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すべて、お楽しみさ… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.10.25
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カテゴリ: カテゴリ未分類
本来、テレビやゲームといった遊びは子どもの成長に必要なものではありません。人類がそのようなものを手にしたのはつい最近であり、さらには、世界レベルで考えたら、今でもそのようなものに囲まれて育っているのはほんの一部の子どもたちだけです。

ですから、「有害かどうか」の判定は難しくても、「必要なものではない」ということだけは確実に言うことが出来ます。

では、時代や文化を超えて、子どもの育ちに必要なものは何かというと、
・しっかりとした母国語の学び --- これを失ったら全てが台無しになります
・幼児期のスキンシップ --- 一生を通しての精神の安定に必要です
・仲間との遊び --- 助け合うことや社会性を学ぶため
・大人に受け入れられること --- 自分の人生を肯定する感情を育てるため
・様々な大人との関わり --- 世代を超えて伝えられてきたことを学ぶため
・多様な体験を通して学ぶこと --- 工夫する能力を育てたり、現実世界を生きて行くための智慧を学ぶため

・役割の体験 --- 社会性や、客観的な意識や、責任感などを学ぶため

などです。そしてこれらは、有史以来、子どもたちの育ちから失われたことはなかっただろうと思います。そのようなことは、今でもジャングルの奥地などで暮らしている人たちの生活文化を調べれば分かることです。

簡単に言ってしまえば、それらは子どもたちが「一人前の大人」に育つために必要な学びです。そして、子どもたちが「一人前の大人」に育つことが出来なくなってしまった社会は間違いなく崩壊します。

子どもには「社会」というものを維持できないからです。

でも、ここで問題が起きます。

テレビやゲームの「子どもの育ちに対する直接的な害」に関しては諸説ありますが、間違いなくテレビやゲームは、これらの「子どもが大人になるために必要な学び」を子どもたちから奪ってしまうということです。

では逆に、子どもたちはテレビやゲームから何を学ぶことが出来るのかというと、テレビからは様々な知識を学ぶことが出来るかも知れません。でも、「テレビから学んだ知識」はクイズ番組や試験の時にしか役に立たない知識です。それらは「生活」とつながった知識ではないからです。

「ゲーム」に至っては、ほとんど何も学ぶことが出来ません。ゲームは純粋に「刺激を得るための道具」に過ぎないからです。

しかも「ゲームの刺激」は生活の中の刺激よりも遙かに強いため、ゲームの刺激になれてしまうと、現実生活の中の刺激に対しては鈍感になります。そして、ゲームがないとすぐに退屈するようになります。

それだけゲームが楽しい、と言うことなのですが、過度に楽しすぎるのです。そのため依存症を引き起こしやすいのです。

子どもの育ちには、「やり過ぎたら飽きてしまう」程度の楽しさで充分なんです。「いくらやっても飽きないような楽しさ」は子どもの興味を閉鎖的にし、子どもから「現実」を奪ってしまうのです。



実は、そのようにして遊びが変化していくことも非常に重要なことなのです。

ちなみに、「ゲームで遊ぶことでコンピュータの使い方が上手になる」と考えているお母さんたちがいますが、それは全くの誤解です。ゲーム機はコンピュータで作られていますが、ゲーム機は「ゲーム機」に過ぎません。

私が、コンピュータと関わり始めた30年前のコンピュータは、コンピュータの知識がないと使えないようなものでしたが、現代のコンピュータはそれが「コンピュータ」であることを感じさせないような作りになっているのです。だから幼稚園児でも使いこなすことが出来るのです。

幼稚園児でも使いこなすことが出来るということは、その程度の学びしかないということでもあります。

続きます。





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Last updated  2012.10.25 08:14:36
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