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合宿二日目‥朝の瞑想として、希望者だけで近くの鳥居公園へ。でも、殆ど全員が参加である。山道を登っていくと、一角だけ木々が無くなっていて、抜けるような空と山々が顔を出す。誰も居ない貸し切り状態なので、ついつい大きな声を出したくなる。朝の山や木々は特に新鮮で、そして空気が澄み切っている。この自然の中でレイキ回しをする。色々なことを試して、エネルギーの違いを確認する。波動の高い人たちばかりの集まりなので、いつもよりエネルギーの密度が違うと感じる。たっぷりとレイキエネルギーを堪能して、朝食を楽しみに宿まで降りていく。朝食は飯綱オアシスを所有しているリンダさんによる、手作りマフィンや新鮮な果物である。お昼は、ここが信州ということで、何処かに出掛けておそばを食べるようだ。一日朝晩2食の私としては、お昼に別行動というわけにはいかないので、朝食を抜くことにしようとしたのだが、抜くというより、全く食欲が出てこなかった。結局、お昼のおそばも殆ど男性に食べてもらった。不思議だがここにいる間は、ほぼ1食で事足りた。ここに来る人たちは、私同様一日2食の人も何人か居たのだが、これも不思議だが私以外の一日2食の人たちは、ここでは何故か3食食べられたようである。日常生活に戻って私も一日2食に戻ったから、他の人も同じように戻っていったことだろう。(誤解のないように‥3食の人たちが圧倒的です)そのおそばやさんに居た時、他の観光客から聞こえてきたのだが、名古屋は38度だという。いやいや長野に来て良かったと、つくづく思った。その長野も暑かったのだが、私たちが泊まった所は、標高1200メートル有るらしく、長野市内と比べても、10度の温度差が有った。涼しい中で、目一杯レイキの勉強ができたのだから、とても幸せな時間を頂いたことになる。‥続く☆
2014年07月31日
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飯綱オアシスでの合宿は、ゆったりとしたものだった。名古屋から長野までは、台風8号の影響を受けて雨がひどかった為に、線路の下の土が流されてしまった。その為いまでも電車は運行していない。現代レイキの理事の人が「東京経由になりますが‥」と、心配してメールをしてきてくれたが、私はとっくに高速バスに切りかえていた。いつも東京の研鑽会や交流会の出席には、夜行バスを使っている。それに比べたら、長野までは短い時間である。しかも朝なので景色を充分に堪能できた。園原インターチェンジまでくると、景色が一変する。目の前には山、そして左右には緑が広がっている。4時間半のバスの旅には、2回の休憩が入っていた。10分しかない休憩なのに、お土産まで買っている人がいる。トイレに行って飲み物補充して、その上に買い物なのだから、時間の使い方の上手さに、感心してしまう。それを隣りの席だった外国人がしていたので、びっくりである。10分遅れで目的地へ到着した。これも夜行バスだと、早く着かないように時間調整をしている。それでも到着時間が早くなる場合があるぐらいだから、遅れて着くのが、なんとも妙な感じだった。まぁ、考えてみれば昼と夜の交通量が違うのだから、当たり前の結果である。長野駅には、理事の人達が迎えに来てくれることになっている。高速バス到着から迎えまでには、約1時間半ぐらい間があったが、お昼休憩ということで、丁度良い時間になった。私は会長が乗っていた車に便乗させてもらった。買い出した食料品が一緒に乗っている。夜の食事を理事の内の一人が作ってくれるというのである。噂によると、とても美味しいという評判の料理のようだ。そしてその噂通りの、とてもとても美味しい料理だった。20人位の人の料理なら一人で大丈夫だと言うからびっくり!だって、料理人じゃぁ無いんだよぉ‥、凄いと思わない?文句無しの旨さで、感謝で一杯、お腹も一杯だ。初日は15時過ぎからだったので、顔合わせの為の自己紹介と、オーラ浄化やヒーリングで終わってしまった。それでも料理の素晴らしさで、凄く充実した一日に感じた。夜は2時半頃まで、外に有るテーブルに飲み物を置き、椅子に腰かけて色々な話しをしていった。‥続く☆
2014年07月29日
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明日から三日間、現代レイキの合宿の為に長野市の飯綱高原へ行く。飯綱オアシス(宮下富実夫ゲストハウス)である。私はこのゲストハウスに、レイキを学び始めた頃来ている。今から約8年程前のことだ。まだまだレイキは初心者マークの時期で、その時はまさかマスターとして、こんなに一生懸命頑張るなんて、想像もしていなかった。本当に占い同様続けていく事になるなんて‥わからないものである。でもお陰様で、普通なら出会えない様々な人たちと会う事になり、私の人生が色とりどりで、深みのあるものになってきたと思う。「生き抜ければ、それだけでいい」そんな消極的な生き方だった。生きるということが随分シンドイことだったから‥。それで終わる人生のはずだった。占い師をする?レイキマスターになる?ヒプノで誘導催眠をする?そして‥ブログを書く?ホームページを作る?どれをとっても、嘘みたいである。時々私って、どうして今の立ち位置に居るんだろう?と、疑問が霞める時がある。‥有り得ない。もうこれは私の意思ではない。私の知らないところで、物事が進んでいるように感じる。でも、こんな人生も「有り」だと思う。魂の世界と触れ合っている今の自分が好きだ。未知の世界を探求して、一人でも多くの人たちに伝えていく。寝て、食べて、仕事をして‥それだけでない世界。自分の魂のルーツを知って生きていくことは、生きていることの意味が格段に広がって、意義深いものになる。そういう生き方ができる人は少ないだろうと思う。だから、この道を歩ませてもらっていることに感謝したい。合宿は、そういう人たちとの交流の場である。‥まぁ、そんなに堅苦しく考えないで、単に楽しみたいと思う。さて、どういうメンバーになるのだろうか?
2014年07月24日
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先日、コーラスの先生の歓迎会をした。といっても、私がコーラスに入った4月に着任された先生なので、私としては新しい先生しか知らない。その先生の歓迎会と、私と一緒に4月から入った人との二人も併せての歓迎会をして貰った。歓迎会は、コーラスをしている中日文化センターの近くで行なわれた。そこは一人では決して入らないだろう店構えのところだった。扉も黒っぽくて重々しい感じなので、一人で入るには勇気がいる。中もかなり薄暗く、食事をするところというよりは、飲むのを楽しむだけのお店のようだった。でも出てきた料理は素晴らしく、質も量も満足いくものだった。みんな、よくこういうお店を知っているなぁ‥。幹事の人に聞いてみると、どうやら友達の結婚式の二次会で知ったお店らしい。成るほどねぇ、そういう行事にぴったりのお店だ。イタリヤ料理のフルコースといった感じで料理が出てきたが、飲み放題がついていて、一人4200円。食べきれない量に、みんな満足である。最初の自己紹介で、月二回夜にあるコーラスの教室が、まだ開講して2年余りだと知った。そんなもんなんだ~。でも確かに夜行われる声楽を探したが、中々見つからなかった。特にコーラスとなると、中日文化センター以外ではやっていない。コーラスは平日のお昼に行なうもの‥といった感じである。土日は副業のお客様が入る可能性があるから、どうしても選ぶことはできない。というか、ものぐさな私が休みの日の夜に、わざわざ家から出かけない、というのが真相である。というわけで、消去法で選んだのだけれど、音楽が好きな仲間との出会いは、それだけで幸せな気分になる。
2014年07月22日
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脳が勝手に記憶を掘り起こすことがある。頼みもしないのに、昔の記憶がふと甦ることはないだろうか?それは母のことだった。母はしっかりした人だったが、厳しいというわけでなく優しい人だった。決して人に意見を押し付けることなく、周りにはとても優しい人。自分を律して生きているが、だからといって周りにそれを強要しない。そんな人だった。ある日、風呂で泣いている母を見た。あまり泣く人ではないので、何事が起ったのかと駆け寄ったことがある。どうしたのかと尋ねると、風呂を指差して泣くだけ。そこには掃除した後の風呂が有るだけだった。「風呂がどうかしたの?」分からない私は、母に再度尋ねた。すると母が泣きながら私に言った。「空焚きをしちゃった」そこにはそんな問題など起こっていない風呂が有るだけだった。実は数ヶ月前に旧式のお風呂から、新しいガイダンス付きで、空焚き防止等をしてもらえる機能付きのものに、取り換えたばかりだった。(随分昔の話しです)だからそれを取り換える前であったなら、火事とまではいかなくても、風呂釜は駄目になるような参事になっただろうと推測できた。実際は取り換えたお蔭で、何も問題は発生していない。だから泣いて自分を責めるような必要はないのである。でも母は自分がしてしまったことに責任を感じ、そしてそんな自分の老いのようなものに、悲しみを感じたのである。私はいまでもその時のことを思い出す。自分が守ってきたものが、守れなくなってしまったと感じる母。そこには「しっかり者」という生き方をしてきた女性が、それを守れなくなっていく自分と対峙した時の、老いていく悲しみのようなものを感じた。今私は、母がそれを感じた年齢に近づいている。今の私はあの時の母の気持ちが、痛いほど良く分かる。子供であること、大人であること、そして老いていくこと。その時その時の年齢になると、より深く理解できることが増えてくる。
2014年07月20日
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ユニモールとは、名古屋駅周辺の地下街の一つである。何気なく見ていると、閉店するという店が目に止まった。といっても日頃あまり利用していないお店だったので、気にもしないで通り過ぎる。ところが、自分が利用しているお店の前にも張り紙が‥。なんと後1ヶ月で閉店するという。そうか‥、慣れ親しんだお店が無くなるのは寂しいなぁ‥。そしてもう1軒見ると、そこにも閉店の張り紙が‥。そこは閉店の為のセールスをしていた。思わずお店に入って「いつまでですか?」と聞いていた。そこの定員さんが話してくれたことというのは、ユニモール全体が新装オープンをする為に、幾つものお店が店じまいをするということだった。あぁ‥、それでやけに半額とか、30パーセントオフとかの張り紙が、目に入ってくるんだなぁ~。ユニモールを運営している側からの提案なんだ。他の地下街でも、その一角全部がリニューアルしたことがあった。その時も良く行くお店があって、閉店と知って寂しい思いをした。結局運営側としても、たえず新しい視点が必要なわけで、そのまま何もしないで時を重ねることは、いつか寂れていってしまうことにもなりかねない。だから一定の期間で、リニューアルをしていかざるを得ないのだろうと思われる。でも改装後は店賃も上がるだろうから、出て行くお店もかなりの割合で有るだろうと思う。寂しいけれど、これも仕方がないことだ。閉店するお店で、店員さんと仲良くなっている人たちが居る。ついつい「これからどうするの?」と聞いてしまう。殆どの人が、別の店舗への移動が決まっている。だから心配することはないのだが、慣れた場所を去らなければならないのは、やはり寂しいと話す。出会いと別れは付き物だけれど、私もやっぱり寂しいなぁ~。後1ヶ月、ユニモールに来る回数を増やそうと思う。
2014年07月17日
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「早く定年を迎えたい‥、けれど歳を取るのは嫌だ」これが口癖の人が居る。仕事はしたくないから早く定年になるといいなぁ~という気持ちと、定年を迎えると歳をとってしまい、若くないから冒険ができないという思いが、同時に胸に有るのだろう。正に、矛盾を自分の内側に抱えている状態である。私はこれを聞くと「その矛盾を早く捨てればいいのに」と思ってしまう。矛盾は持っていても何も良いことはない、ジレンマに陥るだけである。どちらも選べないのだから、考えても無駄である。それより今を一生懸命生きることのほうが、どれだけ得なのかを理解するべきだ。またこの人の、定年過ぎのイメージに問題が有ると思う。まるで定年後の人生が暗闇の中のような‥。定年を迎えた後は第二の人生なのだから、そこから新しい人生が広がっていくと考えるべきである。定年がピークではなく、定年は次の段階への出発点である。その後の人生は、もっとゆったりと穏やかであれば良いだろう。会社というレールが無くなるのだから、新しいレールを作るところからやっていけば良い。そのレールは誰にも左右されない、新しい道作りなのである。矛盾が何を引き起こすのか‥、それは病気である。だから考え方を変えて欲しいと言うのだが、どんなに言っても相手の心にまで響かない。過去と他人は変えられないと分かっていても、私と出会った数少ない貴重な人たちの幸せを望んでしまう。もっと心に響く言葉が言えるような私にならなければならない。愛を学び経験を積んで、重みの有る言葉を話せるような私に‥。
2014年07月15日
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先日、新人が入って態度が豹変した人の話しをブログに載せたが、コーチングで「感情」の話しになったので、この話しをさせてもらった。そこで先生が言った言葉に、私は興味を魅かれた。私と違って、急に態度が横柄になった人に対して「単純な奴だ」と笑い飛ばすことができる人の話しである。私は「子供みたい」と思ったり「嫌な感じ」と思ったわけだが、この私の反応というのが、フィルターのかかった状態だというわけだ。考えてみれば私の側に感情が動いたわけで、「ただ単に起こった事柄を受け取る」ということではなかった。そうか‥、私のほうにフィルターがかかっているのか‥。その「単純な奴だ」と言った人のほうには、フィルターがかかっていないという。だから有るがままに受け取った結果、自分の感情を乗せないで「単純な奴だ」という感想が出たようだ。一瞬それを聞いて私の頭がチョッと混乱した。それは、私のほうが普通の反応だと思っていたからだ。嫌な感じと受け取った私には、そういう感情を引き起こしてしまう何らかのものが、その奥に隠されているからなのである。そうなんだね。よく心理学で「自分のフィルターを通さない」と言われるが、いまいちピンとこなかった。感情が動いてしまうのは、私のフィルターが有るからなんだ。このフィルターがあるから、相手を違う目で見てしまう。それがひいては争いの元になってしまうわけだ。少しだけ分かった気がする。というのも、やっぱり嫌な気持ちになってしまうから、そういう態度はしてほしくないなぁ~と思ってしまう。だけど「単純な奴だ」と言って笑い飛ばせる度量も、私に有ったらと、憧れるには違いない。「確かに大半の人は貴女の感じたように受け取るし、そういう風に豹変してしまう人は多いだろうと思う」と、先生は私の気持ちを大事にしつつ続けた。「それでもフィルターを外して、≪ただ相手の言葉を受け取る≫ことはとても大事な事です」‥と。そしてそれには「練習ですよ」と言われた。そうだねぇ‥、徐々にでいいよねぇ‥。日々学びだ!
2014年07月12日
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台風だよ~!まだ7月上旬なのに‥。まぁ、過去にも有ったわけだけど、普通は8月や9月が多いわけで、7月から、しかも大型台風が上陸するのは困ったものである。7月は暑いけれどもまだ何とか凌げる暑さだから、色々楽しめる季節のはずである。でも台風となると、出掛けるのもままならないし、出掛けたところで面白くもない。今回の台風は、今夜から明朝にかけて名古屋へ接近するようだ。金曜の朝の出勤が大変だと思っていたのだが、台風の動きが少し早まったみたいで、どうも今夜がピークらしい。この台風は「特別警報」に当たるようで、「数十年に一度しかないような非常に危険な状態にある」というようだから、最後まで油断禁物である。去年は、10月末に来た台風にヒヤヒヤさせられた。絶対大丈夫と思って11月の初旬に旅行を入れていたのだが、もう少しで旅行日と重なるところだった。台風の発生する期間が、随分長くなっているように思う。これも温暖化から来るのだろうか?今回は九州が大変である。大雨の被害が出ている状態で台風の接近だ。雨も引かないし、雨を含んだ土砂も心配である。日本は水の宝庫でとても嬉しいのだが、台風のように集中して雨が降るのは困りものである。そうそう、こんな時に話すことでもないだろうが、水道水をそのまま飲める国は少ないんだね。世界で十数ヶ国だけのようで、その中に日本も含まれる。たった十数ヶ国だなんて、びっくりである。蛇口をひねれば飲める水が出るのだから、当たり前だと思わないで、感謝しなければいけないね。それにしても自然の威力は凄いものである。風の唸りが人間の傲慢さを指摘しているようでもある。
2014年07月10日
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通勤のバスの中から、ふと目に留まった車があった。そこの場所は、車の駐車が丁度2台できる空間だった。バスが信号で減速した事も手伝って私の目に飛び込んできたのだが、2台並んで駐車されていた車である。四桁のナンバーが、全く同じ2台であった。但し、その四桁には何の意味も無い。同じ数字が4つとか、関連する数字が並んでいるとかの連動性は無い。だからこれは、所有者の思い入れのあるナンバーだろうと推測する。なにかの記念日だとか誕生日だとか、車のナンバーで残しておきたいという気持ちが働いたのだろう。2台の車が同じナンバーをつけて、こちら側に主張してくる。家族で統一したナンバーの車を使うって、なんだか面白い。或いは一人の人が2台所有しているのか‥。車のナンバーに拘る人も居れば、全く気にしない人も居る。私も好きな数字が有るから、拘っても不思議がないが、何故だか拘らなくても、好きな数字のほうからやってくる。頼みもしないのに、好きな数字に縁が出来る。これも俗に言う「波動の法則」なのか?或いは「願いは叶う」ということなのか。どちらにせよ、嬉しいことである。その2台の車の同じナンバーを見た時、自然と笑みがこぼれた。真相は分からないけれど、なんだか楽しい気分になった。一つのことに拘って生きるのもいいもんだ。お金をかけてまで、好きな四桁を取り寄せるのだから、きっと大切な数字なのだろうと思う。私はその数字を暫く頭に描いて、どういう意味のある数字だろうかと、思いを広げて楽しんでいた。
2014年07月08日
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私たちは生きていく為に、意識して守っているものと、無意識の内に守ってしまうものとが有る。意識の上では望んでいることなのに、無意識の領域で待ったがかかってしまい、結果望みは叶えられない。こんなに心から望んでいるというのに、どうして叶わないのだろうか?願いは叶うということを知っているはずなのに、無意識の抵抗がとても大きい。そこには抵抗する無意識の言い分があるわけである。無意識の言い分はこうである。「意識の言う通りにすると、生きていく上でバランスが崩れる」そこには怖れがあったり不安があったりしているのだ。無意識にしてみれば、抵抗して阻止しなければ、どんな事態が引き起こされるかわからないというわけだ。だから、意識の願いを叶えないのだと‥。意識のほうは、願いが叶えば生きていく上で大きな突破口になると考える。でも突破するというのは、新たな道を歩むことになるわけだから、そこにはリスクも存在することになる。無意識はそれを恐れているのである。私は無意識と真摯に向き合い、何が問題なのかを聴くことが重要だと思う。回答は必ずやってくる。もしかしたら夢という方法とか閃きという方法かもしれない。もっとオーソドックスに、毎日の生活から、人や物を介して回答がくるかもしれない。どちらにせよ、問いかけたことには答えを受け取ることができる。但し、時間の概念が違うということと、私たちが真摯な態度であることが大切である。一歩でも前に進むために、私たちは出来る限りのことをしていきたい。それがこの地球上に生まれてきた、私たちの使命である。
2014年07月06日
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認知症の親を持つ大変さは、私もよく分かっているつもりである。でも親だということが、決断を引き伸ばしてしまう。まだ何とかなるのではないだろうか?と、希望を持ってしまうからである。その対処に追われて体は疲れ、心はストレスを抱えても、なかなか決断ができない。また怪我や他の病気と違って、体はすこぶる元気なものだから、本人も自分が病気だとは認めない人が多い。でもそのままにしておいて、何の対処もしなければ、益々本人の認知症を重くしていってしまうのだ。私の父は家の鍵を何回も無くしたものだった。その度に鍵を取り換えたものだから、結構お金が掛かった。なかには違う意味で鍵を取り換えなければならない認知症の人も居る。例えば不安や恐怖を感じて、心配する心が鍵を取り換えさせるといったケースである。どちらの場合も、鍵を何回も取り換えることになるのは、認知症という病気がさせるからである。でもそれが認知症だと分かるのは、本人以外の人間である。本人が認めるケースは、本当に少ない。それはそうだろう。学生から社会人になり、りっぱに仕事をしてお金を稼ぎ、その後結婚して親になり子供を育てていったという、輝かしい生き様があるからだ。そういう過去が、認知症という病気を認められない。そしてそういう親の生き様を見てきた子供も、親の認知症を認めたくないと思ってしまうのである。まずは、現実をしっかりと受け止めることが必要である。そして何をすることが家族にとってよいことなのかを、はっきりと見極めて、行動を起こしていくことである。
2014年07月04日
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全くもって驚いてしまう‥、人間ってこうも変わるものだろうか‥。いままでは一番下の立場だったものが、新しく人が入ってくると、言葉使いから態度から全部が変わってしまう。私なら親子ほど歳が離れていたとしても、敬意を表して話しをするのだが、びっくりするなんてものじゃないほど、ガラッと変わるのを見た。その二人は8歳ほど歳が離れているだけである。私のように、30歳以上離れているわけではない。それでも同じ人物かと思うほど、言葉は荒いし態度は横柄なのだ。そんなもんなのかなぁ‥。自分が偉くなったわけではないし、急に成長したわけでもない。ただただ、新しく人が入ってきただけなのである。それなのに何故、言葉や態度が変わるのだろうか?見ていて、なんだか子供だなぁ‥と感じてしまう。自分を基準に見たら、何一つ変わっていないというのに、全く何も知らない人を見て、色々知っている自分が、急に偉い人だと勘違いするようだ。威圧的な態度や小馬鹿にした言葉は、聞いているこちらは、気持ちが悪くなってしまう。「単純な奴だ」と笑い飛ばせれる人もいるが、私の頭では、笑い飛ばすという作業が出来ないのだ。自分が右も左も分からなかった時に戻れないのだろうか?誰もが最初から知識を持ち合わせているわけではない。時間をかけて年数を積んでようやく、一人前になっていくのである。「初心忘るべからず」私たちはどんな時も学び始めた時の謙虚さに戻って、周りの人への対応をしていきたいものである。
2014年07月02日
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