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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.07.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
17日の「表現共育クラス」の体験ワークの募集は締め切りました。


予想以上に反響が大きかったので、しばらくの間新しい募集はしないと思います。
ご了承下さい。

**************************

人間には「共感覚」という不思議な感覚があります。この感覚が異常に敏感な人の場合では色を見たら音が聞こえたり、数字を見たら色が見えたりということが起こります。
つまり、一つの感覚に対する刺激が他の感覚への刺激になってしまうのです。
鳥の声が色に見えてしまうというようなことです。

ここまで来ると異常ですが、でも普通の私達でも多少はその共感覚を感じています。ザラザラしたものを見ると、何となく触覚的にもザラザラしたものを感じます。


これは子どもに聞いてみると面白いですよ。結構はっきりと答えてくれます。
○は何色、△は何色と聞いてみても面白いです。

以下の図は「ブーバーとキキ」というその共感覚の簡単な実験に使われるものです。(私が描いたのでちょっと印象が違ってしまっていますけど)

ブーバーとキキ

この図を世界中の人に見せて“この二つはそれぞれ別々のキャラクターです。そして、名前は一方がブーバーで一方がキキです。さて、どちらがブーバーでどちらがキキだと思いますか”と聞くと、9割の人が丸っこい方をブーバーと答え、とんがった方をキキと答えたそうです。

私もしょっちゅうワークでこの図を見せて聞いていますが、ほとんどの人が同じように答えます。
でも、これって不思議でしょ。だって形だけから名前を類推出来てしまうんですから。

どうしてこんなことが起きるのかというと全ての感覚はからだの中でつながっているからです。

“キキ”という名前を声に出そうとする時、喉の奥を緊張させます。そして鋭く短い音を連続させます。その感覚がからだの中に尖った印象を引き起こすのです。

“ブーバー”という名前を声に出そうとする時には喉をゆるめて唇を閉じて空気で風船のように膨らませてからゆっくり吐き出します。口の中がふくらんだ風船から空気が抜けていくような状態になるのです。
そういう感覚が視覚的な図から音を連想させるのです。また、その逆もあります。

このように人間は言葉や音をからだ全体の感覚で聴いているのです。色や形も同じです。


“あ-お-”とゆっくり声に出してみて下さい。そして青い色を思い浮かべてみて下さい。そこに違和感はないはずです。
でも、“あーおー”といいながら赤い色を思い浮かべてみて下さい。どうですか、違和感を感じませんか。
私はかなりの違和感を感じます。

つまり、言葉というものはデタラメに作られたのではなく、その事物の身体的な印象をもとに感覚的に生まれてきたのです。シュタイナー教育におけるオイリュトミーという身体芸術ではそこをつなげて表現します。

例えば、“て”という言葉が最初につく言葉

などは舌が口蓋にしっかりとくっつく印象とつながっています。

“く”という音は喉がつまる感じです。
“くるしい”時には喉がつまっているのです。ですから苦しい時には、“く”という音が出しやすいのです。逆に“しあわせ”とか“うれしい”という声は出しにくくなります。

じゃあ、外人はどうなんだ、と思われる方もいらっしゃるでしょうね。
日本語では“あお”でも、英語では“ブルー”ですからね。

結論から言うと“あお”と“ブルー”は同じではありません。日本人にとっての青と英語を使う人たちにとってのブルーでは印象が違うのです。
色的には同じでも、その色に対する印象が違うのです。

言葉が違えば印象が違うのです。ですから、言葉というものは厳密には翻訳不可能なんです。

“こんばんわ”と、“おばんです”は訳せば同じですが、印象はまったく違います。“バカ”と“アホ”も全然違います。実際、相手の反応も違います。そして私達は言葉をその“意味”ではなく、からだの感覚とつながった印象で使っているのです。ですから、状況に合わせて自在に使い分けることが出来るのです。

言葉というものはからだの“印象”を音声化したものなんです。文字はその印象を形に現したものです。(但し、抽象的な言葉、観念的な言葉に関してはその限りではありません。“人類”という言葉はからだの印象とはつながっていません。)

実際、ブーバーのBはブーバーの形に似ています。キキのKはキキの形に似ています。

“しあわせ”と“ハッピー”も同じではありません。“おはようございます”と“グッドモーニング”も同じではありません。
これをジェスチャーを入れて表現してみれば両者が全く別物であることがすぐに分かります。
その“おはようございます”を印象的に“グッドモーニング”に近づけるためには、“ございます”を取って“おはよう”だけにします。
“さようなら”を“グッバイ”に近づけるためには“う”を取って、“さよなら”にします。つまり、言葉を変えないと同じ印象にはならないのです。

この“印象”が“言葉のイメージ”とつながっています。
言葉はイメージの固まりなんです。だから、言葉を伝えることが心を伝えることにもつながるのです。
まただから、言葉育ては感覚育てとつながっているのです。そして、イメージ能力ともつながってきます。言葉を使うのが上手な人はイメージのコントロールも上手なんです。
だから子どもたちにもっともっと言葉を伝えてあげて欲しいのです。

ただし、印象とつながらない言葉はオウムやロボットの言葉と同じです。そして、印象とつながった言葉は生活体験の中でしか学ぶことが出来ません。
木に触れ、登り、匂いをかぎ、その下で遊ぶことで“木”という言葉と“木の印象”がつながり、言葉に生命が吹き込まれるのです。

印象とつながっていない言葉はただの“記号”に過ぎません。記号では自分の心を表現することが出来ません。そんな言葉いくらいっぱい知っていても使えません。





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Last updated  2008.07.16 13:15:16
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