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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.07.15
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カテゴリ: カテゴリ未分類
9月から始める表現共育のクラスと6月17日の体験会の参加者募集を締め切ります。沢山の応募がありました。有り難うございました。

******************************

先日、キーロさんさんから

>大変興味深く読ませていただきました。
>イメージするだけで心が豊かになりますよね。
>私は、イメージの中で「ハワイ」に行きますよ。
>時には、違う人物になって恋愛もします。


というコメントを頂きましたがこのコメントをお借りして“イメージ”と“空想”の違いを考えてみます。
イメージ(image)を辞書で引くと、(goo辞書)

━━ n. 像; 肖像, 画像, 彫像; 映像; 形; 生写し (the ~ of his father); 典型; 象徴; 【心】心像; 面影; 全体的印象; 【修辞】比喩(ひゆ).

と書いてあります。

一方、“空想”は
名)スル
(1)現実にはありそうにもないことをあれこれ頭の中で想像すること。
「―にふける」「未来の生活を―する」
[哲学字彙(三版)]
(2)〔仏〕「空見(くうけん)」に同じ。


と書いてあります。
ですから、ハワイの空や海やブーゲンビリアや温かさなどをイメージするのはイメージですが、“恋愛”の方は空想になります。



でも、空想は感情とつながっています。欲求や願望や恐怖や不安といった感情が空想を生み出します。

ですからイメージは開かれていて、空想は閉ざされています。
イメージを共有することは難しくありませんが、空想を共有するのはなかなか困難です。だって、感覚は基本的にみんな同じですが、感情はみんな違いますから。

例えば、青い色を見た時に感じる感覚にはあまり個人差がありませんが、一人の女の子(男の子)を見た時に感じる感情は人それぞれです。その異なった感情が空想を引き起こします。

もちろん、感覚と感情は密接につながっていますからこの両者を厳密に分けることは出来ませんが、でも、同じものではありません。

イメージは“言葉”や“詩”に近いのです。イメージに音を与えると言葉になり、その言葉でイメージを表すと詩になります。ですから、豊かなイメージ力を育てるためには豊かな感覚体験と言葉との出会いが必要になります。
それに対して、空想は言葉とはあまりつながっていません。感情の動きが勝手に空想を引き起こすのです。ただし、イメージ力が弱い子が空想すると感情に振り回されすぎて妄想になってしまいます。
イメージ力が心を現実とつなげてくれているからです。

そして、そのイメージと空想の中間にあるのが“ファンタジー”です。

ファンタジーを“物語”と訳すこともありますが、でも実はファンタジーは“物語”より、言葉そのものや詩の世界にもっと近いものなのです。そして、それが子どもが生きている世界です。

空を飛ぶ馬を空想することはできます。でも、そのままで空を飛んでいたら何か変です。馬がそのままの姿で空を飛ぶのは現実的ではないのです。だから“羽”が必要になります。羽を付けることでより(実際にはそんな馬はいなくても)現実的になるのです。その馬に羽を付けるのがイメージの働きです。


羽が取れてしまえば普通の馬に戻ることが出来る仕掛けになっているのです。

かぼちゃが馬車になどなるわけがありません。そんなことは子どもだって知っています。だから“魔法”が必要なんです。
多くの大人は魔法なんて馬鹿げている、それは子どもが無知だからだと考えますが、それは違います。魔法は子どもや古代人の知恵なのです。現実から空想の世界に入るためにはそのつなぎとしてメージの働きによる魔法が必要なのです。
だから、魔法が解けてしまえば現実に戻ることが出来るのです。

言っている意味が分かりますか。馬の羽や、カボチャを馬車に変えたりする魔法は現実の世界から空想の世界に入るための仕掛けであると同時に、空想の世界から現実の世界に戻るための仕掛けでもあるということです。


空を飛ぶために妖精の粉を必要としている子はちゃんと現実のことも分かっているのです。

そして、現実の世界と空想の世界との間をイメージの働きで自由に行き来しながら生まれて来るのがファンタジーの世界なんです。
だから、豊かなイメージ能力が、豊かなファンタジーの世界を創り出すのです。
でも、イメージ能力が弱い子は正しく魔法を使うことが出来ないので、現実の世界と空想の世界をちゃんと分けることが出来ません。ごちゃまぜになってしまうのです。すると、空想ではなく、妄想になってしまうのです。

空想は還ってくることが出来ますが、妄想は還ってくることが出来ません。イメージ力という魔法の力を持っていない子が妄想の世界に入ってしまうと還ってくることが出来なくなってしまうのです。

荒唐無稽な事ばかり言う子どもに不安を感じているお母さんはいっぱいいます。でも、子どもの頃にいっぱいファンタジーの世界で遊ぶことが出来た子は、ちゃんと現実の世界に還る能力も身につけることが出来るのです。そして、大人になった時には身につけた魔法の能力で今度は現実世界を変える事が出来るようになるのです。

実は、生き生きと生きている素敵な人はみんな魔法を使っているのです。イメージという魔法です。
逆に、勉強ばかりしていたり、自然の中で遊ばせてもらえなかったり、お話を聞かせてもらえなかったり、豊かな言葉と出会えなかったり、イメージで遊ぶ遊びを否定されてしまった子が妄想に走るのです。そして、魔法の力がないのでいつも不安に怯え、誰かに依存して生きる事しか出来なくなるのです。






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Last updated  2008.07.15 13:11:41
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空想と妄想  
rei_m さん
>空想は還ってくることが出来ますが、妄想は還ってくることが出来ません。

なるほど、はっきりした違いがあるのですね。私はよく両者をいっしょくたに考えてしまうのですが。「妄想」は現実に戻ってこれないと言うことは、やや病的ということなのかも?

そう言えば、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」のヒロインには「妄想癖がある」という設定でしたが、あれは正確には「空想」なのかもしれませんね。後で必ず我に返っているので。
これも含めて、正確には「空想」であるものを、わざと面白おかしく「妄想」と呼んでいる場合もありそうですね。 (2008.07.15 15:41:32)

Re:空想と妄想(07/15)  
森の声  さん
rei_mさん
>>空想は還ってくることが出来ますが、妄想は還ってくることが出来ません。

>なるほど、はっきりした違いがあるのですね。私はよく両者をいっしょくたに考えてしまうのですが。「妄想」は現実に戻ってこれないと言うことは、やや病的ということなのかも?

goo辞書には「妄想」について

(名)スル
〔古くは「もうぞう」とも〕
(1)〔仏〕 精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断。妄想分別。
(2)根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。分裂病・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容があり得ないものであっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。

と書いてあります。
この通りです。

つまり容易に現実には戻って来られないのです。 (2008.07.15 18:01:42)

Re:空想と妄想(07/15)  
森の声  さん
rei_mさん
>そう言えば、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」のヒロインには「妄想癖がある」という設定でしたが・・・

「妄想癖」というのは一般的には

妄想のようにおかしな事を考える(空想する)癖がある

ということです。 (2008.07.16 04:56:34)

なるほど!  
キーロ さん
私は、イメージと空想が混ざり合っていたんですね。
今度は、もう少し意識してみようかな。
何かわかるかもしれません。
ありがとうございました。 (2008.07.16 14:25:14)

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