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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.01.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は“まりすけどん”さんから頂いたコメントから話しを進めます。
(ということで、コメントへの返信は省略させて頂きます。)



 そうそう、学校の中では、せっかくの芸術の時間なのに、他人と比べ下手だ、自分はできないとか、苦手だとか思う心が強まっていましたね。そして、「芸術」と聞いただけでとても縁遠く感じるようになりました。このごろ少しずつ生活のすぐそばにあるもんなんだ!と感じるようになってきました! (2007.01.17 11:33:03)


どうしてこのようになってしまったのかというと“芸術”は明治になって欧米から輸入された新しい概念だからなんです。

もちろん、日本にもそれ以前から芸術はありました。
でも、その芸術は美術館に飾るものでも、鑑賞するものでもなく生活の一部としてあったのです。
さらには、人々の立ち居振る舞いの全てが芸術だったのです。
だから、しつけは“躾”という文字で書かれてきたのです。

でも、明治になって“飾るもの、鑑賞するものとしての芸術”がやって来ました。そして、人々の生活の中から芸術が消えていきました。
“芸術”と“生活”が分離してしまったのです。


日本にはそれまでスポーツなどありませんでしたが、身体能力に関しては欧米人に劣らなかったのです。それは生活の中で高度なからだの使い方を身につけていたからです。

まあ、この話は以前も書いたことですから、ここらへんで止めておきます。

さて、“生き方を育てる”という話しの延長でここまで来ました。
覚えていらっしゃいますか。

長い話しでごめんなさいね。この長さ故に読者が増えないのでしょうね。
突然来られても訳が分かりませんからね。
まあ、でもそれがこのブログの“味”だと思ってお付き合い下さい。

それで、今日私が書きたいことは“7才までにからだの使い方、手の使い方を学ぶことが、子どもが自分の人生の生き方の基礎を学ぶことにつながるのです”ということなんです。
7才までの学びにはそういう意味があるのです。

それはどういうことかというと、この時期の子どもたちはからだの使い方、手の使い方を学ぶことを通して脳の基礎的な神経回路を育てているからなのです。

からだや手の使い方と、生き方がつながっているなんて突拍子もない発想のように聞こえるかも知れませんが、でも、実は人間の脳はそういう点では実に単純なんです。


つまり、大切なのは“思考パターン”の形成なのです。
7才までの子どもは、様々な体験を通して形成されたそのパターンが脳神経に組み込まれるのです。そういう時期なんです。
だから、7才までに体験したことはなかなか抜けないのです。

そして、これは手の使い方、からだの使い方を通してでも育てることが出来るのです。
そして、それがそのまま生き方として転用されるのです。


“生き方”とはなんだと思いますか。

難しく考える必要はありません。
簡単なんです。
それは、自分の心とからだの使い方、時間の使い方、空間の使い方、知識の使い方、経験の使い方に過ぎないのです。
それが“自分の人生の使い方”であって、それを“生き方”と呼んでいるのです。
違いますか?

そう考えてみると、手仕事や芸術的な活動を通してでも生き方を学ぶことが出来るということがお分かり頂けるでしょうか。

******************

全然関係のない話題です。

家内がお店から納豆が消えたといっていました。
うわさは事実のようです。

うちでは昔から毎朝納豆を食べているので困ります。
どうして日本人はこうも洗脳されやすいんでしょうか。

納豆を返してくれ・・・・・。





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Last updated  2007.01.17 20:54:22
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