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すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.10.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私が今のような活動を始めた20年ぐらい前は、多くの人たちが、教育や子育ての分野において、「このままではいけない」と感じ、新しい教育、新しい学校を作ろうと、熱心に活動していました。

その頃から、子どもや親や社会の状態がどんどん悪化し始めていたのです。どう悪化し始めたのかというと、大人も子どもも「人間としての生き方」を失い始めたのです。

そして、目先の欲に振り回されるようになってきました。

(その辺の状況は鳥山敏子の本に色々と書かれています。)

そのような状況に危機感を覚えた人たちによって「シュタイナー学校を作ろう」とか、「新しい教育」を求める運動が起きました。鳥山敏子も宮沢賢治の思想に基づく「賢治の学校」をつくろうと活動していました。

でも今、そのような熱は過ぎてしまったようです。

私の目から見たら、学校の状況も、子育ての状況も、子どもの状況も、20年前よりさらに困った状態になってしまっているのですが、そのことに問題を感じる人たちも減ってきています。

だからそのような状態が進行しているのでしょう。

今では、シュタイナー学校も、「R.シュタイナーの思想に共感して」というのではなく、ただ単純に「うちの子は普通の学校では適応できないから」というような理由で選ぶ人が多いような気がします。



これは幼稚園や保育園でも同じです。

ある自由を大切にする幼稚園で、子どもたちの状態を調べてもらったら、他の園よりもかなり高い割合で発達障害系の子が多かった、という話も聞いたことがあります。

それは、自由保育に共感して自由保育の幼稚園を選んだのではなく、一斉保育が困難な子だから、自由保育の幼稚園を選んでいる人が多いということです。

それはそれでしょうがないことなのですが、そのため、その学校(幼稚園)本来の教育方針に基づく教育も困難になってしまっているのではないかと思われます。

さらに、学校に行っても、その園の卒業者は他の園の卒業者よりも高い割合で、学校に適応できないでしょう。もともとそのような素質の子が自由保育の園を選んでいるのですからそれは当然予想されることです。

でも、そのことがまたその園の評判を下げていきます。
そして先生は「だから自由保育はダメなんだ」と言うでしょう。

20年前、「新しい学校を作ろう」と活動していた人たちにとって、学校とは「教育を行う場」でしたが、現代人にとっては「学校」は単に「勉強を教える場」であり、「行かなければならないところ」になってしまっています。学校から「教育」が失われてしまっているのです。

それどころか、先生たちもまた、学校を「子どもを教育する場」とは考えなくなってきています。今では、学校はただ「勉強を教える場」に過ぎなくなりました。

親も、幼稚園や学校に「教育」を求めず、ただ単に、しつけや、能力開発や、お勉強を求めるばかりです。そして、それが「教育」だと思っています。「人を育てる」という意味での「教育」が、理解できなくなってしまっているのです。

そこで今度は、橋下徹のような人が、学校を国家的な価値観を教える場にしようとしています。



それは、先生たち自身も、自分の思想や生き方を大切にしなくなってしまったかからだと思います。忙しすぎる日常業務や、親や上司が先生を評価するシステムは、教育熱心な先生の「やるき」までも奪ってしまうのです。

経済界の人たちや政治家たちも、思想や生き方を大切にする価値観を失い、目先の事ばかり考えています。

だから大局的な視点で判断を下すことが出来ないのです。

国家や民族の土台は教育にあります。教育が崩れてしまったら、国家も民族も崩れてしまうのです。

でも、日本の政治家にはその危機感がありません。



子育てでも、「ハウツー」ばかりを求め、「生き方」を求める人は少ないです。

でも、 勉強しか教わってこなかった人は、どんな成績優秀でも、自分の人生を「自分のもの」として生きることも、結婚してから夫婦で助け合うことも、子育ても出来ないのです。

ちなみに「教育」とは子どもの可能性を広げてあげる行為です。

能力を特殊化させたり、特定の価値観を押しつけることではなく、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意思と責任で行動することが出来る能力を育てることです。

また、幸せを創造することが出来る能力を育てることでもあります。





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Last updated  2012.10.04 08:33:46
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Re:「教育の目的」(子どもを育てない教育)(10/04)  
*しるく*  さん
子どもの園も自由保育中心なので、数年前から一斉保育の苦手なお子さんが増えてきました・・・最初は園児が少ないから、手厚い保育が受けられるという口コミでしたが、園児減少対策で半日保育をなくしたら、そういう子以外にも、うちの園を選ばなかったタイプのお母さんが増えて・・・園の雰囲気が上の子のときとは変わりました。
もう、社会が、うちの昔の園のような雰囲気をもとめてないんだなぁ・・・という流れ、今日のブログを読んではっきりしました。もう元のように戻れないんだろうなぁ。

正直、保護者会の運営も「お互い様」「譲り合い」「助け合い」っていう精神でやってきたのが、今年、ガラガラっとくずれてしまい(今年から半日保育がなくなったのです)やりづらいんですが、そういうのがめんどくさい、考えたこともないってお母さんのほうが多くなってしまったってことなんですよねぇ…きっと。

流れは止められない変えられないので自分は自分で子育てしていくしかないんですよねぇ・・ (2012.10.04 09:25:24)

Re[1]:「教育の目的」(子どもを育てない教育)(10/04)  
森の声  さん
*しるく*さん

>正直、保護者会の運営も「お互い様」「譲り合い」「助け合い」っていう精神でやってきたのが、今年、ガラガラっとくずれてしまい(今年から半日保育がなくなったのです)やりづらいんですが、そういうのがめんどくさい、考えたこともないってお母さんのほうが多くなってしまったってことなんですよねぇ…きっと。

うちの四番目が出た幼稚園でも、在園している時はバザーの時でも「そこまでやらなくても」というくらいみんなで頑張って準備していました。

でも、数年前、その園のお母さんに聞いたら、最近は「百円ショップで買ってきて並べればいいんじゃない」と言い放つ人もいるそうです。

全くびっくりです。 (2012.10.04 15:29:02)

Re:「教育の目的」(子どもを育てない教育)(10/04)  
みっこ さん
私の子どもたちが小学校に入学したころ、学校現場の荒れた
姿にがく然としました。

私は自由保育のよさが我が子にぴったりだと感じて公立幼稚園に入れましたが、入学して親達がささやいていました。

「落ち着きがないのは自由保育を受けた公立の子、私立は
躾が出来ているからいいんだけど・・・」

そのうちクラス会で親達が言う言葉に唖然としました。
「先生、うちの子は私のいうことを聞きませんから勉強より
躾をお願いします。」

先生からは「塾に行くから居残りさせないでくださいと言われ
学校より塾が大事だと思われる親御さんがいます」

学校内の混とんぶりに、教師は親を信用せず親も教師を信用しないという構図が広がっていくのを実感して行きました。

そんな中、私は親としてどんな子育てを目指しているのかを
中学生になった時から、担任に伝えました。

「自分で考えて、自分で行動し、その責任を自分で取れるような人間になれるように、親は支えていきたいと思っています」

予想通り、息子は中3の時学校に嫌気がさして不満をもらしました。私も嫌がらせやいじめや暴力などクラスに問題が多発していたことで親としても頭を悩ましていましたので、子どもに
情報を与えながら、学校選択を私立に切り替え内申書から離脱し、さみだれ登校をする息子を見守った経験があります。

私は子どもの子育てからずっと社会を見続けているつもりですが、どんどん悪化することは予測をしていましたが、実際、
今の現状を森の声さんから知らされるとシンドイ気持にさせられますね。

私の息子、娘は就職氷河期世代でしたが二人とも何とか
厳しさを感じながらも頑張って働き続けています。

30代の結婚期でありながら独身なので親としては
見守るだけしかできなくなりました。

混沌とした時代を悩みながらも生き抜いていくしかありませんね。 (2012.10.04 16:40:01)

Re:「教育の目的」(子どもを育てない教育)(10/04)  
忠武飛龍  さん
銭と効率を追い求める社会は、育つとか感じるとか、無用なものです。

豊かすぎるほどの物資と引き換えに、人間としての生命を売った。それが今の社会です。

「早くしろ!」「成績さえよければいい」「のろま!」

まあ「畜生」を追い込むように飼育しているのがいまの教育という調教です。


「面倒」というのは実際にそういう「怠惰」もあるのでしょうが、もう少し別の面を見ていると、「めんどうな」ことをしていると、ふつうに生きるための経済活動や家庭生活が危うくなるような、「あまりに効率化され、経済的には「ムダ」でも、人間しては大事な時間・用事・ヒマを捨て去る」ことが「お金持ち」「安心な老後」を保障すると、法律や経済制度や宣伝教育に脅迫されているのです。

「世界中が狂うと、手の打ちようがない」

そういう状態に近いのでしょうけどね。

再見! (2012.10.04 18:58:05)

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