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タイ語を学ばれている方は、どんな辞書を使われているんでしょうか?最近はタイ-日辞書も何種類も出版され、選択肢が増えたのはありがたいことです。でも、タイ-日辞書に載っていない単語に出くわしたことのある方も多いのでは。そういう場合は、やはりタイ語辞書(タイの国語辞書)に当たるのが一番でしょう。タイ語辞書で最も有名なものは、これです。 王立学士院版タイ語辞書1982年の初版以来改訂を重ねてきた最新版です。実に4万語以上が載っているんだとか。興味深いのは、冨田辞書と内容を比べると、多くの部分でこの辞書(の旧版)を参考にしているのがわかることです。しかしこの辞書には、口語表現や新語に弱いという弱点が…その弱点を補ってくれるのが、もう一つのオススメの、 マティチョン版タイ語辞書この辞書は新聞社のマティチョン社が長い年月を費やして編纂し、去年発行されました。新聞社らしいというか、口語、スラング、新語の充実ぶりは他に類を見ないほど。でもこの辞書、4万語収録とのことですが、王立学士院版と比べると明らかに語数が少ないのは、ま、ご愛嬌ってことで(笑)かなりかさばりますが、タイへ旅行で行ったついでに買ってくるだけの価値はあると思いますよ!
2005/07/31
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夏にスーツを着るのは、考えてみたら2年ぶり。今日の午前中は、いよいよ修士論文の口述試験なのでした。何を聞かれるかより、2年ぶりに引っ張り出したスーツが流行遅れでダサーく見えることの方が心配でした(笑)口述試験って、普通は口頭試問と呼ばれているのでしょうか。ウチでは主査1人、副査2人の合計3人の先生との面接試験なのです。博士課程に進んだ先輩は修士の口述試験の時、その副査の1人の先生にケチョンケチョンにけなされたのだとか!時間が近づくにつれスーツのダサさなど忘れて、やっぱりそのことの方が心配になってきました…。いよいよ自分の番。概要を説明させられたりするのかと思いきや、先生方が感想を一方的に述べられるだけで、15分が過ぎ去っていきました。くだんの先生、やたら優しいです。ニコニコしてます。はぁ?? ど、どうなってんだー。かえって心配になった口述試験でした(汗)ま、いずれにしてもこれで無事に全て終わりました。残りは卒業式のみ。2年間なんてほんと早いもんです。30代での大学院生生活の感想は、また改めて書くことにいたします。今日はちょうど隅田川の花火大会の日。全てが終わった記念に、彼女と見物を楽しんできます!!
2005/07/30
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バンコクって、遊びやショッピングで行くところが限られてますよね。だからか、滞在中は偶然知り合いに遭遇することがよくありました。日本のタイ語学校の先生や元クラスメート、大学院のゼミ生や友人、初めてタイへ一緒に旅行した友人(お互い変わってないなぁ)などなど…でも、まさかブログでも同じような経験をするとは、始めた時には思いもしませんでしたよ。最初はなーんと、大学院で同じゼミにいる先輩のブログを偶然に発見!内容からピーンときました。ね、Nobosamaさん(笑)次は、逆に発見されちゃいました。以前東京の某タイ語学校で同じクラスにいたxianziさんなんだか物凄く恥ずかしかったもんです(汗)しかし、これだけでは終わらないのです。大学のインドネシア語クラスの方にも発見されてしまいました~!しかも今日!!その方いわく、ネットで「インドネシア語 ピーターパン」で検索しててたまたま発見したんだとか。実はお話しもしたことがないのですが、きっと学部生の方だと思います。若いうちから英語以外の外国語に興味を持たれるなんて、大したものです。後期も受講すればかなり上達するのでは。聡明そうな方ですし、将来が楽しみです。どうぞ頑張ってください!(あ、勝手にネタに使わせていただきました。すみません…)しかし考えてみると、実はまだまだいそうですね。私の知り合いで読んで下さっている方。結構スリルがあります(笑)
2005/07/28
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今日も大学のインドネシア語の授業を受けてきました。他の授業はすでに終わって夏休みに入っているので、キャンパスは閑散。ミンミン蝉の声だけが響き渡ってました。で、今日の授業で面白いことを教わったんです!それは熱帯フルーツの名前の由来。果物の王様、ドリアンってなんでドリアンっていうかご存知ですか?実はこれ、マレー語の「durian」からきているんです。で、「duri」は「トゲ」の意味なんだそうな。「an」は「集まったもの」の意味で、あわせて「トゲトゲの果物」って感じなんでしょう。うん、まさに(笑)タイ語ではトゥリアンですが、冨田辞書で引くと確かにマレー語源であることと、上と同様の説明がなされています。もう一つは、ランブータン。マレー語の「rambutan」なんですね。「rambut」は、「髪の毛」という意味。それプラス「an」で、「髪の毛もじゃもじゃの果物」って感じでしょうか(笑)タイ語ではンゴと言いますが、これまた富田辞書によると、マレー語の「rambutan」を訳して「ポム・ンゴ」と呼んでいたものが、「ンゴ」だけになったんだとか。意外なインドネシア語(マレー語)とタイ語のつながりでした!
2005/07/27
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関東地方は地震があったり台風が来たりで、ここのところ災難続きですね。日本って、比較的天災の多い国なんだなーと実感します。一方のタイは…天災よりも人災が多い国という印象が強いです。今年の3/16に目の前で悲惨な交通事故を見てしまった私には(3/23の日記参照)とくにそう強く感じられます。実はその前にも交通事故に遭遇してます(汗)去年9月のある日、BTSの某駅に向かっていると、下の通りの様子がなんだか変なことに気付きました。で、下を眺めると、こんな光景が!どうやらマイクロ・バスが猛スピードで突っ込んだようですね。写真では切れてますが、玉突き衝突はもっと前の車まで続いています。巻き込まれたのは10台前後。が、幸い怪我人は出なかったようでホッとしました。この後、マイクロ・バスがバックしたんですが、前のタクシーがめり込んでいて、くっついたままバックしてました…。この通りが大渋滞になったことは、言うまでもありません(汗)日本でもタイでも、天災・人災関わらず、どうぞみなさんお気をつけください~!
2005/07/26
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またまた、大学院入学までの話を…。(前回は7/11の日記です)残る出願書類は、一番大事な「研究計画書」A大学院の場合は、そのものズバリの研究計画書以外にも「出願理由」や「目標とするキャリアゴール」などなどがあり、全部で5種類も書かなければなりません(泣)でも研究計画書は、B大学院出願時に書いたことがいい練習になり、さらに大学院受験のための研究計画書などのHPを参考にして練り上げました。今読み返してみると、まだまだこなれた文章にはなってませんが(笑)他の書類も、説明会の際に現役生から頂いたアドバイス(6/13の日記参照)のとおり、絶対入学して研究したいんだというヤル気が伝わる表現を散りばめました。例えば…「私の経験・職歴を思い返してみると、その多くの部分が、日本人がタイに長期滞在 する上で生じる諸問題とその解決法を法律に即して研究をするためのステップで あったような気がしてならない。」 (原文のまま)ハハハ! 本当にこんなこっ恥ずかしい文章を書いて出したんですよ!(笑)合格のためなら恥も外聞もないって感じで…そのやる気がまんまと思いどおりに伝わったのかは定かではありませんが、なんとか無事に書類審査合格の通知を受け取ることができました。次は、第二次選考(論述試験&面接)です。はぁ…
2005/07/23
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久しぶりに、タイ語翻訳のお仕事が舞い込んできました!タイ行き費用を掻き集めている最中なので願ってもないことです。と言ってもA4用紙たった3枚のお仕事。ま、無いより100倍はいいですが。商務省令の翻訳をして以来、どうも法律関係の翻訳が多く来るようになったのですが、今回も、契約書なんですよね。難易度で言うと、それほどでもないのでホッとしてますが、でもモノがモノだけに気を遣います…。そういえば今日バイト先の休み時間に、修士論文の話になり、私はタイの法律関係をテーマに書いたと話したところ、なんとその輪の中にタイに3年いたという職員の方がいらっしゃいました(語学の達人さんとは別人)。結構タイ在住経験のある方っているもんなんですね。バンコクだけでも万単位の日本人が常時居住しているのですから、当然といえば当然ですが、そういう方と出会うのって嬉しいものです。しかもタイ在住経験のあるほとんどの方は、タイ生活は楽しかったと口を揃えて言います。想い出話を楽しそうにする姿を見ているとこちらまで本当に嬉しくなります。他のどの国でもなく、タイを好きになって良かったと思う瞬間でもあります。
2005/07/21
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最近、タイ語学習法の良いヒントになりそうな本を読みました。 外国人力士はなぜ日本語がうまいのか数年前に出版された時、評判になったのでご存知の方も多いと思います。なぜ外国人力士の日本語はあんなに上手なのか?その誰もが抱く疑問を、オーストラリアで日本語教師をするかたわら、大学院の博士課程で学んだ著者が、力士やその周囲の方々へのインタビューから解き明かしています。判明した力士の日本語学習方法から、著者は、成功する外国語学習者の秘訣を発見!そして結局、「留学をしなくても語学の達人になる方法」として7つを挙げています。その1 強い学習動機を持てその6 自分の学習を人に管理させず、自分自身で面倒見ろこれらは、先週日記で書いた「高いテンション維持」と密接に関係がありそうですね。そして、あとの5つの方法は…、読んでのお楽しみということで(笑)全然硬い内容ではなく、とても読みやすい本ですので、タイ語学習をなさっている方には、自分の学習法の再確認のためにもオススメですよ!タイ語上達のヒントがここにある!!(笑)
2005/07/20
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今までにどれくらい多くの人を一度に見たことがありますか?サッカーや野球の試合、あるいは大物歌手のコンサートを見に行ったことのある方なら何万人という人数がいっぺんに視界に入った経験があることでしょう。私の場合、その経験はバンコクでしました。1997年12月5日の国王誕生日です。王宮前広場には、もう人、人、人、人、人!!どれくらいいたのかわかりませんが、何万という単位であることは間違いないです。あんなに多くの人を見たのは生まれて初めてでした。集まったその何万という人が、ろうそくを片手にお祝いの歌を歌う光景は、鳥肌が立つほど幻想的で素晴らしかったです。ただ疑問に思ったことが…そこに集まった人達は、顔つき&身なりから、地方からわざわざ出てきた人がほとんどだとわかりました。バンコクっ子ってあまり行かないものなんでしょうかね?あの夜、大勢の人によって巻き上げられた土埃で、私は喉を痛めて風邪を引いてしまったのを覚えています。ま、あんな綺麗な光景を見られたのでいいですけどね。
2005/07/19
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みなさんは小学校に上がる時、既にひらがなが書けてましたか?私は、大体書けてましたが、「れ、わ、を」だけが書けませんでした(笑)何故こんなことを聞いたかというと、最近考えさせられる場面に出会ったからなんです…先日、久々にタイ語通訳ボランティアのお呼びがかかり出動してまいりました。今度の出動先は、小学校。担任の先生、タイ人である親御さん、小学生のお子さんの三者面談の通訳です。詳しくは書けませんが、要は、お子さんのひらがなの読み書き能力が…ということ。最近の子どもは、幼稚園の段階でひらがなが書けるようになっているんだそうな。でもその子は、親がタイ人であるために、日頃から日本語の文字に接する機会がほとんどなく、その結果ひらがなを覚えることについて、他の子ども達に出遅れてしまったということのよう。とても頭の回転の速い子なんです。努力しているようですが、人よりもできないことを悔しく感じているようで…。この日記を読んでくださっている方の中には、国際結婚or恋愛なさっている方もいらっしゃると思います。私も含めて、もしかしたら将来、同じような問題に直面するかも知れません。これは重要かつ難しい問題だと思います。どうすれば、解決できるのでしょうか?子どもと一緒にいる時間の長い母親の国で小学校に入れるのがベストな解決法なのかも知れません。でも誰もがその道を選択できるワケではありません。子どもにはツライ思いをさせたくないものです。これは難題です。妙案がひらめきません。みなさんは、どうお思いになられますか?
2005/07/17
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タイばっかりさんの昨日の日記を読んで、私も同様の恐怖体験をしたことがあるので(笑)、この機会に書こうと思います。何年も前のこと、私には日本在住のタイ人男性の友人A君がいました。私のタイ旅行の日程に、彼もちょうどバンコクに一時帰国するというので、日本への帰国前夜に、彼の家に1泊だけ泊めてもらうことに。夕方MBKで待ち合わせ、Tシャツを買うのに付き合ってもらった後、彼の家へ向かいました。そこはトゥック・テオと呼ばれる長屋の一角で、3、4階建て(よく覚えてません)。両親は海外に行っているので、2人っきり。「朝まで語り合いましょう」というので、延々と話をしていたのですが、朝5時になって、さすがに眠くなったので仮眠させてもらうことにしました。私は3階で、彼は2階で寝ることに。で、飛行機の都合で7時に起きて、3階の浴室でシャワーを浴び終え、昨日買ったTシャツを着てみました。白か黒かで悩んで、A君の薦めで黒にしたんです。しかし、うかつにもちょい小さめでピチピチ。「これじゃゲイだな(笑)」 鏡を見ながらそう思った瞬間、戸が開き背後から「Lamyaiさ~ん、起きてますかぁ~?」との声が。「いくら自分の家でも、ノックぐらいしろよぉ」と内心怒りながら、振り向くと、少し開いた戸の隙間から、A君がニタ~ッとした眼差しをこちらに向けてました。その瞬間、悟りました。「A君はゲイだ!!!!」言葉が出なかったのは、タイばっかりさんと同じです(汗)血の気が引くとは、ああいうのを言うんだなって感じで。後で知ったのですが、タイでは黒い服はゲイの目印だそうな。彼があのTシャツを薦めたのには、彼なりにもっともな理由があったということか。その後、彼とは徐々に距離を置いたのは言うまでもありません(汗)風の便りによると、彼は日本の家に他の日本人男性を泊めた際、とうとう実力行使に及び、その日本人は驚いて荷物を抱えて飛び出したそうです。夜中なのに(笑)でも、そこまでいくとA君もちょっと可哀相な気がします。新宿二丁目に連れてってあげれば良かったなあ、と今さらながら思っていますが。今でもあの時のA君の目つきが脳裏に焼きついて忘れられません…。
2005/07/16
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今日から新しいバイトが始まりました!先週面接に行った仕事です。心配した年齢は、全然問題ナシ。だって他の人もほとんどが30代なんです(笑)何故そんな状況なのか不思議ですが、まあ採用になったからいいことにしましょう。仕事内容は、某研究機関での資料作成。と言うと凄そうですが、PCに向かいっきりの単純作業です。そのうちタイ語にも関わることになるとのこと。楽しみな反面、私のタイ語力で対応できるのか一抹の不安が。なぜそう思うかというと、その職場には物凄い方がいるから…。その方、日本人なんですが、タイ語、中国語、韓国語を操ります。しかもかなり流暢に!一体どんな経歴の持ち主なんでしょう。興味深々の私です。世の中には、逆立ちしても敵わない方っているもんなんですね~。もうそんな方に出会えただけで嬉しいですよ。太刀打ちできないのはわかってますが、よしっ! 私も頑張るぞ! という気持ちにさせてくれますから。この仕事で頑張る気持ちを溜め込みつつ、バイト代も溜め込んで、早くタイへ行こうと目論んでます(笑)
2005/07/15
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ふぅ~、インドネシア語の期末試験が無事に終わりました。まだまだ入門レベルなので、ひたすら暗記することが試験対策だったのですが、嬉しかったのは、私の脳ミソがまだ硬くなってないなと感じたこと!(笑)でもきっと明日になれば、すっかり忘れてますが。ハハハ~。試験後、新しいところを少し習った後、先生が、インドネシアの歌手の歌を聴かせてくれました。Ayah/Aceh/(父/アチェ) という歌でした(インドネシア語の歌詞)。元々あった有名な歌の歌詞を、スマトラ沖地震・津波で被害を受けたアチェについての内容に変えたものだそうです。これが、心に響くんですよ。歌詞の内容なんてよくわかりません。でもその歌唱力だけで歌詞の内容が伝わってくるかのようでした。その歌手は男性6人組のグループで、PETERPANと言うんだそうです。なんでもインドネシアでは大人気だとか。タイに例えると、D2B? TAXI? すみません、最近のよくわかりません…。どうやら先生は、このPETERPANのファンのようで、試験問題にも「8月13日に名古屋でインドネシアのバンド"ピーターパン"のコンサートがある。」をインドネシア語に訳しなさい、なんてのが出題されたほど(笑)でもあの先生は、さすがベテランだけあって教えるのが上手だと感じましたね。別に好きなわけでもなかったインドネシア語が、先生に毎回のようにビデオを見せられたり、CDを聴かされたりしているうちに、面白く思えてきましたもん。外国語を習うには、予習復習だけでなく、興味のテンションをグングン上げてくれるサポート体制が、実は大事なんだな、と先生から教わった気がします。先週も同じようなことを書きましたが、今日、改めて強くそう思いましたね。そうそう、ちなみに試験問題にあった名古屋のコンサート、調べたら本当にあるみたいです。チャリティーコンサートなんですね。下のPETERPANの画像をクリックすると、コンサートのチラシが開きます。行きたいけど、名古屋じゃなぁ。でも、万博見たついでに行くのもいいかもしれませんね。あ、今日はタイネタでなくてスミマセン…
2005/07/13
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タイ名物の三輪タクシー「トゥクトゥク」タイへ行った多くの方は乗られたことがあると思います、乗客として。でもこうやって運転席を眺めていると、自分で運転してみたくなりませんか?(笑)私は初めてタイへ行った時から、トゥクトゥクを運転するのが夢なんです!公道は無理としても、どこかの私有地で運転体験をさせてくれるところはないんでしょうか?現地ツアーをなさっている旅行会社さん、是非企画してください。きっと運転してみたい人って沢山いると思いますよ!!で、ついでにネットでトゥクトゥクについてちょっと調べてみました。まず見つけたのが、Tuktuk forwarder company limitedさんのHP。トゥクトゥクの製造・販売を行なっている会社です。このリンクは、製品紹介のページに貼ってあります。覗いてみると、色んなタイプのトゥクトゥクがあることにビックリ。保冷車やダンプみたいなタイプまであるんですね(笑)よく見るタクシーのトゥクトゥクは「Model TT-550-SD」かな。他にも探してたら、さらにこんなモノが!装甲トゥクトゥク!?(笑)2年前の新聞に載ってたようです。なんでも南部国境3県の治安維持での使用を目指して作られた試作車だそうな。3.75mmの鋼鉄板を2枚張り合わせた装甲に覆われ、最高時速90km/h3人乗りで、1人は運転手、1人は砲座に、もう1人は後部で銃を構える…こんなんで大丈夫なんでしょうか(笑)その後、実際に配備されたかは、私は知りません…
2005/07/12
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またほぼ1ヶ月中断していた、大学院に入るまでの経緯の話を復活させます。いいかげん早く書かないと、入学まで話がたどり着く前に卒業しちゃいそうなので(笑)(前回は6/16の日記です)TOEICのスコアはタイまで行って手に入れましたが、大学院への出願書類にはまだ厄介なモノがありました。「志願者評価書」 出身大学の指導教員、企業・研究所等の上司等、またはそれに相当する者が 作成し、厳封・割印したもの1通。推薦状みたいなものですなあ。でも問題は誰に書いてもらうか、です。大学時代のゼミの先生なんて、卒業以来連絡取ってないから絶対に無理!会社の上司なんて、秘密で大学院受験をしようとしてるのに、もっと無理!!悩んだあげく、いい方に思い当たりました。タイ語の先生にお願いしよう!以前通っていた四谷の某外国語学校のタイ語の先生なら、大学でも長年タイ語講師を務めてらっしゃるし最も相応しいだろうと。で、早速お願いしたところ、快諾なさってくださいました。しかも、「その大学院なら、○○さんが受験する時にも私、書きましたよ」えっ!? ○○さんってかつて同じタイ語のクラスだった人じゃないですか!なんて世の中って狭いことでしょう。その○○さんは、見事入学を果たしたとのこと。それを聞いただけで、私も後に続ける気がしてしまいました(笑)そんなわけで、「縁起」というオマケ付きの志願者評価書を無事に入手できたのでした。あと必要なのは、最重要な「研究計画書」です…
2005/07/11
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ウチには最寄り駅が2つあります。1つは、晴れの日用の最寄り駅。チャリで駅まで行ってます。もう1つは、雨の日用の最寄り駅。バス代が晴れの日用の最寄り駅に出るよりちょっと安いんです(笑)で、今日は体調があまりよくないので、バスに乗って雨の日用の最寄り駅を使いました。帰りにバスからの車窓を眺めていると、見覚えのある国旗がはためく店が目に入りました。な、なんと、とうとうあんな駅にもタイ・レストランがOPENしたんです!ウチの辺りは東京とは言え、田園風景の残る郊外。あの駅の利用客もそんなに多くはないはず。あそこで営業していけるということは、きっとタイ料理が特殊なエスニック料理から、普通の方でも食べる料理へと一般化してきて、あの駅の利用客数程度でも、十分なお客さんが来ようになったということなのでしょう。2年前には、東京23区内にタイ・レストランが、少なくとも100店以上はありました。新しい店をよく見かけるので、今ではもっと増えているはず。いずれにしても、タイ料理がより身近になるのはいいことです。お客さんの舌も肥えますし、競争原理で美味しい店が増えることにつながるでしょうね!
2005/07/10
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T-POPSファンのみなさん、ビッグ・ニュースです!!5/19の日記で紹介した、いい兄ちゃんのバンド、"buddhist Holiday"の来日ライブが決定しました!しかもですよ、あの大人気バンド"paradox"と一緒のライブなんです!! ←paradoxタイのパブで見た大盛り上がりのライブの雰囲気が、日本でも体験できるなんて嬉しいじゃないですか。この"paradox vs buddhist holiday LIVE IN JAPAN"の日程は、8月19日(金) 渋谷 club asia P 前売り¥3,300 当日\3.500 ドリンク\5008月21日(日) 横浜 CLUB 24 前売り¥3,300 当日\3.500 ドリンク\600です!詳しくは、Guru-Guru Rock 2005 をご覧ください。私も行くと思います!!
2005/07/08
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ちょいと風邪気味の私であります。ようやく修士論文が片付くので、もう少し本格的にバイトをしようと思い、明日午前中、一つ面接の予定を入れました。それは、タイ語に関わりそうで、かするかも知れない、ビミョーな仕事内容。いずれにしても私の年齢を告げてないので、あっけなく不採用かも知れませんが(汗)でも、ま、行くだけ行ってみます。で、午後からは、いよいよ修士論文提出に大学院へ。提出し終わったら、どう感じるんでしょうね。感慨深いのかなー。さて、今日はこれから重い腰を上げて、インドネシア語の勉強をします。なんとか60点はクリアーしないと。追試はゴメンです~!
2005/07/07
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今日はインドネシア語講座を受けに大学へ。先週は論文が忙しくてついサボッてしまったため、敷居が高く感じました。直前まで、もう出るのやめようかなー、と思ったりもしたのですが、ここまで続けてきたのだから、と思い直し出席。案の定、たった1回休んだだけなのに、ついていけません(汗)幸い今日はあまり進まなかったので助かりましたが。きっと日頃からしっかり復習をしていたら、もっと違っていたのでしょうね。ふと、自分がタイ語を学んだ時のことを思い出しました。タイ語の時は、タイ語がとにかく好きで上手になりたかったものです。だから、先生に言われなくても復習もしたし、予習までしてました。仕事の昼休みに単語集の暗記をしたりもしましたね。インドネシア語は、けっして嫌いではなく、段々と好きになってきてはいますが、タイ語に比べると、まだまだ愛がありません(笑)いくら論文で忙しくても、十分な愛があれば予習復習もするはずです。やっぱり、語学の学習って、「好きこそ物の上手なれ」ですね。語学は、その言葉を話せるようになりたい! というところまでテンションを上げてから、学習を始めた方が、効率が良さそうです。さて、来週はインドネシア語の期末試験。一週間で愛が深まるか!?(笑)
2005/07/06
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ある日バンコク市街を歩いていると、こんなモノが目に入りました。な、なんなんでしょうか、コレは?仏像をただ運んでいるだけにしては、前に椅子が置いてあるし変です。お供え物もしてあるし!よーく見ると助手席には、あの黄衣をまとったお姿が…。と、いうことは、コレ「移動するお寺」 なんでしょうか??そうだとしたら、なかなかいいアイデアですよね(笑)
2005/07/05
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「本日をもって該当者のタイ国籍をはく奪する」こんなこと突然言われたら、冗談だろ、って思いますよね。でも、本当にあったんですよ、そんなことが(汗)該当者に選ばれたのは、次の不運な方々…父親が外国人であるタイ人、か母親が外国人で、合法的な父親がいないタイ人で、かつ、生まれた時に、外国人である親が一時滞在資格でタイにいた場合など、に突如、国籍を取り上げられたのです!例えば、タイ人女性が日本人男性と結婚して、タイで子供を出産。その時日本人男性はノービザや観光ビザで来タイしていたら…該当するでしょうね。それは1972年12月14日施行の「革命団布告第337号」によってでした。時は、タノム軍事独裁政権下。この頃のタイは、排外機運が高まりを見せていて、外国人の権利が色々と規制された時期でした。その中でもこれは一番過激では。恐らくは華僑やベトナム難民を狙い撃ちしたものだと思います。詳しいことはわかりませんが、やることメチャクチャです。でもご安心を。この悪法「革命団布告第337号」は、1992年2月26日施行の「仏暦2535年国籍法(第2版)」で廃止されました。まあ、そんな最近まで施行されていたことにビックリですが。ちなみにそのタノム元帥、翌73年には学生の反対運動を武力で鎮圧する10月14日事件を起こして、首相の座を追われました。で、去年6月16日にバンコクの某病院で亡くなっています。70年代のタイって、激動の時代だったんだなーって思います。いろんなことが過激でメチャクチャでダイナミックで。映画にしたら絶対に面白いと思います。折に触れて、そんな70年代のタイについても書いていこうと思います。
2005/07/04
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