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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.01.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
モアイ2463さんの 今日のブログ


"おう。"


という親子の会話が書かれています。

この言葉を見ただけでお子さんが素敵に育っていること、素敵な父子関係が育っていることが伺えます。

詳しいことはモアイ2463さんのブログをご覧になって下さいね。

この言葉が出るためには、まずお子さんが“自分の意志”で活動しようとしていることが必要です。

自分の意志で活動しようとしていると言うことは、その課題に対して好奇心を持ち、そして“どのように手を付けたらいいのか”という大きな筋道が理解出来ていると言うことです。

さらには、その課題をこなすだけのある程度の知識、技術も持っているということです。
逆に言えば、その知識技術があるから筋道を理解することが出来て、どこから始めたらいいのか、どんな時に助けを呼んだらいいのかということが分かるのだということです。



その筋道が理解出来ない子は、課題に取り組むことが出来ません。
そして、やってみる前から“教えて”、“手伝って”と言います。
中には、一目見て“ぼくには出来ない”と投げ出す子もいっぱいます。

うちの教室でも、最初から“先生作って”などと馬鹿なことを言う奴もいます。
そんな時は、“先生が作ったら先生のもんだからあげないよ”というと、しぶしぶ“じゃあ、自分でやる”と言います。

でも、その筋道は言葉で説明しても理解出来ません。
というより、言葉で説明して理解出来るような子は、ちょっとヒントを与えるだけで自分の力だけでも大まかな筋道を理解出来るのです。

なぜなら、そのような子は体験があるからです。
子どもたちは体験を通して理解力を育てているのです。


そして、お子さんが活動している間モアイさんは

と、監視しないで、でも心を向けて、でもそれを気にし過ぎもせず、のんびりと待っています。

この“待ち”が大切です。


ちなみに今の学校の先生にはこの“待ち”が全くないようです。
何かするばかりがいいのではありません。
“何にもしない”というのも大切なことなんです。

この“待ち”の間に子どもの自学自習が進むのです。
それを信頼することです。

また、“おう”と応えることが出来るためには、大人にその手助けが出来るほどの実力が求められます。

ちなみにモアイさんのお子さんが作っているのは

だそうです。
みなさんは“おう”と応えられますか。


体験の少ない子どもは、常識にとらわれないとんでもないことを言ったり、やったり、聞いてきたりします。
ですから、“待ち”の姿勢で子どもの成長につき合うためには、大人の側に広範な知識、技術、そして柔らかさが必要になります。

それに対して、全員にカリキュラム通りに同じことを教えるのは簡単です。マニアルさえあればアルバイトの大学生でもできます。
試験も、採点もアルバイトでもできます。
(残念ながら、塾のアルバイトの先生よりも劣る先生もいるようですけど・・・・。)

同じ課題を同じ手順でやらせるわけですから、出てくる質問、トラブルも予め想定出来ます。
ですから、それもマニアルで対応出来ます。

でも、子どもに任せてしまうと子どもの思考にはマニアルはありませんからとんでもない質問、トラブルが出てきます。

つまり、“待ちの教育”は本当の専門家でないとできないということです。
自由に答える文章題はアルバイトには採点出来ないのです。


私が12/30日に書いた “自学自習” という考えはこのようなものです。
“自学自習”といっても、勝手にやらせるわけではないのです。
子どもの状況に合わせて課題は大人が用意します。

そして、興味を持たせるなどの動機付けをして、基礎的な知識、課題の概略を伝えあとは子どもに任せ、大人は待ちます。

質問が来ても、ヒントは出しますが基本的には自分で考えさせます。
すると、子どもは自分で発見します。
この“自分で発見する”ということが非常に大切なんです。

子どもが“そうか、そうなんだ”、“わかったぞ”という時、“自学自習”が進んでいるということなんです。
この体験は自己肯定観を育ててくれます。

今の子どもたちは教え込まれて自己肯定観を低くしてしまっています。
教え込まれる子どもは常に無力だからです。
でも、教育とは本来自己肯定観を高めるためのものではないのでしょうか。
それが教育の役割なのではないでしょうか。


それと、自学自習のいいところは、学びの場が学校だけではなくなるということです。

自学自習の方法、楽しさを知った子どもはありとあらゆるものから学ぶことが出来ます。世界中どこに行っても、何歳になっても、一人だけでも学ぶことが出来るのです。

それに対して、今の“教え込む教育”は学校という場の中だけでしか成り立ちません。学校を出たらそんな丁寧に、優しく教えてくれる人なんていないのです。

自分で学ぶ力を身につけた子どもたちがドンドン増えていったとき、日本は変わるでしょう。


え?
そんな悠長なことをやっていたら諸外国に追いつけない?
学習指導要領を消化出来ない?

何を馬鹿なことを言っているのですか。
しっかりとした基礎を作らないで高層建築など建てられないでしょ。
基礎部分は地面の下に入ってしまって見えませんがこれをしっかりとしないと耐震疑惑のビルのようになってしまうのです。

中学、高校までにしっかりとした基礎を作っておけばその上にどんどん積み上げることが出来るのです。

姉歯さんと同じことを日本の学校ではみんなやっているのです。
あれは、姉歯さんの個人的な問題ではなく、日本人の体質なのかも知れません。

日本ではしっかりとした基礎を作っていないので、大学に行ったらもうすでにそれ以上積めない状態になってしまっています。
そして、社会に出るころには使い物にならなくなってしまっています。

自学自習できる人は社会に揉まれて成長します。
そして、自分でもそれが分かるので、社会に出ていくのが怖くありません。
でも、自学自習が出来ない人は社会に揉まれてつぶれていきます。
自分でもそれが分かっているので、社会に出ていくのを怖がります。


あなたはお子さんにどちらに進んで欲しいですか。





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Last updated  2007.01.07 10:05:57
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