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愛知県岡崎市で、カラヴァッジョ展を見てきた。「光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち」という副題がついていた。カラヴァッジョとカラヴァジェスキ(カラザッジョ風の継承者)の展覧会である。スゴク写実的な宗教画が主である。教会に飾られるキリストやマリアや聖人の人間的でリアルなこと。光り輝く対象人物と深く暗い背景。カラヴァッジョ自身の生涯も、光と影。父親は自身が幼いときペストで死に、母親にも19(?)のとき逝かれてしまう。13歳で、画家の徒弟。20代にはもう華やかな宗教画の大家、38歳には死んでしまう。喧嘩や訴訟沙汰を繰り返し、人も殺し、逃亡生活をし、それでも、宗教画は評価されつづける。深く人間的な宗教画と退廃。光と影。面白いですよ。でも岡崎と東京だけでの開催のようです。
2002年01月18日
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神戸新聞に下のような記事が載っていた。----------復興住宅の孤独死35人 神戸市営、昨年4-12月 2002/01/16 阪神・淡路大震災の被災者が住む神戸市営の復興住宅で、一人で暮らしだれにもみとられずに亡くなった人が昨年四―十二月で三十五人に上っていることが十五日、市の調査で分かった。昨年度とほぼ同じペースで、一般の市営住宅に比べると高い発生比率になっている。一方、復興住宅での長期滞納者に対し、市が家賃支払い訴訟を起こすケースが過去最高の百十件に達するなど、不況の影響も出始めている。 市が一九九五年一月十七日以降に市営住宅に入居した四万五千五百人を対象に調べた結果、昨年四―十二月の孤独死は三十五人。過去最高の二〇〇〇年度の四十七人と同じペースで、九八年度の十六人、九九年度の三十六人を上回っていた。 一般の市営住宅の一人暮らしの人と比べた場合の発生比率は二倍近くに達しており、依然として見守りの必要性が高いことをうかがわせた。 三十五人の内訳は、六十五歳以上二十人▽五十―六十四歳十二人▽四十九歳以下三人。約七割は七日以内に発見されたが死後五十二日目に見つかったケースもあった。(以上神戸新聞)-----------------何故なんだろう、3割以上は7日以上発見されなかったということだ。市営の復興住宅で、震災被害者だとわかっているのに、それも毎年毎年多くの孤独死が発生しているのに、 なぜ本当の困窮者を助けるためのネットワーク作りのようなことができないんだろうか。神戸市の職員は何人いるのだろう。行政は、弱い人を助けるのが重大な仕事の筈ではないのか。私は行政の怠慢ではないかと思うが。
2002年01月16日
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今日の天声人語は以下の通り。■《天声人語》 01月15日 最近の出来事でよく理解できないのは「荒れる成人式」だ。あちこちで騒ぎが起き、その対策をいろいろ講じているらしい。ここは、偉大なる警句家ラ・ロシュフコーの言葉を手がかりに、事態を考察した。引用は彼の『箴言集』(岩波文庫)から。 「大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を自然だと思いこんでいる」。若者とはそもそもそんなものだ、という。ただ、当の若者がそれを当然として開き直っているとするとしゃくにさわる。 酒が騒ぎを引き起こすという見方もある。若者はまだ酒の魔力をよく知らない。酒に溺(おぼ)れやすい。「われわれが一つの悪徳に溺れずにすむのは、悪徳を幾つも持っているおかげであることが多い」。ちょっとあぶない悪徳の勧めだ。 「自分は人に好感を与える、という自信は、えてして人を不愉快にする決め手になる」。確かに自分だけ舞い上がって、他人の心中を想像できない輩(やから)にかき回されることがある。警句家に言わせると「ひとしきりしか歌われないはやり唄(うた)にそっくりの輩がいる」、そんな輩だろう。 式を仕切る大人の側に問題はないか。「年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる」。そういう人もいる。「うんざりすることが許されない人を相手にしていると、ほとんどきまってうんざりする」。そういうこともある。 17世紀に生きた「箴言(しんげん)」の人は、結局は自分の愚かさを、人間の愚かさを知れ、と言っているのだろう。簡単なようで一番難しいことかもしれない。 ----------------いやなら出なければ良いのに大騒ぎ。式の次第と意図は考えれば分かるのではないか。人と成った人なら、それを承知で出るか、出ないか決めれば良い。出たならば、最低限のルールに従うということではないのか、その後、2次会でも3次会でもやれば良い。人と成った人なら。
2002年01月15日
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昨日の朝日朝刊一面の連載「アメリカ」の中で紹介されていた言葉。「アメリカのテロ事件は、悲しかった。うれしくなんかなかったよ。でもその後、イスラエル軍がここに攻めてきて何人も殺されても、アメリカはイスラエルを支持したよ。」(パレスチナ自治区の難民キャンプの女子中学生メルナ・アッザさん)-----------------------アメリカのあるいはNATO軍なんかの言う正義とは何なんだろう、ユーゴなんかでも、無差別空爆をやった、アフガンでもやった、でも、イスラエルなどは野放しだ、まあ時には自重するようにイスラエルに声明を出すことはあるが、無視されても何をするわけでもない、欧米の言う「人道的」あるいは「正義」という言葉は、「自分達に都合が良い」という言葉に置き換えて読んだり聞いたりしたほうが間違いがない。
2002年01月12日
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NHKの大河ドラマの「利家とまつ」が始まった。その中で何度か、「一粒百行」という言葉が出てきた。前田利家の家族が頻りに使う。尾張の土豪である前田家はお百姓さんの米や麦をいかに戦乱から救うかに腐心する必要がある、それは一粒百行の賜物だからと。一粒の米や麦のために百の手をかける、お百姓さんの尊い仕事を無駄にしないことが、前田家の役割なのだと言う。米という字は、八十八と書く。八十八もの手間が掛かる、だから米一粒も粗末にしてはならないと、子どもの頃教えられた。一粒百行は、一粒の米を作るために百もの修行をするのだというニュアンスが感じられる。生きていくことは、生活していくことは、すなわち行なのだと言われているような気もする。ならば、苦だと言うだけの理由で逃げるわけには行くまい。
2002年01月09日
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アメリカは、正義と称する戦いで勝利したと喧伝しつつあるが、罪もない多くの民間人を犠牲にした身勝手は決して許されない。-------------------朝日新聞よれば、アフガン民間の米空爆死者、同時テロ犠牲者上回る 米誌 7日付の米週刊誌タイム最新号(電子版)は、米ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授(経済学)の集計として、米軍の空爆によるアフガニスタンでの民間人の死者は昨年12月6日時点で3767人に達し、米同時多発テロの犠牲者数を上回ったと報じた。テロの犠牲者は同月19日時点で3225人と伝えられていた。 タイム誌によると、教授が用いたデータの大半は空爆に関する報道を基にしている。同誌は「信ぴょう性には疑問が残る」と付け加えた。 空爆の犠牲者数について、アフガニスタン暫定政府や国際人権団体は、現時点での信頼の置ける調査は不可能としている。一方、米国防総省は「歴史上もっとも民間人の犠牲者が少ない戦争」と主張している。 米空爆による犠牲者はその後も増え続け、先月30日には東部パクティア州で村人100人以上が死亡。同月22日の暫定政権発足式に向かう地方指導者が乗った車列への爆撃で65人が死亡したと報じられている。同誌はこの2件について、米国防総省高官の見方として「地方有力者が政敵追い落としのため、故意に誤った情報を米軍に流した可能性がある」と伝えた。(19:06) -----------------米国防総省は「歴史上もっとも民間人の犠牲者が少ない戦争」と主張している。(ばかやろうだ、まったく)何という無神経な身勝手な談話なのだろう。ビンラディンとその一味だけが処罰されるべきなのに、罪もない人をこれだけ多く殺しておき、直接的被害者が同時多発テロと同じくらいだとしたら、アメリカと同じくらいの哀しみを、多くのアフガンの無辜の人に与えたことに、心配りする人間性はないのか。さらに、その何十倍何百倍もの人が、空爆におびえ、寒さの中、野ざらしの逃避行をしたことを。私達は、こんな横暴をやはり許してはならないと思う。記憶にとどめて忘れないでいたい。これは決して正義の戦いではなかった。
2002年01月08日
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昨日テレビで元沖縄知事の太田氏が沖縄の言葉を紹介していた。「人に痛みつけられても眠ることはできるが、人を痛みつけたら眠ることができない。」---------------------残念ながら無抵抗主義でいいほど世の中は良くはない。自衛力も必要だろう。でも、人を思いやることの大切さを知ること、自分の痛みなら耐えられるが、人の痛みなど耐えられないと言いきる、言葉の凄さ、沖縄バンザイ。
2002年01月06日
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せめて、子ども達が衣食住と日々の勉学と遊びが保証されている世の中が来ますように。戦争・いろんなバリア・差別そんなこととの戦いと無縁な、自然の営みとの関わりや、老病死や、選択した生活のための営みに取り組むことだけが人類の困難であるような世界の来ることを今年も祈りつづけたいと考えています。
2002年01月02日
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