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ひょんなことで中日文化センター内で行なわれている、TA心理学というものに参加することになった。心理学は色々顔出ししているが、TA心理学は名前しか聞いたことがない。まさか中日の文化センターで心理学の講座が行われているなんて、全く考えもしなかったので、ノーマークだった。だから調べたこともなかったのだが、どういうわけだか調べることになり、あらためて全部の講座を見て、初めて開催されていると知ったのである。これも思い込みで、心理学とかコーチングとかいった類は、文化センターとしてはNHKしかやっていないと、勝手に考えていたのだ。だから最初からそのジャンルは、覗きもしなかったというわけだ。それでこれもご縁と思い、先週参加してきた。1ヶ月1回で、半年の間に全部参加したとしても5回という、超~ゆったりとしたペースで行なわれる講座である。私にとって、ほど良い講座というのは、月2回行われるもので、月1回というペースで開催される講座はゆるくて良いけれど、開催日を忘れそうである。そこで私の隣りに座った人が居た。その彼女は遅れてきたものだから、うつむき加減にそっと座ったのである。講座は丸い円になって行われ、みんな座った方向から先生のほうを向いて話を聞いている。なので隣りに座った人の顔を、全く見ていなかった。講座はワーク形式なので、途中で席を移動する。移動した場所でご一緒した人たちとお話しをする。講座の最後に元の位置に戻って、近くの人たちと話しをすることになった。そこでようやく隣りの人の顔を見たのだ。ん?あれ?‥私は記憶を辿る。実は顔より声に聞き覚えが有って、「この人知っている人なんだけど‥」と頭をフル回転する。ようやく、多分‥程度に思いだし、でも間違っていたらとまだ悩む。そこでこっそり小さい声で「私に見覚えない?」とささやいてみた。すると向こうも悩んでいたらしく、「何処かで昔会っているよね?」という返事だった。二人でひねり出した答えが、10年前に一緒に学んだ心理学の学校で、「プライベートカウンセリング・スクール」に通った仲間だったのだ。いやぁ~久しぶりだ~。10年前に一緒に心理学の勉強をした仲間と、こうしてまた一緒に学べることが、私はとても嬉しかった。それにしても、一瞬にして10年前の二人に戻っていくから不思議である。まるでそこに時間の流れが存在していないかのような‥。
2014年10月31日
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会社に行く時は、ほぼ毎日同じ時間に家を出る。するとバスに乗り合わせる人も、殆ど同じ人たちと言ってよい。私はバスを一度乗り換えるのだが、乗り換えまでも一緒の人となると、バスではさすがに多くはない。そんな関係で何となく話しをするようになった人が居る。その人との会話である。その彼女は、大治町に来て10年程になるという。では何故その間話さなかったかというと、私は上司が来る10分前には、会社に着いていたいからである。上司は電車の関係で今より15分遅かった時期が有った。その時はそれに合わせていたので、今より遅く家を出ていたのだ。別に上司に合わせる必要はないのだが、合わせないと慌ただしい朝になってしまい、仕事がスムーズに進まない。それが嫌で上司が来る10分前と決めているのだ。決して上司のためでなく、あくまで自分の仕事のためである。間違っても、良い部下を演じているわけでない。話しを戻すが、そのバスで知り合った彼女は、バスを間違えて乗ることなど、いままで無かったという。ところがこの間初めて間違った行先のバスに乗ってしまったというのだ。実は市バスの車庫が、大治町には二つ有る。考えてみればこれって凄いことだよね。小さな町の中だというのに、名古屋市へ乗り入れる市バスの車庫が二つも有るんだよ。そんな町って有るのか? (・・;)まぁその前に、市でも無いのに何故市バスが通っているのかを、きっと不思議に思うだろうが、これには勿論理由がある。でもそれはさておき‥それで彼女は、間違った車庫行きに乗ってしまったものだから、自宅まで結構な距離を歩いて帰ったようだった。実はその日、名古屋市でお祭りが有って、道路に規制がかかったため、バスは迂回せざるを得ない状態。そうなると大幅にバスが遅れてきてしまう。それをイライラとして待っていた彼女は、バスを見た途端安心して行先を余りよく見ないで、乗ってしまったようなのである。気がついた時はもうどうしようもなく、仕方なく降りて家の方向へと歩いていったという。それで初めての道を歩いてみて、道が途中で切れているのに驚いたというのだ。大きな道の先が、なんと!人の家に続いている。慌てて引き返す‥ということをやっていたと言った。私は聞いていて、そうそぅそれってよく有ることなんだよ~と頷く。細い道ならいざ知らず、でかい道が民家に入って行く。「どうして人んちに入る道がこんなに大きい道なの?」と疑問に感じる。でも結構あちこちに有ることを、私は知っている。大治が田舎だからか?よくわからん??よくわからんが、どんなに大きくて立派な道路でも、必ずしも次の道に繋がっていないということ。彼女はいつもより、2倍も3倍も疲れた~と言っていた。それはそれは‥お疲れ様でした。
2014年10月29日
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地方のアナウンサーが朝の番組の中で、地元の美しい海を紹介していた。 そこに映っている海は、とても日本海だと思えないものだった。まるで沖縄の海かと思うような世界が広がっている。見渡す限りブルーが広がり、海の中は非常に透明度が高かった。なんだか暖かさも感じられるような、穏やかな世界である。日本海だということを忘れさせてしまう。 その中でアナウンサーは、一枚の写真を見せていた。その写真は、海の中から撮っているアングルだった。太陽の光を感じられて、海の中はきらきらと輝いていた。次に出してきたのが、魚にスポットライトを当てた写真である。数匹の魚がトルネードのように連なった、余りお目にかからない写真。その写真が最優秀になった写真のようだった。そしてそのアナウンサーは、実はこれは自分の作品であるとカミングアウトした。まだ海に潜って日が浅いようで、こういう一枚が撮れたのはビギナーズラックだったと、一言添えるのを忘れなかった。でも東京のアナウンサーはそれを聞いて、「全国放送で自慢?」と言ったのだ。相手は何も言わなかった。場面はそこで終わり、コマーシャルへと進んだ。そうか‥見方を変えたら自慢になるんだなぁ~。そして自慢と意識していないから自分の作品だと言い、ビギナーズラックだったと謙遜をした。でも‥そう、黙ってしまったアナウンサーは、もしかしたら根底に自慢している自分を感じたのかもしれない。だからこそ、黙ってしまったように思えた。立場や見方を変えると、色々浮き上がってくる感情。人間って面倒くさいけれど面白いなぁ~そしてきっと私もバレていると分からずに自慢している気がする。でも、それも可愛いと感じられたら良い気がする。
2014年10月26日
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わかっちゃいるけど‥会社は縦社会で、上司の言うことは白でも黒。どう考えても変な話しだけど、それを受け入れなければならない。私のほうが正論だと思うけど、その正論を覆そうとする。「俺には俺の考えが有る」と言われても、どういうふうに考えているのかが、こちらには分からない。私に人の心が読めるわけでないから、きちんと伝えてもらわなければ、相手の真意は伝わってこない。私としては相手の意図するところが分からないので、事実を事実として伝えただけである。それがどうも自分の考えと違うので、気にいらないらしい。う~ん、どうして事前に‥或いは後からでも、どういうふうに考えているのか伝えて頂けないのかなぁ~。「一を知って十を知る」という芸当が私にできれば、何も問題は起こらないのだろうけれど‥。私は普通の人間で、気が利くつもりでも十までは無理だし‥。これってお互いが不愉快になるだけで、何も良い結果を生まないよねぇ‥。私もプライベートでは咄嗟に感情が出てしまい、ついつい言わなくてもいいことまで言ってしまうこともある。これが縦社会でなければ修復も可能に思うが、なんてったって部下である限りは、それ以上には言えない。でも私は部下で良かったと思う。理不尽なことを受ける側は、相手を見て反面教師にすることができるからだ。それに比べて上に立つ人は、自分を見つめ直す機会が断然少なくなる。自分の問題点に気づくことが、とても少なくなってしまうのだ。さてさて、私の心は一日たってようやく落ち着いた。時間が解決してくれることも、この世の中には沢山有る。有り難いことだと思う。
2014年10月24日
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私は朝、バスに乗っていて本を読んでいたりすると、ふと気がつくと乗り過ごしてしまうことがある。しかも、もうすぐ着くなぁ~という認識があるというのに、気がつくといつもと違う景色になっている。30分早く会社に着くようにしているので、乗り過ごしてもウォーキングと考えて戻っているだけで、問題は全くない。ただ、雨や風が強い日は、「やってしまった」と反省して、少し落ち込んでしまう。今の時期は落ち込むことにはならないのだが‥。でも何だろう‥バス停一つか二つ前で、降りるバス停が近づいていると認識しているにも関わらず、乗り越してしまうというのは‥何故?不思議で仕方がない。変に安心してしまうのだろうか?その気のゆるみが隙を作ってしまい、自分の降りるバス亭を見落としてしまうのだろうか?今月に入って3回目なので、反省しきりなのだが、それでもいつもと違う景色が楽しいと思うのだから、これはまたやりそうである。名古屋市内を流れる川の一つに「堀川」という小さい川がある。この川は江戸時代初期に、建築資材運搬用の運河として、伊勢湾から名古屋城付近まで土地を切り開いて通したと言われている。私の会社はその堀川の手前にあるのだが、乗り過ごすと、その堀川を渡ってしまうのだ。その堀川に掛かる橋の欄干が、とても美しい。また周りも整備されていて、極々小さな憩いの場所となっている。ミニチュアの公園のように、テーブルやイスが置いてある所も有る。木々も有ってちょっとした語らいの場所だ。とはいえ、カップルが楽しむにはオープン過ぎるから、適切ではないのだが、少し休憩するには良い場所である。そんなところを通っていくので、目の保養になるわけだ。朝、そんな感じでリラックスして仕事に行くのも、ゆったりとして良いものである。
2014年10月22日
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人の思考というのは、それぞれの経験が根底に流れているので、相手の言葉も脚色して聞いてしまうことが多い。この間コーチングの勉強に行った時、相手の言葉をそのまま事実として受け取る練習をした。その時組んだ相手が、話しの中で「他人」という言葉を使った。私はそれまで家族の話しをしていると思って聞いてきたので、その「他人」という言葉に、混乱してしまったのだ。慌てて相手の言葉を遮り、事実関係を確認し直したのだが、結果的に相手が使った言葉が間違っていたことが分かり、私の受け取り方が間違っていないことが分かった。どうして他人という言葉が出てしまったのか?なのだが、私のように弟と二人で暮らしているのなら別だが、結婚して相手の家族と暮らすことになると、そこにはどうしても血縁関係の無い人間が入ってくることになる。今は全くの他人ではないのだが、結婚前には縁もゆかりも無かった相手なものだから、咄嗟に出てしまった言葉のようである。この練習に人数の関係で先生が参加していた。先生は私の取った行動を良しとしながらも、事実を事実として受け取っていないから聞けなかったと話す。私的には「いやぁ~それは無理でしょう」という境地なのだが、先生以外の人も相手が言った「他人」という言葉は、引っかからずにスルーして理解できたというのだ。なんだって!? どうして混乱しないで聞けるの!?私には驚愕する出来事である。別に事実関係を確認し直せば良いことだから、私のとった行動は間違いではないが、確認しなくても話しがスムーズに進むのなら、もっと会話が上手くいくことになる。「受け止める」だけで、内容を「承認」しなければ聞けるようだが、これって超~難しくないか?私の家に住んでいるのは、血縁関係の有る弟である。だから私が私の家の話しをする時には、間違っても他人という言葉は出てこない。これが私のフィルターなのである。難しい‥、いや、この言葉をNLPのトレーナーの前で言うと、「慣れていないだけ」と訂正されるのだが‥。ハハハッ‥頑張るべ~。(^^ゞ
2014年10月19日
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何気なく付けたテレビの番組が、何故か子供向けの番組だった。その番組は、基礎代謝を上げるのはどっち?というようなやり方で、クイズ形式で進行していた。どうやら幾つか問題を出していたようだが、私は途中から見たものだから、3つ位しか聞けなかった。階段は、二段跳びより一段づつ登ったほうが代謝が上がるようで、これは動作が多いほうが運動量に繋がる‥ということだろうか?というのも、走るより「歩いては休んで」のほうが代謝を上げるらしく、それは瞬発力より継続するほうが運動量がアップする!ということらしいからだ。また、全身運動より下半身の運動のほうが代謝を上げるようである。その例を、なわとびとお相撲さんのしこ踏みに例えていた。しこ踏みのほうが代謝を上げるというからびっくり!なわとびは全身を使うから代謝が高いと思うのだけど、下半身を使って運動したほうが、代謝って上がるんだねぇ。二段跳びしなくていいの?走らなくていいの?‥驚きの解答が並ぶ。私としては体に負担がかかるほうが基礎代謝が上がる、という認識だったのだが、どうやら真逆の考え方だったようだ。結局は「継続は力なり」ということに尽きるのだろうか?でも大きな負担のかからない方法なのだから、すぐに挫折することは避けられそうである。クイズにはどれもこれも不正解だった。根本的に、全身使ったほうが体への負担が大きいと考えていたわけで、そもそも考え方の根っこが間違いだったのである。結局、全問間違えてしまった。(~_~;)なんとなくイメージで考えて答えを出している私。「人間は思い込みで生きている」というのを地でいっている私である。まぁ考えるに、色々なことを面倒がらず、細目に動いて毎日を過ごしたほうが、良い結果を出せそうだね。
2014年10月17日
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今、決算の仕事で通常の月よりは忙しい。本社勤務ではないので、本社ほどの仕事は無いからまだマシだけど、それでも決算となると、通常と違う仕事が入ってくる。そんな話しを何気なく同じビルに居る別の会社の人に話した。すると9月決算が、結構恵まれているということが分かった。他に決算というと、12月か3月が定番である。そう考えると、正月休みを挟んでの決算は、日数が少ないので忙しいだろうと思われる。また、3月決算ともなると年度末の仕事が入ってくるので、やはり通常より忙しいことになる。そうか‥、9月決算って恵まれているんだなぁ~。深く考えなかったけれど、感謝すべきことがここにも有った。その何気なく話した人の会社の決算は12月のようで、正月休みは嬉しいけれど、休み明けの仕事は山のようだと言っていた。そりゃそうだ。決算でなくても月末と月初めに休みがあるのだから、それだけでも忙しいに決まっている。加えて決算書類が重なれば、折角休みにリフレッシュしても、それが一遍に吹き飛んでしまうほどに仕事が忙しいことだろう。9月に決算という会社が多いだろうから、なんとなく「9月の決算は忙しい」というイメージになっていたが、個々の会社の決算が多くても、「9月決算=忙しい」は間違いだった。そうそう、忙しいのは税務署で、私たちには関係無いのだから、変に脳は組み立ててしまうんだよねぇ。脳って空白があると、つじつま合わせで物語を作ってしまい、何かを足して空白部分を無くしてしまう役割がある。それが誤解を生むことがあるから、問題になったりする。例えば片目に視力が欠けた部分があると、もう片方の目がその欠けた部分を補って見てしまう。この場合はそれで良いのだが、それでも病気の発見を見逃してしまい、後悔することになるかもしれない。脳って賢いけれど、時々困る存在だね。今回別の会社の人と話すことで、12月や3月の決算に比べ、9月決算は恵まれているということを知り、私は今更ながらに有難いと思った。
2014年10月15日
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びっくり!‥私は初めて見たのだが、よく見かけるのだろうか?そのご婦人は犬を散歩させているのだが、リードを引いていないのだ。犬は昔、母が柴犬に似た雑種を飼っていただけなので、全く犬のことに詳しくないから申し訳ないのだが、トイ・プードルのような犬だった。犬と飼い主の間には何もない!犬は繋がれていないのだ。飼い主は真っ直ぐ行くのでなく、左のほうへ曲がりたいようだった。そこで、前を歩いていた犬に声をかけた。犬は声を聞いて振り向き、ご主人の指を見た。その指は左のほうを指している。するとその犬は、左のほうへ方向転換をしていくのだ。「すご~い!」初めて見た私は、思わず声が出てしまった。リード無しの犬の散歩を私は、いままで一度も見たことがなかった。それは、私がいままで犬に関心が無かったからかもしれないが、こういうことはよく有るのだろうか?最近他の人のブログをよく読むようになったのだが、犬とか猫を可愛がるブログが多い。なかにはその犬や猫が、人間のように喋っているように書いてあるブログがあって、それが結構面白い。みんな良いセンスをしているなぁ~と感心する。そういうブログを見る機会が多くなったからかもしれないが、犬に関心がいき、そういう場面に遭遇したのかもしれない。だから私が知らないだけで、世間ではよく有る風景かも?でも、すごいなぁ~と感心してしまった。犬の振り返るしぐさが、これまた可愛い。みんなが可愛がってブログにアップする気持ちが分かる可愛さだ。「また会いたいな!」この夢叶えてください。
2014年10月12日
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ようやくこの頃、半袖では朝が肌寒いと感じるようになってきた。朝の気温が15度を少し上回るぐらいである。日中も先週までは30度近い温度だったのだが、今週になって25度の辺りを上がったり下がったりしている。とはいえ日中はまだそこそこの温度があるので半袖である。会社への通勤には1枚羽織るというふうで、温度調節している。 前回の台風18号と今回やって来る19号との差に、5度くらいの温度差があるのだが、それでも18号と同じ進路を辿るというのが、よく分からない。それに台風が、直角に近い角度で日本列島に方向転換するというのが、どうにもやり切れない感じである。様々な天気も、必要があって起こってくるのだろうけれど、できれば何事もなく平穏に過ごしたいものである。人間は自然の前に無力だということを再認識すべきだろうが、喜怒哀楽の悲しみの部分は、少しでも減らしたい。御嶽山の犠牲者も、未だ増え続けている。安否の分からない人たちがまだ数人居ると聞いて、身内の胸の内を考えると、苦しくて悲しい気持ちになる。前回の台風で、20代の僧侶の男性が犠牲になったのを聞くと、その若さとお寺に仕えるという志を思うと、無念である。勿論、命の重さに違いはないのだから、どんな人でも災害で亡くなるのには、やはり悲しい気持ちになる。自然との共存‥いつか叶うといいなぁ~。生きてる間には無理みたいだけど‥。今回の台風19号は、一旦今年最大級の強さになった。10年に4つあるかないかの強さと聞いた時は不安だった。でも今日の天気予報によると、強さが最大級でなくなったというから、多少は心が落ち着いたのだが、違う心配が出てきた。それは、台風の予報円が日本列島をすっぽり覆っていることである。どうやら列島直撃になりそうである。どうか被害が最小限になりますように‥。小さな祈りだけれど、天に届くことを願っている。
2014年10月10日
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出入りしている業者から電話がかかってきた。私の上司に電話を繋いで欲しいということだった。でも(どういうこと?)と私の中に疑問が残って、「ご用件は?」と、聞き返した。我が社は大手企業でないから、本来関連会社から電話がかかってきたら、用件まで聞くことはない。上司が居なければ用件を聞いて内容を預かることもあるのだが、そうでない場合は、知らない業者でない限りすぐに取り次ぐ。ところが今回の業者は、私が担当している業者である。その業者が私を飛び越えて、上司と話すことはない。それにその業者が上司と話しがしたいという申し出を、私は聞いていないのだ。そこで用件を聞いたわけである。内容を聞いて上司へ取り次ぎはしたが、私の心の中で(順序が違うでしょう)という気持ちは残った。担当者の私が用件を知らないということが、有っていいはずがない。どんな用件なのかを把握しておかなければ、私自身が後々困ってくることになる。するとその日の午後、その業者が私のところへ飛んできた。そして私に話しをしなかったことを謝ってきた。私は用件を聞いた時でも、私に話しを通さないことを怒ったわけでない。怒ったわけでないから、謝りにくるとは思わなかった。まぁ、私の気持ちはこれで落ち着いたが‥。どうやら近くの席で聞いていたその業者の上司が、私との電話のやりとりで、変だと思ったらしく、その相手の上司が部下に経緯を聞いたようである。結果、その業者は自分の上司に言われて、私のところに誤りに来たということのようだ。どんな担当者であっても、担当者である人を飛び越えて、話しを進めるのは問題である。担当者によっては、それを面白くないと思い、その業者との取引を止めてしまうかもしれない。俗に言う「顔を潰した」ことになるからだ。友達同士ではないのだから、そこはきちんとすべきである。いつも何のへだたりもなく気楽に言葉をかわしていたとしても、会社という組織での繋がりであることを、忘れてはいけない。それがサラリーマンだと私は思っている。
2014年10月07日
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他の人のブログを見ていると、随分参考になることが書いてある。また、素敵な絵だったり写真だったり、或いは料理だったりと、見ているだけで心が温かくなってくる。その道のスペシャリスト‥とまでいかなくても、一生懸命一つのことを続けている人の言うことは、とても説得力があるし、励みにもなる。プロでなくても、プロが脱帽するような人は一杯居る。今回私はあちこちのブログを覗いてみて、みんな凄いなぁ~と感心したのである。何かに向かって頑張っている人は、やっぱり輝いている。私はそういう情熱を忘れかけていると感じた。コーチングの勉強で、ゴール設定をするのだが、その肝心なゴール設定が出来ない。これは‥致命的だ。若い時はいちいちゴール設定なんて言葉を使うこともなく、さっさと計画をたててゴールをめがけて走っていた。そしてゴールよりも早く到着できることが、無性に楽しかったことを覚えている。そう、私は自分が自分でたてた目標、目的なるものを、自分自身で突破することが、楽しくて仕方がない人間だったのである。その肝心なゴールが‥今は見えてこない。コーチングの先生にも言われたのだが、何のためにコーチングの勉強をするのか?‥だ。「まずは自分が変わりたいと思わなければダメ」と言われるのだが、この軸が私にはまだピンときていなかった。いや、今もあまりピンときていないだろうと思う。多分それは、自分が体験できたことに説得力が有るという事だと思う。色々な人のブログを覗いてみて、確かにそれは感じることができた。まずは自分。これも承知していることのはずだが、頭で分かってハートで分かっていないのかもしれない。まだまだ、道のりは遠い。(ーー;)
2014年10月05日
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戦後最悪の火山災害となってしまった御嶽山の噴火。御嶽山は古くから信仰の対象となってきた日本三霊山の一つである。私の母方の父親も、御嶽山を信仰の山として何度も足を運んだと聞いている。年に一回夏場には登っていたということだった。元々日本は自然を神と崇める民族である。山は神聖な場所であり、神が宿っていると考えられてきた。私は登山には全く興味が無いので、大変な想いをして登る気持ちが、さっぱり分からないのだが、多分登る人たちにとっては、感動を呼ぶ風景がそこに有るのだろう。空気の澄みぐあいも違うだろうし、登った先で眺める景色は、時間と労力をかけたこともプラスして、とても美しいに違いない。私なら、雑誌や本の写真を見て済ませてしまうところだが、足を使い体の全てを動かして頂上を目指すことで得た、目に映る情報というのは、きっと格別なものだろうと思う。いつも思うのだが、噴火の日を選んでしまった人たちと、その日に行かなかった人たちとの間には、何があるのだろうか?山に登っている回数が、今回災難に合われた人たちより、もっと多い人たちも居ることだろう。そしてその日に行くことになっていた人たちの中で、たまたま別の日に登ることになった人たちも居ることだろう。行った行かないもさることながら、生死を分けた時間や場所も有ったことだろう。いったい、明暗を分けるのは何なのだろう‥。私には何なのか分からないが、そんな中で一つだけ想うところがある。それは「毎日を感謝して生きること」である。もしかしたら、明暗を分ける一つではないかと思っている。
2014年10月03日
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