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すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.10.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は、月一回「遊びの会」という親子一緒に遊ぶ教室をやっています。

「ポランの広場」という幼稚園に入る前の子どもたち対象の教室は15年くらい前からやっていますが、この「遊びの会」は幼稚園に行っている子や小学生が対象で、今年の4月から始めました。(生徒募集中です)

それは、今時の子どもたちの遊びがあまりにも貧弱で、子どもを育てるどころか子どもの育ちを阻害するような遊びばかりが主流になってしまっているからです。

先日、その遊びの会で、あるお母さんが「先生、年長さん(6才児)で大人の話をちゃんと聞くことが出来ないというのは普通でしょうか、普通じゃないでしょうか」と聞いてきました。

そのお母さんが見ている範囲では、「話を聞くことが出来ない子」の方が普通なのですが、その方のご主人が「それは普通ではない」とおっしゃっているのだそうです。

ちなみに、その方のご主人はアメリカ人です。

それで私は、

「年長になっても大人の話を聞くことが出来ないというのは、今の日本の子どもとしては普通です。でも、世界を基準にしたら普通ではありません。」

と答えました。



日本でも、昔の子どもたちは6才にもなればそれなりに大人の話を聞くことが出来ました。だからこそ、7才から学校に行って学び始めることが出来たのです。

まだ話を聞くことが出来ない状態の子は「学ぶ準備」が出来ていないということなのです。
勉学が7才になってから始まるのには、それなりに訳があるのです。

でも、今の子どもたちはその「学ぶ準備」が出来ない状態で、小学校に上がっていきます。だから、小学校、またその上の学校でも困ったことになってしまっているのです。

では、どうして現代の子どもたちは話を聞くことが出来ないのか、昔の子どもたちはどうして6才になるまでに話を聞くことが出来るようになっていたのかということです。

実は「話を聞く能力」は「助け合う能力」とつながっているのです。そして、「助け合う能力」は「自分を抑制し、我慢する能力」ともつながっています。

いくら「話を聞きなさい」と指導しても、テレビやDVDをいっぱい見せても、「話を聞く能力」は育たないし、「我慢しなさい」と「我慢」を押しつけても、「我慢する能力」は育たないのです。

これは大人でも同じですよね。自分勝手で、相手のことを思いやることが出来ない人ほど、きちんと人の話を聞くことが出来ないですよね。
「我慢」も同じですよね。

ご自分の周囲を見回してみて下さい。

年中(5才)頃までは、まだ「助け合う能力」は未熟です。でも、年長が助け合って遊んでいる姿を見ていることで「助け合う」ことを学習していきます。



でも、その年長が先生の指示命令だけで動いていたり、勉強ばかりさせられていたりしたら、年中は「助け合う遊び」の体験がないまま年長さんになることになります。

当然、「助け合う能力」も育ちません。

それはまた、小学校に入ってから必要になる学習能力が育たないということを意味しています。7才前から勉強をさせてしまうと学習能力が育たなくなってしまうのです。

多少の知識や計算能力などは身につくかも知れませんが、それと引き替えに学習能力そのものが育たなくなってしまうのです。

ですから、早期教育の成果は思春期が近づくにつれて消えていきます。



かといって、子どもたちを勝手気ままに放任している幼稚園もお勧めしません。なぜならそのような幼稚園でも、子どもたちは「助け合う能力」を育てることが出来ないからです。

「じゃあ、どういう幼稚園がいいのか」ということですが、簡単に言ってしまえば、年中さんが年長さんにあこがれを持っているような幼稚園です。

子どもたちの中に、そのような「縦のつながり」が作られているような幼稚園です。

子どもたちは「自分たちの成長に必要なもの」を知っています。だから、その目標となるような先輩にあこがれを感じるのです。

子どもでも、「自分勝手な人」より「助け合うことが出来る人」にあこがれを感じるのです。なぜなら、それが人間の本性だからです。

そしてまた、そのような幼稚園では、その年長さんたちは先生たちにあこがれています。年長さんにも「あこがれ」が必要なのです。

「先生」が年長さんの「あこがれの対象」として存在している時、年長さんは先生を「お手本」として、学びます。

そして、年中さんはその年長さんにあこがれ、「お手本」として学びます。

昔は、群れをまとめてくれている「大きなお兄ちゃんやお姉ちゃん」がその「あこがれ」の対象でしたが、そのようなお兄ちゃん、お姉ちゃんが消えてしまった今では、「先生」がその「あこがれ」になる必要があるのです。

とにかく、子どもの成長には「目標としてのあこがれ」が必要なのです。

今では子どもたちは「テレビ」で見ている非現実的な世界の人たちばかりにあこがれています。

でも、いくら芸能人にあこがれても、子どもの「人間としての育ち」を支える力にはなりません。





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Last updated  2012.10.14 05:57:24
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