森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2008.01.28
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日のブログに対して nativemindさんが
>私も「あぶない」ってほんとよく言うような気がします。
と書いて下さったことに以下のようにご返事しました。
大切なことなので、こちらの方にも書いておきます。


こういう場合でもあまり“あぶない”という言葉は使わない方がいいと思います。
それにケガをしたことがない子は“あぶない”という言葉が理解できません。“あぶない”ということが分からないのです。
もう少し大きくなって言葉の理解が進んだら、こんどは“あぶない”ではなく、“使い方”を教えてあげて下さい。木登りなら登り方を教えてあげて下さい。
そして、間違った使い方、やり方をした時に“あぶない”という言葉を使って下さい。
そうしないと“あぶなそうなこと”には近寄らなくなります。つまり、挑戦しなくなります。


お分かりでしょうか。
“あぶない”という言葉は正しいやり方とセットにして伝えないことには子どもは挑戦しなくなってしまうのです。なんでもそうですが、正しいやり方でやるなら危なくないのです。
正しい使い方を教えても、まったく理解できないような状態ならまだ早いのです。
そういう子は当然“あぶない”という言葉も理解できません。

何でもかんでも“あぶない”と言ってしまうのは現実の危険に対する鈍感さと、怖がる必要のないものまで怖がる恐怖心を育てるばかりです。

だから、“あぶない あぶない”といって、子どもを痛い思いから遠ざけているともっと危険なことになってしまうのです。子どもはすぐに親の目の届かないところで遊ぶようになるからです。

ただし、あぶないことをやっている時には子どもの様子をよく観察して下さいね。観察していないと的確な言葉かけができませんから。それと、観察していないと本当に危険なことになってしまう恐れもあります。

また、教わったやり方でやろうとしていても最初のうちはうまくできません。その感覚を掴んでいないからです。ですから、見ていてもハラハラします。でも、子どもが努力しているのならそこは我慢して見ているしかないのです。
最初は教わっても教わった通りになど出来ないのが普通だからです。
それは皆さんだって同じでしょ。
言葉で一輪車の乗り方を教わるだけですぐに乗れますか。乗れないでしょ。
なんべんも転がって、痛い思いをしながら、ようやく教えてもらった言葉の意味が理解できるようになるのです。

さて、今日は別の視点からこの問題を考えてみます。
確かに、“あぶない あぶない”を繰り返すお母さんは一般的です。でも、その背景にはお母さん達の不安が隠れています。
そして、その不安の根っこをたどっていくと、我々が生きている文明の問題にまでたどり着きます。ですから、この問題は個人的な問題だけではなく、我々みんなが考えるべき人類全体の問題でもあるのです。

本来文明は自然を克服し、対立するものとして発展してきました。
特に欧米の文明は自然を克服するために進歩してきました。
でも、東洋の文明は自然と共存するために進歩してきました。

でも、東洋の文明は自然との共存のための技術を発展させてきたわけです。ですから、私は東洋では文化と文明が分離していなかったと考えています。

それに対して、欧米的な考え方では病気の時、対症療法的に薬を使います。時には切ったり縫ったりします。からだが自分の力で治癒する働きを信じていないからです。その背景には自然というものに対する不信があります。

でも、東洋の昔のやり方では根本からバランスを整えようとします。バランスを整えれば自然と治癒すると考えたからです。そしてそのために薬草を使いました。生命の働きを支えるためには生命の働きの手助けが必要だと考えるからです。(ヨーロッパでも昔はそうだったようですけどそれは魔女の働きにつなげられてしまいました。)
ですから、ここには自然に対する信頼がありました。

(非常に大雑把に書いています。厳密な議論はお許し下さい。)


それは私達の心もからだも自然に属するものだと考えていたからです。

それに対して欧米(キリスト教)では魂は神に属し、肉体は悪魔に属すると考えていました。
だから、人は死なないと神の下(もと)に行くことが出来ないのです。
(仏教では仏の世界と人間の世界の境界は曖昧です。)

そして現代ではその肉体を改造するために医学が進歩しています。
西洋的な医学が目指しているのはできるだけ自然に束縛されないで、人間の意志でコントロールできる肉体なのです。より神に近い肉体です。
いいかえれば、不自然な肉体です。

そして、欧米的な文明観に支配されてしまった現代では、医学だけでなくこの人間社会全体が自然と分離した不自然な方向へと進みつつあります。

その様な社会では、コントロールできないものに対する不安と不信があります。
だからどこまでもコントロールしようとします。
でも、本来バランスが取れているものを人間の思い込みだけでコントロールしようとするので余計にバランスが崩れおかしなことになります。

すると更にコントロールを強めることで問題を切り抜けようとします。
そうしてどんどん泥沼にはまっていきます。
現代の社会の状況もまた、子育ての状況も似たような状態ではありませんか。


だからそこには先ず“自然に対する信頼”が必要になるわけです。
そして、コントロールすることより、見守り支えることが大切になるのです。

それはまた、その人のライフスタイルとも関係していると思います。

文明に振り回されないで、自然を感じながらゆっくり生活してみませんか。
急ぐことなんかないのです。
勝った負けたなどということに一喜一憂する必要もありません。
負け組だっていいじゃないですか。

自然な子育ては自然な生き方から自然に生まれてきます。
そうすると、子どもは自然に育っていくのです。

短い人生、そんなに急いでどこに行く。
百年後にはみんな骨。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.01.28 12:05:51
コメント(16) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: