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義母の四九日もすみました。
あの世の義父の横で安堵していると思います。
母が肺がんの手術をしたのは2年半前。
既に周囲の小リンパに転移していました。
それから1年後に脳に転移し、ガンマーナイフという放射線治療も受けました。
抗がん剤の内服は手術後から始まり
マメに通院していました。
すこぶる元気で
グランドゴルフ 手芸 習字・・・趣味を楽しんで
余生を過ごしていましたが
昨秋から歯の調子が悪くて食べれなくなり
抗がん剤が効かなくなりました・・・
内服から点滴に変更しても
気持ちが悪いだけで、癌の勢いは止められず
とうとう桜の頃には床につく様になりました。
~病室からの緩和病棟~
手術で入院した時に見下ろしていた緩和病棟。
広い院内を散歩しながら
<延命治療><緩和治療>について知ったらしく
普段から新聞をじっくりと読み
ドラマよりはスポーツやニュースを見る人でした。
自分なりに終末を考えたようです。
我は強くないけれど、芯のしっかりした義母。
~7階の病室から~
手術の後に「終末治療を希望しない」申告書を外科の担当医に出して
家族は驚かされました。
義母の望みなら叶えてあげたいと義母の子供達も理解しました。
本気でホスピスを望むならば
正式に申し込むまないと、間に合わない・・・
外科の担当医から緩和担当医に紹介状を出してもらい
若い担当医と義母、子供達とその伴侶、8人で面接。
緩和治療の具体的な説明を受けます。
緩和治療に合意できなくなった時点で緩和病棟を出ることになります。
そのうえで承諾して本人と子供達のサインです。
~部屋の窓からそのまま出て、ベットでも散歩できる中庭~
これで入院という訳ではありません。
緩和病棟は上の医者と若い医者2名で20人の患者を看ています。
医者2名でホスピスが必要かカンファレンスして
入院のお声がかかります。
その時点で11番目の申し込みで2~3週間後ということです。
でも、必要度によって早くなることもあるそうで・・・
4月末、母はいよいよ水分も採れなくなり
トイレ以外は終日寝ていました。
なかなか電話はかかってきません。
もぅ自宅では限界。
まず外科病棟に入院してその10日後
念願の緩和病棟に入れました。
車いすに乗って移動する義母は、ほっとしていました。
パンフレットにあったように
手芸をしたり散歩をして安心して療養するつもりだった義母。
でも、もう母には残り時間がわずかになっていました。
それでも、ホテル並みの広い部屋で静かに横になり
24時間いつでも家族の面会が出来る環境に満足げでした。
緩和病棟には2週間ほどいましたが最後まで意識はありました。
危篤から息を引き取るまで2時間ばかり
子供、孫、ひ孫と20人ほどに看取られて
ゆっくり息をひきとりました。
母が望んでいたさよならでした。
☆゜・。。・゜゜・。。合唱。。・゜゜・。。・゜☆
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