアムでは、その地震後、基礎部分に亀裂が見つかったそうです。こわ~。あと4時間、何も起こらないことを祈りつつ・・・(汗)
2005/03/12
コメント(0)
タマサート大学(タープラチャン・キャンパス)へ行くと、近くにエメラルド寺院や王宮前広場、国立博物館があるので、ちょっとした観光気分を味わえます。今日は朝からタマサート大学の中央図書館へ行ってきました。正式には「プリーディー・パノムヨン図書館」と言うようです。抗日活動を経て、戦後首相になったタイ近代史の偉人の名が冠してあります。この図書館のいいところは、古い新聞が開架式になっている点です。チュラ大は確か1年分しか保存してませんし、国立図書館は閉架式になっているんです。1960-70年代の新聞記事を探すにはオススメです。実はここ、図書館部分は地下にあるんですが、すぐ脇にはチャオプラヤ川が流れているんですよ。氾濫した時は大丈夫なんだろうか? と要らぬ心配を毎回してしまいます。あと、ここに来て楽しみなのが学食での食事。奥の経済学部の学食は、チャオプラヤ川の景色を見ながら食事ができるんです。実は2階に行くとエアコンの効いたレストランもあります。ビールを飲みながらゆったりと景色を楽しむことができる穴場的スポットですよ。写真:タマサート大学の「プリーディー・パノムヨン図書館」
2005/03/10
コメント(0)
今回バンコクに来た目的は論文の資料収集です。なんだか毎日人に会って遊んでいるように見えますが、実は毎日しっかり図書館に足を運んでいるんですよ!今日もチュラロンコン大学の図書館に行ってきました。チュラ大には中央図書館の他に各学部にも図書室があります。中央だけで済めばいいのですが、欲しい資料が学部図書室にしかない時には、そこまで行かなければなりません。でもどの図書室にもコピーコーナーがあって、頼むとやっておいてくれるのが便利です。係の人のコピー技は必見ですよ! 連続コピーにしておいて、1ページのコピーが終わると、左手で本をちょっと持ち上げ、右手を下にはさみ入れてひっかけるように次ページをめくってコピー・・・ということをリズミカルに繰り返すんです。あの技を習得するのにどれくらいかかるんでしょうねー。時々端っこが欠けているのはご愛嬌ですが(笑)。写真は上から、チュラ大の中央図書館、文学部図書室、政治学部図書室、法学部図書室です。
2005/03/09
コメント(2)
今日は、また初対面の方と待ち合わせをしました(笑)。その方は、ご主人の仕事の都合で一緒にタイに来ている、いわゆる駐在員の奥さんです。その方は私の友達の奥さんの友達で、前々から「タイばっかり行ってる変わったヤツがいる」(汗)と聞いていて私に興味を持ってくださっていたらしく、今回お会いしませんか、とお声をかけてくださったんです。昼下がりのひと時にカフェでお話ししたのですが、タイ語を学びつつ、様々な活動にも積極的に参加しているということでした。考えてみれば、私なんかとは違い、タイは好きで来たわけではないんですよね。それでも前向きに取り組んでらっしゃる姿勢とバイタリティに関心させられました。せっかくの機会なんだから何かしらモノにしてやる、という態度、勉強になりました!
2005/03/08
コメント(0)
「私は水色の服を着てます」「ぼくは赤いTシャツ着てますんで」そんなテレクラみたいな恥ずかしい待ち合わせでした。ひょんなことからメル友状態になった在バンコクの日本人女性と、今日初めて会いました。お互いに共通の友達が何人もいて、顔を合わせたことがないのが不思議なくらいでしたので、今回私のバンコク滞在の機会に会ってみようと思い連絡したのでした。待ち合わせ場所にいた水色の服を着た女性は、まさにメールのやりとりで感じていたイメージそのままの方でした。サイアムのタイ・レストランで夕食を食べることにしました。彼女は、永年働いてきた会社を辞めて、最近バンコクに来たそうです。現在タイ語学校に通学中。「こんなに宿題があるんですよ!」と、分厚いテキストを見せてくれた時の笑顔がとてもイキイキとしてます。クラスメートや先生のこと、こちらでの生活のことなど、初対面とは思えないくらいお互いに会話がはずみ、あっという間に時間が過ぎていきました。失礼だと思いつつも年齢を尋ねると、私とあまり変わらないことにビックリしました。だってとても若く見えるんですよ。バンコクには20代後半~30代半ばの日本人女性が目立って多くいるように思います。彼女のようにタイ語学校に通ったり、現地採用で働いたりと努力している方がほとんどです。タイに来た理由や目的は人それぞれでしょうが、頑張っている姿を見ると、何か応援というかバックアップをする仕組みが作れないものか、と考えてしまいます。今日会った彼女も、陰ながら応援したいと思います。ガンバレ~!!
2005/03/07
コメント(2)
今日の午後は、エカマイにあるカフェ「バーンライ・カーフェー」に行ってきました。東バスターミナルの正面にある、木々に囲まれたタイ風建築のそのお店は、インテリアに木材を多用しつつも洗練された雰囲気で、なかなか落ち着けるんです。このお店、タイでは結構有名です。と言うのも、1997年にランシットに第一号店ができてから10年も経たずに、タイ全国に何十店ものチェーン展開を成し遂げたからです。社長のサーイチョンさんは、新聞・雑誌に成功した起業家として頻繁に登場しています。この人は1966年生まれですから、私とたいして変わらないんですよね。チュラロンコン大学で建築学を学んだ後、サラリーマンをしていたのですが、休みに地方へドライブに行っているうちに街道沿いにあるタイ式コーヒー屋さんに興味を持ったのだそうです。そして周到な準備の後、親戚から借金をして開業を果たしました。サーイチョンさんはタイの伝統にこだわった経営をしています。建築学の知識を生かして、タイ風建築をアレンジした店構えを採用。メニューもタイ式コーヒー、タイのお茶など(ケーキは何故かありますが(笑))。企業理念にも伝統的なタイの考えを取り入れているそうです。例えば「他人を尊重し、助け合うこと」。店に置いてあった社内報をめくると、誕生日を迎えた社員の名前や、社員の直筆メッセージが載っていて、サーイチョンさんの、人を大事にする熱い心意気が伝わってきました。こんな独特な経営スタイルが世間の関心を集めているのでしょう。こんな「バーンライ・カーフェー」、本当ならオススメしたいのですが、このタイ式コーヒーがクセモノで、エスプレッソをもっと濃くしたような味なんです! もう、半分も飲むと目が冴え、胃の調子がおかしくなり始めます(笑)。きっと元々は長距離トラックの運転手が眠気覚ましに飲む物だったんでしょう。もしそれでもお店の雰囲気を味わいたいということでしたら、コーヒー以外のものを注文することを、私は強くオススメします・・・。
2005/03/06
コメント(0)
今日のバンコクは涼しくて、半袖では寒く感じるほどでした。そんな天気の中、安ホテルからアパートに引っ越しました。ここは通常の月契約だけでなく1日貸しもしているんです。BTSの駅から近く、ショッピングセンターにも歩いて行ける立地が魅力で、実は去年半年間滞在した時もここにいました。この歳で思い切って仕事を辞めて進学したのにはそれなりに色々な理由がありますが、その一つは、「タイの大学に留学したい」でした。なので、日本での進学に際しては、タイの大学と交換留学を行なっている協定校を選びました。が、入学後に詳しく話を聞くと、交換留学は期間が1年で、英語力も必要ということが判明。入学前にきちんと調べろって感じですよね(笑)。1年も行くほど時間的にも金銭的にも余裕がなく、英語も全然ダメな私は、半年間の聴講生という形でタイの大学に留学したのでした。その時のことは、またの機会に書こうと思います。今日は、やっとゆっくり寝られそうです。
2005/03/05
コメント(0)
「3/12にタイを津波がまた襲うって本当なの?」もう何年も連絡を取っていないタイ人の友達から突然届いたメールを読んだ私は、読み間違えたかと思い何度も読み返してしまいました。「毎日ネット開いて待ってるから早く返事を下さい!」とも書いてあり、友達の切迫感が伝わるとともに、何故私に聞いてくるんだろう? という疑問が湧きました。念のため他のタイ人の友達に尋ねたところ、なんとやっぱりこの噂を知っていると言うんです。正確には3/12にバンコクで大地震が起きるという噂だそうです。どうやら、pantip.comという、いわば「タイ版2ちゃんねる」で誰かが書き込んだのが事の発端のようです。「2/25にも不吉な事が起きるって言われてたけど、何もなかったから、今回の噂も、もう信じていない」「きっと日本は地震や津波警報の先進国だから、日本人なら本当のことを知ってると思ったんじゃないの?」とのこと。メールをくれた友達には、「日本でも富士山が噴火するとか東京で大地震があるとかよく噂が流れるけど、当たったためしがない。今回のも心配しなくていいと思うよ」と答えておきました。ん、待てよ。3/12って、まだバンコクにいるんだよな・・・。急に不安になり始めた私でした。きっと大丈夫さ、ハハハ(汗)
2005/03/04
コメント(0)
バンコク到着翌日からバタバタと飛び回ってます。まず赤ちゃんが生まれたタイ人の友達のところへ出産祝いを持って訪ね、それから日本大使館領事部→国際交流基金図書館→シーナカリンウィロート大学の食堂で昼ご飯→隣の定期市→床屋、を経て、今ネットカフェでこれを書いてます。日本大使館領事部に寄ったのは、実は去年の留学時に出した在留届を帰国の際に抹消する手続きを忘れたからなんです。去年の津波の時、大使館からは、きっと私あてにも電話連絡があったと思うんですよねー。「行方不明者」に数えられていたらどうしようと内心怒られる覚悟で行ったのです…。恐る恐る窓口で在留登録抹消届を提出すると、「はい、では処理しておきますんで」と、何をチェックするでもなく、あっけなく数秒で終わってしまいました。なんだ、心配する必要なかったじゃん!これから、資料収集のためチュラ大の図書館へ行ってきます。では、また!
2005/03/03
コメント(0)
はじめまして。みなさんのまわりには、海外のどこかの国に出会って、人生が変わっちゃった人っていませんか?もしかしたら、あなた自身がそうかも(笑)。ここにも一人、タイと出会ったばかりに人生が狂った典型的な見本がいます T_T詳しくは、またおいおい書くとして、実は明日からバンコクへ行ってきます!18日間の滞在中も更新しますんで、またお立ち寄りください。最後まで読んでくださり、ありがとうございます!これからもよろしくお願いします~。
2005/03/01
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1