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先日、水道関係の人に来ていただいて、水漏れ箇所をめでたく修理してもらうことができた。どうも水道関係は素人には触れなくて、業者頼みになってしまう。でも多分殆どの家庭が、私と同じように業者に頼むことだろう。「夜間のほうが水道漏れが増えますよ」と言われて、理解ができなかったので、質問をしてみた。「この家では、昼と夜で使う頻度はそんなに変わらないはずですが‥」でも、その答えは私にとって意外なものだった。「夜間に水道を使う家庭が少ないので、水圧が上がるのですよ」私は水圧の変化というものは、個人宅で変わるものだと思っていた。メーターが各家庭だということが邪魔をして、勝手に個人個人の家のことだと思い込んでいたのだ。よくよく考えれば、一個人の家だけで変わるものではない。一つの水道局が水を供給しているエリアは広いのだ。なるほどねぇ‥、夜中の水漏れは昼中の水漏れより多くなるんだ‥。寝ている間に勢いのついた水が、無駄に流れているということだ。私も光熱費の動きは、一応確認している。いままで水道料金がそんなに跳ね上がることはない。だから大丈夫だと思っていたのだが‥。最初は小さな水漏れでも、ある日突然何倍もの勢いにならないとも限らない。最小限の内に手を打っておいたほうが、得というものだろう。相手は水圧である。水の勢いは恐ろしい。たいしたことがないと侮っていて、ある日突然手が付けられなくなってからでは遅い。どんなことでも迅速に行動したほうが、お得である。私のように時間が思うようにならなくても、結構ラッキーに、事が運ぶ場合もある。「時は金なり」まずは行動である。
2014年08月31日
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今年は異常なほどに集中して降る雨が多すぎる。そう思うのは私だけではないはずだ。雲が停滞して大雨を降らす原因の一つが、地球温暖化が起こすものである。結果的に自分たちが蒔いた種を、自分たちで刈り取ることをしていることになる。私が外を見ると晴れているというのに、日本のあちこちでは大雨になっていて、その雨が川の氾濫や土石流を起こしてしまっている。嘘でしょう?? と思うように天候が違う。こちらでは太陽がぎらぎらとしているから、本当に同じ日本で起こっているのかと疑いたくなる。でもやはり現実のことで、場所が少し違えば悪天候だ。どうやってこの自然と仲良くやっていけるのだろうか?どういう対策を取れば、安心して暮らしていけるのだろうか?人間が温暖化に拍車をかけている以上、自然は益々猛威をふるうことになるだろう。原因は私たちである。でも快適さを追い求める人間側の言い分も、ある程度仕方がないことにも感じる。昔はご飯を作ったり洗濯をしたりすることが、大変な時間と労力がかかったことを知っている。母が子育てをしていた時代は、家事を電化製品が手伝ってくれる時代ではなかった。ご飯は釜で焚き、風呂も薪で温めていた。洗濯だって板を使って、一枚一枚汚れを落としていたのである。ある程度は仕方がないとしても、少し便利になったことで満足できないのが人間である。もっと簡単に、もっと使いやすく‥。その追及が温暖化を引き寄せてしまう結果となっていく。「自然との共存は難しいのかなぁ‥」ついつい溜め息がでる。自然の猛威に犠牲となっていった人たちの、ご冥福を祈るのみである。
2014年08月29日
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おばあさんが、信号がまだ青にならない横断歩道を渡り始めた。そのおばあさんは、隣りの人が渡り始めたから、自分も渡り始めたのだ。信号を見ていない‥というより、腰が曲がっているので、見ようとしない限り、信号が目には入ってこないのだ。だから自分の近くにいた人が動き始めたから動いたという状態。最初から信号を見ていないのである。私たちも時々こういう状態の時がないだろうか?携帯ばかり見ている時。ぼんやりとしている時。音楽を聴いている時。考え事をしている時等々‥。信号を見て動くのでなく、近くの人が動き出したのを気配で感じて動き出す。私もそういうことがある。仕事の段取りを何となく考えていて、周りにつられて横断歩道を渡りかけてしまうのだ。ぼんやりとした目に信号の色が入ってきて、ハッとなって足を止め、慌てて元の場所に戻る。目の前を信号無視した人が渡っていく。その人は自分の意思で渡っているので、結果は自己責任。でも無防備ではない。ところが自分の意思など持たないままに、単につられて動いてしまう私は、無防備である。無防備だから事故を回避できるかどうか定かでない。だいたい若くないのだから、瞬発力は皆無である。というか、そういう状態になったらきっと体が硬直して、全く動けなくなってしまうだろう。これが一番危ない。おばあさんのように腰が曲がっているわけではないのだから、きちんと目の前の信号を見て、責任もって行動するべきだ。万が一事故になってしまったら、自分だけの問題で終わらない。相手にも迷惑をかけることになるのだから、責任をもって行動したいものである。
2014年08月26日
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名古屋市の水道局へ漏水の件で電話をした。検針の時に、いつもの検針結果の用紙以外に、「水道のご使用量が増えています。何か心当たりはございませんか?」と書いてある用紙が入っていたからだ。それで中村営業所に電話したのだが、心当たりがあると言うと、3軒の大治町の業者を紹介してもらった。その3軒の中の2軒の業者は、知っている業者だった。但し、あまり良い意味でなく知っている業者だったのだ。ということで、残りの1軒に電話をした。この業者の対応に問題はなかったけれど、結果的に設備が整っていないようで二度手間になりそうだった。それで仕方なく、また中村営業所に電話をかけた。事情を説明したら、名古屋市で大治町に近い業者を探して、また3軒ほどの電話番号を教えて貰った。その内の一軒にお願いすることになったのだが、合間をぬって来てもらえるようで、本当にお願いできるかどうかは、当日にならないと分からない、という状態である。私も勤めているので、時間が自由にならない。「3日の内の何処かで伺う」と言われても、有給を3日も取ることはできない。なので、決めた日に来てもらえなければキャンセルということで、取りあえずその業者に頼むことにした。本当はそんなはっきりしない約束は嫌なのだが、3日の内の1日が、私が事前に有給を取っていた日だったことと、その業者の対応がとても良かったものだから、そういうはっきりしない方法でも、お願いすることにしたのだ。私の概念の中で、「名古屋市」という、市が斡旋する業者というだけで信じてしまうところがある。でも実際は、何らかの問題のある業者だったりする。そうすると、どういう基準で斡旋しているのだろうか?と不思議に思ってしまう。昔からの繋がりで、見直しなどしていないのかもしれない。そうである可能性が高いと思っている。だから私たちのほうが、賢く立ち居振舞わなければならない。きちんと見極めて、業者を選ぶようにしようと思う。なんだか思わぬことでバタバタとしている毎日である。
2014年08月23日
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前回、振り返りの時間に先生と組んだのだが、思うように課題を熟せなかった。生徒が偶数の場合は生徒通しで組むのだが、奇数になると先生も入ることになる。誰と組むかはジャンケンで決める場合が多いのだが、私は何故かよく先生と組みになる。まぁ、こういったジャンケンも「必然」なのだから、先生と組むのも、意味があると思う。いつもは先生と組んだことを手放しに喜ぶのだが、今回は上手く話しが進められなかったので、折角先生と組めたというのに残念な結果になってしまい、素直に喜ぶことができなかった。こうやって自分を振り返ると、思いもよらない問題が出てくる。その結果に、自分ながら驚いてしまう。自分の中でたいしたことが無いという判断でいても、改めて振り返って話をしていくと、自分を誤魔化していたことが分かることがある。それはワザとではなく、たいした問題ではないと思ってしまう「思い込み」によるものである。人は生きていく上で、(この感情は表面化しなければいいなぁ‥)と思うと、無意識の内に心の中へ押し込んでしまう、という作業をする。こういうことが積み重なって、自分の心の中に怒りや悲しみなどが積もっていき、それが自分の行動を抑制してしまうのである。それに気づくためには、時々ここ数日の自分を振り返り、行動や感情をチェックすることである。そうすることで、無意識に送り込んでしまった自分の感情と向き合うことができる。人は、言葉にしないと自分のことすら分からないことがある。自分が取った行動を「言葉にして振り返る」ことで、本当の自分を見つけ出すことが出来るのである。
2014年08月21日
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私の頭の中には、数十年前の数字が残っていて、私が仕事上必要だと思うものでも、買うのを控えているものが有った。ところがさすがに体に負担がかかるので、多少高くても買うことにしたのだが、パンフレットを見てびっくり!なんですか?この安さは~。考えてみれば身近な物でも価格の変動は有るわけで、ずーっと値段が一緒という考え方をしているほうが間違っている。多分「こんなに高いの!」と思った最初の印象が、強すぎたのだろうと思う。インパクトが有りすぎて、それが頭に定着してしまったのだ。今の今まで、全く疑いもしないで高いものだと思い込んでいた。いやいや、時間は進んでいるし、色々なものが進化している。昔は高価なものでも、現在は大量生産できるものになり、価格もリーズナブルになっているものもあるのだ。テレビとか新聞とかで話題にしているものに対しては、スムーズに頭に入ってくるというのに、そうでないものは、頭の中が昔のままである。いやぁ~損をした、知っていれば早く買い換えたのに‥。そういった同じように思い込んでいるものは、きっと幾つか有るだろうと思う。もうちょっと周りにアンテナを張って情報収集するべきだし、好奇心をもって調べてみるべきだと思った。疑問も持つべきかな?時代から取り残されないようにしないと‥。ちょっと浦島太郎になった気分である。
2014年08月19日
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これだけ雨が続くと、洗濯に困ってしまう。曇りだからと油断すると、ザァ~と降ってくる。しかもすぐに止むような単発的なものだ。だからといって、夏は次々と洗濯物が増えるので、そのままほっとくわけにはいかない。まぁ私の家は干す場所があるので助かっているのだが‥。家の敷地内に木枠でトタンといった、簡単な雨除けスペースを作ってあるのだが、そのスペースは車が2台入るぐらいの広さである。車は1台なので、残りのスペースに洗濯したものを干している。そのトタンが今回の台風で、一部破損した。まぁ、素材が素材だし、外に吹きさらしなのだから、そうなっても仕方がない。何年たっているのだろうか?屋根の部分と西の部分が新しいのだが、これは先に駄目になってしまったところを、部分修理しているからだ。北は出入り口だから門扉があるし、南は扉をつけている。残りの東の部分が破損した。東は裏のお宅の小さな畑になっているから遮るものがない。風や雨が当たり放題である。まだ8月である。台風はこれからがシーズンであることを考え、取りあえず応急処置で、飛びそうなトタンのところを添え木した。台風の置き土産だ。でもこの程度の破損で済んでいるのだから、感謝しなければならない。40度近くの温度になれば、簡単な応急処置であっても、外での作業はしたくない。有り難いことに温度は30度近い。こんなこと書いていると、さも私一人の作業のようだけれど、実際は殆ど弟が修繕してくれている。こんな時は男性の存在が有り難い。私にできること‥弟にできること‥。互いに自分のできることをして、その中で自由でいる。夫婦ではないが、良いパートナーを頂いたと思っている。
2014年08月17日
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最近思うのだが、ご縁をいただいている人たちの素晴らしさである。とても苦労をされて、懸命に生きていらっしゃる人たちとか、私より社会的に活躍されている人たちとかの出会いである。私はというと、縁を頂いた人たちより精神世界のことを、かろうじて少しだけ多く知っているだけである。だから人より多く知っていることを、大切にしたいと思う。わざわざ私と縁を持って頂いたのだから、私と出会って良かったと思われるような、私でありたいと思うのだ。そのためには、いつも前進していたい。知識はもとより学びにおいてや、魂の向上を目指したい。「今後とも末永くよろしくお願いします」まるでお嫁に来られるようなご挨拶だが、私は嬉しく拝聴した。社会的な認知度、貢献度、どれをとっても素晴らしい人たちである。そんな人たちとのご縁‥。私がこういう人たちに還元できるものは何だろうか?私は私が出来る分野で還元していけば良いと思っている。背伸びをしたって、私は私でしかないのだから、縁を結んで頂いたことに感謝しつつ、できうる限り還元していきたい。私も出会ってきた何人かの素晴らしい先生方が居る。その先生方には、手放しで出会いを感謝している。決して同じではないが、そういう先生方を見本として、私も出会って良かったと思われるように、努力していきたいと思う。どうしてこんな素敵な出会いがあるのだろう?前向きに頑張っていれば、こういうご褒美を頂けるのだろうか?私は事務員だけの人生でなくて良かったと思っている。そしてこの自由の国と自由な時代である今世に生まれてきたことを、心から感謝している。なによりも、今の日本を選んで生まれてきた自分の魂に、感謝の想いで一杯である。生きていくだけでなく、生きている間に魂について学び、その魂の望みを叶えていける国であり時代である今世。そこに生まれついたことの意味を胸に刻みながら、学び続けていきたいと思っている。
2014年08月15日
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「お盆は通勤客がいなくて、ラッシュにならなくていいよ~」と言いたいところだが、そう上手くいなかいのが世の常である。バスのほうも日・祭日扱いの時刻表になるので、運転本数が極端に減ってしまい、いつもより混雑するという有り様である。なんのことはない、平日のほうが楽である。会社の近くまで行くバスの本数が少ないので、名古屋駅まで行くバスに乗る。そこからは歩きである。でもいつもと違う道を歩くと、いろんな発見があるので面白い。名古屋駅の表の通りに、結構大きな市場がある。柳橋中央市場というのだが、ここは朝早くから活気がある。市場なので、当然私がぐっすり寝ている時間から動いている。人の出入りも多いわけで、同時に車の数もひっきりなしである。多分お盆ということで、素人さんも買いにくるのだろう。私はお盆に行ったことがないので、これは推測でしかない。年末には素人さんの買い出しが多く来るので、そう思っただけである。市場の近くに高速道路の入り口がある四車線の道があるのだが、お盆ということもあって、車の走行が少ない。それをいいことに業者の人たちが、二重駐車をしているのだ。普段では考えられないが、一般車が少ないお盆だからこそ、出来てしまうことなのだろう。普通は居ない買い出しの素人さんの車が増える(?)せいで、業者の人たちが車を止められないからか、或いは一般車が少ないのだから大丈夫だろうという、軽い気持ちからなのか、全く気にもせずに駐車している。とはいえ、四車線の内の二車線に車を止めているのだから、車に乗らない私からみても、恐ろしい止め方である。私の前を歩いていた二人のおまわりさんが、これを注意しないはずがない。案の定「二重駐車は駄目だ」と市場の関係者に言っている。「すみません」と言って車をすぐに移動していたが、きっとおまわりさんが行ってしまえば、元の木阿弥だろうと思う。お盆はいつもと違う風景が、あちらこちらで見うけられる。人も車も少ないのだが、その中で柳橋中央市場だけ別世界に映る。いつもと違う景色は、新鮮である。
2014年08月14日
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今回の聖書講座は、ヨシュア記の12章から最後までと、士師記の終わりまでである。ヨシュア記はイエスを知るのに重要な箇所だから、前回の復讐の時間も、たっぷりと取りつつ進められた。私はケイシーの勉強をする前は、このヨシュア記がそんなに大切な箇所だとは思わなかった。因果関係を知らない状態では、普通に読むだけなので、このヨシュア記が、それほどピンとくるような記述に感じなかった。まさか、後の時代でイエスと関連するなんて‥驚きである。私としては、20章の「逃れの町」が嬉しかった。何故逃れの町を作ったのか‥。その町は、罪を犯した者が復讐されない為の町である。罪は罪であり許されるものではないのだが、そこに情状酌量の余地はないのか?ということだ。公平な裁判が行なわれる前に、復讐をされてしまい、その結果、命を落としてしまったとしたら‥。もしかしたら裁判の結果は、命を失うほどの罪ではないかもしれない。だから復讐されてからでは遅いのである。その為に逃れの町を作り、罪を犯した者にも命の保証をしたのである。私たちは罪を犯していないと、胸を張って言えるだろうか?宇宙の基準は「愛」である。恨み、妬み、嫉み‥これらは愛を基準にするならば、罪の領域だ。でも、この章は言っているのだ。「私たちの人生には、必ず逃れる道を与えられている」‥と。例え間違った道に行ってしまったとしても、必ず逃れる道がある。そういう道を、用意しておいてくれるのである。それが宇宙の愛であり、神の愛なのである。
2014年08月12日
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こんなことぐらいで怒らないはずの人が、急に怒り出す。イラッとして殺気だった気持ちが伝わってくる。そして暫くすると、怒ったこと自体に嫌悪感を感じているようだ。私はその場では何事もなかったように振る舞い、怒られた人には、フォローをしておく。半日たって怒ったほうの人がボソッと「疲れているのかなぁ~」と言うので、私も頷きながら「疲れているんだと思うよ」と答える。本人も分かっているのだから、それ以上の言葉を言う必要は無い。後は疲れをとる方法を、本人が考えれば良い。心と体は繋がっている。心や体が悲鳴をあげれば、感情が動かされる。それは怒りという方法で表れるかもしれないし、悲しみや苦しみという表現でやってくるかもしれない。怒りの正体が疲れであることも、時にはあるだろうと思う。体調が万全な状態なら怒りに発展しないが、疲れという圧力がかかることによって、怒りへと発展してしまう。ただ単に、怒りをまき散らすだけの人なら、周りが迷惑である。この場合迷惑を受けた人が、たとえその場で態度に表さなくても、見えない形で怒った相手に返っていく。感情は、口に出さなくても波動という形で戻っていくのだ。怒りの倍返しかもしれないし、怒られて悲しい気持ちになるのかもしれない。どちらにせよその感情は、空気の振動を介して相手に到達する。その怒りに対して、怒ったこと自体に罪悪感を持つ人なら、怒りを受けた相手からと、自分が感じた罪悪感の両方から、自分の心と体に影響を及ぼすことになる。結局マイナスの波動は、全ての人に害が及ぶだけである。「疲れ」という自分でコントロールできることが原因なら、それを改善することが、誰も傷つかない一番良い方法だと思う。原因が自分にあることに感謝して、改善していきたいものである。
2014年08月09日
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「なんだか左側のフレームが硬い」そう感じたのは、ここ1、2週間ほど前のことだった。中々タイミングが合わず、メガネ屋に行きそびれていた。まぁ、チョッと気になるけど使えないわけでもないし‥。「でもどうして左側だけ硬いの?」中々行かないものだから、疑問はいつも頭の中にある。そしてようやくメガネ屋に行くことができたので、その疑問を聞いてみた。答えはなんと!「汗」だった。フレームを硬くさせたのは、体から出た塩分ということになる。聞いてびっくりである。でも聞いて「なるほど‥」と納得。昔、母が「歳をとると体より顔に汗をかく」と言っていた事を思い出す。私もいつ頃からか、まず顔に大量の汗をかくようになった。涼しい時間‥朝早くか夕方に草取りをするのだが、それでもこの暑さには勝てない、どうしたって汗が出る。「みなさん、レンズはよく拭き取りますが、フレームを余り水洗いしませんよね?」とメガネ屋の店員さん。「お湯は駄目ですが、時々は水洗いをして、メガネのフレームをキレイにしてあげてください」帰り道に考えたのだが、もし左右両方硬くなったら疑問に感じなかっただろうから、普通に調節してもらっただけだろうと思う。疑問に思わなかったなら、フレームの水洗いの話しは聞けたかどうか分からない。だからフレームが、片方だけ硬くなって良かったことになる。それにしても私って顔の左のほうが、右より汗を多くかくってことになるよね?それはそれでいいのか~?‥バランスがとれていない私であった。
2014年08月07日
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さて、合宿も三日目になり最後の日を迎えた。早いなぁ‥というのが感想である。三日目はレベル3の技法についてであったが、これが私としては一番嬉しかった。技法はやっぱり文章だけでは分かりにくい。挿絵が有っても、誤解を招きそうな図柄なので、新しいテキストは挿絵をプロの人に頼んだようである。それよりもなによりも、やっぱり生身で見たほうが間違いがない。技法をしているところを、自分の目で見て確認することが、一番間違いのない確認の仕方である。秋の研鑽会にも、もう一度取り上げてもらえるようだから、技法の確認が何度も出来て有難い限りである。そしてお昼‥、私にとって感動もののカレーを戴いた。私はあまり「食」に関心が無いのだけれど、そんな私でも、作っていただいたこのカレーは、随分とテンションが上がった。この合宿は、心の栄養だけでなく、体にも良い栄養を行き渡らせてくれるものだった。何から何まで、至れり尽くせりの合宿だった。お昼をゆったりと過ごして、長野駅まで送ってもらう。バスが出るまでの時間は、土産物を見て回った。バスに乗り込むと、今から名古屋に戻るのか‥と、少し寂しい気持ちになった。次の日は仕事が待っている。しかも月末‥忙しい‥。でも仕事を楽しくするためにも、こういう息抜きは必要だよね。実際、仕事をしている間も合宿を思い出して心は軽やかだった。仲間って‥本当に良いものだね! ‥完☆
2014年08月04日
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二日目の研鑽内容は、主にレベル4についてであった。マスターとしては教える立場上、色々なことを把握していなければならない。今回もテキストの挿絵を変更するにあたって、細かいところまで情報を頂くことができた。これは合宿に来ていなかったら得られなかった、とても貴重な情報である。もちろん、秋にも研鑽会は有るわけだから、今回来れなかったとしても問題は無いのだが‥。でも、少しでも早く情報を得て、生徒さんへ還元したい。そう思うのは、他のマスターも一緒だったと思う。今回の合宿が、たまたまマスターだけだったことも、私としてはラッキーだったと思っている。理事の人たちが、当初決めていたプログラムを、急遽マスターとしての研鑽に変更してくれたのである。有難う~理事さん、心から感謝。そしてお昼のおそばを、戸隠奥社近くのおそばやさん「なおすけ」で食べてから、奥社をみんなで瞑想しながら歩いた。何も話さないで歩くと、自然から色々な情報が入ってくる。水のせせらぎや鳥の声など、美しい音が聴こえてくる。他の観光客の声も耳に入ってきたが、それはそれで面白い。「あぁ、こんなことを話しながら歩いているんだなぁ~。人間って面白い生き物だなぁ~」なんて思いつつ、自然と耳に入ってきてしまう会話を聞いて笑顔になる。なかにはどうやら会社の上司と部下らしく、仕事の指示をする側受ける側の会話もあったが、何もこんなところまできて仕事だなんて‥、と思ってしまった。それでも一緒に散策する仲なんだと思うと、案外波長が合っている二人なのかなぁ‥なんて思ったりして。もし会社の慰安会のようなもので、こんなところまで仕事の話しだとしたら、ちょっと無粋だよ~と考える。瞑想といいつつ、耳に入ってくる情報を遮断できない自分。なかなか自然界の音だけに耳を傾けるのは、難しいものである。人と一緒にいると、どうしても会話をしてしまう。あえて会話無しで散策するというのは、日頃ではできないものである。自然との対話、自分の内面との対話。時々はそんな時間を設けてみるのも良いものである。‥続く☆
2014年08月02日
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