松木幸夫 ギタリスト的思考

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remain-iihama@ 曲の性格  いつも楽しく読ませていただき  示唆…
choco.yukio @ Re:音楽(とギター)の見え方(10/30) remain-iihamaさん。 > ただ、最近の課…
remain-iihama@ 音楽(とギター)の見え方  私も全く同感です。  自身もかつては…
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Jan 15, 2010
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カテゴリ: 音楽
 言うまでもないことだが、思っていることのすべてを言葉を用いて正確に表すことは、できない。

 言葉は伝えることができるのは、ただ言葉で伝えられる範疇のものでしかない。また言語を用いて伝えられる内容について、受け手がその意味を正確に受け取ることができるかと云えば、それはまた正確に理解される場合もあるし、理解されない場合もある。

 また思考は、言語と文化に制限されるから、何かの事象を感じた僕が、その感じたままの意味を言語として構築しようとしても、どちらかと云えば、誰かに話す場合なら、構文的には整っていない文体と繰り返しや、言い直しと声の調子と動作などを交えてある程度真意に近い内容を表現できるけれど、それでも僕自身が感じたすべてを言い尽くすことはできない。それが文字を用いて誰かに伝えようとすれば、その困難さは、さらに増す。

 しかも、人が用いる言語と云う思考体系は、その内容が真実であるのか、嘘であるのかを一見して見抜くことが難しい。一見して分かるのは構文と単語の間違いのみである。

 それが正しい内容なのか、間違っている内容なのかは、その文の示す内容を実際に見聞して初めて明らかになるものである。だから明らかにできない種類のものに関しては、類推などをして結論を出すより他に方法がないはずである。

 今この言語と云う言葉を、記号と置き換えればさらに範囲の広い事柄に対しても当てはめることができるだろうと思われる。

 例えば、現在さまざまな分野で使われるさまざまな数式だって、そのすべてが正しいかどうかは、すべての数式の正しさを検証してみないことには分からないし、宇宙物理学などで作られるある種の数式などは、事実上検証不可能なものがあるので、それが正しいのか間違っているのかを調べることができないものがあると聞く。そして、今これを書いている時の僕は、今書いている内容のすべてが正しいのかと云う確信なしに書いているのである。

 ある人々と話しをしていて、誰かがあやふやな話しをして、それを聞いた人々のだいたいすべての人々に内容が通じるのは、そこにいる人々がそのあやふやな話しの内容を既に知っている場合に限るだろう。

 誤解を恐れずに云えば、我々が用いる記号体系、ことに言語に関して云えば、その内容の信憑性はある程度確からしいと云う程度の、頼りないものである。



 以上の記号体系は、楽譜を読むときにも当然通用するだろう。

 それが、どのように演奏されなければならないのかは、その記号をどれだけ読み解くことができるのかに係わってくる。

 楽譜の間違いに関しては、作曲家が間違って書く場合と、出版社が誤植をする場合などさまざまある。しかも初めは間違いと認められているような音の扱い方であっても、構成の作曲家がそれを積極的に使えば、それは例外的に認められるようになり、さらに一般化すれば、その用法も正しいようほうとして認定されるから、話しは厄介である。





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Last updated  Jan 15, 2010 05:48:52 PM


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